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第41話

 あれから何日経ったことだろう。

 私は一度も天笠くんに話しかけられずにいる。

 近づくなって言われたせいもある。でもそれ以上に、彼にかける言葉が見つからなかったのが最大の理由だった。


「遥ー?」

「…………」

「おーい、遥さーん?」

「……えっ? あっ!」


 ボーッとしていた意識が瞬間的に戻ってくる。

 それに呼応するように変な声が出てしまった。

 見ると机の上にフタの開いているお弁当が広がっていて、その傍らに私の箸が転がっている。そうだ、今お昼休みなんだっけ……。


「最近ずっと心ここにあらずって感じだね。また天笠のこと?」

「……うん」

「はぁ……」


 エリが大きくため息をつく。私が天笠くんのことばかり考えているのをよく思っていないことには気づいていたが、ここまで露骨に出してきたのは初めてだ。

 聞かれてはいないかと不安になって辺りを見渡すが、幸い天笠くんの姿は机にない。


「……ホント、わけわかんない」


 そんな私の行動を見て、またエリがしんどそうにため息を吐いた。


「遥さ、あんな根暗のどこがいいの?」

「……っ」


 言い返してしまいそうになるのをグッと堪えて唇を噛む。


「普段だって澄ましたような顔で他の奴とも話さないし、それでも最近はまぁマシかなって思ってたら、今度は女の腐ったやつみたいにふて腐れて。正直、男としてどうかと思うよ」


