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第38話

 焼けるような陽の光が、校門からを通り抜けた俺に射し込んでくる。

 もう、夏だ。

 そんな声をポツリとこぼしそうになる。

 夏服に移行した制服は直射日光を避けるには不十分で、腕のあたりが文字通り焼けるように痛い。

 彼女の声は今も、俺の耳の奥で鳴り響いている。

 町中を埋め尽くさんばかりに鳴くセミの声も、それだけはかき消すことができない。


『許さない』


 雫が死んだ。


『許さない』


 もうこの世にいない。

 もうどこにもいない。

 どれだけ謝りたくても、その言葉を伝えるべき相手は存在しない。


『許さない』


 雫が死んだ。

 俺のせいで死んだ。

 俺が殺したんだ。

 自分の手が赤い血にまみれているように見えた。

 いくら洗っても洗っても、拭うことのできない俺の穢れ。


「……っ」


 突然吐き気を催して足が止まった。

 そのまま自分の存在そのものごと、側溝に流し込んでしまいたい。そんな衝動が湧き上がってきて、涙がこぼれそうにもなる。

 ふいに顔を上げると、緑色の掲示板にいつか見たコート紙が貼られていた。

 そこに綴られているのは花火大会の文字と、来週の日時。

 雨風による劣化で色褪せていて遠い昔のもののように思えたが、ここで雫と言葉を交わしたのはたったの一ヶ月くらい前の話だ。


『私、孔人くんの彼女でいいのかなって』


「……っ!」


 違う。

 雫が俺の彼女なのがダメなんじゃない。

 俺が、雫の彼氏なのがダメだったんだ。

 俺があの時に告白なんてしなければよかったんだ。

 いや、それよりもずっと前に、好きにならなければよかった。

 俺が好きにならなければ、今だって雫は生きていた。

 きっと今も家で自分の好きな本を読んでいたんだ。

 もしかしたら、この花火大会のポスターを見て胸をときめかせていたかもしれない。


 その機会や楽しみを奪った俺が、どうしてのうのうと生きているんだ?

 そんな思考から逃げたくてポスターから目を離すと、その先には雫の姿があった。


『孔人くん』


 記憶の中の雫は笑っている。

 どこまでも続く青空のように爽やかで、見る人をみな自由にするような笑顔。


「やめろ……っ」


 そんな顔を俺に向けないでくれ――!

 俺は、そんな風に君に笑ってもらえるような人間じゃないんだ――!

 そう叫んでしまいたかった。

 誰かに許しを請うための言葉を吐き出したかった。


 しかしそれは許されない。

 俺を憎みながら死んでいった彼女は、永遠に俺を許さない。

 永遠に俺は苦しみ続けるべきなんだ。

 死にたくとも死ねない拷問に喘ぎ続けなければならない。

 それが唯一自分にできる贖罪だ。

 同じことを何度も頭の中で繰り返し、繰り返し、繰り返す。


 何度も。

 何度も、何度も。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 許さない。


――――


「ねぇ、孔人。本当に大丈夫なの?」


 味のしない朝食を口に入れて噛んでいると、母さんが唐突にそんなことを切り出した。

 その質問の意味がわからずに首を傾げていると、母さんの言葉はさらに続く。


「目の下も真っ黒だし、すごくやつれてて……。一度病院に行ったほうがいいでしょ?」

「大丈夫、元気だよ」

「ちゃんと寝てないでしょ?」

「十時には布団に入ってるよ」


 嘘はついていない。


「それで寝てなかったら同じよ」


 が、それもすぐにバレる。そもそも嘘にすらなっていない。まともな嘘をつく気力も湧いてこなかった。


「どんどん辛そうになっていくの、見ているこっちまで辛くなるのよ……」

「…………」

「四宮さんのことがあって、もう何年も経つのに」


 そうだったろうか。

 雫が死んでからもう時間がそんなに経っていたのか。

 実感がなかった。


「孔人――」


 母さんからの言及から逃げるように、視線を前から手元の新聞に移した。

 世界で起きている出来事がモノクロの紙面に羅列している。

 まるで世界そのものを閉じ込めているように思えた。

 ああ、何だか頭が回らないや。

 母さんが何かをずっと俺に言い続けている。


 耳には入っている。

 耳を塞いでいるわけでもない。

 しかし、声は脳へ伝達されても言葉にならず、有象無象の音として認識する。そもそも認識すらできておらず、感覚しかできていないのかもしれない。

 その中でふいに、特異的な形状をした二つの記号が神経に強い電流を走らせた。


『自殺』


「じ……さ……つ……」


 無意識のうちに声に出して読んでいる自分がいた。

 妙に落ち着かないと思い自分の右手を見ると、小刻みに震えていた。


『◯◯市の女子中学生が自殺した問題で――』


 無表情なフォントの文字が事実だけを簡潔に述べていく。

 麻痺していた感覚が途端に急作動を開始し、機械でないはずの脳や身体が金属的で無機質な音を鳴らせる。

 ガチャン、ガチャン、ガチャン。

 壊れたおもちゃのような音。

 もしかしたら本当に壊れているのかもしれないと思った。

 呼吸ができなくて息苦しくなっているのもそのせいか。


『いじめが原因と考えられると――』


 そしてまばたきを一つすると、巨大なダムが決壊したように膨大なドロドロとした流体の形をしたイメージが、轟音をたてて押し寄せてきた。


 いじめ。もの隠し。陰湿。見て見ぬふり。無罪。心肺停止。責任。

 死。

 両親。カウンセリング。葬儀。謝罪。鬱。同調圧力。屋上から飛び降り。

 死。

 ホットライン。遺書。同級生。精神科医。不幸。心的外傷。自殺未遂。

 死。

 死。

 し。

 シ。

 SHI。

 ZU。

 KU。

 SHI。

 ZU。

 KU。

 SH。

 Z。

 K。

 S。

 。

 。

 。

 


――――


 真っ白に明転した世界に、少しずつ彩りが帰ってくる。

 身体は自分のものとは思えないほどにひどく重く、そしてダルかった。

 痛烈な吐き気がずっと前から自分の身を蝕んでいたからだと気づく。

 正直、学校に行くような体調じゃない。


「母さん」


 喉を震わせて出た声に違和感を抱く。

 本当に自分の声とは思えないくらいに、低く枯れ切っていたからだ。


「ちょ、ちょっとどうしたのよ。突然」


 泣きそうなくらいに心配そうな母さんの声がした。

 一体どうしたのだろうか? もしかして何かあったのだろうか?


「母さんこそ。顔色悪いよ」

「孔人がそんな風だからでしょ」


 若干困惑の色が見える母さん。

 もしかしたら二人とも風邪をひいているのかもしれない。


「あんまり具合良くないし、今日は休んでもいいかな?」

「えっ? な、ならいいけど。病院は行かなくて大丈夫なの?」

「ただの風邪だろうし、寝てれば治るよ」


 途中まで手をつけていた朝食はこれ以上口に入りそうになかったので、母さんには申し訳ないが残して自分の部屋に向かう。


「残してごめん。ちょっと休むね」

「孔人」

「ん?」

「その……、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないから学校休むんでしょ?」

「そういうことじゃ――」


 母さんが何かを言いかけていたが無視して、リビングのドアを閉めた。


「ちょっとマジでダルいな……」


 これで学校に行こうとしてたのか。さっきまでの自分はどうかしていた。

 そうして自分の部屋のベッドに潜り込むと、一瞬で意識が薄れて消えて、俺は眠りについた。


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