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魂売りのレオ  作者: 休止中
第五話
38/179

だらしない女 六

 まったく、今日は疲れたよ。

 ぼくとデネボラはムチに打たれて追い立てられて、一日中体を動かしていた。


 しかしデネボラの(なま)けは一流だよ。

 だって、寝ながら足を持ち上げる運動をふたり並んでしていたら、途中から、


「すぅー、すぅー」


 と寝息が聞こえてきて、見たら動きながら眠ってるんだもの。

 レオにムチで十回以上引っ叩かれてやっと、


「ふぁ、寝てませぇん!」


 っていうんだからすごいよ。

 それで怒られて、言い訳が、


「だってぇ、お昼寝してないからぁ」


 だってさ。堂に()ってるよ。


 そんなこんなで陽が沈み、やっとレオは、


「もういいでしょう」


 と言ってぼくらを解放してくれた。

 途端にぼくらは崩れ落ち、汗まみれの体を地面に横たえた。


「よくがんばったわね。ふたりとも偉いわ。そんなに汚れて汗かいて、デネボラちゃん、先にお風呂入ってきなさい」


「はぁい」


 どうやらお風呂の用意があるらしい。

 デネボラはふらふらよろつきながら風呂小屋へと歩いて行った。


「パパはママといっしょにね。体洗ってあげるわ」


「うれしいなあ、ありがとう」


「ふふふ……お夕飯前にもう少しだけ運動しちゃうかもしれないわね」


 ぼくらがそんなことを話していると、


「あ……」


 デネボラが立ち止まり、声を漏らした。


「どうしたの、デネボラちゃん」


「ご、ごはんの用意……」


「あっ!」


 レオの肩が跳ね上がり、メガネがスッ飛んだ。

 そう、食事はいつもデネボラが用意している。

 彼女がいないときはそれなりに準備するが、基本はすべてデネボラに任せている。

 そのデネボラを夢中で叱咤(しった)していたのだから、用意などあるはずがない。


「しまった! デネボラ、いますぐメシを作れ! 風呂なんかあとだ!」


 緊急事態で素に戻ったレオは、ドバッと顔から汗を吹き出し、いつもの口調でまくしたてた。


「そんなぁ、もうくたくたですよぉ」


「いいから作れ! おまえの仕事だろう!」


「やだぁ〜」


 レオはパニックになっていた。

 なにせレオは食事と衣類には金をかけるだけあって、その二点にはかなりの執着がある。

 朝昼ならともかく、夕食に未調理のものを食べるのはレオのプライドが許さない。


「くそっ、わたしとしたことが……! どうすればいいんだ!」


 レオは地面にひざをつき、慟哭(どうこく)にも似た声を上げた。


 しかしぼくはなんの心配もしてなかった。


「大丈夫だよ」


「えっ?」


「こんなこともあろうかと……ってわけじゃないけど、実はレグルスに夕食を頼んであるんだ」


「ほ、本当か!?」


「うん」


 レオはふるふると目をうるわせて立ち上がり、


「あ、アーサー……おまえってヤツは」


 そう言ってぼくに抱きつき、


「愛してるぞ! アーサー!」


「ママ、アーサーじゃなくてパパでしょ?」


「ああ、そうだった。じゃない、そうよね、パパ!」


「じゃあわたしごはんの心配しなくていいんですかぁ?」


 デネボラに訊かれ、ぼくはやさしく答えた。


「うん、大丈夫だよ。お風呂入っておいで。パパもそのあと入るから、そうしたらみんなでごはんにしよう。きっとご馳走だよ」


「はぁい!」


 というわけでぼくらはお風呂に入り、食堂へと向かった。


 食堂はキッチンの隣にある。

 ひとり部屋の倍ほどの大きさで、部屋の真ん中にずでんと長方形のテーブルが置かれ、壁にはさまざまな料理や果物の絵画が飾られている。

 レオの父親の芸術趣味だ。


