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魂売りのレオ  作者: 休止中
第六話
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獣人は川の神を殺さんと願う 六

 それは”影”だった。


 ひとの頭のような影。

 それが水面から顔を出し、ぼくらを品定めするように見つめている。


「あれは魔物?」


 ぼくは剣を構えながら訊いた。

 レオがいれば剣など構える必要はない。

 彼女は視線の届く範囲なら思うだけで皆殺しにできる。


 しかしぼくは無意識のうちにそうしていた。

 それほど濃い殺気が空気を支配していた。


「ああ、あれも魔物だ」


「え?」


 あれ”も”?


 ぼくは一瞬レオの方に視線を向け、再び魔物に目を向けた。

 すると、一匹だけだと思った魔物の近くにもう一匹なにかがいた。


 いや、ほかにもいる。


 あそこにも、あっちにも、どこにも、そこらじゅうに。


「うわ、わっ!」


 気がつけば水面は影が埋め尽くしていた。

 十や二十じゃない。

 数えきれないほどぎっしり魔物の影がある。


 それは異形(いぎょう)の集団だった。


 人間に似ているもの。


 魚のようなもの。


 カニと思わしきもの。


 獣の姿に近いもの。


 鳥に見えるもの。


 どれもなにかに似ていた。

 しかし明らかに異形で、みな体が透けていた。


 そんなバケモノたちに囲まれて、レオはとくに慌てることもなく落ち着いた声で言った。


「わたしは魂売りのレオだ。川の神に会いに来たんだが、すまんがだれか案内してくれないか?」


 しかし返事はない。

 魔物たちは微動だにせず、川のせせらぎだけが返ってくる。


「ふむ、メンドウだな」


「メンドウ?」


「ヤツらやる気だ」


 レオがそう言ってため息をついた。

 途端、魔物たちはスッと水中に沈んだ。

 音もなく、示し合わせたように同時に消えてゆく。

 そして、


「来るぞ」


 とレオが言うや否や、ぼくらの視線の先、川の一点が盛り上がった。

 それはざばざばと立ち上がり、大きな水柱になった。


「レオ、これは!?」


「ほう、水を操るか。大したものだな」


「大丈夫なの!?」


「ただの水のようだが……まあ大丈夫じゃないか?」


 大丈夫じゃないか? って、なんだそれ!

 大丈夫じゃなかったらどうするんだ!


 水柱はぐにゃりと曲がり、蛇のように鎌首をもたげた。

 ひとを丸呑みできるほど太い。

 それはぼくらに狙いを定めるよう、うねうねとうごめいていた。


 レオはフフ、と笑った。


「だって、たかだか水だろう? ザコなら慌てるのかもしれんが……」


 水の蛇はピタリとうねるのをやめ、濁流音とともに突っ込んできた。


「わあっ!」


 来る! 水の蛇が襲いかかって来る!


 ぼくは悲鳴を上げた。

 だが、レオは笑っていた。

 そしてあざ笑うように言った。


「なにせわたしは最強だからなぁ」


 レオの周囲が赤く輝いた。

 瞬間、水の蛇を炎が包み、じゅうっ! と、けたたましい音を立てて蒸発した。


「うわぁ……」


 ぼくらの肌にぶわっと熱気が降り注いだ。

 なんて強力な炎だ。

 あれだけの水が消えてしまうのだから、よほど熱かったに違いない。

 とんでもない魔法だ。


 しかしレオは涼しい顔をしていた。

 彼女にとってはなんでもないことだった。


「なるほど」


 レオはポケットからウィスキーの小ビンを取り出しクイっとやった。


「あれで川に落とすつもりらしい。水を操るのなら、川の中では無敵だからな」


「どうするのさ!?」


「まあ、本当なら、いかづちひとつでケリがつくんだが……できれば穏便に済ませたい。なんとかヤツらと対話する方法がないものか」


「そんな悠長だよ! だって相手は殺しにかかってるんでしょ!? ぼくらも応戦しなきゃ!」


「ふうむ……」


 そうこうしていると、また水柱が立ち上がった。

 しかもこんどは一本じゃない。

 ざばぁ、ざばぁ、と数えきれないほどの水柱が現れ、やはり蛇のようにうねった。


「まったく、殺せんというのは難儀だな」


 水の蛇が一斉に襲いかかってきた。

 その音だけでもすさまじい。

 これに打たれれば、川に落ちなくとも、水圧だけでやられてしまうかもしれない。


 だが、レオの敵ではなかった。


 じゅうっ! じゅうっ!

