第5話
放課後、二人の男子高校生は高校の最寄りから二駅ほどの場所にいた。
そしてその駅から出て徒歩十五分。
決して近いとは言えない距離を歩くと、その店は姿を俺たちに現した。
店内から外まで流れてくる匂いが胃を刺激して、思わずヨダレが出そうになる。
隣の九郎の方を見ると、彼の方は慣れているせいもあってか、平然とした面構えで足を進める。
ふむ。これがプロってやつの風格なのかね。
俺はたまにこうやって九郎に連行される。その行き先とは――。
「……やっぱりラーメン?」
「ほう、オレの前でラーメンをバカにするかい?」
「いや、別にバカにはしてないけど、相変わらずだなぁって」
この男、無類のラーメン好きなのである。
暇さえあれば、しょっちゅういろんなラーメン屋を渡り歩いているらしい。
「そろそろお前の体の半分は、ラーメンで出来てんじゃないか?」
「血液は醤油ベースのスープだったりしたらいいなぁ」
そしたらいつでも飲めるのに、と続ける。
九郎が自分の血を美味しそうに吸うのを想像して、げんなりした。気持ち悪い。
「で、今回はどうして?」
「前々から気になってたんだよ。ここいらじゃ結構有名らしくて」
「でもどうしてそんなことを?」
「今の御時世、ちょっとネットで検索かければ、そういう情報は山のように出てくるさ」
「へぇ、すごいなネットって」
機械音痴である自分には、九郎のやっていることがいまいちよくわからない。
どうやって調べたらそんな情報出てくるんだろ……。
「さて、では入ろうではないか。マイディア」
「だから俺はお前の助手じゃないって」
――――
「いやー、美味かった!」
お腹をポンポンと撫でながら九郎が先に店を出た。それに続いて俺も出る。
「噂に違わぬ美味さだったな!」
「…………」
「孔人くん、どうかしたのかい?」
ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。
何かしら言い返してやりたかったが、声を出そうとすると一緒に別のものが出てきそうだった。
「おいおい、無視なんて酷いなぁ」
「よくもまぁ……、っ!」
やっべ……、戻りそう……!
「いやーでも、まさか初見でマシマシを選ぶとは、なかなかの勇者だよ」
「てめ……っ、俺がトイレ行ってる間に勝手に……、うっ!」
九郎が選んだ店は、所謂八郎系と呼ばれる、麺、野菜、肉、そのどれもが他の店の倍以上あるところだ。
こうやって誘われるのが久しぶりだったせいで忘れていた。九郎についていく場合、二回に一回はこういうゲテモノ系に連れて行かれることを。
死にそうになっている俺の一方で同じ量を軽々とたいらげた九郎は、ニコニコと満足そうに先導している。
よく考えたら今日、九郎が昼食を食べているのを見ていない。俺が屋上に行っている間に食べたと思っていたが、それは大きな思い違いだったようだ。
俺もどうにか完食はできたものの、胃の許容量を大幅に超えた分量と脂っこさで、尋常でないほどの吐き気を催す。
催すなんて可愛い範囲はとっくに飛び越えて、吐く寸前というところまで来ている。
もしもいま背中を叩かれたら、そのまま食べたものが出てきてしまうだろう。
「うぉえ……、やべぇ……」
目の前の風景が歪む。
全身が悲鳴を上げて、謎の汗が次々と湧いてくる。これはもう時間の問題かもしれない。
こういう系を食すのであれば、何も付けなくてもその前の一食を抜くのが基本だ。
そして、そこにさらに追加されたマシマシトッピング。
そもそもがデカい器に、さらにそれと同じだけの高さのもやしと白菜の山。最早麺部分は、スープの深海の、遥か奥底に沈んでいた。
それを掘り当てるまでにだいぶ腹が膨れていた時点で、この状況は予測できていたが、それにしたってキツい。
「てか本当に大丈夫か?」
首を横に振って否と伝える。
「まぁ、今回は悪かったよ。次はもう少し優しいところに行こう」
九郎が俺の背中をベシベシと叩く。口だけは優しさに満ち溢れているが、殺意しか湧かない。
「くろ……やめ……っ、うぉぉ……」
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいなんか来てる喉の奥の方まで来てるヤバいヤバいヤバい。
九郎の動きを制止しようにも、いろいろ限界が刻一刻と近づいてきているのがわかって、身体の自由がきかない。
便所へ駆け込む余裕なんて残っていない。せめて側溝でもなんでも……。
「孔人?」
流石に俺の異変に気づいたのか手を止める九郎。というか悪気なかったのか。
いや、そんなことよりヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!
「おぇっぷ……うぉ……」
しかし、時すでに遅し。
「おろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろ!!!」
「孔人ぉーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」
――――
「なぁー孔人ー」
「…………」
「悪かったって、まさかあんなことになるなんて」
「…………」
見事に公衆の面前で数分前に食べたものをリバースした俺なのであった。
寸前で側溝を見つけたおかげで、路上に蹴散らすのは避けられたものの、気分は最悪である。
「なぁこう――」
「ゼンブマシマシ」
「……は?」
「次、お前、それな」
「んな……っ!?」
九郎の顔色が真っ白になる。
当たり前だ。別名、死刑宣告。
八郎系は野菜や背脂の量を注文前に伝えることによって、増やすことや減らすことができる。
マシと言うと多め、マシマシだと通常の二倍になるのが一般的だ。
ちなみに俺が今日やられたのは、ヤサイマシマシ。つまりは野菜の量が二倍だったわけだ。
八郎系は通常形態でも他のラーメン屋の倍近くあるのがほとんどだから、マシマシなんて頼んだらそれはもう地獄絵図だ。
大ラーメンという指定をしなかった辺り、自分は優しいなと思う。
「いいな?」
「お前、オレを殺すつもりなのか……?」
「別に大じゃなくていいし、予告なしでやるよりもよっぽど良心的だろ」
遠い目をしている九郎。
その様子は、まるで死刑執行を待つ囚人のようである。
ざまぁみやがれ。
そう心の中で悪態をついてやる。
ようやくリバースした疲労が回復してきた。
が、ともに胃自体の体力も戻ってきたようだ。
完全に胃の中がすっからかんになってしまって、空腹になってしまった。
腹の辺りをさすっていると――、」
グーー……。
そんな間の抜けた音が鳴った。九郎にも聞こえてしまったらしく、またいやらしく口を歪ませた。
「あんだけ食べてまだ足りないのか」
「小じゃなくて大ラーメンにしてもいいぞ」
「ナンデモナイデス」