第1章:地獄の家族会議と、観察しすぎた代償
通されたリビングは、モデルルームみたいに広くて綺麗だった。
なのに今の俺にとっては、完全に――処刑場だ。
革張りのL字ソファに、腕を組んだ二人の美少女が並んでいる。
右。鬼の形相で俺を睨みつける、金髪のクラスメイト――橘 瑠奈。
左。絶対零度の視線を送る、黒髪の生徒会長――黒澤 詩織。
そして俺は、ローテーブルを挟んで、なぜか正座をさせられていた。
ちなみに遥さんは「歓迎のお茶を淹れるわね~♪」と鼻歌まじりにキッチンへ消えた。
……あの人、完全に俺を生贄にしてる。
「……で?」
沈黙を破ったのは瑠奈だった。低く、ドスの効いた声。
普段のギャルっぽい明るさは、跡形もない。
「どういうつもり? ドッキリならカメラどこよ」
「い、いや、ドッキリじゃなくて……本気で」
「はぁ!? マジで言ってんの!?」
バン! 瑠奈がテーブルを叩く。
「アンタ馬鹿じゃないの? 高2で結婚? しかも相手はウチらの母親? 犯罪級にキモいんですけど!
てか、学校でなんて言うわけ? 『あ、俺今日から瑠奈のパパでーす』とか言うつもり? 死ぬの?」
マシンガンのような罵倒。
……ごもっともすぎて、胃が痛い。
「け、結婚は……『卒業してから』だ。今すぐじゃない。……学校でも、変なこと言うつもりはない」
「は? 今さら何それ! じゃあなんで今日ここにいんの!?」
言い返されて、俺は反射的に肩をすぼめた。
言うことは言った。言ったけど、心臓が縮む。
その時。隣で静かに眼鏡の位置を直しながら、詩織先輩が淡々と口を開いた。
「瑠奈、感情的にならないで。時間の無駄よ」
「だってお姉ちゃん!」
「彼に現実を理解させればいいだけ。──雨宮くん、でしたっけ」
詩織先輩の視線が俺に刺さる。
学校の「生徒会長」の顔だ。いや、それ以上に、今は──家長の顔。
瑠奈が感情で殴ってくるなら、この人は理屈で息の根を止めてくるタイプだ。
「単刀直入に伺います。母を養う経済力は? 卒業後の進路は?
まさか、母の遺産や保険金が目当て……なんてことはないと思いますけど」
「そ、それは絶対にないです! 俺はただ、遥さんを支えたくて──」
「精神論は結構です。具体的に。どうやって生活を維持するつもりですか?」
ぐっ……。
痛いところを、正確に刺してくる。さすがに逃げ場がない。
俺は事前に用意していた回答を口にした。
「……生活費については、俺の両親が支援してくれます。
海外赴任中で家を空ける代わりの管理費として、十分な額を送金してもらってます。だから、君たちの生活水準を下げるようなことはしません」
「親の脛かじり、ということですね」
「……返す言葉もありません」
詩織先輩の言葉は鋭利なナイフだ。
だけど事実だった。俺にはまだ、自分の力だけで彼女たちを養う甲斐性はない。
詩織先輩は数秒だけ黙り、それから少しだけ眉を寄せた。
たぶん、拍子抜けしたのだと思う。もっと言い返してくると思っていたのだろう。
「お待たせ~! とびきりのハーブティーよ♪」
そこへ遥さんが、トレイを持って戻ってきた。
凍りついた空気なんて存在しないみたいに、俺の隣へ座る。
その瞬間、俺の視界に入ったのは──クッキーの皿。市販品。
そして、カップを置く遥さんの指先。新しい絆創膏。
この人は今日、俺を迎える準備で手いっぱいだったのだ。
張り切って、慣れないことをして、怪我までして。夕飯の支度まで回っていない。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
俺は迷わず立ち上がる。
「遥さん、キッチン借ります」
「え?」
「夕飯、俺が作ります。遥さんは疲れてるでしょ。座っててください」
一瞬、瑠奈が呆れたように鼻で笑った。
「はぁ? 料理なんてできんの?」
「……できます」
言わせておけばいい。
ここからは、俺が「言葉」じゃなく「手」で示す番だ。
