第19章:スーパー主夫の陥落
季節の変わり目。
その日、俺、雨宮 聖次は朝から違和感を覚えていた。
身体が鉛のように重く、視界が少し回っている。
(……昨日の夜、瑠奈の補習プリント作りと、詩織さんの生徒会資料のホチキス留めと、遥さんの晩酌の相手を同時にやったのが効いたか……?)
だが、休むわけにはいかない。
俺はフラつく足でキッチンに立ち、朝食の味噌汁を作ろうとして——。
ガシャンッ!!
手元が狂い、お玉をシンクに落としてしまった。
「……聖次さん?」
「……パパ?」
リビングにいた詩織さんと瑠奈が、驚いて駆け寄ってくる。
俺は慌ててお玉を拾おうとして、膝から崩れ落ちた。
視界が暗転する。
倒れる、と思ったその瞬間——。
「——瑠奈! 頭を支えて! 詩織は窓を開けて換気!」
凛とした、よく通る声が響いた。
遥さんだ。
いつものふわふわした雰囲気は消え失せ、プロの医療従事者の顔で俺の身体を受け止めていた。
「脈が速い……熱発ね。聖次さん、聞こえる? 無理に動かないで」
テキパキとした指示。その冷たくて的確な手の感触に安心して、俺はそのまま意識を手放した。
***
目が覚めると、自室のベッドの上だった。
額には完璧な位置に冷却シート。部屋の湿度は適切に保たれ、サイドテーブルには水分補給用の水と、時間ごとに記録された体温のメモが置いてある。
「……気づいた?」
覗き込んできたのは、心配そうに眉を下げた瑠奈だった。
横には、腕組みをした詩織さんと、涙目で、けれど聴診器を首からかけた遥さんがいる。
「……すみません。朝飯、まだ途中……」
「バカ!」
瑠奈が叫んだ。
「飯とかどうでもいいし! アンタ、熱39度もあったんだよ!? なんで言わないのよ!」
「……俺がやらなきゃ、回らないと思って」
俺が弱々しく弁解すると、今度は詩織さんがため息をつき、眼鏡を光らせた。
「……傲慢ですね、聖次さん」
「え?」
「私たちを信用していませんか? 聖次さんが倒れたくらいで、この家は潰れません。……むしろ、あなたが無理をして倒れる方が、私たちにとっては迷惑……いえ、恐怖です」
詩織さんの声が、少し震えている。
彼女は俺の手をギュッと握りしめた。
「……頼ってください。……お粥くらい、私たちが作れますから」
その言葉には、もう「子供だから」という甘えはない。
家族として、対等に支えたいという強い意志がこもっていた。
遥さんも、俺の首筋に触れて熱を確認しながら、潤んだ瞳で微笑んだ。
「処置は完璧にしておいたわ。……現役を退いても、愛する夫の看護くらいできるんだから」
彼女は俺の汗ばんだ前髪を優しく払った。
「聖次さんは、頑張り屋さんすぎるの。……今日くらいは、私の『患者さん』になって甘えてくれないと、ナース失格よ?」
三人が、俺を囲んで騒いでいる。
不器用だけど懸命な娘たちと、頼りになる元ナースの妻。
俺は張り詰めていた糸が切れるのを感じた。
完璧な父親でいようとして、肩に力が入りすぎていたのかもしれない。
「……ごめん。……水、もらえるかな」
俺が素直に頼ると、三人はパァッと顔を輝かせた。
「はい! 今持ってきます!」
「アタシがストロー差してやる!」
「栄養管理は任せて! 消化に良くて精がつくスペシャルメニュー、指示してくるわ!」
ドタドタと部屋を出て行く娘たちと、それを指揮する遥さん。
少しして、見た目は少し不格好だけど、味と栄養バランスは完璧なお粥が運ばれてきた。
「……美味い」
俺がそう言うと、三人は「よかったぁ〜」とへなへなと座り込んだ。
俺はこの日、父親としての威厳を一時休業し、最強の医療チーム(家族)に身を委ねることにしたのだった。
(続く)




