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第30話

 キーンコーンカーンコーン。


 学校の終わりを報せるためのチャイムで、教室内のクラスメイトは一気に涌き立つ。

 俺、天笠孔人もその一人だ。

 これから部活がある。中学生の俺にとって、授業はその前振りに過ぎない。

 掃除の後のHRで、先生が何か言っていたような気がするが、すっかり頭の外だった。


「おーし孔人ー。部活行くぞ」

「おうよ」


『男子A』が背中を叩いてきたので仕返しに肩を叩く。

 これから部活だ。

 俺は陸上部に入ってる長距離の選手で、部内ではまあまあの位置にいる。

 今はまだ一年上の三年の先輩たちを追い越せないが、夏には引退して俺たちの時代がくる。そうなったら次の駅伝には俺が出られるだろう。それまでにもっとタイムを上げないと。

 先月入ってきたばかりの一年はまだまだだが、油断していたらすぐに追い抜かされてしまうかもしれない。ようやく先輩になったのだ、カッコ悪いところは見せられない。

 教室の扉を開けて『男子A』が我先にと廊下を走り去っていく。


「こらーー!!」

「あっ、やべ!」


 廊下は走ってはいけません。

『男子A』がルールを破り、生活指導の先生に怒られている姿を見て爆笑する。

 俺の笑い声で他の奴も集まってきて、漏れなく大笑いだ。


「ったく『男子A』は……」


 笑いすぎて潤んでしまった目を擦りながら、教室内を見渡す。


「……あ」


 ふと我に返り、放課後だからと盛り上がりすぎてしまったことを後悔する。

 教室の扉側の一番端の席に座って、本を読んでいる一人の女子の姿が目に入ったからだ。

 彼女の邪魔をしてしまったのではないかと思ったが、そんな心配は杞憂に過ぎなかったようで、その目は変わらぬペースで文字列を追っている。

 髪の左右の両サイドを三つ編みで結び、丸っこいメガネの奥の瞳は放課後の少し暖色が混ざった光を反射して、キラキラと輝いている。


 彼女の名前は四宮雫。

 四宮はこのクラスの中では目立たない方に属していて、基本的に一人で本を読んでいるような女の子だ。


「ふぅ。よし、じゃあ俺も行くかな」


 ほっと胸を撫で下ろし、部活に向かおうとすると、腰の辺りに謎の引力が発生し、俺の身体を教室内に押し戻そうとした。


「ぬぉっ!?」

「ねぇ天笠」

「な、なんだ……『女子A』か……」


 学ランの裾を掴む『女子A』の頬は薄いピンク色を帯びている。それは恐らく、気のせいではないのだろう。


「今日、部活終わったら一緒に帰ろ?」

「部活終わったら……?」

「うん、あたしもソフトあるし」

「……悪い。今日は早く家帰んなきゃいけなくて」

「そっか……。じゃ、また今度ね」

「ああ」


 悲しそうに教室から出ていく後ろ姿に申し訳なさを抱いた。

 本当は帰らなければいけない理由なんてない。

 去年からクラスが同じの『女子A』に、所謂告白というものをされたのは、先週末の金曜日のことだ。

 ベタベタな話ではあるが、放課後の部活前に人通りの少ない体育館の裏に呼び出された。


『あたし、天笠のこと好きなんだけど、その、付き合ってくれない?』」


 正直、驚いた。

 以前から仲の良い友達だったし、よく一緒に帰ったり遊んだりもした。

 でもそれはただの友情であり、恋愛感情が絡んでいるとは思っていなかった。


『……嬉しい。本当に』

『じゃあ……!』

『でも、ごめん』

『……!』

『『女子A』のことは好きだけど、それは友達としてってことで……。上手く言えなくて、ごめん……』


『……他に好きな人とかいるの?』

『えっ? い、いないけど』

『そっか……! なら、これからでもチャンスがあるってことだね!』

『えっ』

『じゃあねー!』

『ちょ、ちょっと……!』


 それからというものの、『女子A』が話しかけてくるのを恐れている自分がいる。

 そんな感情を抱くことが彼女に対して失礼なのはわかっていながら、それでもどうしても拭えない。


「はぁ……」


 ここ一週間の間、ずっとため息をつくばかりの日々だ。

 もう一度だけ教室を出る直前に四宮雫の席の方へ目を移す。

 さっきとほとんど変わらない姿勢で、彼女は本の世界に夢中のようだった。

