指のない人形使い 三
ひと月ほど前のことだった。
そのころはまだ寒い日が多く、しかしあたたかい日が数日続いたりと、寒暖の差が激しかった。
そのため体調を崩す者が多く、メンキブもそのひとりだった。
そんなある日、彼はとある街の大通りを歩いていた。
その日はいつにも増して風が冷たく、乾燥した空気が年寄りの身に堪えた。
「ごほ、ごほ」
乾いているからか、それとも土ぼこりが飛んだか、メンキブは咳き込んだ。
するとその拍子に杖を取り落としてしまった。
彼は風邪でぼやけた頭でそれを眺め、ああ、しまったな、と思い手を伸ばした。
この道は馬車が通る。
それなりにひと通りもあるし、商人の荷車なんかも駆け足で行き交う。
本来なら辺りを見回し、それから拾うのが常だ。
しかし彼はなにげなく手を伸ばし、ふらついて前のめりに倒れ込んでしまった。
咄嗟のことで受け身も取れず、両手を伸ばした状態で顔から地面にぶつかり、鼻に痛みと土のにおいが染みた。
直後、
「ぎゃっ!」
両手にすさまじい激痛が走った。
いままで味わったことのない苦痛が右手の指をなぞり、左手の中ほどを抜けて行く。
それが一秒に満たない短い時間で二度続いた。
どうやら馬車に轢かれたらしかった。
御者がすぐに降りて来て、彼を病院に運んだ。
そのさなか手を見ると、ずたずたの指から骨が剥き出しになっていた。
使えない部分は切るしかなかった。
そうしなければ治療どころか包帯も巻けなかった。
まだ生きた肉を切断される痛みは言語を絶した。
しかし彼が本当に痛かったのは指を失うことだった。
さいわい御者が貴族の使用人で、治療費や入院費はすべて負担してもらったうえ、けっこうな慰謝料も出た。
貴族というのはメンツを大事にする。
こんなとき、金を惜しまない。
一生暮らせるほどではないが、老い先短い人生だと思えば十分すぎるほどの大金だった。
しかしいくら金をもらったところで指が戻るわけではない。
彼の人生は人形繰り一色だった。
二十歳のころに人形繰りをはじめ、それからの四十年間、いかに人形を本物のように操るか、いかに人形を本物より美しく踊らせるか、それがすべてだった。
それがばっさりと断ち切られてしまった。
最近になってやっと包帯が取れ、不自由ながらも生活できるようになった。
しかし人形の糸が操れない。
生涯をかけて修練したわざが使えない。
人生が——生きる意味が指の先からすっぽり抜けてなくなってしまった。
彼は都に向かった。
都会には腕のいい魔術師がいる。
魔術師を雇うには大金が必要だが、指が治れば全財産をはたいても惜しくなかった。
しかしどの魔術師団を尋ねても指を治せるという者はおらず、相談料や魔法試しだけで貴族からもらった慰謝料が消えてしまった。
彼は絶望に暮れた。
もう生きているのがいやになった。
あのとき馬車に手ではなく頭を踏まれて死ねばよかったと思った。
そんなある晩、彼は夢を見た。
夢の中の彼は魔物が出ると噂の森を眺めており、その入り口に一匹の黒猫が佇んでいた。
「レオ様はこちらです」
驚くことに猫がしゃべった。
「魂売りのレオ様はこちらにいます」
「魂売りのレオ……?」
「レオ様はあらゆる魔法を使いこなします。また人形を踊らせたいのでしょう? それならレオ様に頼むのが一番です。魂売りのレオ様はこちらです」
そう言って黒猫は森の奥へと歩いて行った。
気がつけば、朝、目が覚めていた。
彼はどうも夢の内容が気になった。
魂売り、
レオ、
いままで聞いたことのない言葉が夢に出るのが妙に不思議で、頭に残った。
どうせ仕事はできない。
ならば入口を見るくらい、と思い森に向かった。
すると夢で見た黒猫が入口で待っていた。
「それでわしはここへ来たというわけじゃ」
「大変だったんだね……」
ぼくはメンキブさんの話を聞いて少し泣きそうになっていた。
それほどの情熱がそんなささいなことで終わってしまったら、だれだって死にたくなるだろう。
夢に出たシェルタンを見たときは、いったいどれだけの希望を抱いただろうか。
きっと助けてあげたい。このひとは助けなくちゃいけない。
ぼくはそう強く思った。
それなのに、
「あのバカ猫め……」
レオは相変わらずの悪態だった。
いまの話を聞いて不憫だと思わないのかな。
というかシェルタンをバカ猫呼ばわりするのはお門違いだよ。
だって以前言ってたじゃないか。
シェルタンは特定のだれかを狙って夢を見させるんじゃなくて、金になりそうなひとに自動的に夢を見せる。
おかげで営業かけなくても勝手に金づるを連れてきてくれるから助かるって。
しかしこれだけいやな態度を見せられてメンキブさんもよくめげないなぁ。
けっこう図太いのかな?