 その絵はどれも色彩(しきさい)あざやかで、壁や天井に設置された多数のランプに火を入れると、パアッと明るくなった部屋をより明るく、よりたのしく演出してくれる。

 応接間にも絵はあったが、部屋ごとに色合いが違うのを見るに、レオの父親はこだわりのあるひとだったと思う。


 ぼくらは食堂に入るなり、


「わあ」


 と目を見張った。

 テーブルの上には鳥の丸のローストチキンがどんと置かれ、それぞれの席にサラダやコーンスープ、白身魚のムニエルやソーセージが並んでいた。

 ひとりあたり二、三人前ある。


「まあ、鳥の丸なんてひさしぶりだわ!」


 レオは目を丸くし、口元によだれをひと筋垂らして言った。


「それにほかにも色々あるし、すごい量ね。なんでまたこんな……」


 そこに、パンが山ほど乗ったかごを持ったレグルスが現れ、言った。


「ママ、お食事の用意ができましたよ」


「レグルスちゃん、どうしてこんなに豪華なの?」


「はい、今日はパパとママの結婚記念日ですから」


「結婚記念日……?」


 レオはきょとんとし、思考のすべてが消えてしまったような顔をした。


 レグルスがニッコリ笑って言った。


「はい、パパがここに来ておよそ一年が経ちました。すなわちパパとママが結婚して一周年ということです。なので、今日を記念日とさせていただきました」


「レグルス、おまえ……」


 レオはふるふると震え、ぼくの頭を強く抱き寄せた。


「ああ、なんてうれしい……」


 よかった、よろこんでくれたみたいだ。

 ぼくはレオの背中を抱き返し、


「ママ、一年間ありがとう。これからもよろしくね」


「ああ、よろしく……」


「ほら、口調が戻ってるよ。いまはママになってもらわなきゃ、結婚記念日じゃなくなっちゃうじゃないか」


「ふふふ……」


 ぼくはレオの頭を撫でながら、レグルスに目を向け、うん、とうなずいた。

 するとレグルスも、うん、とうなずき返し、ニッコリ微笑んだ。


「あーー! ローストチキンだー! すごーい!」


 食堂に顔を出したアルテルフが子供のように大騒ぎした。

 バタバタとチキンに駆け寄り、


「あたしチキンだーい好き! ねえねえレオ様、あんよちょうだい! あんよ食べていい!?」


 レオは顔を上げ、


「いいわよ。そのかわりちゃんとママと呼びなさい」


「はーい、ママー!」


 やがて一同が集まり、夕食がはじまった。

 料理は見た目以上においしくて、レグルスがこれほどのものを作れるのかと正直驚いてしまった。


「デネボラが来るまではわたくしが料理をしていましたから。しかし久方(ひさかた)ぶりのことで、チキンは少々()げてしまいました。申し訳ありません」


「ううん、すごくおいしいよ。本当に君に頼んでよかった」


「そ、そんにゃ、はひ、ひぃ……」


 あらら、そんなに照れなくてもいいのに。

 顔真っ赤にしてもじもじしちゃって、なんだかかわいいなぁ。


 ぼくらはたのしく食事をし、パンと飲み物のほかはみんなたいらげ、ふぅ、と出張ったお腹をさすっていた。

 すると、


「そろそろデザートをお持ちしますか?」


「デザート?」


「記念日といえば、あれでしょう」


 そう言ってレグルスはキッチンに向かい、なにやら大きな紙箱を持って戻ってきた。


「なーにそれー?」


 アルテルフがぴょこぴょこ跳ねながら言うと、レグルスは箱をテーブルに置き、


「もちろん、これです!」


 箱の上部を持ち上げた。


「わあー!」


 中から出てきたのは大きなホールケーキだった。

 白いクリームの上に色とりどりのフルーツが乗り、真ん中にひとつ、


「結婚記念日」


 と書かれたチョコレートが刺してある。


「け、ケーキ!」


 デネボラがキラキラと乙女チックな輝きを目に溜め、ぴょんぴょんと騒いだ。

 彼女は甘いものに目がない。