 まるでそこだけ時計の針が進むのを止まってしまったようで、ページを捲る瞬間にようやく、時間というのが進むものなのだと俺に教えてくれた。


 ああいう子だったら、気が少しは楽なのかな。


 本当に失礼な話だ。


「孔人ー。今週の土曜空いてる?」


 呼びかけてきたのは最近仲良くなった、サッカー部で将来の期待のエースこと『男子C』だった。


「おー、空いてるぞ」

「んじゃさ、サッカー部とかの奴らとカラオケ行くんだけど、どうよ?」

「お、いいねぇ。もちろん!」


 幸いサッカー部とは大体面識あるし、去年仲良かったのも何人かいる。


「あ、午前練はあるから、午後からでもいいか?」

「りょかーい! じゃあなー」


――――


 俺たち長距離組の走るルートというのは、もっぱら学校の外だ。

 外周、800メートル。

 そこを何周も、何周も走る。

 同じルートを走っている他の部活の奴らもいるが、そこは専門職である俺たち、陸上部には誰一人敵いやしない。


 特に目障りな存在、卓球部。

 トロトロ走るから邪魔だし、中には途中で顧問が見ていないのをいいことに歩いている輩もいる。

 走りたくないのなら走らなければいいのに、と思う。部活だってやりたくないのならやめてしまえばいい。

 思うが、思うだけ。実際に口に出して罵倒しようなんて気は一切ない。

 ただとりあえず、邪魔なところにさえいなければいい。


 昔から走るのは好きで小学生の時なんかは、近所を文字通り走り回って遊んでいたものだ。

 そんな自分が陸上部で長距離を選んだのは、最早運命であったとまで言える。

 その間はただ走ることだけを考えていれば良くて、それ以外のことは頭の中から吹き飛んでしまう。

 だから、走るのが好きだ。


「はぁ……はぁ……、ん……?」


 ふと、自分の周りを小さなカケラたちが舞い踊っているのに気づいた。

 走っている自分を避けるように左右に分かれ、しかしそれでもなお地面にはまだ着かない。


 桜の花びらだ。

 もう春の全盛も過ぎて、ランニングコースを彩っていた桜色は、次々とその色彩を失っていく。

 来週には大体散り終わって、今度は緑色がこの辺りを染めていくのだろう。

 少し強めに息を吐くと、眼前を泳ぐように浮遊していた一枚の花びらが、勢いよくその軌道と速度を変えて飛び去っていった。


――――


 ひとしきり走り終え、基礎トレをこなしている内に太陽が沈んで、部活が終わる。

 春を迎えた空は少しずつ日も伸びてきて、五時を過ぎてもまだ明るい。


「あー疲れたー」

「なー。今日はキツかった」

「顧問マジでうぜー」

「わかるわー」

「右に同じく……、むっ」


 校門に見覚えのある人影。

 ああ、あれは……。


「すまん、ちょっと学校に忘れ物した」

「はぁ? 明日でよくね?」

「いやちょっとな……。今日は先に帰っててくんね?」

「おっけー」

「んじゃな」


 同じ長距離の友達に手を振って、再び校舎に戻る。

 あそこにいたのは、『女子A』だった。もしかしたら今日も俺が帰るのを、部活が終わってからあそこで待っていたのかもしれない。

 そうでなかったにしても、それならそれで俺の自意識過剰なだけで済む。

 前に同じことがあったから、恐らく今回も同様だろう。

 あの時は死ぬほど気まずい雰囲気の中、一緒に帰った記憶が脳裏に色濃く残っている。と言うより、その記憶しかない。


「はぁ……」


 ため息が漏れた。

 どうしてこんなにも憂鬱なのだろう。

 別に『女子A』はブサイクなわけでもない。むしろ顔は良い方だろう。男子の中でもそこそこ人気があったはずだ。クラスの中心に立つような人物だし、良いやつだと思う。

 告白されるより前はよく話していたし、一緒にいて楽しかった。


 なのに、最近は『女子A』の言動の全てに、俺に対しての恋愛感情がぼんやりと映り込むのだ。

 彼女に関わる全てが、自分をがんじがらめに縛り付けてくるようで、正直、不快ですらある。


「はぁ……」


――――


 生徒がほとんどいない廊下は、死んだような静けさに包まれていた。

 もう最終下校の時刻で本当なら校舎内にいてはいけない時間だから、そんなに時間は稼げない。それに先生に見つかったら叱られてしまう可能性もある。その時の言い訳も考えておこう。

