表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/45

第25話

 曙色で塗りつぶされた教室の中に、俺は一人。


 本当は誰かがいたような気がする。今もすぐそこに、誰も彼もがそこに。


 こんな時間じゃなかった。

 こんな色じゃなかった。

 こんなはずじゃなかった。


 でも、こうだった。俺にとっては。

 そんな、気がする。


「――――」


 授業を進める教師の声が耳を通り抜けていく。

 言葉の輪郭があやふやで何と言っているのかわからない。


 わからなくてもいい。

 わからなくていい。

 わかりたくない。


 WAKARANAI。


 目の前に誰かが座っている。空席で誰かが居眠りをしている。

 酷く心が沈んでいたのを覚えている。

 自分が犯した罪を正当化しようとただ頭を巡らせていた。

 声が聞こえても聞き取れずにただ外を見ている。

 夕焼けで染まった教室の中から見える外の景色は正午の装いをしている。

 しかし俺はその不自然さが気にならず、ひたすら椅子に座って外を見ている。

 時間の流れが一定でないように思えた。


 ふとした思いつきだった。


 明日になれば昨日に戻れる。

 人がいた。

 誰もいなかった。

 誰もいない。

 俺しかいない。

 俺もいない?


 答えよう。応えよう。

 君の問いに答えてあげよう。

 現実の幻視性を教えてあげよう。


「埋めてやろう。埋めてやろう」


 心の底から爪の先まで海の底へ。

 赤いロンドンの薔薇は肝臓とシンパシーして、ニュートリノよりも先に対消滅するようだ。


「そう言えば君は屋上から飛び降りるのが得意だったね」


 それだから休学中に遊園地なんかでナイター中継されていたんだ。

 着ぐるみは過年度生に譲った方がいい。


「そうかい」


 その時、室内にも関わらず突風が俺の身体を貫いた。意味の成り立った不正な言葉遊びの時間は終わりだと告げていた。

 やめろと叫ぼうとする。もしかしたら叫んでいたのかもしれない。自分の声は聞こえずに、声帯が震える感覚だけがあった。

 何かから逃げるように視線を窓の外へと移す。

 これは、はたして罰なのか。

 どれだけ逃げても、目を逸らしても、最終的に行き着く場所は、いつも同じ。

 終着点は一つに収束する。


 ああ。

 俺は走っている。


「どうして、」


 息を切らしながら、ただ走っている。


「どうして、どうして、」


 どうしてどうしてどうしてどうして。


 誰かが追ってくる。

 すぐ背中まで、気配が迫ってくる。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


 生きた心地がしない。死の臭いがすぐそこまで近づいてきている。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。


 俺は彼女を殺した?


――――


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 心臓の音が胸を張り裂かんばかりにけだましく鳴り響いている。冬にも関わらず汗で背中がびっしょりと濡れていて気持ち悪い。


「なんなんだよ、今の夢……」


 今もなお恐怖が脳裏にびっちりと貼り付いて剥がれないのに、その肝心の夢の内容が思い出せない。

 鼻がムズムズする。飛び起きたせいで周りに埃が舞い上がっているのだ。


「……くっ」


 残っている感覚が、次々とさっきの記憶を想起させた。

 何かに追いかけられて、逃げても、どこまでもついてくる。まるで地獄の番犬のように。

 やがて追いつかれて喉元を噛みちぎられてしまうような錯覚。

 そして、……そうだ。俺は落ちていくんだ。

 底のない真っ暗な穴……、それも違う。

 巨大な穴だ。最早闇そのもののようにも思える。

 視覚が完全に封じられた闇の中へ、吸い込まれて落ちていって、そして……。


「……思い、出せない」


 ――思い出せないんじゃないだろ。


「……知ってる」


 ――『思い出したくない』んだろ?