 ましてやクリームたっぷりのフルーツケーキとなれば正気を失いかねない。


「レグルスちゃん、こんなものまで用意してくれたの?」


 レオもこころからうれしそうに言った。


「はい、と言ってもこれは街で注文したものです。わたくしは字が書けませんし」


「いい子ね、ありがとう」


「いえ、よろこんでいただければさいわいです」


 レグルスはこんどはそんなに照れていないようだった。

 ぼくにほめられたときは、かなり取り乱してたのに。

 たぶん自分が作ったものじゃないからかな?


「わたし、切り分けまぁす!」


 デネボラは勢いよく立ち上がり、キッチンからナイフと皿を持って来て、意気揚々と切り分けた。


 ……あれ? 六人いるから六等分なんだけど、ナイフを入れる回数が多いな。

 三回切れば六つになるはずなのに、六回も刃を入れて、おや、ひとつだけかなり大きい。


 デネボラはそれらを皿に乗せると、大きいひとつを持ってそそくさと自分の席に着き、


「うふふ、いただきまぁす!」


 とフォークを構えた。

 その瞬間、


「待ちなさい、デネボラ」


 レオが止めた。


「なんですかぁ?」


「あなたは食べちゃダメよ」


「えっ!?」


 デネボラは心臓をナイフで突かれたような顔をした。


「そんな……どうして……」


「忘れたの? あなたはダイエット中なのよ。それなのにそんな甘いもの、太るに決まってるじゃない。だからダメ」


「そ、そんなぁ……だって、ケーキですよ。こんなおいしそうな……」


「ダメだって言ってるでしょ! フォークから手を離しなさい!」


「お願いします! どうか、このケーキだけは……」


「いい加減にしなさい! 命令よ!」


「だって、だってぇ……う、う……」


 デネボラは打ち震え、さめざめと涙を流した。

 場がしんと鎮まり、めそめそと嗚咽(おえつ)の音が食堂内に響いた。


 ぼくは見ていられなかった。

 デネボラはいつだって笑っている。

 怒っても、悲しんでも、ムチで叩かれても、どんなときでもかならずそこに笑顔がある。


 そのデネボラが本当に泣いていた。

 本当の涙だ。


 たかがケーキひとつ食べられなくたって大した問題じゃない。

 長い人生の中では取るに足らないことかもしれない。

 でも、ぼくは、自分のことじゃないのにすごく悲しくて、つらくて、どうしても怒らずにいられなかった。


「いいかげんにしてよ!」


 ぼくはテーブルを叩き、立ち上がった。


「いいじゃないか、ケーキくらい!」


「ダメよ。太るもの」


「太ればいいさ!」


「なに?」


 レオが低い声を出した。気に入らないときの声だ。


「太ってもいいとはどういうことだ」


「太ったっていい。大事なのはデネボラが笑顔でいることだよ!」


「だが太れば健康に悪いし、それに美しくない」


「デネボラはきれいだよ!」


「ほう?」


「レオは完璧なボディこそが魅力的だと思ってるみたいだけど、そうじゃない! 少しくらい肉があってもいいんだ! デネボラはこのままで十分きれいなんだよ!」


「バカを言うな。それじゃあおまえは、あのだらしない体で欲情するとでも言うのか?」


「するさ! たまらないよ!」


「嘘をつけ。わたしの美しい体を知るおまえが、あんなぽよぽよの体に欲情できるはずがない」


 レオはそう言ってあご肘をついた。

 ぼくの言うことなんかデタラメだと思っているのだろう。

 単にデネボラの涙に同情しただけと決めつけている。

 だが、


「するよ」


 突如ゾスマが言った。


「なに?」


「アーサー様はデネボラで欲情するよ」


「ゾスマ、なにを言ってるんだ。まるでその目で実際に見たかのような口ぶりじゃないか」


「そうだよ。アーサー様はペニスを勃起させてデネボラに押しつけてたよ。わたし見たよ」


 げっ! それ言う!?