 しかしエリの罵倒は続く。


「遥もさ、さっさとあんなのと縁切ったほうがいいよ。一緒にいたってあれじゃ――」

「そこまで言わなくてもいいでしょ!!」


 しん、と教室の中が静まり返った。自分の想像以上に声が大きくなっていたようだった。

 それを認識していながらも、さらに私の口は叫ぶことをやめなかった。


「エリに天笠くんの何がわかるって言うの!? そもそもほとんどちゃんと話したこともないでしょ!」

「は、遥……」


 大きく目を見開いたエリの声が震えている。


「何も知らないくせに、好き勝手言わないでよ! エリはいつもそう! いつもそうやって悪いことばっかり見て、それで不満ばっかり言って!!」

「…………」

「エリのそういうところ、本当に大っ嫌い!」


 ひとしきり言い終わると、自分の息が切れていることに気づく。吐息が細かく震えていて、今にも涙がこぼれてきそうなくらいに、自分は昂ぶっていたのだ。

 エリの口元は大きく歪み、しかし一言の言葉すらも発しない。

 そんなエリの顔を見てハッと我に返った。自分の口にした言葉の重大さを今になって思い知る。


「エ……」


 そう名前を呼ぼうとした瞬間、エリの顔が大きく横に揺れた。

 次の瞬間には、長い髪が彼女が振り返る動きに合わせてなびいていた。


「あ……」


 私が何かを言おうとする間もなく、エリが遠ざかっていく。


「エリ!」


 名前を呼んだが、遠ざかっていく速度は変わらない。

 胸の中で焦燥感が湧き上がってくるも、それらは心の容量からあふれていってしまい、身体を動かすこともままならなくなってしまう。

 そして、エリは教室から姿を消した。

 ザワザワと誰かが声を潜めて話している声がする。


 エリ。

 私の唯一無二の親友。

 今まで一度もこんな風に言い争ったことなんてなかったのに。

 どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。


『エリのそういうところ、本当に大っ嫌い!』


 ついさっき自分の声帯が音にした言葉が、頭の中で何度も反芻する。

 その度に心臓を鷲掴みにされ、脳を直接ハンマーで殴られるような衝撃が私に襲いかかる。

 今すぐ追いかけなければいけないのに、いざ追いついた時にエリにかける言葉が見つからず、指先一つ動かすことができない。

 少しずつ戻ってくる教室の喧騒の中で、私はただそこに立ち尽くしていることしかできなかった。


――――


 朝の電車内はいつもこれから学校や仕事に行く人で息苦しい。

 幸い痴漢にはまだ遭遇したことはないが、周りの友達に聞くとそう珍しい話でもないらしい。できることなら一度もないままで高校を卒業したいものだけど……。


 エリとの仲違いからまた何日か過ぎた。あれから一言も会話を交わすことはなかった。

 教室では目すら合わされず、放課後になるといつも私のところに来ていたのに、まっすぐにカバンを持って帰ってしまう。

 そんな態度を目にしたせいもあって、自分から声もかけづらくなってしまい、時間が過ぎれば過ぎるほどにそれは悪化していった。

 このままもう二度と、エリと話すことはないかもしれない。

 嫌な予感が日に日に膨れ上がっていく。

 エリとは中学から一緒だけど、こんなことは初めてで、だからこういう時にどうすればいいのかわからなくなっていた。


「はぁ……」


 天笠くんとのことも僅かな進展すら見えないままで、ただ精神だけが疲弊していく毎日だ。


「……あ」


 よく見知った一人の人物が、ドアの近くの手すりに寄りかかっていた。

 両手をポケットに突っ込んで、両耳をイヤホンで塞いでいる姿は、いつもふざけている姿からは想像できないくらいに大人びているように見える。

 閉じていたまぶたを開くと、彼も私のことに気づき片手を小さく上げ、そのままイヤホンを外した。


「おはよ、神野さん」


 低いささやき声とともに小さく手を上げる。


「おはよう。朝会うなんて珍しいね」

「あー……、まぁ、寝坊って感じ」

「寝坊?」


 思わず聞き返してしまう。

 私の方は普段と同じ時間のはずだから、まだ遅刻するような時刻じゃないはず。

 ちょっとだけ不安になってスマホで時間を確認したが、やはり時刻はいつも通りだ。


「あ、いやいや、全然遅刻はしないけどな。普段はもう少し早いってだけだ」

「び、びっくりしたよー」

「すまんすまん」


 抑えめの声で笑う鷺坂くんに、中学の時の面影が重なる。

 そう言えば――。


「唐突だけど……」

「ん?」

「鷺坂くんって、変わったよね」

「変わったって?」

「なんかこう、中学の頃と違うって言うのかな……」


 少なくとも、人との関わり方は大きく変わったと思う。クラスの中心人物になるようなことはなくとも、常に周りに誰かしらいた気がする。

 今は大半は一人でいて、残る半分も天笠くんと一緒に何かやっている。

 天笠くんがああなってしまってからは、鷺坂くんは一日中一人で過ごすのが普通になっていた。


「ふーん……。まぁ、言いたいことは大体わかったけど、別にそんな変わったつもりもないんだよなぁ」


 変わってるのかなぁ、オレ。なんて独り言のように呟く。そこでふと、何かに行き当たったのか、ポンと手包みを打った。


「……友達の作り方が下手くそになったのかも」

「そ、そんなことないよっ。鷺坂くん、面白いし、それに……」

「く……くく……」


 すると突然何かがツボに入ったのか、鷺坂くんは笑いを堪えるように口元に手をやる。


「鷺坂くん?」

「ああ、ごめん。別に何も可笑しくなんてないよ。ただ――」


 と言ったところで、鷺坂くんの声が不自然に止まった。


「ただ?」

「いや、なんて言うか、そうだな……。たぶん、あいつにはその方がいいかもって思ったんだ」


 あいつ。

 鷺坂くんがそう呼ぶような相手は、自分の知る限りでは一人しかいない。


「あいつって、天笠くんのこと……?」


 ただ、鷺坂くんの言葉の意味がわからずにそう問いかけてしまう。

 自分ではダメなんだと思っていただけに、彼の言葉には懐疑的な態度を示してしまう。


