第26章:春休みの買い物デートと、魔法をかける人
3月下旬。
合格発表から数日後。俺と詩織さんは、駅前のショッピングモールに来ていた。
「……すみません、聖次さん。お休みなのに付き合わせてしまって」
「いえ、約束ですから。それに、娘の服を選ぶなんて父親らしいこと、一度やってみたかったですし」
俺が笑うと、詩織さんは少し申し訳なさそうに、でも嬉しそうに微笑んだ。
今日の彼女はまだ、いつものスタイルだ。
地味な色味のロングスカートに、黒髪を一つに縛り、そして**「伊達眼鏡」**。
周囲から見れば、真面目そうな委員長タイプのお姉さんと、その弟……あるいは年下の彼氏に見えているだろうか。
「でも……やっぱり、私にはハードルが高い気がします」
レディースファッションのフロアに入った途端、詩織さんの足が止まった。
今日の彼女は、ロングスカートに**「眼鏡」**姿だ。
普段は生徒会の仕事や、パソコン作業をする時の「戦闘モード」でしか掛けないはずの眼鏡。
視力は良い(1.5)はずなのに、なぜ今日掛けてきたのか。
俺は、少し縮こまった彼女の背中を見てなんとなく察した。
(……そうか。ここは彼女にとって『アウェー』なんだ)
キラキラした照明。華やかなマネキン。流行の音楽。
自分に自信がない彼女にとって、この空間は戦場以上に怖い場所なのだろう。だから、**「心の鎧」**として眼鏡を装備し、防御力を上げてきたのだ。
「今まで制服かジャージばかりでしたから。……こんな華やかな服、私なんかが着たら笑われるんじゃ……」
「そんなことありませんよ。詩織さんは素材がいいんですから、何でも似合います」
「そ、素材って……」
彼女が顔を赤くして眼鏡のブリッジを押し上げる。
俺は彼女の背中を、ポンと軽く押した。
「さあ、行きましょう。今日は『黒澤詩織』じゃなくて、ただの『女子大生』になるための準備です」
俺が手を差し伸べると、彼女は少しだけ迷ってから、決心したように顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳が、すがるように、けれど信
頼を込めて俺を見つめる。
「……はい。お願いします、聖次さん」
その声は微かに震えていたけれど、俺の心を鷲掴みにするには十分すぎるほど、いじらしく響いた。
***
それから一時間。
俺たちは数軒のショップを巡り、何着かの服を選んだ。
俺が選んだのは、派手すぎないけれど、彼女のスタイルの良さを引き立てる「オフィスカジュアル」系の服だ。
ベージュのトレンチコート、パステルカラーのニット、足首が見える丈のパンツ、そしてフレアスカート。
「……お待たせしました」
試着室のカーテンが開く。
出てきた詩織さんの姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「……どう、ですか? 変じゃ、ないですか?」
彼女は春色のニットとフレアスカートに身を包み、恥ずかしそうに身体を縮こまらせている。
地味だった印象が一変し、洗練された大人の女性のオーラが溢れ出していた。
「……凄いです。すごく、似合ってます」
「ほ、本当ですか? お世辞じゃなくて?」
「本心です。……ただ」
俺は彼女に歩み寄り、その目元を見つめた。
「……一つだけ、仕上げをしていいですか?」
「仕上げ、ですか?」
俺はそっと手を伸ばし、彼女が掛けている**「眼鏡」**に触れた。
「もう、この鎧はいらないと思います」
「……あ」
「詩織さんのその綺麗な瞳を、隠しておくのはもったいないですよ」
俺がゆっくりと眼鏡を外すと、彼女は驚いたように目をパチクリさせた。
視力1.5の澄んだ瞳が、遮るものなく俺を映す。
長いまつ毛。切れ長の涼やかな目元。
眼鏡がないだけで、彼女の美貌は一気に解放され、ドキリとするほど無防備な表情になった。
「……恥ずかしい、です。なんだか、裸みたいで……」
「慣れですよ。……大学では、その『素顔』で笑っていてください。きっと、素敵な友達がたくさんできますから」
俺が眼鏡を畳んで渡すと、彼女はそれを受け取り、大切そうに胸に抱いた。
そして、鏡の中の自分――新しい自分を見つめ、少し潤んだ瞳で笑った。
「……魔法使いみたいですね、聖次さんは」
「え?」
「シンデレラに魔法をかけた魔女みたいです。……私を、こんな風に変えてくれて」
彼女は振り返り、最高の笑顔を俺に向けた。
「ありがとうございます。……この服、全部買います」
***
買い物を終え、カフェで休憩している時。
詩織さんは眼鏡をバッグにしまい、早速「裸眼」で過ごす練習をしていた。
「……やっぱり、まだソワソワします」
「美人すぎて、周りの男たちが振り返ってますよ」
「からかわないでください。……でも」
彼女はアイスティーのストローをいじりながら、ボソリと言った。
「……この姿を一番最初に見てくれたのが、聖次さんでよかったです」
「……」
「入学式の日も、見ていてくれますか? 私の晴れ姿」
「もちろんです。カメラマンとして最前列を陣取りますよ」
ふふっ、と彼女が笑う。
その笑顔は、もう「黒澤家の長女」のものではなく、春から新生活を始める一人の「女の子」のものだった。
こうして、彼女の「JDデビュー」の準備は整った。
だがこの時の俺はまだ知らなかった。
眼鏡を外し、自信を持った彼女の破壊力が、家の中で俺の理性をゴリゴリと削ることになる未来を――。
(続く)




