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魂売りのレオ  作者: 休止中
第四話
26/179

アクアリウスの罠 二

 ぼくはレオの言葉を聞いて頭が吹っ飛びそうなほど驚いた。


 アクアリウス”様”!? ”様”だって!?


 レオが他人に敬称をつけるなんて信じられない。

 だって、レオといえばどんな相手だろうが見下し、バカにし、言葉で頭をぐりぐり踏みにじるようなひとだ。

 それが敬語を使うなんて……


「アーサー、おまえはまだアクア様に会ったことがなかったな」


「う、うん……」


「あれはすばらしいお方だ」


 レオは師匠であり、いのちの恩人であるアクアリウス”様”のことを話してくれた。


 絶大な魔力を持ちながら、力に溺れることなく善行の道を歩み、東に病に苦しむ者あれば行って薬を飲ませ、西に怪我で倒れる者あれば行って看病する。


 彼女は魂を原材料に調合する”秘薬”の製薬が得意で、医者にさじを投げられた患者もそれを使えばたいがい治ってしまうという。


 もっとも、生活のためには実入(みい)りが必要なので、主に頭の悪い医者に取り込んで、難しい患者を診る手ほどきをして、そこでかなりぼったくって収入にしている。

 しかしそうでもしなければ高価な薬を精製できず、旅もできないので仕方がない。


 そんな彼女には二羽のカラスがついている。

 黒いカラスのサダルメリク、白いカラスのサダルスード。

 この二羽が使い魔で、そのうちの一羽がいまここに来ている。


「スード、おまえがここに来るということは、アクア様がここにおいでになるということか?」


「はい、おっしゃる通りです」


「そうか……久しいな」


 ふと、レオは遠い目をした。

 訊くと、もう二年近く会っていないという。

 それまではずっと師であると同時に、客として魂を買いに来ていたそうだが、ある日、


「新たな製薬を求めて旅に出るわ」


 と言って旅立って以来、消息がなかったらしい。


「へえ、勤勉なひとなんだね」


 ぼくがそう言うと、


「いや……」


 レオは胸の中に詰まる重たいものを吐き出すように細い息を吐き、静かに言った。


「わたしのためだ……」


「レオの?」


「わたしを治す薬を作るためにアクア様は旅立たれたんだ」


 レオを治す?

 いったいなにを治すというのだろう。

 そんな疑問にキョトンとしていると、レオは自身の腹を撫でて見せ、ぼくはハッとした。


 ——子袋!


 レオは子袋がない。

 なにがあったか知らないが、それでレオは子を(はら)むことができない。

 だからいつも本を読み、魔法を研究し、怪我を治す魔法を探している。

 それはひとえにぼくの子を成すためだ。


「アクア様はわたしの子袋を治すために二年も放浪してくださっている」


 レオの目にじわりと涙が浮かんだ。


「わたしのいのちを助け、魔法や呪術を教え、それだけに飽き足らず体まで治そうとしてくださっている。どれだけ頭を下げても足りることはない。ああ、わたしは会ってなんと言えばいいのだ……」