 適当に辺りをぶらついてみる。自分が足音を鳴らす度に、廊下の端までその音が遠く反響して進んでいく。

 まるでここが自分だけの世界のようで、少し新鮮だ。


「……あれ?」


 自分のクラスの教室の近くまで行くと、微かに物音がした。

 本当に小さな、足音にもかき消されてしまいそうなくらいにかすれた、音。

 他の教室の中も覗いたが、そのどれにも人は残っていなかった。

 誰かいるのだろうか。それとも幽霊? 学校の怪談的な現象に巻き込まれてしまう?

 ちょっとした恐怖と、膨大な好奇心が進める足の速度を早める。

 扉から顔だけ入れて中を覗き込む。


「…………」


 そこにあったのは四宮雫の姿だった。

 部活前からまたしてもほとんど変わらない姿勢で、彼女は本を読んでいた。

 しかしその指が開くページだけが大きく変わっていて、序盤の辺りを押さえていたはずの指は、既に終盤へと差し掛かっていた。

 もう下校の時間だと教えるべきだと思ったが、どうしてかそうする気が起きない。

 本の世界に没入している、四宮の邪魔をするのが躊躇われた。

 恐らくあと少し待てば読み終える頃だろう。話しかけるのはその後でいい。

 俺に気づかずにページを捲る四宮を見つめる俺。


 ……あれ、俺、結構ヤバくないか? ストーカーじゃん。

 普通ならどうするんだろう。無視? もう話しかける? それとも今の自分が普通?