 ていうかなんだその言い方!

 それだとまるで、ぼくが意図的に当てにいったみたいじゃないか!


「……そうなのか、アーサー?」


 レオはひと呼吸置き、唖然(あぜん)としてぼくを見つめた。

 ぼくはしどろもどろしたが、ごくっとつばを飲んで、


「そ、そうだよ……ぼくはデネボラのだらしない体に欲情したよ……」


「お、おまえ……」


「あ、でも当てちゃったのは事故だよ!? 自分から当てに行ったわけじゃないよ!?」


 ぼくは必死に弁解した。

 しかしレオはじっと黙っている。

 テーブルの向こうでアルテルフが笑いをこらえて口を押さえている。

 レグルスが顔を真っ赤にして泣きそうな目をちらちらさせている。

 沈黙がじわっと押し寄せ、ぼくは息が詰まりそうになった。


 が、それを破るようにレオが言った。


「そうか……ならあれもひとつの美だと、おまえはそう言うんだな?」


 ぼくは一瞬言葉に詰まった。

 ど、どういう意味だろう? そこまで考えてものを話してなかった。

 しかしここで退()いては恥のかき損だ。

 ぼくは毅然(きぜん)とし、まっすぐに言った。


「そうだよ。デネボラはいまのままで美しいよ」


 するとレオはふぅ、とため息をついて腕を組み、椅子に背を預けた。

 そして、


「悪かった、デネボラ。食っていいぞ」


「ほ、本当ですか!?」


 デネボラはぱぁっと目を輝かせ、瞬時にフォークを構えた。


「ああ。運動ももうしなくていい。だが夜中にものを食うのだけは本当にダメだぞ。あれは体に悪すぎる。いいな?」


「はぁい!」


 そう応えた途端、デネボラはケーキをバクバク食べはじめた。

 口の周りにクリームがつくのもおかまいなし。

 ひと口食べるたびに、


「あまぁい!」


 と満面の笑みを浮かべた。

 もう泣いていたことなんか忘れてしまったようだった。


 ああ、よかった。デネボラはこうでなくちゃ。

 笑ってないデネボラなんて見たくないよ。


「みんな、暗くしてすまなかった。我々もケーキをいただこうじゃないか」


 レオがそう言ってケーキに手を伸ばした。


「ほら、アーサー。おまえも席に着け。せっかくのケーキだぞ」


「あれ? パパじゃなくてアーサーでいいの?」


 ぼくがそう言って笑うと、レオもふふ、と笑い、


「コホン……そうだったわね。パパ、ママが食べさせてあげるわ」


 と肩を寄せ、ケーキをフォークで切り、


「はい、あ〜ん」


 と差し出してきた。ぼくもそれに応えて、


「あ〜……」


 と口を開いて待っていると、


「あ、そうそう」


 レオは途中で手を止め、実にやわらかな笑顔で言った。


「さっきの……デネボラになにを当てたとかのことですけど」


「あがっ」


 ドキーン!


「お食事が終わったらそのことについてゆーっくりお話しましょうね」


 そう言ってレオはぼくの口にケーキを運んだ。

 甘いはずなのに味がしない。

 ぼく、このあとどうなっちゃうんだろう……


 そんな不安を抱える中、ふとゾスマと目が合った。

 するとゾスマはもぐもぐしていたケーキを飲み込み、親指を立てたグーを突き出し見せた。

 その笑顔はこころなしか、いつもよりニッコリしている気がした。


 ……うん、ありがとう。ナイスフォローだ。

 おかげでデネボラが笑顔になったよ。


 ただ、もう少し言葉を選んでほしかったなぁ……

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