「ああ。オレじゃダメかもしんねぇけど、神野さんなら……」


『えー次はー』


 鷺坂くんが何かを言いかけた瞬間、車内アナウンスが会話に割り込んでくる。もうそろそろ私たちの降りる駅に着くようだ。


「はは……」


 一瞬その声に気を取られて再び鷺坂くんに視線を戻しても、なんとも言えないかすれた笑い声しか返してこない。

 ブレーキがかかり、みな一斉に慣性に従って身体が前の方に傾く。

 不自然に途切れた会話は再開する兆しも見えず、ただ沈黙だけがある。


 ピンポーン。

 そんな間の抜けた合成音とともに、扉が開いた。大勢の群衆に流されるようにして電車を出る。私のすぐ隣にいた鷺坂くんも同様に流される。

 流されて駅のホームへと足をつくと、私たちを取り巻いていた人の群れは今度は立ち止まっている自分を避けて歩き始め、一回たりとも身体がぶつからない。

 鷺坂くんも止まっている私に合わせるように足を止めて、ただ人混みがホームから離れていくのを眺めている。

 そうしているうちに私たちの周りにあれだけいた人々は嘘のように消えていて、やけに静かなホームは一気にがらんとした印象を受けた。


「……でも、ダメだよ」

「えっ?」


 そんな声が飛び出していた。


「私じゃ……、天笠くんのことを理解してあげられないの……」


 さっきの言葉に対する反応としての言葉だったが、はたして伝わっているのだろうか。


「だって……、私には何もないから」


 あまりにも情けないセリフだと思ったが、でも、覆しようのない事実であることには変わりない。


「どうしてそんなことを?」

「鷺坂くんは、知っているの……? 天笠くんに、中学の時に何があったか……」

「いや、知らないが……けど、ある程度察することはできるよ」

「……私ね」


 それから、私は一週間前の出来事を鷺坂くんに話していた。

 放課後に無理やり一緒に帰ったこと。

 その時に天笠くんの中学の頃の話を聞いたこと。

 詳しい内容は言わなかったけど、その辺りは鷺坂くんもわかってくれてるようで、細かいところまでは言及してこなかった。

 そして、その後にはっきりと、私のことを拒絶したこと。

 思い出して口にしているだけで泣きそうになっていたけど、どうにかギリギリのところで耐えた。


 その間、鷺坂くんは何も言わずにただ聞いてくれていて、一通り話し終わると悲しそうな表情を隠すように頭を下げた。

 エリのことは話さなかった。天笠くんのことには関係なく、私個人の問題だったからだ。

 そう思ったところで、こういう時に自分が誰に縋っていたのか、そしてその人が今、自分のそばにいないことを痛いほどに痛感する。


「……なるほど。なんかすまねぇな」

「どうして、鷺坂くんが謝るの……?」

「だってさ、正直孔人のこと弁護しきれねぇもん。傍から見たら、すげぇひどいやつだとしか思えない。それに、焚き付けたの、一部オレってところもあるしさ。神野さんに申し訳ないって思う」

「そんなことないよ……!」


 私に謝る義理が見つからない。むしろ天笠くんに嫌なことを話させてしまった私の方が、よっぽどひどい人間だと思う。

 しかし鷺坂くんは私の言葉に困ったような笑みを返すだけで、それからふっと自分の思考の中に入ってしまう。

 そして頭の中の言葉を、そのままポツリと漏らす。


「そっか。あいつ、神野さんには話したのか……」

「でもそれは、私がちょっとしつこかったからで――」


 そう言いかけるとまた鷺坂くんは小さく笑った。


「しつこさにかけては、オレのほうが何倍も上だぜ? オレが何回孔人に愛想を尽かされかけたと思ってる」


 ――唖然とした。

 どうしてこの人はこんなことで胸を張っているのだろう?

 開いた口が塞がらないままでいると、今度はじわじわと唐突な彼の行動の可笑しさで笑いがこみ上げてくる。


「ふふっ。何言ってるの、鷺坂くんは」

「ただの事実だよ、事実。でも、それだけしつこいオレにもあいつは、孔人は何も教えてくれなかった。でも、神野さんは違う」


 ついさっきまでのおちゃらけたような雰囲気は、今の鷺坂くんの声には一切含まれていない。


「……だからさ、神野さんじゃダメなんてことはない。むしろ逆でさ」


 中学の頃から知っているのに、こんなに真剣なこの人の姿を初めて見たかもしれない。そんなことをふと思った。


「きっと、神野さんじゃなきゃ、ダメなんだ」

「私じゃなきゃ……」

「そう。孔人は自分から好き好んで自分の過去をベラベラ話すような奴じゃない。神野さんだってわかるだろ?」


 小さく頷くと、鷺坂くんはまた微かに口元を吊り上げた。


「孔人が神野さんに話したのは、遠ざける為じゃない。知って欲しかったからなんだと思う。神野さんに。その理由はオレにはわからないが」

「私に、知って欲しい……?」

「だってもしも、本当に神野さんのことを拒絶するためにそんなことをしたんなら、あまりにも無駄が多すぎる」

「そう、なのかな……」


 いまいち鷺坂くんの言っていることに、頷けずにいる。


「そうだよ。やるんだったら単純に無視するなり、神野さんに嫌がらせをするなり、距離を置くための方法なんていくらでもある。なのにわざわざそんな長い時間をかけて、そんな長い話をしたのには、他に理由があるって考えた方が自然だろ?」

「…………」


 未だに半信半疑ではあるが、確かに鷺坂くんの言葉は一理あるような気がする。


「今のあいつを助け出せるのは、孔人が心を開き、そして孔人の過去を唯一知る神野さんだけなんだ」


 だから、と鷺坂くんがもう一度深々と頭を下げた。


「頼む。孔人を助けてやってくれ」

「や、やめてよ。鷺坂くん! そんなの……」

「この通りだ。オレにできることなら何だって協力する」

「だから、そういうのは――」


 と、言いかけたところで、一つのことが頭に浮かぶ。


 ほんのつい最近の出来事。

 天笠くんの様子が変わり始めた時に見た、あの表情。


 ああ、そうだ、この場所だ。

 もしかしたら、あの人なら――。

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