「うるさい、うるさいうるさい……!」


 自問自答のように繰り返される声が不快で仕方なくて、頭を抱えた。

 部屋の隅で何かがのっそりと動いている。それはまるで人影のようで――。


「えっ、人?」


『いつまでそうしていれば気が済むんだよ』


 そこにいたのは、俺自身だった。


「なんで……」


『そうやってのうのうと生きて、勝手に幸せになろうなんて、少し虫が良すぎるんじゃないか?』


 黒い影のような霧に包まれている俺は、その表情も隠れて見えない。なのにどうしてか彼がどんな顔をしているのかわかった。

 虫ケラへ向けるような目つきが、まっすぐに俺を見つめているのも。


「違う……俺は……」


『お前が殺したんだ』


「違う……違う……っ」


『お前が、殺したんだ』


 その真っ黒な影は唐突に俺に突進してくる。

 ベッドの上で座っていた俺は為す術もなく、ひんやりとした冷たい感触に俺の身体はふっ飛ばされた。


『俺が、殺したんだ』


 ――不思議と、衝撃はなかった。


 そして全身を取り巻く浮遊感。

 一瞬の視界の煌めきの後に眼前に広がる青空。


「えっ?」


 部屋の中だったはずの風景はいつの間に、屋外へと移動していた。


「マジかよ……」


 しかしそれを同時にどこか客観視している自分がいた。こうなっても仕方ないと、諦めていた。

 空しかない空間をただひたすら落ちていく。

 変わらない背景がグングンと速度を増して流れていく。


 落ちていく。

 落ちていく。


 中空に放り出された自分がとうなっているのかよくわからない。

 どっちが上で、どっちが下だ?

 すると今度は空の色が、一瞬のうちに灰色へと変貌する。

 それがアスファルトだと認識する。


 ぶつかる――!


 ――ああ、こうなりゃよかったのにな。

 

――――


 詰まりそうな呼吸。

 冷たい床の感触。

 いつもよりも遠い天井。


「ぐ……ぬ……」


 俺の身体はベッドの傍らで横たわっている。恐らく寝返りの拍子にベッドから落ちたのだろう。

 背中が痛いし冷たい。肌着に染み込んだ汗のせいで余計にそう感じる。


「おいしょと……」


 オヤジ臭いかけ声と一緒に身体を起こすと、さっきの衝撃で背中がまた少し痛んだ。


「……あれ?」


 そう言えば俺は何か夢を見ていたんじゃなかったっけ?


「…………」


 とても恐ろしい夢だったような気がする。気がするのに、どんなだったっけ……?


