表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/45

第31話

 それから、部活が終わった後に教室に向かうのが日課になっていた。

 誰もいない廊下を抜けて教室の扉を開くと、そこにはいつも四宮がいて、軽く話してから一緒に帰る。

 それは最初は一週間に一度くらいで、次第に三日おきになって、二日おきになって、いつの間にか毎日になっていた。


「よ」

「部活、お疲れ様」

「ありがと」


 四宮の前の机にカバンを置いて、椅子に座る。女の子の甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「今日は何読んでたんだ?」

「これ」


 四宮が表紙を俺に見せてくれる。


「あ、これは知ってる」

「ほんと?」

「うん。読んだことはないけど、タイトルだけは」


 確か前にベストセラーとかになった恋愛小説だったはずだ。普段ミステリーや歴史小説を読んでいる四宮にしては、珍しいチョイスだと思った。


「貸してあげようか?」

「いいのか?」

「うん。もう読み終わっちゃったし」

「それ、今日読み始めてなかった?」

「うん? そうだけど……」

「もう読み終わったって?」

「読み終わったけど……?」


 キョトンとした顔で首を傾げる。

 本当に四宮は本を読むのが早い。少なくとも俺の数倍は。


「早いよな……四宮って」

「そうかな?」

「そうだろ。俺なんか下手したら一冊に一ヶ月くらいかかるぞ」

「それって読んでない間が長いだけなんじゃないかな」

「……なるほど、確かに」


 言われてみれば途中で飽きて読むのが面倒になって、読まずに放置している時間というのは多い。実際に読んでいる時間だけを合計したら、四宮ほどではなくとも短い時間で読んでいるのかもしれない。


