第22章:バレンタイン、重量級の義理と深夜の糖分補給
2月14日。
男子高校生にとって、一年で最もソワソワする日。
だが、俺、雨宮 聖次にとっては「地雷原を歩く日」だった。
登校してすぐ、俺は下駄箱の前で深呼吸をした。
プロトタイプ(妄想)なら、ここでチョコが雪崩れてくるはずだが、現実は甘くない。
俺がおそるおそる扉を開けると――そこには、一通の封筒が入っていた。
『放課後、空き教室に来なさい。逃げたら殺す』
チョコの甘い香りではなく、鉄錆のような殺気が漂う果たし状だった。
差出人の名前はないが、丸文字の筆跡で犯人は特定できた。
「……お〜? 雨宮ァ、朝からラブレターかぁ? モテんねぇ〜」
背後から、ハイエナのような嗅覚で達也が現れた。
「うるさい。これは召喚状だ」
「へぇ。……ま、せいぜい『重い』想いを受け止めてやれよ?」
達也が意味深にニヤリと笑った。こいつ、また何か知っているな。
***
放課後。指定された空き教室。
俺がドアを開けると、そこには腕組みをした仁王立ちの瑠奈と、ニヤニヤした美咲がいた。
「……来たわね」
「呼び出しとは穏やかじゃないな、瑠奈」
俺が警戒して入室すると、瑠奈は机の上に
「ドスン!」と重い音を立てて、一つの箱を置いた。
ラッピングは可愛いピンク色だが、質量がおかしい。漬物石くらいの重厚感がある。
「……はい、これ」
「……なんだこれは」
「チョコに決まってんでしょ! バレンタインなんだから!」
瑠奈が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「勘違いしないでよね! これは……そう! 義理よ! ド級の義理! 失敗したやつとか余った材料を全部固めたら、たまたまこうなっただけだから!」
「たまたまでこの密度になるか? ブラックホールかよ」
「うるさい! 感謝して食え!」
横で美咲が茶々を入れる。
「素直じゃないね〜瑠奈は〜。昨日、徹夜でブラウニー焼いてたじゃん。『聖次、ちゃんと食べてくれるかな……』って乙女な顔してさ〜」
「わーーっ!! 美咲、余計なこと言わないで!!」
瑠奈が美咲の口を塞ぐ。
その隙に、いつの間にか窓枠に座っていた達也がカメラを向けていた。
「はいチーズ! 『愛の重量級チョコ贈呈式』、いただきまーす!」
「達也てめぇ! 消せ!」
カオスだ。
俺はため息をつきつつ、そのズッシリと重い箱を手に取った。
「……サンキュ、瑠奈。ちゃんと食うよ」
「……ふん。……全部食わなかったら承知しないから」
瑠奈はそっぽを向いたが、その口元は嬉しそうに緩んでいた。
俺のカバンは物理的に重くなったが、足取りは悪くなかった。
――しかし、真の地獄は帰宅後に待っていた。
***
「聖次さ〜ん! ハッピーバレンタイン〜❤」
帰宅するなり、エプロン姿の遥さんが飛びついてきた。
リビングのテーブルには、異様な光景が広がっていた。
チョコフォンデュタワー。
カカオ煮込みハンバーグ。
チョコ入りカレー。
「……遥さん。これは?」
「愛のフルコースよ! 隠し味にチョコをたっぷり使ったの! コクが出るんですって!」
コクどころか、致死量に見える。
だが、満面の笑みの婚約者を裏切るわけにはいかない。
俺は覚悟を決めて席についた。
「……いただきます」
味は……意外にも悪くなかった。遥さんの料理スキルは確実に向上している。ただ、愛が重いだけだ。
俺が必死にチョコカレーを食べていると、二階から詩織さんが降りてきた。
ジャージ姿に眼鏡。受験生モードだ。
「……甘い匂いが二階まで充満しています。集中できません」
「あら詩織! 休憩? チョコ食べる?」
「いりません。胃がもたれます」
詩織さんは冷たく言い放ち、俺をチラリと見た。
「……聖次さん。あとで、私の部屋にコーヒーを持ってきてください。ブラックで」
「あ、はい。了解です」
***
深夜一時。
俺はコーヒーと、コンビニで買っておいた「高級チョコレート(一粒入り)」をトレイに乗せ、詩織さんの部屋をノックした。
「どうぞ」
部屋に入ると、詩織さんは参考書の山に埋もれていた。
二次試験まであと十日。鬼気迫るオーラだ。
俺はデスクの脇にトレイを置いた。
「お疲れ様です。……これ、糖分補給にどうぞ」
俺がチョコを差し出すと、詩織さんは眼鏡を外し、疲れた目をこすった。
「……気を使わせてすみません。……あんなご馳走を食べた後なのに」
「いえ。詩織さんの分も用意してたんで」
彼女はチョコを手に取り、包みを開けた。
そして、それを半分に割った。
「……半分こ、しましょう」
「え? いや、俺はさっき死ぬほどチョコを……」
「いいから。……一人で食べるより、美味しいですから」
彼女は有無を言わさぬ笑顔で、チョコの半分を俺の口に押し込んだ。
カカオの苦味と、上品な甘さが広がる。
そして彼女も、残りの半分を口に含み、幸せそうに目を細めた。
「……ん。美味しい」
「……詩織さん」
「……あと十日。国立の二次試験が終わったら……そしたら、私」
彼女は俺を真っ直ぐに見つめた。
「……一番に、あなたに報告しますから。待っていてくださいね」
「はい。吉報を待ってます」
彼女は試験への不安と、卒業への期待、そして「その先」への想いを込めて、もう一度小さく微笑んだ。
瑠奈の「重量級」の愛と、遥さんの「カオス」な愛。
そして詩織さんの「静謐」な愛。
三種類のチョコの味を噛み締めながら、俺は受験生の背中を見守った。
(続く)