 …………。

 ……まぁいいか。


 一度忘れてしまった夢を思い出そうとすることほど、無意味な努力もない。そう思うことにして俺は部屋を出た。


――――


 昼休み。今日も俺は母親に圧倒的な感謝を捧げながら、弁当へと箸を向かわせる。


「で、どうだった?」


 今日登校してから九郎が話しかけてくる話題ずっとこれだ。いい加減飽きないのだろうか。

 ……飽きないか。当の本人である俺が何も話さない限りは。


「なんのこと?」

「おいおい。本当なら礼を言われても良いくらいだぜ?」

「お礼参り?」

「それだいぶ意味違うよな!?」

「大丈夫、合ってるから」

「何一つかすってすらいねーぞ!」

「もう済んだことだしな。許してやるよ」

「待て! 勝手に話を終わらすんじゃ――」


 話題を続けようとする九郎を無視して唐揚げを口にする。冷凍食品特有の、サクサク感がない衣に包まれた肉は絶品だ。

 いつもなら九郎の視線が外れた合間に神野の姿を見ようとするが、気づかれてしまった今ではもう意味がない。

 今度は堂々と神野のいる方を見ることができる。


「……あ」


 神野と、目が合う。

 一瞬驚いたように口を開け、それから少しだけ照れたような笑みを湛えながら小さく手を振ってくる。

 それに俺も小さく右手を上げて返す。

 俺と神野以外の人間が教室の中からいなくなったような感覚が、ほのかに脳を痺れさせる。


「なに、お前ら。付き合い始めたの?」


 しかしそれは一瞬のことで、九郎に光速でぶち壊された。


「お前って、本当に空気読まないよな……」

「いやー、おめでとう!」

「何がだよ」

「彼女ゲットじゃん。これで独り身から脱出。親友としては少し寂しい感じもあるけど、でも嬉しいよ」

「いや、だから違うって」

「またまたー」

「マジ」

「…………」


「付き合ってない」

「……はぁ?」

「付き合ってないんだ、本当に」

「……マジ? あんだけお膳立てしたのに?」

「余計なお世話って言うんだ、ああいうのは」

「はぁー……」


 ようやく現実を認められたらしい九郎は、今度はわざとらしく大きなため息をついた。随分と失礼なやつだ。


「それだからダメなんだよ、お前は」


 九郎が肘をついて、俺の顔をビシっと指差してくる。


「どうした突然」

「いいか、孔人。自己評価がどうかは知らんが、お前のスペックはそれなりのものがあるぞ。それはオレが保証する」

「いやいや、保証とか言われてもな」

「身長も170は超えて、顔も悪くない。性格だって多少皮肉屋なところを除けば、良い方だ」

「どうした、本当にどうしたんだ九郎!?」


 九郎の俺を褒め殺すようなセリフの数々に、鳥肌が止まらない。

 茶化すようでなく真面目にこれらを口にしていくのが、さらに気味の悪さを増大させていた。

 げんなりとした顔で、俺に向き直る。もう弁当箱は二人とも、ほとんど空っぽだった。


「神野さんなら、可能性があるって話だよ」

「そうですかい。うん、わかった。ありがとう」

「話の躱し方が雑ってレベルじゃねぇ」

「わざわざそんなことを教えてくれるなんて、君はいいやつだな」


 その言葉を捨てゼリフのようにして立ち上がる。これ以上続けても話の流れがグダグダになるのも見えていた。


「おいおい、どこへ逃げるんだ」

「トイレ。……まさかそこまでついてくる気じゃないだろうな。いろんな意味でドン引きするぞ」

「そういう趣味はねぇよ」


――――


 腕時計を見ると、まだ昼休みは二十分ほど残っていた。

 教室に戻れば九郎の言及がまだ続くことだろう。そう思うと少しばかりうんざりして、自然と屋上へと足を運んでいた。

 そこに行けば十中八九、一人になれるし、万一誰かいたとしてもそれはこっちに干渉してこない夢野だ。


 そして屋上には一人の女子の姿。

 夢野彩織が前回と同じように、金網にもたれかかるようにして座っていた。彼女の目は真っ青な空を映しているようだ。

 窓を開く音で俺の来訪に気づいたらしい夢野は、一瞬だけこっちに目を向けるとすぐにまた上空に視線を戻す。

 屋上の地理的に、夢野と対角となる場所に俺は座った。


 どこからともなく吹いてくる風は、冬の冷気を大量に含んでいて、露出している皮膚の面から体温を奪っていく。

 しかし外の澄んだ空気は、室内の暖房で乾燥しきったものに比べて、いくらか心地良い。

 そうやって屋上から見える景色をぼんやりと眺めていると、夢野の声がした。いつの間にか夢野は俺の前にまで歩み寄ってきていた。


「ねぇ、天笠くん」

「なに?」

「あなたは……」


 と、そこまで言いかけたところで、夢野は目を逸らす。

 その表情の意味も意図もわからない俺も何か言葉をかけるわけにもいかず、非常に気まずい沈黙が生じた。


「……いえ、何でもないわ」

「な、なんなんだよ。この前の俺の中学を聞いた時といい」

「……ずく」


 ポツリと漏れた、小さな声。


「えっ?」


 聞き取ることができず、もう一度聞き直す。

 夢野は一瞬躊躇うように、口元を歪める。


「……しずく」


 しずく。

 彼女が言葉にしたのは、そのたった三文字だった。


「しずく? ……!」

「聞き覚え、ない?」


 そんな単語に覚えなんて、ない。

 ない、はずだ。


 なのに、どうして、こんなに落ち着かないんだ。

 こんなにも、胸がざわつくんだ。

 こんなにも、頭が痛いんだ。


「そう。……ようやく全部わかったわ」

「何が……だよ」


 痛む頭を右手で押さえても、全く良くなる気配がない。

 三半規管が狂い始めているようにも思えて、吐き気がやまない。

 そんな俺を置いて夢野は屋上の出入り口に歩みを進め始めた。

 足の動きを止めずに、彼女の声だけが風に流されてくる。


「一つだけ、あなたに言っておくわ」


 頭痛がやまず、返す言葉も見つからない。

 自分が待っているのが夢野の言葉なのか、それともこの苦痛からの解放なのか。それすら自分だけでは判断できない。


「あなたは見なければいけない」

「……は?」

「見たくないものを。見ようとしないものを」


 夢野の忠告めいたような言葉は、あまりにも抽象的過ぎて、具体的に何を意味しているのかも掴みきれない。

 なのに、心のどこかでそれに対して図星を突かれたような感覚に陥っている俺がいる。

 俺はわからないのに、俺はわかっている。


「でないと――」


 突然、強風が屋上を煽った。

 夢野の声は風の音にかき消されて、聞き取れない

 背中まで伸び揃えられた黒い髪が大きく揺られる。

 しかしそれも構わずに歩む姿は、彼女の強さをより一層強調しているように見える。

 そして風に吹かれる中、夢野は屋上から姿を消した。

 しかし鳴り止まない頭痛は、俺を苦しめ続けた。


 a。

 a。

 I。


 軋むように痛む頭の中に浮かび上がってくる文字。


 a a I。


 音はなかった。

 ただその三文字だけ、その概念だけが繰り返し何度も、俺に忘れるなと言わんばかりに叩きつけられる。


 キーンコーンカーンコーン。


「!」


 昼休みの終わりを告げるチャイムの音。

 それが鳴り響くのと同時に、今までの痛みが嘘のように頭痛は止んだ。


「……っ、はぁ……はぁ……っ」


 残響が脳内をエコーのように巡り廻る。


 a a I。


 痛みが引いてもその三文字と、さっき夢野が言った『しずく』という言葉は、頭にこべりついたまま離れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