 レオは胸を押さえ、すうっと天を仰いだ。

 その姿はまるで宗教画に祈りを捧げる巡礼者のようだった。


「それで……アクア様はいつお越しになられるんだ?」


 レオはサダルスードに向き直り、言った。

 すると、


「はい、間もなく」


「なに!?」


「驚かせたいとのことで」


「ば、バカ! なんの用意もできないぞ! 来ると知っていれば……」


「申し訳ありません。なにせアクアリウスはいつだって、気まぐれでいたずら好きでございますから」


 そうスードが頭を下げると、直後、空気が変わった。


 あたたかい、しかしどこか冷気が充満したように涼しい、透き通る水のような気配が辺りを支配した。


 ふわりと風が流れた。


 それは魔力のたゆたいか、それとも人間の持つ生命のそよぎか。

 彼女は森の奥からゆるい風とともに現れた。


 その姿に、ぼくは動揺にも似た感動を覚えた。


 ——これが人間だろうか。


 背はぼくとおなじくらいで、サファイア色の髪はさらさら長く、前髪はパツンとしている。

 肌は白く、大人のいでたちでありながら少女のようなかわいげがあり、永久に吊り上がることのなさそうな柔和な笑顔をしている。


 その、水のような、風のような気配は、ぼくの知るどんな人間とも違った。

 見ているだけでこころが清らかになる気がした。

 どんな猛獣も、どんな悪党も、きっと彼女の前では指折り祈りを捧げてしまう。

 そう思えるほどの風格が遠目からでも静かに伝わってきた。


「アクア様……」


 レオはアクアリウスによろよろと近寄り、


「アクア様ー!」


 突然駆け出したかと思うと、その小さな胸に飛び込み、すりすりとほほを寄せた。


「会いたかった! ずっとあなたとお会いしたかった!」


「あらあら、かわいらしいこと。まるで子猫ね」


「うう、ぐすっ、ぐすん!」


 なんとレオは敬語を使うどころか、抱きついて泣いていた。

 まさかレオのこんな姿を見るとは夢にも思わなかった。

 でもそれだけすごいひとなんだろう。

 事実、なにも知らないぼくでさえ、見ただけで敬服しそうな気になっている。


 しかし、アクアリウスという人物は単なる聖人ではないらしい。


「もう、そんなに甘えていいの? 恥ずかしいわよ?」


「恥なんてどうだっていい……ぐすん!」


「気づかないの? アクアリウスはいつだって、気まぐれでいたずら好きなのよ?」


「えっ?」


 レオはきょとんと顔を上げた。

 アクアリウスはウフフと笑っている。


 それを眺めるぼくの背後から、やわらかい声がした。


「あなたはじめて見るわね。レオの恋人?」


「えっ?」


 突然の声にぼくは振り向き、そして驚愕した。

 そこにいるのはレオの傍にいるアクアリウスとまったくおなじ人物だった。


「あ、あれっ!?」


「ウフフ。さて問題です。レオが抱きついてるのはだれでしょう」


 直後、ボワンとレオの目の前で煙が上がった。

 そして煙が風に流されると、そこには黒髪ジト目で黒い肌の、白を基調としたメイド服を着た少女が立っていた。


「め、メリク……!」


「そうです、あたしはサダルメリクちゃんでした。だから恥ずかしいって言ったのに〜」


 レオはカーッと赤くなって、バッと飛び上がった。


「えへへ、レオ様やわらかくて気持ちよかったですよ」


「ば、バカ!」


 とレオは言ったが、化かされた側が言っても負け犬の遠吠えだった。


 それにしてもすごいひとだ。

 なにせレオを(あざむ)くなんて悪魔でもなきゃできやしない。

 さすがは師匠といったところか。


 実力だけでなく、性格もどこか近しいようで、どう見ても聖人でありながら、二年ぶりの再開にこんないたずらをするような子供っぽさを持っている。


「さあ、こんどは本物よ。わたしの胸にいらっしゃい」


 とアクアリウスが手を広げると、


「い、行きません!」


 レオはぷいとそっぽを向いた。

 ああ、なんだか既視感があるなぁ。

 余裕のある方が(あせ)る方をからかって、まるでふだんのぼくとレオだ。

 とすると、このあとは……


「もう、すねちゃったの? いいからいらっしゃい。久しぶりに会えてうれしいでしょ?」


「それはそうですが……」


「わたしはレオに会えてうれしいわ。抱かせてちょうだい。わたしが抱きたいの。ほら」


「……」


「もう、意地張っちゃって。いいわ、わたしがお迎えしてあげる。えい!」


 アクアリウスはレオに歩み寄り、後ろから抱きしめた。

 するとレオも強がっていた眉毛をしんなりさせて、クルリと回って抱き返した。


「……再会がだいなしです。それに、言ってくだされば準備したのに……」


「でもこうして抱き合えたでしょう?」


 レオは黙ってコクンとうなずいた。

 完全に手玉に取っている。

 ぼくもはたから見たら、あんなふうにされてるんだろうなぁ。


 アクアリウスはレオの頭を撫でながら言った。


「さあ、お茶の準備をしてちょうだい。たくさん話がしたいわ。この二年のあいだ、あなたがどうしていたか、どんなことがあったか、それからそこのかわいい男の子のことも聞きたいしね。時間はたっぷりある。そうでしょう?」


「はい、いくらでも」


 レオはアクアリウスの胸を離れると、


「アルテルフ、いるか?」


 と天に向かって言った。すると、


「ぴょおー」


 という間の抜けた少女の声とともに館の扉が開き、玄関からアルテルフが現れた。


「はーい、あたしはここでーす!」


「お、おまえ、恥ずかしい登場を……アクア様の前だぞ」


「知ってまーす! メリクちゃんとスードちゃんもいっしょ!」


 アルテルフはやけに上機嫌だった。

 というのも二匹の使い魔と仲がいいようで、再会をよろこんでいるらしい。

 彼女はニコニコ笑顔で、


「やほー」


 と二匹に手を振った。すると二匹もおなじように返した。


 レオは「ああもう」とでも言いたげに頭を押さえて首を振り、


「アルテルフ、茶だ! 茶の用意をしろ! レグルスは椅子とテーブルを持って来い!」


 と顔を赤くして言った。


「はーい!」


 アルテルフは返事とともにピューッと動き、テキパキとお茶を用意した。レグルスが庭に運んだテーブルに、ほどよく熱い紅茶のティーセットを手早く並べていく。そして準備が完了すると、