 ……などという自問自答を繰り返している内に、四宮は最後のページを読み終えたらしく、本を静かに閉じる。


「……あ」


 眼鏡の奥の瞳が見開いて煌めく。

 ようやく俺の存在に気づいたらしい四宮は、驚きのあまりポカンと口を開けた。


「どうも……」

「天笠、くん……?」

「いやーちょっと忘れ物しちゃってさ」

「そう、なんだ……」


 強引におどけてみせて場を取り繕おうとしてみるも、四宮は目を逸らして黙ったままだ。

 そうだよな……。話したこと、ほとんどないもんな……。


「ほら、もう最終下校だし、帰らなくていいの?」

「えっ? ……あ!」


 黒板の上にかかっている時計を見て、驚嘆の声を上げる。どうやら本当に最終下校のことを忘れていたようだった。


「ど、どうしよう……。また先生に怒られちゃう……」


 四宮は慌てて帰り支度を始める。しかし焦っているせいか手つきがおぼつかなく、最終的には――


「早く……、あっ!!」


 ――華麗にカバンの中身を床にぶちまけたのであった。


「あわ、あわわわ……!」


 そんな、マンガみたいな声を出して、床に落ちた物を次々に拾っては、カバンに投げるように入れていく。

 さっきまで一人静かに読書にふけっていた美麗な少女の姿とは、似ても似つかない。


「……ふふっ」


 自然と笑い声が漏れていた。四宮の様子が可笑しくて仕方なく、同時にどこか愛らしさもあったからだろう。


「……!」


 笑われたことにショックを受けたのか、四宮は顔を真っ赤にして涙目になっていた。

 ガーンという音が聞こえてきそうなまでに、わかりやすい感情表現。


「ごめん。手伝うよ」

「あ、ありがと……!」


 一生懸命に教科書や筆記用具をカバンに入れていく四宮の顔が、すぐ目の前にある。

 そんなにマジマジと見たことなかったから気づかなかったけど、四宮って結構可愛いんだな。

 沈みかけた夕日の灯りは弱く、教室の中はどんどん暗くなっていく。もう校内に生徒は誰一人残っていないだろう。いるとすれば先生くらいのものだ。

 ――なんて心の声は、フラグだったのかもしれない。


 コツ、コツ。


「!?」


 廊下から聞こえてきた物音に、四宮はブルッと全身を震わせた。完全に焦った状態だったのが、さらに高ぶってもうパニックである。


「ど、ど、ど、どうしよう……! 見つかったらおこむぎゅっ!?」


 四宮の口を強引に手で覆って塞いだ。突然の俺の行動が理解不能な四宮は、全身をくねらせて抜け出そうとする。


「んー! んーー」

「静かに。見つかっちゃうよ」

「……!」


 ただ一言だけ伝えるとすぐに四宮は黙った。


「ん……なんか声がしたか……?」

「!」

「大丈夫」


 四宮だけに聞こえるように耳元でささやく。

 先生はまだここから離れた廊下にいるだろうし、どの教室からの物音かもわからないに違いない。

 今この場所で屈んでいれば、廊下からパッと覗き込んだ程度じゃ見えないはずだ。


 コツ、コツ、コツ。


 足音は次第に大きく、鮮明になっていく。

 そしてそれは俺たちの教室の前で止まる。

 四宮の全身が一気にこわばったのがわかった。


「……気のせいか」


 先生はポツリとそう漏らすとまた足音が再開した。

 小さくなっていく音量が、その音源が遠ざかっていくことを告げている。

 狙い通り、俺たちは机で死角になっていたようだ。


「……ふぅ」


 ある程度遠ざかったと思うと自然と緊張が解けて、力が抜けた。


「……ぷはぁっ!」


 口元を塞いでいた手も力が抜けたことで、四宮はようやく解放される。

 先生の存在に気を取られて、すっかり四宮のことを忘れていた。


「あ……、ごめん」

「はぁ……はぁ……、う、ううん。おかげで見つからずに済んだし」


 酸欠のせいか四宮の呼吸は乱れ、頬もほんのりと赤い。

 息を整えようと胸元に手を当てて深呼吸を繰り返す姿に、不思議と自分までも顔が熱くなった。


 自分の顔が赤くなっていないだろうか。

 それを四宮に気づかれていないだろうか。


 そんなことばかりが頭の中を巡った。


「じゃっ、じゃあ、帰ろうっ」


 そう言って立ち上がるも、声が裏返ってしまって全然様にならなかった。

 恐ろしいまでに平常心が失われていて、いつもなら何事もないことの全てが震えとともに瓦解する。

 女子相手にこんなに狼狽える自分を知らない。

 一瞬だけ『女子A』のことが思い浮かんだ。

 しかし思い直してそれともまた違うと感じた。

 彼女と共にいて感じる感覚と、四宮といる今のそれは、異質という意味では共通項を持っていても、全く異なっている。


「うん」


 既に四宮がさっきぶちまけた荷物はカバンに収まっていて、帰り支度が整っている。俺も部活のカバンを肩にかけて、教室の外を少しだけ確認してから外に出た。


――――


 校門にはもうほとんど生徒の姿は残っておらず、『女子A』も同様に俺を待っていたりはしなかった。

 四宮も俺も帰り道の方面が同じで、だから途中まで一緒に帰る下りに自然となっていた。

 最終下校を二十分ほど過ぎた学校の付近にも下校している生徒はいない。夕焼けが朱く染めるアスファルトを、小さく踏み鳴らすのは俺たち二人だけ。


「天笠くんは、陸上部だっけ?」

「そうそう。四宮さんは?」

