聖女はざまぁをしたくない!
トワ・フレスコは物心ついた頃から聖女だった。
周囲から愛され何不自由なく暮らしていた。
与えられた慈愛に応えるように清く正しくトワは日々を送る。
いつしか素敵な男性と結婚し幸せな家庭を作るなんていう他愛ない夢がありつつ聖女としても立派にならなければいけない。
それが聖女の辛いところ。
なんて事を思いつつ穏やかな日々が流れていた。
しかし、その日常が崩れ去るのは唐突であった。
ガラガラと自分の平和な世界が崩れる音がトワの頭の中で鳴り響いていた。
「この度、聖騎士であるモードル・グレイスはイエン・フレスコと結婚致します!」
会場の中心に居るのは凛とした雰囲気であり美形と言って差し支えない相貌、鍛えあげてあり引き締められている事が服の上からでもわかる身体。
聖騎士モードル・グレイス。
聖女の護衛隊長も担っている王国屈指の騎士。
物心ついた頃よりトワが慕っており、結婚の約束をしていた男性。
その隣に居るのはイエン・フレスコ。
身体のラインが出るドレスを着ているのは自信の現われだろう。
赤を基調としたそれを着こなす姿は控えめに言っても美麗。
私のことを大切にしてくれているはずの姉。
その二人が会場の中心で喝采を浴びている姿をトワは遠い世界の出来事のように呆然と見つめていた。
その日は聖女の実家である屋敷でパーティーが行われていた。
今思えば名目が不明なパーティーであった。
何も理由が無いというのに通常よりも多くの親族が集まっていた。
あまり顔を出さない関係者が多く出席しているのも珍しい。
その時点でトワは違和感を感じていた。
いつもと違う。
このパーティーは何かが違うと。
今この時になれば理由はわかる。
名目不明のパーティーなどではなかった。
単純に自分には知らされていなかっただけなのだと。
それを理解する事となった衝撃の告白。
告げたのはトワが慕っており、結婚の約束をしていたはずの聖騎士のモードル。
その横で幸せそうに微笑んで居るのはトワの最愛の姉イエンであった。
「そんな……どういうことなのですか……」
身体から力が抜けて行く。
目の前で行われている事が理解できなかった。
そんなトワを置いていくように周囲からは歓声が上がり祝福モードだ。
誰もが笑顔で二人に言葉をかけていた。
だが、トワは納得ができなかった。
「どうしてですか!お姉さまも!モードルさま!どういうことなのですか!?」
和やかなパーティーに相応しくない金切り声と言っても良い怒声。
みっともないと言われても仕方がない無作法ではあったがトワにそんな事を気にする余裕は無い。
声荒げ絶叫するトワに視線が集まる。
中心に居る二人だけではない。
父も母も周囲の人々もその全てが驚いた顔をしてトワを見つめていた。
「トワ。今度ね、私はモードル様と結婚するの。夫婦になるのよ」
「聖女様には是非、祝福してもらいたいな」
静かにトワを見る二人。
今まで見たこともないような真剣な顔なイエン。
軽薄な態度で語りかけるモードル。
その顔には相変わらず笑顔が貼り付いている。
何も後ろ暗い事など無いと二人の態度が示していた。
そんなはずはなかった。
トワには理解できなかった。
「そんなこと、できません!なぜですか!どういうことなのですか!」
トワは困惑するばかりだ。
一体何どうなりどうやったらこうなるのか。
全くもって理解ができなかった。
イエンとトワの二人は仲の良い姉妹のはずだった。
モードルとトワの二人の間に問題など無いはずだった。
だというのにこの仕打ち。
トワは裏切られたという気持ちが胸の中が溢れていた。
そのような状態で祝福をするなど出来るはずがない。
その言葉に二人は傷ついたような顔をしている。
それが本気なのか演技なのかは混乱の極みに居るトワには判断ができなかった。
「お姉さま……どうして……」
「う~ん、実は結構前からね、話は進めていたの。黙っててごめんねトワ。でも、モードル様は聖騎士で人気者だからあまり大っぴらに言えなくて。悪いとは思ってたのよ」
姉は自己弁護を続けていた。
曰く、彼との関係が公になると色々な問題が起る。
曰く、水面下では話を進めていて知っている人は知っている。
そして、トワに言うとショックを受けるかと思ったと。
その言葉にトワは更に怒りを募らせた。
ショックを受ける事など当然だ。
急に結婚するなどと言われれば誰だってショックを受けるに決まっている。
「モードルさま……ひどいです……わたしと結婚してくれるって……言ってたじゃないですか……」
「え?そんな事……あぁ~言ったかなぁ?ごめんごめん。許して欲しいな」
モードルは軽い調子でトワに謝るがその態度に更に悲しみが募る。
いつも優しかったモードル。
どんな時でもトワに向けられる笑顔は魅力的で聖騎士の称号に恥じぬ男性だとトワは思っていた。
その彼の口から出てきたのはあまりに不誠実な言葉。
あの言葉は嘘だったのか?
