第20章:教室の罠と、聖夜のバタフライ
12月24日。終業式の日。
世間はクリスマス一色だが、俺、雨宮 聖次にとっては「絶対にボロを出してはいけない日」でもあった。
ホームルームが終わり、帰ろうとしたその時だ。
「――おい、雨宮」
背後から、あの悪徳商人のような声が聞こえた。
振り返ると、達也がニヤニヤと笑いながら立っていた。
「……なんだよ、達也」
「雨宮、クリスマスは橘と過ごすのか?」
「……え?」
不意打ちだった。
俺は思考が追いつかず、間の抜けた声を出してしまった。
達也の目が、獲物を見つけた鷹のように鋭く光る。
「今お前、『……は?』じゃなくて『……え?』っつったよな?」
(しまった……ッ! コイツの勘の鋭さを忘れて素で答えちまった……くぅ……スケベそうにニタついてやがる……ヤバい……ヤバいぞこれ……!)
俺の心拍数が跳ね上がる。
俺は必死にポーカーフェイスを作り、事前に用意していた言い訳を繰り出した。
「……ぐ、偶然だよ。俺は親から……そう、海外の親からビデオ通話が来る予定なんだ。時差もあるし、夜は家にいなきゃいけないんだよ」
完璧な言い訳のはずだった。
だが、達也はさらに顔を近づけ、ねっとりとした口調で言った。
「ビデオ通話ぁ〜? んなもん、スマホがありゃ何処ででも出来るだろ〜ぅ?」
「うッ……」
「ましてや、クリスマスを1人で過ごす寂しい息子の姿なんて、親は見たくないと思うんだがぁ? ……違うかぁい? 雨宮くんぅ?」
(くあ……ッ! ネチぃの通り越して粘っこい……はぁっ……! 耐えろ! 耐えろ聖次……!)
逃げ場のない正論。俺が脂汗をかいていると、後ろから美咲も援護射撃をしてきた。
「私もそう思うー。親なら『友達と遊んでこい』って言うよね〜」
美咲の視線が、俺をねっとりと絡め取る。
「だと思ったぁ〜。瑠奈誘ったら『家族でやるからパス』とか言ってたしー。去年はあんなにアタシらと一緒にバカ騒ぎしたのにねぇ〜?」
その言葉に、俺は冷や汗が吹き出した。
(なんで俺の方見るんだよ w 『家族で』って聞いたんだろ? w ……落ち着け……俺の目は泳いでないか……? ましてやバタフライなんてしてないだろうな……落ち着け……)
俺が必死に自分の目の動きを制御していると、達也がスッと視線を外し、小声で美咲に指示を出した。
「美咲、瑠奈ちゃん見張ってろ? タイミング的にそろそろ来るぞ?」
(何バカなこと言ってんだよコイツ w 来るわけないだろ……)
俺がそう思った、次の瞬間だった。
「え……? あ、ホントだ。なんか瑠奈の目泳いでる……?」
俺はギョッとして、教室の反対側を見た。
そこには、帰り支度をするフリをして、こちらの会話に聞き耳を立てていた瑠奈がいた。
そして、その目は明らかに挙動不審に左右へ揺れ、全力で泳いでいた。
(コラ瑠奈ー! お前がバタフライさせてどうすんだよーッ w)
美咲がニヤリと笑う。
「……で、雨宮は『一人でビデオ通話』って言ってたのに、瑠奈ちゃんと同じ日に『家族の予定』があるんだ?」
チェックメイトだ。
達也と美咲は顔を見合わせ、「やっぱりね」という顔で頷き合った。
「ま、これ以上は野暮だから聞かねーけどよ。……せいぜい楽しめよ? ダーリン?」
「う……ッ! ち、違うっつの!」
俺は捨て台詞を残し、逃げるように教室を出た。
背後で二人の高笑いが聞こえる。
……完全に遊ばれている。あいつらにはもう、俺たちが付き合っていることは確定事項になっているようだ。
俺は冷や汗で濡れたシャツを感じながら、校門へと急いだ。
心臓に悪すぎる。
だが、本当の「戦場」はこれからなのだ。
***
そして夜。
橘家のリビングは、学校での緊張感とは別の意味で、危険な空気に包まれていた。
「はい、聖次さん。あ〜ん❤」