 そこらじゅうで爆発のような音が鳴った。

 無数の水流はすべてレオの意思ひとつで蒸発し、蒸し風呂のような熱気が辺りを包んだ。


「す、すごい音……耳がやられそうだよ」


「それに暑いな。ふうむ、どうしたものか。あまり小うるさいと殺してしまいそうだ」


 そう言っているあいだにも、また水柱が現れはじめた。


「わあ、まだ来るよ」


「ふむ……おや?」


 レオはその様子を見てなにかに気づいたらしい。

 彼女はニッと笑い、言った。


「そうか、数の力だったか」


 レオいわく、水を操作するというのはかなりの魔力を消費するらしく、しかも技術が必要で、アクアリウスのような技巧派ならともかく、レオでも不可能だという。


「見たところヤツらは数の力でそれをなんとかしている。一匹一匹の魔力は低い。だから魔力を束ね、司令塔が操作に集中しているんだ」


「つまり司令塔を殺せばいいってこと?」


「いや、殺さん。わたしは話をしに来たんだ」


 レオは背後を振り向き、言った。


「レグルス、わかるな?」


「はい、お任せください!」


 とレグルスは応え、幅の広い岩場に飛び乗った。

 いったいレグルスはなにをするんだろう。

 彼女は魔法を使えないはずだけど、いったいどうやってこの状況を収めるのか。


 その動きを見てか、水の蛇がレグルスに狙いを絞った。

 そして、一斉に飛び込んでいった。


 その瞬間、レグルスは姿を変えた。


 オレンジと白の毛並みに黒いしま模様、ひとの腕よりも太い牙、ホロ付きの馬車ほどもある巨体と頑強な四肢。

 虎の使い魔レグルスの真の姿だ。


「ぐろろろおおおお!」


 レグルスは吠えた。

 とてつもなく大きく、そして震えるほど深い雄叫びを上げた。

 敵でないぼくでさえ怯えてしまいそうな巨獣のひと吠えだ。


 それは魔をも震わせた。

 レグルスが吠えた途端、かたちを得ていた水の蛇はすべてばしゃりと崩れ、ただの水になった。


「こ、これは……?」


「ふふふ、さすがはレグルス。すばらしいパワーだ。あいつは魔法こそ使えんが、弱い魔法なら吠えれば掻き消してしまう」


「へえ、すごいなぁ。そんなことができるなんて、すごいよレグルス!」


 ぼくはうれしくてレグルスに手を振った。

 すると、


「ぐるる? ふにゃ、ふにゃあん!」


 レグルスは仰向けになって、甘える子猫みたいにゴロゴロした。

 照れ臭そうに目を細めている。


 ちょっと、なにしてるのさ! いま戦いの途中だよ!?


 ほら、そんなことをしているから魔物が水中から顔を出して集まってきてる!


「レグルス! 危ない!」


 ぼくが叫ぶと、レグルスはハッとして起き上がった。

 そこに一匹の魔物が岩場の上に登り、深々とこうべを垂れ——!


「申し訳ない」


「へ?」


 謝ってる? 魔物が頭を下げてる? なんで?


 魔物はひざまづき、静かに言った。


「まさか獣の神がいらっしゃるとは思わなかった。我々の無礼、どうかわたしのいのちで許してもらえまいか」


 獣の神!?

 ……なんだそれ。そんなのどこにいるんだ?


「どうする、レグルス?」


 レオが言った。

 するとレグルスはひとの姿に変わり、


「わたくしは無用の殺生は好みません。レオ様の判断にお任せいたします」


 と答えた。

 あれ、もしかして獣の神ってレグルスのこと!?