嘘だったのだろう。
そうでなければこのような状況に陥る事など無いのだから。
涙が溢れ我慢できなくなる。
トワは泣く寸前だった。
しゃくりあげ、鼻水をすする。
聖女としてのプライドで泣きじゃくる事を堪えているだけ。
「ひっく……ふたりとも……ふたりともひどいです……ひどいです!」
思わずイエンに飛びかかりそうになったトワの身体が宙に浮く。
後ろには抱きかかえるようにトワの身体を持ち上げた中年の男が居た。
その男は気持ち悪い声で笑いながら聖女であるトワを拘束する。
「グフフフッ!少し落ち着きなさい」
「いやぁ!いやです!はなして!はなしてください!」
身体が小さなトワの力では抜け出すのは難しい。
ジタバタと藻掻くことが精一杯の抵抗。
みっともない姿を晒している。
普段ならば聖女としてお淑やかに冷静にするべき場面だという事はわかっている。
だが、聖女であっても人間だ。
いつもいつも礼儀正しくする事などできはしないのだ。
その姿に流石に罪悪感が湧いたのか二人は顔を見合わせる。
そしてモードルがトワに静かに語りかけたのだった。
「ごめんねトワちゃん……でも、トワちゃんはまだ七歳なんだから、俺より良い男がきっと現れるよ」
◇
「うわぁぁぁぁぁん!ひどい!ひどいですモードルさま!おおきくなったら結婚してくれるって言ってたのにぃぃぃ!」
「モードル様のバカっ!子供だと思ってトワにてきとうな事言ったんでしょ!女の子はね、小さいときから女なのよ!トワを傷つけたら許さないって言っておいたのに!あと、お父さんは笑い声が気持ち悪い!トワを放してあげて!」
「えぇ?俺が悪いのかい?でもなぁ“トワがおおきくなったら結婚してあげる”なんて言われたら、そりゃ頷いちゃうでしょ」
「ギュフゥ……酷いぞ娘よ……」
「うそつきぃ!うらぎりものぉ!おんなたらしぃぃぃ!うわぁぁぁぁぁぁん!」
抱きかかえられてた父の手から解放されたトワの感情は爆発した。
そう、聖女であるトワはまだ七歳の幼い女の子だ。
最愛の姉と大好きな兄のような男が結婚するというめでたい出来事もトワからすれば二人が遠い所に言ってしまうような悲劇だったのだ。
「ひっく……ひっく……うわぁぁぁぁぁぁぁん!おんなはわかいほうがいいってオジさん言ってたのにぃぃぃ!」
「若いっていうかトワちゃんは幼いと言うべきじゃ……」
「だからデリカシーがほんっと無いわね!あと叔父さん!何を子供相手に言ってるんですか!そんなだから奥さんに逃げられるんですよ!」
モードルの頭をバシっと叩くイエン。
そして、若い女が好きという周囲の淑女を敵に回す発言をしていた事をさらっと暴露された叔父さんに冷ややかな視線が注がれていた。
「聖女ぱわー!聖女ぱわーでこんやくはきをようせいします!こういうときのための聖女のけんりょくのはずです!うぅぅっぅ聖女ぱわー!」
「婚約破棄って難しい言葉知ってるね。でも、俺とイエンは婚約じゃなくて婚姻だからなぁ」
「あんた少し黙りなさいっ!」
ついに泣き出してしまったトワにあたふたと対応しようとしたモードルだったが、いつもは聞き分けの良い子供だったトワがここまで愚図っているのを見るのは初めてであり、どう対応して良いのかわからず戸惑ってる内にイエンに追いやられ小さくなって行く。
トワが暴れる姿を周囲の人間が微笑ましく見つめる。
トワは真剣に暴れて抗議をしているのだが周囲から見れば姉と兄を大好きな妹が甘えているようにしか見えないからだ。
