その自殺、止めるべからず 一
好きこそもののあわれなりと言いますが、性欲が絡むと男はなんでも夢中になるもので、案外ひとは下心に振り回されているうちに名人になるのかもしれません。絵のうまいひとはえっちな絵を描いて上達するひとが多いとか。
しかし好きだからといってなんでも上達するわけではありません。とくにばくちなんかはいくら打ってもうまくならないものです。わたしもえっちな映像の流れるパチンコマシンにのめり込んでいるのですが、なかなかどうして勝ちに至りません。毎月給料日前になると、薄くなった財布の中に間違って札が多く入ってないかと覗き込んだりします。
ばくちなんてさっさとやめた方がいいんでしょうけどね。なかなかどうしてやめられません。金が尽きて、今日いっときの飯も食えなくなって、のたれ死んだあとできっと後悔することでしょう。
我々の世界も、小説の世界も、ばくちにのめり込んだ人間はたいがい身を滅ぼしてしまいます。楽して儲かる方法なんてありゃしないんです。そんなことわかっているのに、どうしても打ってしまうのです。
でもごくまれに、それでうまくいってしまうひとがいるんですよね。
第三話 その自殺、止めるべからず
街は活気にあふれていた。
やっと訪れたあたたかい季節だ。
少し前まで寒い日が続き、空が曇るだけでみんな肩を落として縮こまっていたけど、いまは違う。
晴れていようが、曇っていようが、あたたかい。だれもが体ぜんぶで呼吸するように春の空気を浴びている。
小さく震えていた商人の声が、いまは楽器のように高らかに鳴り響いている。
すると往来を行き交うひとびとも財布の紐をゆるめて、あっちへ行ったりこっちへ行ったり活発で、子供たちは意味もなく表を走り回ったりしている。
こころなしかだれもが笑顔で、気持ちが前へ前へと向かっているように見える。
それはぼくもおなじで、いつもなら興味のない屋台で足を止めたり、なんとなくスキップしたりしている。
久々の旅行というのもあるかもしれない。
ぼくとレオはいま、仕事は一切なしに数日遊び歩くと決めて街に来ていた。
主たる目的はカジノだ。
ぼくはギャンブルをやったことがない。それをレオに話したら、
「じゃあやってみるか」
という話になり、カジノで有名なこの街で遊ぼうという話になった。
「なに、金なら腐るほどある。少しくらい散財してもいいだろう」
と、食と衣服のほかはお金をかけないレオがめずらしく大金を財布に入れて持ち歩いている。
「でもギャンブルって負けるようにできてるんでしょ? それ、ぜんぶなくなっちゃったらどうする?」
ふたり並んで歩きながら、ぼくはレオの腰に吊るされた財布に目をやった。
”顔を覚えられない魔法”をかけてあるから目立たないけど、ふつうならいつ襲われてもおかしくない大金だ。
それが皮袋一枚に詰め込まれ、パンパンにふくらんでいる。
もしこれを持ってひとりで街を歩けと言われたら、ぼくはきっと足がすくんでしまうだろう。
そんな大金なのに、
「かまわん」
レオはなんでもないことのように言った。
「おまえがたのしんでくれるならこんな金いらん」
「レオ……」
「もっとも、負けると決まっているわけじゃない。それにビギナーズラックというものがあるらしいから、案外大勝ちしてしまうかもしれないぞ」
「まさか、そんなことあるかな」
「さあな。だが、もしかしたら、と思うくらいたのしむ気概がなくてはおもしろくないだろう」
「まあね。でも大金を賭けるのは怖いよ」
「ならレートの低いところで遊べばいい。店にもよるが、賭け金の高低があるらしい。とくに夜はレートが上がると聞く。心配なら昼間遊べばいいだろう」
「そうだね。ぼくはお金がほしいわけじゃないし、どんなものか体験できればいいからね。昼だけにしておくよ」
「そうだ、そうするがいい。昼間はおもいきり遊んで、うまいもの食って、観光をたのしんで、そして……」
言いながらレオはぼくの手をぎゅっと握り、
「夜は……な」
ドキッとするような上目遣いをしてみせた。
ぼくは心臓をドクドク言わせながら、
「う、うん……」
とレオの手を握り返した。
そうだね、ひさびさにふたりっきりの旅行だもんね。
