アクアリウスの罠 六
レオは馬から降りた。
下馬は目上の人間に対する最低限の礼儀だ。
こんな状況でもレオが礼儀を重んじるのだから、それほどアクアリウスに敬服しているのだろう。
当のアクアリウスはにこやかに笑っていた。こんなところを見られても悪びれる様子などない。
まるで買い物に出かけた婦人がたまたま友人と出くわしたときのようにのほほんとしていた。
「どうしてここがわかったの?」
アクアリウスは言った。
「跡が残らないよう、うまくやったつもりだけど」
「おっしゃる通りです」
レオは小さく礼をし、
「どんな魔法を使ったか知りませんが、あなた様の足跡は一切ありませんでした」
「ならどうしてここが?」
「こいつです」
レオは馬の背を撫でながら言った。
「このデネボラはひとの行き先がわかります」
なるほど、デネボラの超能力なら可能だ。
デネボラ——使い魔にしてはめずらしく、あまりひとの姿になることを好まない栗色の牝馬。
彼女には生まれつき”行き先探知能力”という不思議な力が備わっており、よく客が金を取りに行くときや、家に送り返すときなんかに重宝する。
ある意味レオの仕事に最も貢献していると言っていい。
アクアリウスはその能力の利便性を一瞬で理解し、
「いい使い魔ね。うらやましいわ」
と言った。
しかしいま、アクアリウスは痕跡を消したと言っていた。
レオを怒らせるためにぼくを誘拐したはずなのに、どうしてそんなことしたんだろう。
それじゃレオがぼくらを見つけられない。
するとレオの変化するところが見れない。
そんな疑惑の表情を読み取ったのか、レオは小さく笑い、
「アーサー、たぶらかされたな」
「え?」
「アクア様はどうしておまえを連れ去ったと思う?」
「それは……レオが赤くなるところが見たいから、ぼくを奪うふりをして怒らせようって……」
「それは”ふり”ではない」
「へ?」
「アクア様の目的はおまえと寝ることだ。それはおまえを警戒させない口実に過ぎない」
「はあ!?」
ぼくは唖然とした。
いくら男好きだからって弟子の男にそんなことするか!?
ぼくはお茶の席で「夫婦です」って言ったんだぞ?
「わたしを遠ざけた時点で、そんなことだろうと思いましたよ。あなたがアーサーを見て、手を出さないはずがありませんから。おまけにわたしやレグルスが席に戻れないよう細工までして、もし外出していたデネボラが戻って来なかったら本当にそのままでした。まったく、相変わらず見境がないんですから」
レオはうやうやしく言いつつも、呆れ顔でため息を吐いた。
するとアクアリウスは、
「てへっ」
と舌を出し、かたむけた頭にゲンコツを当ててみせた。
てへじゃないよ。よく笑ってられるなぁ。
そんな彼女にしびれを切らしたのか、レグルスの巨体がしゅるしゅる縮み、ひとの姿になり、
「な、なにを笑っているんですか!」
と叫ぶように言った。
たくましくも美しい褐色の肌が震え、漆黒の瞳が怒りでつり上がっている。
「ひどいと思わないんですか!?」
「あら、なにが?」
「だって、アーサー様はレオ様を愛しているんですよ! 純愛ですよ! ラブなんですよ! それなのに無断で連れ去って、そ、そ、そんな破廉恥なことを……ひい!」
レグルスは一瞬、媚薬で膨らんだぼくのズボンに目を向け、真っ赤になった顔を手で覆った。
彼女は無敵と呼んでも差し支えないほどの腕力を持っていながら、性的なことに一切耐性がない。
頭からプシューと湯気が吹き出そうなほど耳が赤くなっている。
目で見てはもちろん、言葉からものごとを連想しただけで彼女は参ってしまう。
「いいじゃない。男はセックスが好きなのよ」
「せ……せ……ひああ!」
ああ、座り込んでしまった。
さすがにこれは弱過ぎじゃないか? 病気を疑うレベルだぞ。
しかしレグルスは強靭だ。
弱点にもくじけずなんとか立ち上がって、
「そんなことありません! アーサー様はレオ様一筋なんです! レオ様以外にどれだけ誘惑されようと、そんな、せ……せっくすなんて……ひぃん!」
あ〜、なんかこっちが恥ずかしくなってきた。
でもありがとうレグルス。君の言う通りだ。
ぼくはレオを愛している。騎士として、男としてほかの女なんか抱くつもりはない。
この前は話の流れでヴルペクラとそんな関係になったけど、今後一生レオだけを愛すると決めている。
その誓いは絶対だ。
しかし、
「レオ様もレオ様です!」
レグルスはレオを振り返り、言った。
「どうして好きにさせろなんて言ったんですか!」
へ?