とくに口の悪さなんか気にしない感じで、彼は言った。
「レオさんや、あらゆる魔法が使えるというのは本当かい?」
「あたりまえだ。わたしにできないことはない」
「ということは、レオさんならこの手も治せるんかのお」
「なに?」
そう訊かれた途端、レオは眉を吊り上げ、あからさまに声を荒げた。
「バカかきさまは! このド素人が。指を治せるかだと? そんな魔法があってたまるか! あるならわたしが教えてほしいくらいだ!」
——怪我を治す魔法はあるか。
レオにとってこの質問はタブーだ。
だって、その魔法をだれよりも求めているのはほかでもないレオだ。
レオには子袋がない。
子供が産めない体に悩み続けるレオはいつだってその魔法を探している。
日々本を読み漁り、実験を繰り返し、いつかぼくの子供を産みたいと努力している。
それを、なにも知らない素人に簡単に言われると、虫唾が走って暴言を吐かずにいられないという。
だからってそんなふうに当たり散らさなくてもいいと思うけどさ。
レオはちょっと短気が過ぎるよ。
「しかし夢では人形を踊らせてくれると言っておった。指を治さずにどうやってわしは人形を踊らせるのじゃろう」
とメンキブさんが困り顔で言った。
すると、
「知るか。クソでも食って死ね」
ひ、ひどい! いくらなんでもひどすぎる!
こんな両手をぼろぼろにされて、生きがいを失って、どうしようもない中やっと希望を持って訪ねて来たおじいさんに死ねだって!?
「レオ、なんでそんなひどいこと言うのさ!」
「クソ食って死ねばいいと思ってるからだ」
「なんだよそれ! 失礼にもほどがあるよ!」
「失礼なもんか。こんな気持ち悪い変態じじい、さっさと死ねばいいんだ」
「レオ!」
いくらなんでも頭に来たぞ。気持ち悪い変態じじいだって?
いったいメンキブさんのどこが気持ち悪いって言うんだ。どこが変態だって言うんだ。
やさしそうなおじいさんじゃないか。
さっきから相手が怒って帰りそうなことばっかり言って……
もしかして——
「わかったぞ。レオは無理だからそう言ってるんだ」
「なに?」
「レオはプライドが高いからね。できないところを見せたくないんだ。メンキブさんは人形を踊らせたくて来てるけど、それが解決できないから悪口言って追い返そうとしてるんだ。そうすれば完璧なレオのままでいられるからね。そうだろう?」
「ほう、わたしに解決できないことがある……と、おまえはそう言うのか」
「そうなんだろう?」
レオはため息をぶちまけるようにどっかりチェアの背もたれに寄りかかり、見下すように言った。
「おい、じじい。金はいくらまで払える?」
「金……金か。そうじゃな……」
メンキブさんは目をつぶり、ううんと唸った。
あれ? もしかしてこのひとタダだと思ってたのかな?
だとしたらちょっと不安だ。
レオの仕事は安くない。
魂を買わなければそこまで高額にはならないけど、それでもぼくの兵士時代の給料数ヶ月分は取る。
それは仕事内容で変化し、それ以上にレオの気分次第でいくらでも増減する。
このあいだのヴルペクラなんか金持ちってだけでふだんの十倍近くぼったくられた。
理由はもちろん「金持ちだからぼったくったまで」だ。
なんでか知らないけどここまでメンキブさんをきらってるんじゃ、かなりふっかけてくるかもしれない。
そうなればせっかく抱いたメンキブさんの希望は粉々に砕けてしまう。
しかし、
「これくらいでどうじゃろう」
——えっ?
驚くことに、メンキブさんの提示した金額は兵士の年収二年分近い大金だった。
「ほう、くたびれたじじいのわりにずいぶん出すな」
「ほとんど全財産じゃ。じゃがまた人形繰りができるなら安いもんじゃ。それに芸ができればまた収入が得られるからのう」
「ふうむ……」
レオは腕を組み、
「いいだろう。本来ならきさまのような汚らしいじじいに手を貸すのは癪だが、アーサーのやさしさに免じて助けてやる」
と言いながら颯爽と立ち上がり、
「じじい、そこで待っていろ。そのおもちゃを踊らせてやる。アーサー、アルテルフ、ついて来い」
そう言って館の中に入って行った。
ぼくはレオがやる気になってくれたのがうれしくて、
「よかったね、メンキブさん。きっとレオが解決してくれるよ!」
と言った。
「ああ、ありがとうよ。わしゃあこの子が好きで好きでのう。この子とまた、たのしくやれると思うと、いまから胸が熱くなるわい」
メンキブさんはにんまりとほほを上げ、やや息を上気させた。
よっぽどうれしいんだな。
レオと少しケンカしちゃったけど、言うだけ言ってよかったよ。
「行こう、アルテルフ!」
ぼくはアルテルフの手を引き、レオを追った。
「はーい! 行こー、行こー!」
アルテルフもたのしそうにはしゃぎ、館に入った。
そして扉を閉めた。
するとアルテルフはピタリと足を止め、ぼくの手を離した。
なんだろう、と思って顔を見ると、
「げえー、気持ち悪かったー!」
とアルテルフは舌を出して嫌悪感丸出しに言った。
「え? 気持ち悪かったって?」
「最悪だったよー! あたしゲロ吐きそー!」
いったいメンキブさんのなにがそんなに気持ち悪かったんだろう。
レオも嫌悪してたみたいだし。
ぼくにはふつうのおじいさんにしか見えないけど……
「アーサー、おまえにはわからんだろう」
玄関の内側でぼくらを待っていたレオは、めずらしく葉巻をたしなんでいた。
それはレオがよっぽどいやな思いをしたときに吸うものだ。
「すまなかったなアルテルフ。おまえも吸うか?」
「いーたーだーきーまーすぅ〜〜」
アルテルフはレオから葉巻をもらい、すぱすぱ吸いはじめた。
「ねえ、ふたりともなにがそんなに気持ち悪かったの?」
ぼくがそう言うと、ふたりは顔を合わせ、苦笑いをした。
レオは言った。
「男のおまえにはわからんだろうなぁ。まあ、追い追い話してやる。とりあえずいまは仕事だ。商品倉庫に行くぞ」