そうして一通り暴れて疲れたのか落ち着いたトワにイエンが優しく語りかける。
「トワは私達の結婚は祝ってくれない?モードル様がトワの家族になるのは嫌?」
「うぅぅぅひっく……ひっく……いやじゃない……」
「じゃぁどうしてそんなに反対なのかしら?」
大好きな姉と懐いていたモードルが一緒になる事はトワにとってもそんなに悪い事ではないはずだ。
もし、モードルの事を本当に慕っていたとしてもここまで拒否反応を起こすような子ではないとイエンは思っていた。
何故ならイエンの事もモードルと同等以上にトワは好きなはずだから。
だというのにトワは頑なにイエンとモードルの結婚を拒否していた。
「だって……だって……結婚したら家をでるって……お姉さまとおくに行っちゃうって……それに結婚したらざまぁされて不幸になるって……」
トワが泣いていたのはモードルが姉に取られたからなどという理由ではない。
優しくて頼りになって大好きな姉が家を出る。
それはトワには到底受け入れられる事ではなかったのが理由だった。
もう美味しいお菓子を作ってくれる事も柔らかく頭を撫でてくれる事も、怖い夢を見た時に一緒に寝てくれる事も無いなんていうのは絶対に認められない事だったのだ。
更に最近子供たちの間で流行っている物語では婚約破棄などの不義理をした男と結婚をした女に後から不幸が訪れて嘲笑われる事となる「ざまぁ」という要素が人気だった事も理由の一つだ。
恋人などを裏切って結婚をすると十倍返しされるという内容だ。
このままでは自分は結婚を約束した男を姉に取られた可愛そうな聖女となってしまう。
物語の法則に従えばトワはイエンにざまぁをする事となる。
トワの頭の中では転がり落ちるように不幸になる姉の姿が鮮明に浮かんでいた。
そして、それを主導しなければならないのが他ならぬトワ。
恐ろしい未来図だ。
だからモードルは姉ではなく自分を選ばなければならないとトワは考えた。
そうしなければ世界一大好きな姉が不幸になってしまうのだから。
「わたしお姉さま大好きだもん!ざまぁなんてしたくないもん!いっしょにいてほしいもん!」
「そうだったの……」
珍しく愚図る妹の様子に戸惑っていたのはモードルだけではなくイエンもだった。
だが、その理由を聞いてしまえば笑みが溢れてくるのを止められない。
自慢の妹がここまで自分の事を慕ってくれているという事がわかったのだ。
聖女として普段はあまり我儘などを言わないというのに今回は癇癪を起こして大爆発だ。
その理由が姉と離れたくないからなどと言われれば嬉しくないわけがない。
愛おしさが込み上げてくる。
世界一可愛い妹はやはり世界一可愛かった。
そうイエンは確信していた。
「大丈夫よトワ!私もトワの事大好き!だからトワは私にざまぁなんてしなくても良いのよ!」
「いいの……?ざまぁしなくていいの……?」
「私達は世界一仲が良いでしょう!そんな事する必要ないの!何がざまぁよ!優しい優しいトワがそんな事する必要ないわ!」
胸を張りそう宣言する姉の姿をトワは見上げる。
そこにはいつも自分の事を助けてくれた姉の姿があった。
いつも自分に正しい道を教えてくれた姉の姿があった。
「それに私は結婚しても家に居るわ!モードル様がこっちの家に住むことになるんだから、何も変わらないのよ!」
「…………ほんとうなの?」