「ちょ、遥さん! 二人がガン見してますから!」
「いいじゃない、今日はクリスマスよ? ほら、大きな口開けて〜♪」
パクッ。
俺は顔を真っ赤にしながら、遥さんからフォークに刺されたケーキを受け入れた。
対面に座る瑠奈と詩織さんは、ジトッとし
た目で俺たちを見つめていた。
「……ムカつく。見せつけやがって」
「母さん、浮かれすぎです。聖次さんが困っています」
二人の声には、呆れの中に明確な「羨望」が混じっていた。
すると、瑠奈が身を乗り出した。
「ズルい! アタシもやる! はい聖次、あーん!」
「は? お前のはイチゴ乗ってないだろ」
「うるさい! アタシの食べかけのスポンジだけど、感謝して食え!」
「なんで食べかけなんだよっ!」
ギャーギャーと騒ぐ俺と瑠奈。
その横で、詩織さんが静かに立ち上がり、俺のグラスにシャンメリーを注ぎ足した。
彼女は裸眼だ。家モードの彼女は、どこか艶っぽい。
「……どうぞ、聖次さん。喉が渇いたでしょう」
「あ、ありがとうございます詩織さん」
「……あと、口元にクリームついてます」
詩織さんはそう言うと、持っていたナプキンで俺の口元をサッと拭った。
その指先が、一瞬だけ俺の唇に触れる。
「……ッ!」
俺がドキッとして見ると、彼女は涼しい顔で席に戻った。
だが、その耳は赤い。
これは「長女」としての余裕か、それとも無言の**「マーキング」**だろうか。
遥さんの「甘え」、瑠奈の「突撃」、詩織さんの「甲斐甲斐しさ」。
学校では達也たちに詰められ、家では三人の美女に詰められる。
俺の胃と心臓は、聖なる夜に限界を迎えそうだった。
***
パーティーがお開きになり、それぞれが部屋に戻る時間。
二階の廊下で、俺は三人を呼び止めた。
「あの、これ」
「え?」
俺が差し出したのは、三つの小さな包みだった。
「……クリスマスプレゼントです。バイト代からなんで、大したものじゃないですけど」
遥さんには、水仕事の多い彼女の手を労るハンドクリームのセット。
瑠奈には、彼女が雑誌で見ていたスマホ対応の手袋。
そして詩織さんには、受験勉強の夜に使うための、肌触りの良いひざ掛け。
「……聖次さん」
遥さんが、包みを抱きしめて潤んだ瞳で俺を見る。
「ありがとう……! 私、一生大事にする!」
「消耗品なんで、使ってくださいね」
瑠奈は、手袋をはめてニシシと笑った。
「……ふーん。パパにしてはセンスいいじゃん。……サンキュ。明日から使ってやる」
そして詩織さんは、ひざ掛けを肩に羽織った。
「……余計な気遣いです。受験生にクリスマスなんて関係ないのに」
憎まれ口を叩きながらも、彼女はひざ掛けに顔を埋め、小さく呟いた。
「……でも、暖かいです。……ありがとうございます、お父さん」
三人がそれぞれの部屋へ戻っていく。
俺も自室に入ろうとした時、廊下の角で瑠奈と詩織さんが立ち止まり、何かを話しているのが聞こえた。
「……ねえお姉ちゃん」
「何?」
「……ママには悪いけどさ。もしママが手を離したら、アタシが奪うから」
瑠奈の低い声。
それに対し、詩織さんの冷静な声が返る。
「……いいえ。その時は、私が彼を支えます。長女として、家族として……そして、女として」
バチバチ、と火花が散る音が聞こえた気がした。
譲り合いではない。それは静かなる「宣戦布告」だった。
俺は心臓が口から飛び出るかと思った。
今の会話は、聞かなかったことになんてできない。
俺は震える手で自室のドアを閉め、そのままドアに背中を預けて座り込んだ。
冷や汗が止まらない。
外ではホワイトクリスマスを告げる雪が降り始めていたが、俺の身体は熱く、そして芯から震えていた。
(……マジかよ。あいつら、本気なのか……?)
俺たち家族の冬は、俺の想像を遥かに超えて熱くなりそうだ。
(続く)