「天笠くんって本はあまり好きじゃないの?」

「嫌いってほどでもないけど、進んで読むのは少ないな。たぶんマンガ読んでる方が多い」


 たぶん、というより確実に多い。小さな頃からお気に入りのワンパルトボールなんかは、一ヶ月に一回くらいで読み返しているくらいだ。


「どういうの読むの?」

「ワンパルトボール」

「すごく男の子っぽいね」


 そういう系統に縁のなさそうな四宮も知っているようだ。さすがワンパルトボール。


「興味あるなら貸すよ。超少年マンガだけど」

「そういうの読んだことないからわからないけど、読んでみようかな」


 はたしてあの熱いストーリーが四宮に受け入れられるのか全く予想できないが、もしもハマったりしたら面白そうだ。


「……あ」


 そんな会話をしているとあっという間に時間は過ぎる。また最終下校の直前だ。


「そろそろ帰ろっか」


 俺が時計を見たのに気づいた四宮が今日の終わりを告げる。


 幸せだと、すごく思う。

 ただこうやって同じ時間を過ごす、それだけのことで心が満たされていく。

 だから、こうやってそれが終わることがひどく名残惜しく感じる。明日になれば、また会える。

 そうわかっていながらなお、もっとが欲しい。

 そんな自分は傲慢なのだろうか。現状の自分のしていることは『女子A』と同じなのではないだろうか。


「天笠くん、ほら行こ?」


 扉に手をかけて俺を待つ四宮。優しさに満ちた声が俺の心をかき乱す。

 俺は今まで誰かにこんな感情を抱いたことはないし、そもそも恋というもの自体、未経験だ。

 だからこの分類不能な感情を、恋愛感情と呼んで良いのかもわからない。


 それでも、心がそうだと言っていた。

 なんの確信もそこにはないのに、はっきりとそう告げている。

 高ぶる心臓の鼓動が、そう言っていた。熱くなる頬が、そう言っていた。

 俺自身もそう信じている。


「……なぁ、四宮」

「なに? 天笠くん」


 息が苦しい。

 全身から汗が止まらない。

 頭の中いっぱいに埋め尽くしている言葉を、口にする最後の勇気が振り絞れない。


「……っ」


 でも、伝えたい。

 その思いが強く俺を動かす。


「俺、四宮のことが好きだ」


 自分でもなんて芸のない告白だと思う。

 でもそれ以外に自分の中に言葉はなかった。これだけが全てだと、これ以外は偽物だとすら思った。


 愛してるだとか、君は太陽のようだとか、そんな歯の浮くようなセリフは、自分の中では結び付かない。

 でもそれをちゃんと口に出来たかどうか、言ったそばから自信がなくなってくる。

 喉の奥が酷く乾いて痛い。なのに背中は汗でびっしょりになっていて寒い。


 だが、それから先は無音だった。

 四宮は何も言葉にせず、ただ呆然とそこに立っているだけだ。

 彼女はいつもそうだ。自分にとって予想外のことが起きると、完全に思考が停止してしまうのだろう。

 だからこうなってしまうことに対して、驚きはなかった。


 しかしそれとは別の話で、俺の告白に対して四宮がどう感じているのかはわからない。

 彼女の心が気になってしょうがなくて、でも自分が何を言えばいいかもわからなくて、四宮の目を見つめることしかできない。

 遠くから騒いでいるような声がうっすらと聞こえてくる。きっと下校中のうちの生徒のものだろう。

 それもまた徐々に遠く薄れていって、やがては消えた。


 それでもまだ、四宮は何も言わなかった。

 反応を待つことしかできない俺は、まるで死刑宣告をされる前の犯罪者みたいだと思った。


「ご、ごめんなさい」


 絶望。


 恋愛というものに疎い俺でも、こういう時に出てくる謝罪の言葉の意味くらいは知っている。

 思わず、目の前が真っ暗になって、そのままぶっ倒れそうになる。


「……あっ!! ち、違う! そういうことじゃなくて!!」


 滅多に聞かない四宮の大声が、俺の意識を現実に戻した。


「こういう時に何て言えばいいのかわからなくて、それで黙っちゃってごめんって、そういう意味で……っ」

「は、はぁ……」

「だから、その……っ」


 四宮の言葉が途中で詰まった。

 胸の辺りを押さえている彼女の姿が酷く苦しそうに見え、心配の方向が別の方へとシフトしていく。

 もしかして身体がどこか悪いのだろうか。


「四宮……?」

「えっと……、あ……」


 四宮の目から、ひとしずくの涙がこぼれた。

 頬を、顎をつたって空中に投げ出された水滴が、決して大きくはなくとも確かな音を立てて、床を跳ねる。


「おかしいね……っ、なんで嬉しいのに、泣いているのかな……」


 目元を擦って必死に涙を押し止めようとするも、次々と感情の濁流が押し寄せてはその瞳から溢れ出ていく。


「……私も、天笠くんのこと、好き」


 四宮が必死に紡いだ言葉が俺の鼓膜を震わせた瞬間、身体全体が一斉に宙へと浮き上がったような感覚が脳に直撃した。

 思わず言葉にならない声が出そうになる。

 しかしすんでのところでどうにか堪えて、残ったキャパで考えられる言葉を口にする。


「よかった……」


 今の自分にはこう言うのが精一杯だった。


「両想い……ってことだよね……?」

「だと……思う」

「そっか……」

「うん……」


 気恥ずかしくなって四宮の顔から目を逸らす。ほとんど同時に四宮もプイッと俺から顔を背けた。


「……ふふっ」

「あははっ」


 何だか自分たちの会話が可笑しく思えてきて、お互いに笑った。

 二人の笑い声は夕方の教室の中で小さく響き渡っていた。


「じゃあ、これからもよろしくな」

「うん。こちらこそ不束者ですが、よろしくお願いします」


――――


 そんなこんなで俺と雫は付き合うことになった。

 楽しいばかりの毎日は光に迫る速度で過ぎていき、気づけば季節は梅雨に突入していた。


 昔から梅雨は嫌いだ。雨ばかり降るのは憂鬱以外の何物も産まないし、何よりも基本的に外で遊ぶのが好きな俺は、見事にそれが阻害されて腹立たしい。

 部活に入った今は、とりあえず走れなくなることが苦痛だ。