「アーサー様は夫でしょう! お互いただひとりの夫婦でしょう! それなのにひと晩くらい貸してやれなんて、どういうおつもりですか!」
な、な、な、なんだって!? レオはそんなことを言ったのか!?
「あら、いいの?」
アクアリウスは意外そうな顔をした。
そりゃそうだ。ふつうは男を別の女に貸したりしない。
しかしレオは、
「まあ、どうせ男なんて浮気をする生き物ですから。ならせめて、わたしの目の届くところで、という気ごころです」
「はあ!?」
ぼくは飛び上がって叫んだ。
「なんだよそれ! ぼくはレオ一筋だ! ほかの女なんか興味ないよ!」
「そうだろう。おまえがこころから愛するのはわたしひとりだ。だがおまえの”そこ”はそうでない」
「うっ!」
ぼくは咄嗟にガチガチのそれを手で隠した。
ああ、薬のせいで、こんな状況でも収まらない……
「違う! これは媚薬を盛られて……」
「だがそうなっているのは事実だ」
「ぼくを信じてないの!?」
「信じてるさ。だが信じることと理解することは違う。おまえがどれだけ騎士道とやらを志そうと、男なんてしょせん下半身に体がついているだけのものでしかない」
な、なんて偏見だ。
いったいなにがあればこんなねじくれた考えをするようになるのだろう。
レオは子袋を失ったとき男に襲われたそうだが、それが原因だろうか。
「ともかくわたしは構わんのです。アーサーはどれだけ女に誘惑されようが、わたしからは決して離れられません。かならず帰ってくると信じておりますので」
う〜ん、うれしいような悲しいような、よくわかんないこと言ってるなぁ。
なんか混乱してきたぞ。
つまりぼくはアクアリウスとするべきなのか?
媚薬のせいか思考がブレてぐちゃぐちゃになってきた。
なんでこんなことになってるんだ?
「ダメです!」
突如レグルスが叫んだ。
「アーサー様はレオ様のものです! ほかの女となんて絶対にダメです!」
「ほう、言うじゃないか」
レオは妙に感心していた。
「どうしてそんなにアーサーの肩を持つ」
「そ、それは……」
レグルスはぎくりとこわばった。
赤かった顔がこんどは青くなっている。
なんで?
「答えろ。おまえがダメだダメだとうるさいから、わざわざここまで来たんだ。なぜ止める。別にアーサーがだれと寝ようとおまえには関係ないだろう。なぜそこまで固執する」
「だって、アーサー様はレオ様の……」
「まさかおまえ、アーサーのことが好きだな?」
「ぎくっ!」
え、なに? どういうこと?
「おまえ、もしやアーサーと剣を交えるうちに、こころが移ってしまったな?」
「そ、そんな滅相もありません!」
「ハハハ、怯えるな。別に怒ってなどいない。だれかを好きになるというのはごく当たりまえのことだ。で……したいのか?」
「ま、ま、ま、まさか!」
「おまえのことだ。きっと自分のこころを押し殺して、せめて主人のわたし以外には触れさせたくないと思っているのだろう。違うか?」
「ううっ……」
「まったく、けなげなヤツだ」
なんだなんだ? ずいぶんややこしくなってきたぞ?
つまりぼくはレオ一筋で?
アクアリウスはぼくを誘惑して?
レオは構わなくて?
