米国海軍所属上等曹長カーリンド・アル・ノルザー
信次郎はとりあえず中に入った。外にいても何も起きないと直感が、そう教えてくれたのだ。
しかしここは、重要戦犯容疑者を収容する横浜プリズンである。中に入るにはMPと書かれたヘルメットをつけた米軍兵士に話を通さねばならない。高級将校もいるようだが、彼等では話にならない。英語は片言だが何とか信次郎はコミュニケーションをとろうとしていた。
中に入って10分程すると、一人の米軍兵士に声をかけられる。その米軍兵士は日本語の通訳をしている人間で日本語がとても上手かった。名をカーリンド・アル・ノルザーと言う。信次郎はカーリンドに事情を話すと客間へと案内し話を聞いて貰える様にしてくれた。
カーリンドは米国海軍所属の上等曹長で、25歳の若さであった。太平洋戦争中は大学生であったが、大学を中退し海軍に志願。これと言った特徴がなく、海軍としても使い所に悩む人材であったが、学生時代に日本語を専攻していて、日本語に明るかった所から、日本語の通訳になれた。太平洋戦争が終わってからも米軍が日本に駐留する様になり、現在に至る。
母国に帰りたい所ではあったが、戦争終結後は米国本土でも大量の失業者が出ると言う事を見聞きしていた為、今の任務を投げ出してまで米国に帰った所で、大学中退の元兵士を雇ってくれる物わかりの良い会社はないだろう。
だが、日本にはやることが山の様にあった。カーリンドの様な日本語が使える兵士は重宝され、給料もはね上がった。貴重な戦力であり、日本の占領政策を進める上で必要不可欠な存在になった。
信次郎と同じ位の年頃で、軍隊に身を置く人間は少なくなかった。特に生活の為に軍人になる職業軍人が多かった。日本の職業軍人とは少しニュアンスが異なるが、勿論それが良いか悪いかを判断する事は出来ないし、軍隊に身を置くほとんどの人が軍人になった重大な理由の一つは給料である事に違いはない。
戦争は終わったかもしれないが、軍人としての米国の責任は終わらなかった。だからこそ米国は日本に駐留する様になり占領政策を施した訳である。冷戦期においてもベトナムやイラクを攻撃したのは、国内の軍需産業を活性化させる為に行った政策の一部でしかない。
カーリンドの様な軍人は米軍には星の数程いたであろうし、何よりもそう言う人間にとっても軍隊と言う場所は魅力的な職場であった。




