第24章:副会長の卒業、勘違いの敗北宣言と第2ボタン
3月1日。卒業式。
春の訪れを感じさせる暖かな日差しの中、学び舎を巣立つ者たちの歓声と、別れを惜しむ涙が校内の至る所で見られた。
だが、そんな喧騒から離れた静寂の場所――生徒会室に、男が一人佇んでいた。
神崎 蓮。
この学園の副会長として、そして「会長の右腕」として君臨してきた男だ。
「……これで、最後か」
彼は誰もいない会長席の机を、愛おしそうに指でなぞった。
整理整頓されたデスク。そこにはもう、彼女の私物は一つも残っていない。
その事実に胸を締め付けられながら、神崎はポケットの中にある硬い感触を確かめた。
――第2ボタン。
心臓に最も近い場所にあるそれを渡す意味を、彼女は知っているだろうか。
「失礼します」
扉が開き、この部屋の主――黒澤詩織が入ってきた。
卒業証書の筒を小脇に抱え、少し急いでいる様子だ。
「あら、神崎くん。まだいたのですか? 鍵の返却は私がやっておきますから、もう下校しても構いませんよ」
「……会長。いや、黒澤さん」
「?」
神崎は眼鏡の位置を正し、決死の覚悟で彼女に向き合った。
「少し、時間はありますか? 君に渡したいものが……」
「ごめんなさい、今は急いでいるので」
即答だった。
詩織は腕時計をチラリと確認し、眉を少し下げた。
「家族が待っているのです。……今日は、父……いえ、『大切な人』が、御馳走を作って待ってくれているので」
その瞬間、詩織の表情が緩んだ。
氷の女帝と恐れられた彼女が、花が咲くように柔らかく、少女のような笑みを浮かべたのだ。
神崎は言葉を失った。
3年間、隣にいて一度も見ることのできなかった表情。
それを引き出したのが、自分ではない「誰か」であることは明白だった。
「……そうですか。引き止めてすまない」
「いいえ。神崎くんも、3年間お疲れ様でした。……貴方のサポートのおかげで、生徒会は回っていました。感謝しています」
詩織は深々と頭を下げると、足早に去っていった。
残された神崎は、渡せなかったボタンを強く握りしめた。
「……感謝、か。僕は君の『特別』になりたかったんだがね」
***
生徒会室を出た神崎を待っていたのは、黄色い歓声の嵐だった。
「キャーッ! 神崎先輩! 卒業おめでとうございます!」
「先輩! 第2ボタンください!」
「ダメならカフスボタンでも! 校章でもいいです!」
廊下を埋め尽くす後輩女子たちの群れ。
神崎は容姿端麗、成績優秀、そしてあの少し芝居がかった言動が一部の層にカルト的な人気を博していた。
だが、彼は群がる女子たちに向けて、スッと手を挙げた。
「すまない、仔猫ちゃんたち」
「「仔猫……ッ!!(トゥンク)」」
「僕の制服のパーツは、全て非売品であり、譲渡不可だ。……特にこの第2ボタンはね」
彼は胸元を押さえ、遠い目をした。
「これは、届かぬ星に捧げると決めているんだ。……たとえ、その星が別の引力に惹かれていたとしてもね」
「「は、儚い……ッ! 素敵……ッ!!」」
女子たちが感動に打ち震える中、神崎は颯爽と人混みを抜けていく。
向かう先は校舎裏。
彼女が向かった場所だ。
せめて一目、彼女の「待ち人」を確認しなければ、この恋に終止符は打てない。
***
そして現在。校舎裏の桜の木の下。
そこでは、神崎にとって残酷すぎる「答え合わせ」が行われていた。
黒澤詩織が、雨宮聖次の胸で泣き崩れている。
それを、母親と妹(に見える女性たち)が温かく包み込んでいる。
「……フッ。完敗ですね」
その光景を校舎の角から見つめていた神崎は、自嘲気味に眼鏡を押し上げた。
「公衆の面前(校舎裏だが)で、あそこまで彼女を無防備にさせるとは。……さすがは、彼女が選んだ『彼氏』だ」
彼の右手には、結局渡せなかった「第2ボタン」が握りしめられている。
だが、今の彼女の幸せそうな顔を見て、それを渡す未練は消え失せた。
自分が渡せるのは「生徒会副会長としての忠誠」だけ。
彼女の涙を受け止め、心を支える「男」の役目は、彼――雨宮聖次にしか務まらないのだと、認めざるを得ない。
「……お幸せに、会長」
彼はそのボタンをポケットにしまうと、踵を返した。
その背中は、失恋の痛みと、男としての潔さに満ちていた。
***
その後。校門付近。
家族との写真撮影を終え、少し落ち着いた聖次が、自販機で飲み物を買おうと一人になった時だ。
「――待ちたまえ、雨宮」
待ち伏せしていた神崎が、行く手を阻んだ。
その表情は、決闘に臨む騎士のように真剣だ。
「……神崎先輩? 卒業おめでとうございます」
「ああ。……単刀直入に言おう。見ていたよ、さっきの熱い抱擁を」
(うっ……見られてた!? マズい、家族だってバレたら……)
聖次が身構えると、神崎はフッと寂しげに笑った。
「隠さなくていい。薄々感づいてはいたんだ。……文化祭で彼女が倒れた時、君が真っ先に駆けつけた時からな。あの時の君の目は、単なるクラスメイトを見る目ではなかった」
「あ、いや、あれは……(保護者としての責任感なんですが)」
「言い訳は不要だ。……悔しいが、認めよう。詩織さんの『弱さ』を受け止められる男は、僕ではなく君だったということだ」
神崎はガシッ!と聖次の肩を掴んだ。
その力は強く、彼の想いの重さを物語っていた。
「雨宮。……詩織さんを頼んだぞ。彼女は強がりだが、中身は脆い。君が支えてやってくれ」
「は、はい……(父親として、ですが)」
「もし彼女を泣かせるようなことがあれば、僕がいつでも奪い返しに行くからな。……覚悟しておけよ、彼氏くん?」
(……あ、完全に彼氏だと思ってる。よし、誤解したままだ。訂正したらややこしいから、このままでいこう)
「……肝に銘じます。先輩も、お元気で」
聖次が頭を下げ、立ち去ろうとしたその時だ。
「ああ。……それと、一つ忠告だ」
「はい?」
神崎はニヤリと、今日一番の不敵な笑みを浮かべた。
まるで、物語はまだ終わっていないと告げるように。
「別れを告げるにはまだ早いぞ。……僕の進路だが、T大法学部だ」
「……え?」
「知らなかったのかい? 詩織さんの第一志望と同じだよ。……偶然ではない。必然だよ」
神崎は眼鏡をキラリと光らせた。
「彼女と同じ学び舎で、同じ法を学び、同じ未来を目指す。……大学という新たなステージでも、彼女の『男友達(あわよくば次期彼氏)』のポジションはキープさせてもらうから、よろしく頼むよ」
「はあぁぁッ!? また一緒なんですか!?」
「フハハハ! 安心したまえ、キャンパスライフでの彼女のサポートは、この神崎 蓮に任せておけばいい! 君は安心して、プライベートで愛を育むがいいさ!」
聖次の絶叫を背に、神崎は高らかに笑いながら、マントを翻すように手を振って去っていった。
勘違いしたままのハイスペック・ストーカーが、大学まで追ってくる。
俺は遠い目をした。
……詩織さんの大学生活、俺(父親)の警護レベルを上げないと、マジでマズいかもしれない。
(続く)