「私は、その……何も入ってないの」

「へぇ、珍しいな」

「あんまり身体動かすの得意じゃないから、運動部には入れないし、でも文化系にも興味ないからって思ってたら、いつの間にか入る期間終わっちゃって……」


 照れくさそうに四宮がはにかむ。


「そう言えば四宮さんっていつも本読んでるよな」

「え? あ、うん」


 四宮は一瞬戸惑ったような声を上げた。


「どういうの読むの?」

「最近はミステリー系かな……。西野景吾って人の本を読んでる」


 西野景吾。

 本に疎い俺でも名前を知っているくらいの大作家だ。

 前にその人の本が原作の映画がテレビでやっていて、見たことを思い出した。


「あ、映画は見たことある。何だっけ……、九つ坂……とか何とか」

「九つ坂のカラスだね!」

「そうそう! あれは面白かった」


 確か九つ坂という村で起きる怪奇事件に、たまたまその村に立ち寄った探偵が挑むという内容だった。普段そういうのを見ない俺が、最後まで目が釘付けになっていたっけ。


「うん! 私もそこから読み始めたの。あれはすごいよね!」


 途端に四宮の声音が明るくなった。話が合って嬉しいからか、ニコニコと笑っている。

 こんな風に満面の笑顔を浮かべる四宮を初めて見る。

 どうしてだろう。少し、心が落ち着かない。


「九つ坂のカラスってそういうことだったのか……ってわかる瞬間は鳥肌が立った」

「でも犯人が少し可哀想だったかな……」

「あれはなぁ……」


 それから四宮とは九つ坂のカラスの話題で盛り上がった。

 原作まで読んでいる四宮の話は、俺の知らないことや気づかなかったところまでいろいろ教えてくれて、面白い。

 それでいて、自分の知識をひけらかすようなところは全くなく、話していて不快にならなかった。

 知り合いの読書家の輩はそういう面が少なからずあるだけに、四宮のような人間は自分にとって新鮮だった。


「でも……きゃっ!」


 その時、突風が吹いて四宮の言葉が遮られた。両側に結った三つ編みが大きく揺れ、一瞬の後にその動きは収まった。


「びっくりした……」


 四宮は風によって乱れた髪をそっと耳にかける。

 彼女の周りを散りゆく花びらが舞っている。


「髪、へんなふうになってないといいんだけど……」


 そう言って、また恥ずかしそうに笑った。

 その手つきも笑顔も言葉も、何の変哲もないものだった。

 はずなのに。


「…………」


 自分の心臓の音が秒ごとに強く、早くなっていく。耳を傾けなくても脈打つ鼓動を感じる。


「天笠くん……?」

「はっ! ご、ごめん……。ちょっとボーっとしてた」

「別に謝らなくてもいいけど……」


 四宮が俺の様子を伺うように顔を近付けてくる。

 透き通るような肌や宝石のように輝く瞳。言葉を紡ぐ唇。

 四宮雫という一人の女子の全てが、今にも触れられそうな程にすぐ近くにある。


 ふと、ある二文字が脳内に浮かび上がってきた。

 これってもしかして……。


「……恋?」

「……はい?」


 四宮の目が丸くなる。


 ……。

 …………。

 ……あれ?


「……ごめん、今、俺、なんて言った?」

「えっ?」


 気づかぬ内に俺の足は止まっていて、四宮はその三歩ほど進んだ先で俺の顔を見つめたまま動きを止めていた。

 四宮はカバンを両手に前で持ったまま、動かない。ただ呆然と、驚いた表情。

 動かない。

 見つめ合うだけの時間は、まばたきするよりも短いように思え、同時にこれまで生きてきた時間と同じくらいに長くも感じた。

 いつからこうなっていて、それからどれほどの時間が過ぎたのかもわからない。


 藍色と橙色の混じった夕方の空には、黒寄りの灰色の雲がかかっていた。時々刻々と濃くなる藍が、もう少しで夜が訪れることを告げている。

 風の音が耳を通り抜ける。ずっと突っ立ったままの足がしびれ始めた。


 ただ、二人だけだった。

 俺と、四宮の、ふたりぼっち。


「……あ!」


 二人の静寂を破ったのは俺でもなければ四宮でもなく、第三者の声だった。


「天笠じゃん! ……あれ? 四宮さん……?」


 声の主は『女子A』だ。

 元気よく駆け出したものの、四宮の姿を認めると口元に浮かべていた笑みが歪んだ。


 まいったな……。


 部活前に家の用事があるから早く帰らなきゃって言ってたのに、こんな時間にここにいるなんて『女子A』にとっては裏切られたような気分だろう。


「よぉ」


 できるだけ平常心を装って、『女子A』に片手を上げて返答する。『女子A』は俺と四宮を交互に何度も見て困惑気味だった。


「えっと……、なんで四宮さんと?」

「たまたま会って、一緒に帰ってたんだ」

「そ、そうなんだ……。じゃあ途中まで三人で帰ろうよ!」

「ああ、そうだな」


『女子A』は俺と四宮に間に割り込んで歩き出す。

 落胆しているのに気づかれていないだろうか。

 声に、顔に、言動にそれが出てしまっていないだろうか。

 最初に四宮と道が別れ、それから数分歩いた分かれ道で『女子A』と別れた。


 その間、何か会話をしていたとは思うが、その内容は一人になった時には何も思い出せなかった。

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