今日は使い魔もいないし、仕事もないし、だからたっぷり遊んで、たのしんで、そして夜は……ね。
ぼくらは春よりもあたたかい気持ちを胸に、カジノに向かってゆっくりと歩いた。
この街はいくつもの区に別れていて、その大部分が商店街、工業地帯、歓楽街だ。
とくに歓楽街は八つもあり、街の面積の半分を占めている。
街というよりちょっとした小国のレベルで、その収入の大半を歓楽街が受かっている。
工業はほとんど街の運営のための裏方で、すべての業者が公僕というから驚きだ。
それもこれもカジノから得られる莫大な税金のおかげだろう。
街はカジノさえあれば潤い、商店も実質そのための施設に過ぎない。
ぼくらがいま歩いているのは南の商店街だ。
いくつかある商店街の中で最も住宅が多く、歓楽街まで一番遠い。
観光客向けというより地元民向けの区域で、豪勢な街にしてはおとなしく、むしろ質素にさえ思える。
なぜもっと栄えた方から街に入らなかったかと言うと、レオが、
「せっかくだから順々に豪華にしていこう。まず初日は一番グレードの低いところからだ」
と言ったからだ。
ぼくはなかなかおもしろい試みだと思ったけど、実はレオの真意は別にあり、ボロくて壁の薄い宿に泊まることで夜の声を隣室に聞かせてやろうという目論見だった。
あとで知って呆れたよ。どうりでずいぶん大きな声を出すと思った。
とにかくぼくらは庶民的な街並みを眺めながら、ときおり屋台や商店で買い食いなんかして、最も近い歓楽街を目指していた。
すると、
「あれ、なんだろう」
遠くに騒がしいひとだかりがあった。
なにやら高い建物の上を見上げ、わあわあ騒いでいる。
「この辺りはとくにおもしろい施設はないはずだが……」
レオもわからないらしい。
建物を見上げても、ここからじゃ遠くてよく見えない。
「見に行こう。もしかしたらまだ地図にも載っていない最新のなにかかもしれんぞ。ふふっ!」
レオは好奇心で笑顔になり、ぼくの手を引っ張った。
こんなときレオは子供みたいにはしゃぎ回る。
ふだんは冷酷で、ひとを見下し、なにに対してもだるそうにしているレオも、ぼくと旅をするときだけは無邪気になる。
そんなレオを見ると、ぼくまでなんだかうきうきして、まだ騎士道なんて意識しなかった幼いころに戻ってしまう。
「ほら、早く早く!」
「ちょっと待ってよ、もう」
「ははは、急げ急げ。もしかしたらアクロバット芸でもやっているのかもしれんぞ」
「ええ? こんな商店街で?」
「なにせこの街は歓楽がメインだからな。まれに路上パフォーマンスもあるようだし、遅れるといいところを見逃すぞ」
「そんな!」
ぼくは急かされ駆け足になった。
本来芸は見せ物小屋に入って金を払わなければ見れないが、客寄せのために路上で公演の一部を披露したり、芸人を目指す素人が修行目的でお披露目をすることがある。
たとえ素人芸でもひと前で見せるだけあってレベルが高く、またそんなときはオリジナルの個性的なわざが光り、さもすればプロよりおもしろいこともある。
ぼくらは走った。
近づくにつれて、群衆の声がはっきりわかるようになった。
「やめろー!」
「飛んじゃダメだー!」
大きな声で叫んでいる。
「なんだろう、やっぱりアクロバットかな?」
「よほど危なっかしい芸と見た。急げ」
ぼくらはさらに走った。
すると、だんだんひとびとの表情が読み取れるようになった。
しかし、
「おや?」
その不穏な空気に気づき、足を止めた。
どうもおかしい。
だれひとりたのしそうな顔をしていない。
みんな必死の形相で上を見上げている。
「ふうむ、どうやら芸ではないようだな」
「いったいなにを見上げているんだろうね」
ぼくがそう言うと、ふと群衆の中からひとつの叫びを聞いた。
「死ぬなー! 死んだら終わりだぞー!」
え? 死ぬ?
ぼくは思わずレオの顔を見た。
するとレオもぼくの顔を見て、
「いま、死ぬな、と言ったか?」
「うん、言ったね」
「ほう……」
レオはニヤリと微笑み、
「飛び降り自殺か」
そう言ってポケットからウィスキーの小ビンを取り出し、くいっとやった。
その顔は無邪気な少女ではなかった。
いつもの性格の悪い、美しくも邪悪なレオだった。




