ギャルゲー空間を作ろう!
誰かに起こされる。嫌なものです。いつだって寝起きというのは気怠くて仕方がないのです。爽やかな朝なんてのは希少な例外に過ぎません。いつまでも胸キュンな夢の中にしがみついていたいのです。それなのに難なく起きられるとしたら、現実と夢を混合しているか、夢以上の夢を現実に期待しているかのどちらかでしょう。
僕はその例外に出くわしました。
密室と外を隔てるドアの向こうから、寝ている僕に女の優しい声が伝ってきたのでした。僕は一人暮らしで近隣との関わりは殆ど絶っています。この1LDKに出入りするのはここ数ヶ月で(泥棒でも入っていたら話は別だが)僕一人だけでした。
だから来訪者を想定しているわけもなく、そして想定していないからこそ緊張しました。しかしそれは疑心暗鬼から来るものではなく期待でした。夢の中から現実を覗きこむようにして、この女の声を聞いたものだからひどく寝ぼけていました。寝ぼけていたために、これはアレだ、幼なじみが起こしに来るアレだと、ツッコミどころ満載の解釈がすんなり腑に落ちてしまったのです。
思わず飛び起きました。そして違うと思いました。アレは寝ているところを起こしてもらってこそのものなのです。幼なじみに手で揺すられることで、臆病な夢の中と幸福な現実とを行き来する贅沢な体験。それを実現すべく僕はベットに戻り、掛け布団で自分を覆い、寝ているフリをしました。
しばらくしてこの行動の欠陥に気づきました。鍵を掛けたままだったのです。それでは幼なじみは入っては来れるはずがありません。逆にこの状況で入ってこられる幼なじみなら、こちらから願い下げです。
再び飛び起きて玄関に向かいます。ここに来てインターフォンの存在を思い出しました。ピンポーンと声の両方が聞こえてくることはあっても、今どき人の声だけが聞こえることはあるのだろうか?
……忘れることにしました。邪魔な発想です。
知らない女が立っていました。過去を振り返ってもこんなえくぼにアクセントの利いた女はいません。ましてや幼なじみであるはずがない。しかし、過去というものを否定すれば、たちまち女は幼なじみとしての色を帯びていき、懐かしさをも醸し出しているように見えました。
女は何かを話し出したが、僕は彼女の話を聞きませんでした。聞く必要がないからです。必要なのは彼女が毎朝ここに来て起こしてくれることであって、その約束さえ取り付ければ他はどうだっていいのです。この約束以外は四つ葉のクローバーを探しているときの三つ葉のクローバーみたいなものに過ぎません。
僕は女の何らかの説明を遮って、
「僕は今からベッドに入って寝たフリをするので、あなたはギャルゲーの幼なじみっぽく僕を起こしてくれませんか」
「は?」
「必要なことなんです」
「そんなことをなんで私がしなければいけないのですか?」
「あなたは僕の幼なじみ役なのだから当然でしょう」
「ひ?」
「ふ」
「へ?」
「ほ」
この女、口ごたえする割にノリがいいのでした。
「とにかく、中に入ってください」
有無を言わせず、女の腕を掴んで家に引き入れました。女は緊張のあまり凍結してしまいました。
「ほら、リラックスして」
犬を躾けている気分でした。展開としては最悪です。彼女の取るべき行動はイチャついて笑顔になるか、僕が寝坊していることに呆れるか、僕が自力で起きてしまい、ガッカリするかの三択しかありえません。
幼なじみ役の説明を彼女にしているうちに、それほど美人でもない彼女のえくぼに愛を見出しました。心が萌えるのを感じました。ですから、僕は熱烈なアピールをしました。か細い返事がいくらか続きましたが、毎朝僕を起こしに来るという約束をなんとか取り付けました。辻褄の合わない部分や不都合な部分に目を閉じ、耳を塞ぐだけで辻褄と都合は勝手に合ってくれるものです。
女は泣きながら帰っていきました。よっぽど嬉しかったのでしょう。彼女が帰ってからは、同じ学校とはいかないが、同じ職場で働けるようにしてみようとか、女にパンを加えてもらって家に向かってもらい、僕はその待ち伏せをしてわざとぶつかりに行こうとか王道の展開を考えて胸をときめかせていました。とにかく明日の朝が楽しみです。
朝のイベントも終わったことですし、出勤します。ちょっぴり変な僕でもありふれた社会人のフリをして街中に紛れ込み、普通に仕事ができています。怖がられたことも、ありません。もっとも誰にも咎められないのは、僕自身がありふれていて、目立たないだけなのかもしれませんが……。
たまに、外でもギャルゲー的展開を引き起こしたい衝動に駆られることがあります。何度か実行しましたが、いずれも上手くいきませんでした。ですが、今回の成功から何か掴めた気がするので、またチャレンジしようと思います。偶然そばにいた
あなたに
配役を与えるかもしれません。その時はしっかりと役を演じてくださいね。必要なことですから。