レグルスはぼくが好きで?
むむむ?
「あらあら、かわいいじゃない。わたし応援したくなっちゃうわ」
アクアリウスはうっとりと手を合わせ、
「レオ、レグルスにも貸してあげれば?」
なんて言った。レグルスは再び真っ赤になって、
「い、いけません! しもべごときが主人の夫に触れようなど……」
「あら、好きなのは否定しないのね」
「あわわ……」
レグルスはたじろぎ、もはや言葉も出なかった。
それどころかぼくの目を見て、
「はわわわわわ」
と涙目になって震えてしまった。
しかしぼくはどうすればいいんだろう。
はっきり言ってレグルスは好きだ。
でもそれは女として愛しているわけではなく、ひととして、友人として好きなわけで、そりゃたしかに性的な目で見てしまうし、胸は大きいし、きれいだし、かわいいし、悪い気はしないけど……
「ウフフ……」
アクアリウスはいたずらっぽく笑った。そして、
「そんなにアーサー君を見つめちゃって……でもあなたが本当に見たいのはここでしょ?」
と言いながらぼくの背後に回り、
「えいっ!」
「わあ!」
なんとぼくのズボンをずり降ろした!
な、なんてことだ! 媚薬で狂ってしまったぼくの恥ずかしいところが丸見えに!
「きゃあ!」
レグルスは悲鳴を上げた。
しかしなぜか微動だにせず”それ”を凝視している。
「い、いやぁ! 恥ずかしい!」
恥ずかしいのはぼくだ! ああもう……
あれ? 体が動かない……
しまった、魔法をかけたな!
これじゃ隠せない!
あ、それでレグルスも動かないのか!
「いや! やめて! そんな大きくなったもの見せないで! アーサー様小さくして!」
そんなこと言われても、ぼくだって恥ずかしいんだよ!
ああもう、なんでこんなことに……
「あらあら、きっとはじめて見るのね」
アクアリウスはクスリと笑った。
「これが大きいですって。クスクス」
へ?
「レグルスちゃん、悪いけどこれ、そんなに大きくないわよ。むしろ……ウフフ、かわいいわ」
な、なにを言うんだ?
そりゃぼくはそんなに自信はないし、むかし友達と連れションしたときに友達のが目に入って、
「もしかしてぼくのって……」
って思ったりはしたけど……そんな、ひ、ひどいや。
動けなくして、純朴なレグルスに見せつけて、そのうえ”かわいい”だなんて……
いくらいたずら好きだからって、やっていいことと悪いことがあるよ。
ぼくは騎士だよ。
騎士がこんな恥ずかしめを受けてこれからどうやって生きていけばいいんだ。
ああもう、なんか涙が出てきた。
うう……
「アクア様、おやめください」
不意にレオが低い声を出した。
その目は先ほどまでのおちゃらけた雰囲気ではなかった。
「アーサーのものは小さくなどありません。十二分にたのしませてくれます」
「あら」
アクアリウスは相変わらずにこやかに言った。
「あなた、ほかの男のものを見たことがあって言ってるの?」
「いえ」
「クスクスクス。なら教えてあげるわ。アーサー君のは平均より……」
アクアリウスがそう言いかけたそのとき、
「やめろと言ってるんだ!」
レオが吠えた。
途端、すさまじい轟音とともに風が吹き荒れ、大地が揺れた。
「あらまあ」
アクアリウスは興味深そうにあごの下で両手を合わせた。
レオの緑色の髪は赤く染まっていた。
だいだい色の肌は赤みがかかっていた。
その瞳はルビーのように燃えていた。
真っ赤な稲妻が周囲を乱れ飛び、その荒れ狂う殺意をあらわにした。
レオはキレていた。
ぼくの涙を見てなのか、それとも小さいと罵られてなのか、ともかく真っ赤な怒りに燃えていた。
アクアリウスは言った。
「すごいわ、本当に赤くなるのね。でもあなた、だれにそんな口を利いているの? 正しい言葉遣いがわからないのかしら。ウフフ、どうやらしつけが必要みたいね」