「じゃあレオ様、遊んできていい?」


 と言ってメリクとスードの手を握った。

 二匹もアルテルフ同様うずうずしている。


「アクア様、二匹は……」


 レオがバツが悪そうに言うと、


「ええ、好きになさい」


 とアクアリウスが言った。

 途端、


「わーい! メリクちゃん、スードちゃん、あーそぼー!」


 と三匹は飛び出し、池の周りを回ったり跳ねたりした。

 あの子、もう成鳥のはずなんだけどなぁ……


 ともあれ、ぼくらは話をした。

 レグルスが給仕を務め、このときばかりはレオもお酒を控えた。

 さすがに師匠の前ではかしこまるらしい。

 座り方も礼儀正しく、なんだかレオじゃないみたいだ。


「それで、あれからどうしてたの?」


 アクアリウスにそう訊かれ、レオは一年ほどひとりで修行していたと話した。そして、


「二年目にアーサーが来ました」


 と言った。


「彼とは幼いころ、ほんの一時期遊んでいただけの仲でした。しかし、わたしはどうやら彼を愛していました。それで、わたしは愛を求め、彼は応えてくれました。それからずっと、ともに暮らしています」


「ふうん、じゃあふたりは夫婦なのね」


「いえ、それは……」


 レオは口を濁した。


 ぼくらは夫婦ではない。あくまで恋人だ。

 それはレオの希望でそうなっている。


 というのもレオは子供ができない。

 いつかぼくがどこかで子を成そうというときに妻がいては困るからという理由で、かたくなに恋人で留まろうとする。

 ぼくがいくら言っても譲らない。


 だけどぼくは咄嗟(とっさ)に、


「はい、夫婦です」


 と言った。

 どうしてそう言ったかわからない。ただなぜか夫婦と言いたかった。

 それを聞いたレオは一瞬目を見開いて固まったが、そのあとすぐ、


「バカ……」


 と、つぶやき目を伏せた。

 しかし怒っている様子はなく、ほほを赤く染め、なにか言いたげに口をもごもごさせていた。


「そう、しあわせね」


 アクアリウスは芯からうれしそうな笑みを浮かべ、悩ましげに言った。


「うらやましいわ。わたしには相手がいないもの」


「そんな、アクア様ならどんな男でもとりこになるでしょうに」


「いいえ、運命のひとがいないの。高望みが過ぎるのよね。それに旅ばかりしているうちに三十を過ぎてしまったわ。もうすっかりおばさんよ」


 おばさんだって? ぼくらと同い年にしか見えないじゃないか。

 これで貰い手がいないはずがない。

 それを言うと、


「ありがと。でもね、恋ってそう簡単じゃないのよ。だれでもいいならとっくに相手がいるわ。目と目が合っただけでこころが求め合う相手、それがほしいのよ。あなたたちはそうなんでしょ?」


 ……そうだと思う。

 ぼくは十年ぶりに再開したレオを、ひと目見ただけでお互いのこころが通じ合うとわかった。

 きっと思い込みではなく、レオもおなじ気持ちでいると思う。

 アクアリウスいわく、それが運命の相手だそうだ。


「まあ、しょうがないわ。美人に生まれただけよしとしないとね。遊ぶだけの相手なら欠かさないし、それにいろんな男を味わえるのは得だもの」


 う……貞操観念がイカれてる。

 さすがはレオの師匠だ。


 ……しかしこんな清らかなひとも、そういうことをするのか。

 考えてみれば人間なんだから当然だろうけど……おっといけない、変なこと考えちゃった。


「おい、アーサー……」


 えっ?


「おまえいま、よからぬことを考えたな?」


 レオがあご肘を付き、こわい目でぼくを睨んだ。

 ど、どうしてわかるんだ!?


「女の勘だ」


 ひ、ひええ……


「ウフフフ、本当に仲がいいのね」


 アクアリウスは笑った。

 そして、悲しそうに眉をひそめ、言った。


「本当、薬が作れなくて残念。ふたりの子供が見たかったわ」


「えっ……」


 レオが不意に表情を崩した。


「薬とはつまり……」


 コクンとアクアリウスがうなずいた。


「いろんな伝説を追ってみたけど、やっぱり肉体を復元するような薬は作れそうにないわ」


「そう……ですか……」


 レオの肩がガクンと落ちた。

 それはレオがなによりも切望するものだった。

 きっとアクアリウスが戻ってくると知って、口には出さずとも期待していたに違いない。


「ごめんなさいね。期待させておいて……」


「いえ、いいのです。そんなもの、できなくて当然ですから。それに、わたしのために二年も探してくださっただけで……とてもうれしい」


 そう言ってレオは微笑んだ。

 しかし笑っているのは口だけだった。

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