「本当よ!お姉ちゃんが嘘ついた事ある?」
「かくしごとはしてた……」
「うっ……!それは……それはモードル様が悪いのよ!私はトワに隠し事なんてしたくなかったんだから!あぁ可愛い私のトワ!ごめんなさい!モードル様のせいで悲しい思いをさせたわ!」
「えぇ~!そこで俺を悪者にするの!?俺だってトワちゃんとキャッキャウフフしたいのに!」
後ろで小さくなっていたモードルに流れ弾が被弾していた。
バリケードにされて被弾したのだから流れ弾ではなく正しい着弾かもしれないが。
「とにかく!私はトワの側に居るから!それは結婚しても変わらないから安心しなさい!」
「そうだよ!俺だって側に居るしね。というか俺の場合は今まで以上に近くに居る事になるかな。だって家族になるんだから」
二人はトワの身体を抱きしめ、頭を撫でる。
いつもそうしていたように精一杯の親愛を込めて。
姉であるイエンの柔らかく小さな手。
兄となるモードルのゴツゴツした大きな手。
そのどちらもトワに対する愛情に溢れた手だった。
「いっしょにお菓子つくってくれる?」
「またケーキを作りましょうか。私が教えたコツをトワは覚えてるかしら?」
「おかいものにいっしょにいってくれる?」
「心配かけたみたいだしトワちゃんに何かプレゼント買わないといけないね。今度出かけるまでに考えておいてよ」
イエンとモードルがあやすように言葉をかける。
目線を合わせて柔らかい笑顔でトワが抱えていた幾つもの不安を打ち消していく。
そうする内にトワも落ち着きを取り戻していった。
そもそも姉と兄のように慕っていた男が自分から離れていくと思ったから嫌だったのだ。
二人が側に居てくれるのであればトワに反対する理由は何も無かった。
「しんじます……お姉さまもモードルさまもかわらないって」
「良かった。じゃぁ祝福してくれる?私達の結婚をトワは祝ってくれる?」
しゃがみ込んでトワの目を真っ直ぐに見つめたイエンは静かに問いかける。
イエンもモードルもここまでで色々な人に祝われた。
おめでとう、その言葉を二人はどれだけの人に言われたのかわからないくらいだ。
だが、この小さな妹にはまだ言われて居なかった。
愛おしい愛おしい小さな聖女にだけはまだ二人は祝われていなかった。
トワの身体が光り輝く。
不安が解消されたのであれば二人を祝う事に躊躇など無い。
二人を何とか抱きしめようとめいいっぱい腕を広げて抱きつくように。
微笑む二人の顔を見上げながら本当は言いたくて、でも今まで言えていなかった言葉を口にする。
「うんっ!結婚おめでとうお姉さま!モードルさま!お姉さまをたのみます!」
泣き腫らし赤くなった目から涙が更に流れる。
だがそれは悲しいからではない。
いつのまにか嬉し涙に変わっていた。
これからもまだまだ幸せな日々は続いていく。
トワはそう確信していた。
「うぅぅぅぅーーーーー!聖女ぱわー!」
立ち昇る清廉な魔力。
聖女の力が夜空に打ち上げられる。
闇夜を白く染め上げ、太陽よりも輝かしい祝福の光が二人に降り注ぐ。
満面の笑みを浮かべるのは結婚をする二人だけではない。
世界で一番幸せな聖女が二人の真ん中で大輪の花のような笑顔を咲かせているのだった。
よくある婚約破棄物の婚約ってちゃんと契約書とかに残してるのかな?
口約束だけなのかな?
とか考えた。
口約束なら子供との約束も婚約破棄になったりしないかなとか思った。