俺は逃げるみたいに、でも足早にキッチンへ向かった。
広々としたアイランドキッチン。
当然だけど、俺がこの家に立ち入るのは初めて──のはずだ。
なのに、身体が迷わない。
(……塩は、コンロの右側の引き出し。計量スプーンは、シンク下の二段目)
俺は淀みなく手を伸ばし、必要な道具を次々と揃えていく。
なぜ分かるのか。
それは──遥さんがうちにいた頃の癖を、全部覚えていたからだ。
あの頃の遥さんは、壊れそうだった。
笑っているのに目が笑ってなくて。ふとした拍子に、呼吸を忘れるみたいに止まってしまうことがあった。
だから俺は見ていた。
息の仕方、手の震え、包丁の持ち方、戸棚を開ける癖。
どの棚に手を伸ばすか。何を探す時に目線が泳ぐか。背伸びする高さ。引き出しを開ける順番。
彼女がまた壊れてしまわないように。一挙手一投足、瞬きさえ惜しんで目で追っていた。
──その結果。
遥さんの動きだけで構築された「キッチン配置図」が、俺の脳内に出来上がっていた。
自分でもキモいと思う。
でも、あの頃は必死だった。
俺は頭上の棚を開け、迷わずコンソメの瓶を掴む。
「……ッ」
背後で、詩織先輩が息を呑んだ気配がした。
「あなた……なぜ、そこだと分かったんですか?」
「え?」
「そのコンソメの場所。母さんが背伸びしないと届かないからって、最近そこに移したばかりなんです。
初めて来たあなたが、なぜ迷わずに?」
……しまった。
やりすぎた。完全に怪しまれてる。
でも、いまさら取り繕っても無駄だ。
俺は正直に答える。
「遥さんがうちにいた頃、戸棚の開け方に癖があったんです。
手を伸ばす高さ、目線が泳ぐ場所、探す順番……全部、覚えてます」
瑠奈が顔をしかめる。
「……キモ。やっぱキモ」
「否定できない」
だけど。
──キモいで終わらせる気はない。
「今日は、簡単なものでいい。君たちが食べ慣れてる味に寄せる」
俺は手を動かし続けた。
野菜を切って、鍋を温めて、味を整えていく。
やがて、テーブルに並んだのは、温かいスープと、シンプルなワンプレート。
豪華じゃない。でも、逃げない味。
「……食べて」
瑠奈が警戒しながらスプーンを取る。
詩織先輩も、少しだけ逡巡してから口に運んだ。
一口。二口。
──沈黙。
まずい時の沈黙じゃない。
悔しい時の沈黙だ。
最初に呟いたのは瑠奈だった。
「……なんで、うちの味に近いの」
「君たちが何を好きか、どんな味付けなら落ち着くか。遥さんは俺の家で、君たちの話ばかりしてましたから」
二人が言葉を失う。
自分たちが食べていた「ママの味」の裏側に、俺の存在が入り込んでいたという事実。
そして──一度も来たことのないこの家のキッチンを、母親の動きだけで透視するような男が、目の前にいるという現実。
──完食だった。
瑠奈がフォークを置き、悔しそうに唇を噛む。
「……ムカつく。キモいくらいママのこと見てたくせに……美味しいのが、余計にムカつく」
それからボソリと、聞こえるか聞こえないかの声で付け加えた。
「……ママの味、よく覚えてたね」
次の瞬間には、もう席を立っていた。
その背中を追いかけるべきか迷ったが、俺は代わりに皿を下げ始めた。
「……ごめん。でも、ありがとう」
片付けを終え、俺がリビングへ戻った時だった。
詩織先輩が、静かに口を開く。
「……雨宮くん。一つだけ聞いてもいいですか」
その声のトーンが、さっきまでと違う。
食事の感想じゃない。もっと深い場所からの問いだ。
「あなたは───母の何を、見ていたんですか?」
答えに詰まった。
見ていたものは多すぎる。泣き方も、壊れ方も、立ち直ろうとする弱さも。
正直に言えば、「全部」だ。
だがその言葉は、この家で口にしていいものじゃない気がした。
俺は、そこで初めて黙った。
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