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魂売りのレオ  作者: 休止中
第一話
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貴女は悋気に狂いて呪殺を好しとす 五

「さあ、はじまるぞ」


 レオにそう言われ、ぼくは涙を(ぬぐ)って外を覗いた。

 レオのまっすぐな言葉がぼくの胸に刺さり、くよくよした気持ちを吹っ飛ばしてくれていた。

 泣いてなんかいられない。いまは少しでも集中して彼女を助けるんだ。


 ヴルペクラは本を片手になにやら呪文を唱えていた。

 ぼくにはなにを言っているのかまったくわからない。儀式っていうのはだいたいむかしの言葉を使う。

 そのあたりレオは精通しており、感想は、


「ひどいな」


 のひと言だった。


「ひどいって?」


「発音がめちゃくちゃだ。あれではなにが来るかわかったものではない」


「どういうこと?」


「そもそも召喚儀式というものがなんだかわかるか?」


「いや」


「呼びかけだ。たとえるなら、広い暗闇の中で明かりを(とも)し、”ここに来てくれ”と声を上げる行為に近い。本来は目的のもの以外は反応できないが、あれでは魔物が寄りつきかねない」


「でも街は結界が張ってあるから魔物は入れないんでしょ?」


「ふつうはな。だがしょせん結界は魔法だ。矛盾が生じれば意味を成さない。”入るな”という結界でも、中から”来い”と言ってしまえばそれまでだ。おっと、現れたぞ」


 ”それ”は魔法陣の中心からにゅるりと現れた。

 液体のような半透明のなにかがもこもこ浮かび上がり、ひとの背丈ほどまで伸びていく。


「やはり、”かたちのないもの”か。どうやら魔法陣の力であの女にも見えるようになっているらしい」


 液体はゆっくりとひとのかたちを成していき、やがて頭はヤギの頭、胴体は人間の男、下半身は茶色い獣へと変化した。

 人間の書物における古典的な悪魔の姿だ。


「なるほど、たしかに本に描かれる悪魔像だ。素人(しろうと)は本で読んだものを信じ込むからな。あれではあの女が信用するのも無理はない。なかなか頭の回るヤツだ。しかしいったいどこで知識を仕入れた?」


 やがて魔物の姿がはっきりと整い、おごそかな声で言った。


「言われたものは用意したか?」


「はい、もちろんでございます」


 ヴルペクラはうやうやしく言った。

 貴族らしい(たたず)まいで、まるで賓客(ひんきゃく)を迎えるみたいな様相(ようそう)だ。

 しかしその目はやけにギラつき、声もどこか甲高(かんだか)い。


「こちらに」


 と言って彼女は銀のかごと食器を手で示した。すると、


「おお、人間の魂! おお、おお!」


 と魔物は歓喜の声を上げた。


「人間の魂?」


 レオがぼそりと言った。


「若い女の魂——ではなく、人間の魂か。なるほど」


 魔物は体をめいっぱい伸ばし、くれ、くれ、とねだるように手を伸ばした。


「さあ、早くよこせ。こっちに持って来い」


「はい、ただいま」


 ヴルペクラは従者のように近づき、かごを手渡した。

 すると魔物はすぐさまかごを開け、手を突っ込み、中から青い半透明の女を取り出した。


「まあ!」


 ヴルペクラが大きく仰け反った。

 魔法陣の効果で魂が見えるようになったんだろう。

 魂の姿はいわゆる幽霊と呼ばれるものだ。それが突然見えて驚いたに違いない。


「いやあ、いやあ」


 女の魂はわめきながら魔物の手から逃れようともがいた。

 しかし胴体をがっちりつかまれ身動きが取れない。

 それを、


 ぞぶり!


 と魔物が頭から食らった。


「うう、うまい! これだ! これが食いたかったのだ!」


 魔物はひどく興奮し、ひと口、またひと口食らった。

 そのたびに「これだ、この味だ」とよろこんだ。

 それを見てレオが、


「そうか、妖精か」


 と言った。


「妖精?」


「ああ。と言ってももう魔物になってしまったようだがな。ヤツらは元々、草木や川などの自然から出る魔力を吸ってやっと生きているか細い精だ。だがまれに、行き倒れの人間の魂を食ってひとの味を覚えてしまうことがある。魂は自然の魔力とは比べものにならないほど直接的で高エネルギーだ。いちど食ったらもう忘れられなくなる。それに人間の魂を食えば知性も取り込める。書物の悪魔像を知っているのも、食ったヤツがたまたま知っていたからだろう。それにあのよろこび方、ふだんからひとを襲っているヤツの言動じゃない。妖精かなにかと見て間違いないだろう」