 休みになるならまだしも、そういう時は室内でできる基礎トレオンリー。不平を垂れると顧問にドヤされそうだから耐えているものの、今日もまた退屈で仕方なかった。


「あー、疲れた……」

「やっぱ筋トレしかできないって地獄だろ……」

「そろそろ走りてぇよな……」


 同じく長距離の二人と愚痴をこぼしながら部室に入り、着替える。

 男の着替えなんて数分とかからず、すぐに帰り支度を終えてしまった。


「こう雨ばかりだと、気分まで曇り空になりそうだ」


 一番に終えた俺は窓から見える灰色の空を見上げながら、そうぼやいた。


「なーに文学少年気取ってんだよ、彼女持ち」

「そーだ、この彼女持ち」

「お前たち、俺に対しての当たりが最近酷くないか?」


 俺と雫が付き合っていることは、既に学校中に広まっていた。

 まぁ、毎日毎日部活後にわざわざ会いに教室に行ってたら、嫌でもバレるに決まっている。


「これからも彼女とイチャコラですぜ、どう思います? 同士よ」

「不純異性行為ということで退部していただこう」

「賛成」

「賛成多数。よって、天笠孔人。貴様は死刑だ」

「なんかいろいろおかしくない? ……あ、じゃ、お先に」

「おーじゃあな」


 部室を出て走って向かう。


「でも最近さ――」


 扉が閉まる直前、そんな『男子B』の声が聞こえたが、どんな会話を始めたのかはさっぱり見当がつかなかった。

 そんなことよりも雫を待たせているし、急がないと。


――――


「おまたせ、雫」

「あ、孔人くん。お疲れ様」


 付き合い始めてから少し経って、二人きりの時は互いのことを下の名前で呼ぶことにした。理由を尋ねると、小説ではよくある話だからとのこと。

 まだ少し恥ずかしさが残っているが、最近はだいぶ慣れてきた。


「遅くなってごめん」

「ううん、いいよ。大会前だもんね」

「三年が最後だしな。気合い入ってるよ。入り過ぎなくらい」


 大袈裟にげっそりと疲れたポーズをとると、雫が笑った。


「ふふふっ」


 ああ、癒される……。

 雫の笑顔を見た瞬間、今日の部活の疲れもどこかへ吹っ飛んでしまった。前から可愛いとは思っていたが、付き合い始めてからはさらに可愛くなっている。

 俺の心境の変化のせいもあるが、雫自身の変化も起因していると思う。


「髪、切ったんだ」


 些細な違いだが、前髪など所々が少し短く切り揃えられていた。

 最近は暑くなってきたから、それに合わせて切ったのだろう。少し短くなっただけなのにも関わらず、随分と爽やかになった印象を受けた。


「あ、うん!」


 俺が気づいたことが嬉しくて仕方ないとばかりの、満面の笑みを浮かべた。


 笑顔はじけて、可愛さ百倍!

 ……マズい。そろそろキャラが完全に崩壊しそう。


「昨日、ちょっとだけね。どうかな……?」


 心配そうに毛先をいじりながら聞いてくる。その仕草だけでもう可愛い。


「すげぇ、似合ってる……」

「よかった、ありがとう」


 雫は嬉しそうに、けれど少し照れているように顔を下に背ける。


「もう時間もあれだし、帰ろう?」

「うん」


――――


 同じ時間なのにも関わらず、以前よりもまた夕方が長くなったせいか、帰り道には歩いている人がちらほら見えた。

 買い物帰りの主婦に、くたびれたようにカバンと傘を片手に歩くサラリーマン。

 はたまた鬼ごっこでもしているのか走り回っている小学生。

 雨なのにそんなの障害にもならない様子で、水たまりをバシャバシャと踏み、飛び越えていく。


 二人だけで歩いているのも好きだが、こんな風にいろんな人の日常に囲まれながら、二人でいるのも素敵なことだと感じる。

 ……そうだ。

 ふと思いついたことを問いかけてみる。


「今日は何を読んでたの?」


 俺を待っている間に読書に耽っているのは、以前から変わらない。たまに読み終わった本を借りることも、今ではそんなに珍しいことではなくなった。

 しかし、俺の質問が耳に入るやいなや、雫は顔を曇らせた。


「雫?」

「……なくしちゃったみたいで、今日読もうと思ってたの」

「なくした?」

「うん……。朝にはあったんだけど、気づいたらなくなってて……」

「掃除の時にでも落ちちゃったのかな」

「わからない……。途中まで読んでて続きが気になってたから、ちょっとショックで……」


 雫の表情がどんどん落ち込んでいくのがわかった。


「落とし物のところにもなかったのか?」

「教室の方も学校全体の方も、どっちにもなくて……」

「そっか……」

「どこ行っちゃったのかなぁ……」

「きっと見つかるよ。誰かが間違えて持ってるだけで、気づいたら落とし物箱にでも放り込むと思う」


 我ながら無責任な言葉だと思った。こんな言葉は希望的観測の結果に過ぎない。

 それでも、何も言わないよりはマシだ。どうしようもないことに対して現実的な意見を述べるよりも、ずっと良い。


「そう、かな……」

「そんなものだよ。……そうだ、明日早めに学校来て一緒に探す?」


 我ながら名案だと思った。朝から雫に会えるなんて考えたら、それだけで嬉しくなってしまう自分がいた。

 が、しかし――、


「それはダメでしょ、孔人くん。朝練だってあるんじゃないの?」

「あ……」


 すっかり忘れていた。

 明日も授業が始まる前まで、俺はずっと校舎の外を走っていることだろう。

 走れたらマシな方だ。また今日のように基礎トレの連続かもしれない。

 朝から雫に会うのは、三年になって部活を引退するまで無理なのかもしれない。


「……でもありがと。気持ちだけ受け取っておくよ」

「いえいえ。こっちこそあんまり力になれなくて悪いな」

「それだけで十分、私は嬉しいよ」


 ニコリと笑顔を向けてくる雫は、もういつもの彼女に戻っていた。暗い顔は雫には似合わない。

 人生で初めて出来た彼女だ。

 できる限りずっと笑顔で幸せでいて欲しいと、自分がそうしたいと思う。


 ずっと、幸せで。




 結局その時に雫がなくした本が見つかることはなかった。

 あの瞬間から今に至るまで、永遠に失われたままだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