「なんだ、おまえ知らなかったのか?」


「聞いてないよ」


「こいつはかつて、とある密林を支配していた密林の神だ。だから連れて来たんだぞ。いざ川の神と会ったとき、人間だけじゃスムーズに会話できるか不安だったからな」


 はえ〜、そういうことだったのか。

 てっきり戦いのために強い子を連れてきたのかと思ったよ。

 それにしてもすごいのを使い魔にしたんだなぁ。


「なにせレオ様に惚れてしまいましたから」


 レグルスは言った。


「こんなにも強く気高いお方は、どこを探してもほかにおりません。わたくしには密林を統治する役目がありましたが、いのちを失ってもレオ様に仕えたいと思い、すべてを捨てたのです」


 レグルスの目は明るく輝いていた。

 まるでレオのしもべであることが誇りとでも言うように。

 しかし、


「おい、”美しい”が抜けてるぞ!」


「あ、は、はい!」


 レオのひとことでしっちゃかめっちゃかになった。


「強く、気高く、美しいです!」


「うむ、よし!」


 気高い……ねえ。

 まあいいや。

 とにかくレグルスが獣の神なんだね。だから魔物は謝ってるんだね。


 ぼくがレオの相変わらずな部分に呆れていると、レオが魔物に訊いた。


「おまえが(ちょう)か」


「そうだ」


「おまえのいのちなどいらん。それより我々は川の神に用がある。案内しろ」


「それは困る。おまえたちは川の神を殺しに来たのだろう」


「なに? 話を聞いてなかったのかバカ者。会いに来たと最初に言っただろう。わたしは川の神と話がしたいんだ」


「だがおまえたち人間は、川の神を殺そうとしたじゃないか」


「なんの話だ」


「忘れたとは言わせん。十日前、おまえたちは襲撃を仕掛けたではないか」


「なに?」


 レオの眉がぎゅっと険しくなった。


「おまえたちは”アネキ”を筆頭に、川の神を殺しに来たではないか」


 姉貴(アネキ)!?

 そういえばウォルフは”アネキ”って呼ばれてたけど……まさか!


「あいつ、なんてことを……大バカ者め。それでおまえたちは我々を襲ったのか」


「そうだ。大事な川の神を殺させるわけにはいかないからな。わかったら立ち去れ。もしそれでも行くというのなら、我々は全滅してでも止める。たとえ相手に獣の神がいようと、この身永劫にこの世から消えることになろうと」


「……」


 レオは腕を組み、じっと魔物の長を見据えた。

 ほかの魔物たちもしんと押し黙っている。

 しかし怯えている様子はない。

 いまにも飛び出して戦おうという気概が肩のあたりに見える。


 その沈黙を破るようにレオが言った。


「実はわたしは川の神を殺すよう”アネキ”に頼まれてここへ来た」


 瞬間、魔物たちが雄叫びを上げた。

 魔物たちの体が跳ね上がった。

 魔物たちの目が赤く輝き、殺気が天を破るいきおいで舞った。

 あらゆる牙がレオめがけて飛びかかった。


「しかしわたしは川の神を生かすために来た」


 途端、すべてが止まった。

 魔物たちの体が、殺気が、ビタリと聞こえない音を立てた。


 レオは言った。


「土地の神を殺せばどんな恐ろしいことになるか、知らんわたしではない。だからわたしは救いに来たのだ。川の神を、そして獣耳の里をな」


「……」


「決して悪いようにはせん。だからさっさと案内してくれ」


「……」


 魔物の長は黙った。どうやら思案しているらしい。


 が、やがて口を開いた。


「信じていいのか?」


「殺すつもりならとっくに皆殺しにしている。わたしの力を見ただろう」


「そうだな……」


 長はそう言ってゆっくりと歩き出し、奥へ続く方向の岩場に乗った。


「わかった、案内する。ただ……」


 長はうつむくように背中を見せ、ふっと振り向いて、言った。


「ひとつだけ頼む。嘘ではないと約束してくれ。絶対に川の神を殺さないでくれ。わたしのいのちならいくらでも差し出す。我々は川の神を尊敬しているんだ」

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