「へえ……」


「そしてヤツは姑息(こそく)だ。信用させるために悪魔に(ふん)し、魂の種類まで指定した。おまえ聞いたか? あいつは魂を見て”若い女の魂”と言わず”人間の魂”と言ったぞ。つまり人間ならなんでもよかったのに、わざわざ種類を指定したんだ。いいかアーサー、ひとは簡単なことより複雑で苦労を(ともな)う方が正しいと錯覚する傾向がある。バカほどそうだ。おそらくヤツは条件を難しくすることで、より信憑性を高めたんだ。あるいは若い女の代用だから若い女を指定したのかもしれんが、どちらにしろ信用させるための演出には変わりない。おそらくあの銀の食器もそういった小道具だろう」


 なるほど、やっぱりレオは頭がいいなぁ。ぼくにはそこまで考えられないや。

 でもそんなぼくにも、ふと思いついたことがある。


「ねえレオ、あれいまのうちにやっつけられないかな?」


「なに?」


「ヴルペクラに死相が出てるのは、きっとあれが原因なんでしょ?」


「だろうな。あの女も殺して、ふたり分の魂を食うつもりだろう。ひとつでも多くうまいものを食いたいだろうからな」


「じゃあさ、いまやっつけちゃえば死相が消えるんじゃないかな?」


「それは危険だ」


「危険?」


「あの女はいま人格がねじれ狂うほどの怨恨(えんこん)を抱いている。その恨みをやっと晴らせるというときに下手にストップをかければ、その念がこちらに飛んで来るだろう。そうなればいかにわたしでも無事に済むまい。呪術に(うと)いおまえはなおさらだ。少なくともかなりやっかいなことになる。だからいまはまず様子を見て、ここぞというタイミングで止めなければならない」


「そうかぁ……」


 と納得はしたものの、ぼくにはそのタイミングがわからない。

 ただ見ていることしかできない。

 こうしているうちにも事態は進んでいく。


 にせものの悪魔はぐちゃぐちゃと音を立てて魂を食らい、ヴルペクラは震えながらそれを見つめていた。

 人間のかたちをしたものが食べられていく光景は、男のぼくでも恐ろしく感じる。

 貴族の娘ともなれば恐怖は一層濃いだろう。


 しかし意外にもヴルペクラは気丈だった。

 やがて精が魂を食い尽くし、満足そうに揺れていると、


「これであの男を呪い殺していただけるのでしょうか」


 と、まっすぐに言った。

 男より女の方が肝が据わっているというのは本当かもしれない。

 まだ体は震えているけど、決して足を退()かなかった。


「うむ、よかろう。ただし……」


 精は言った。


「そのためにはおまえの血を少しもらう必要がある。銀の食器を持って来い。そしてわれに背を向けろ」


「血……ですか」


 ヴルペクラは肩をぎゅっと縮こませ、顔を青くした。

 まさかそんなこと言われるなどと思ってなかったんだろう。

 レオも意外だったようで、


「血だと? なにをするつもりだ?」


 と首をかしげた。


「レオでもわからないの?」


「わかるわけがない。そもそも精は”かたちのないもの”だ。血を流させたところでそれを飲むことも触れることもできない。おまえもそれくらいはわかるだろう?」


「まあ……」


 ”かたちあるもの”は”かたちあるもの”にしか触れられない。

 ”たかちのないもの”は”かたちのないもの”にしか触れられない。

 唯一その両方が触れられるものが”銀”だ。

 だから魂を捕らえるかごは銀でできている。


 レオはなおも言った。


「血を使う儀式もないことはないが、それはあくまで術者の没入感を上げるためのもので、呪術に必要なのは念だ。あの女の恨みごころを取り出せばそれで十分効果がある。ならいったい……」


 ぼくらが思慮を巡らせていると、精はぐりぐり首を揺らして言った。


「ここまで来てなにを躊躇(ちゅうちょ)する。もうすぐおまえの願いは叶うのだぞ。男を恨んでいるのだろう。男を呪い殺したいのだろう。男が苦しみ、狂い、絶望の中で死んでいく姿が見たいのだろう」


 言葉を聞くにつれてヴルペクラの目が大きく開いた。

 恨みの念が恐怖を超えたのだろう。

 震えが止まり、口がにやりと笑った。


「……そうでした。わたくしはあの男を呪い殺すのでした」


「そのためなら多少の痛みなど大したことではないだろう」


「はい、もちろんでございます」


 ヴルペクラは食器を拾い、まっすぐ精に手渡した。

 そして言われるがまま背を向け、


「さあ、血を抜いてください。あの男を呪い殺してください!」


 と狂気を叫ぶように言った。


 その背後で、ヤギの頭が恐ろしく(みにく)い笑みを浮かべた。

 表情のないはずのヤギの顔が、まるで悪意を粘土でこねあげたような歪んだ形相を見せた。

 右手に握ったナイフがギラリと白く光った。


「はっ!」


 レオは肩を跳ね上げ、


「しまった! そういうことか!」


 と叫び、クローゼットの戸をぶち破るように開いた。


 しかし遅かった。


「あああっ!」


 断末魔が響いた。


 レオが飛び出し、床に足を着くと同時に、それは終わっていた。


 ナイフはヴルペクラの首に突き刺さり、反対側まで貫いていた。

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