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第22話

 その次の日の始まりも変わり映えのないものだ。

 悪夢にうなされて目が覚めて、朝食をとって、学校に行く。通学路にカフェの姿はなかった。

 きっと今日もいつもと変わらないのだろう。

 九郎とくだらない会話を交わして、授業をなんとなくそれなりに受けて、家に帰って適当に余暇を過ごして、寝る。

 そう、思っていた。


 思っていたというのは現状が既に日常から逸脱していたことが原因にある。

 九郎がまたいつものように居眠りを始めると、ちょうど神野が登校してきた。

 ここまでテンプレ。ここからもテンプレ――


「お、おはよう。天笠くん……」


 ――じゃない!?


 神野は俺に話しかけると、プイッと顔を背けてしまう。

 心なしか顔が赤いように見える。


「お、おはよう……」


 なんで神野の様子がおかしいんだ!? 昨日か、昨日のことがあったからか!?

 こっちまで照れくさくなって上手く返事できない。


「昨日は、ありがとう」


 お礼を言うのが照れくさかったのだろうか。

 ……いや、それも変か。昨日はあんだけ言ってたのに、今日になったら恥ずかしいというのも。

 じゃあなんだと言われたらわからないけど。


「ああ、うん、どういたまっ……どういたしまして」


 コミュ障か、俺は。

 思いっきり噛んだぞおい。もう逃げたい。


「うん……」


 神野のカバンには昨日のキーホルダーがちゃんと着けられていた。

 今までと違って真新しい金具部分。昨日はあの部分が摩耗して外れてしまったのだろうことが想像付いた。


「その……」

「?」


 神野の手はいろんなところを行ったり来たりして、視線は俺を見たり窓の方へ行ったりとうろちょろしている。

 その視線の先を追ってみるが、当然ながら普通の教室の風景に変わりない。


「どうした?」

「……ううん、何でもない!」


 それだけ言い残して逃げるように神野が自分の席に向かっていく。


 俺、何かした……?


 昨日のことしか思い当たる節がないが、それにしたって神野の今の言動に繋がるものがあるとも思えない。

 それとも俺が気づかない内にに何かしてしまったのだろうか。


 もしかして、俺って鈍感?


「ほーい。んじゃ、ホームルーム始めんぞー」


 前の扉からタカさんが入ってきて、それが合図のように他のクラスメイトも次々と席についていく。

 俺も同じように自分の席に向かうが、どうにも違和感が拭えないままだ。


「うーん……」


 俺の後ろの席の九郎がうめき声のような音を発した。どうやら起きたらしい。


「……あれ、もう学校終わり?」

「今から始まるところだけど」

「そっか。おやすみ」


 この間わずか五秒。

 おい、と声をかけようとするよりも先に、九郎は寝息をたてていた。

 俺も寝ちまうかな。あんまり眠れなかったし。

 そう思った瞬間、ふいに昨日の声が頭の中にフラッシュバックした。


『あなた、神野さんが好きよね』


 そうだ、昨日俺がちゃんと安眠を取れなかった原因の一端は、夢野にもあるのだ。

 なぜ夢野は突然あんなことを言い出したのだろうか。特にこれと言った関係も、俺たちの間にはなかったはずだ。

 無意識的に夢野の姿を俺は探していた。そしてすぐに、いつもの場所に彼女を見つけた。


 教室の一番後ろの一番右。

 夢野彩織は自分の席で一人黙々と、本を読んでいる。

 しかしその表情はひどく退屈でつまらなそうに見えた。

 彼女や周りの様子から、昨日のことを誰かに言うそぶりも、既に言ったようにも思えず、ほっと胸を撫で下ろした。

 

――――


 小鳥の群れが空をまばら模様に飛び回っている。

 雲が半分くらいを占める空は、胸のすくような清々しさはないものの、どこか落ち着きをもっているように見えて、自分の心も同様に落ち着いていくように思え――。


 ――ないな。全くもって落ち着かない。


 物理の先生が理解不能な単語を駆使して、授業を進めていく。


 モーメントってなに? 瞬間?


 球が落ちるとかの話の時は、ただ掛け算をすれば良いだけだからよかったものの、そこから進んだ内容はさっぱりだった。

 少し聞かずに呆けている間に物理は異次元に飛んでいたらしく、生憎そういう転生とかできない俺は元の世界に置き去りのまま。


 まいったな……。

 神野は真剣な顔で先生の言葉を聞きながら、ノートをとっている。

 で、俺はそれを見ていると。

 前からつい見てしまうことがあったが、今日は特にひどい。ちょっとでも隙があれば目がそっちに動いてしまう。

 神野よりも後ろの方に席があるのが幸いだ。

 ……いや、むしろ前の方が振り向く必要があるから、そっちの方がよかったのかもしれない。


「ZZZ…」


 そんな俺のモヤモヤとした悩みをつゆ知らず、九郎は相変わらず居眠りをかましている。

 もう少しいくといびきをかきそうなのが心配だ。


 ……。

 ……ああ、また、神野を見てしまっている自分だ。


 昨日の今日となっても教室の雰囲気は変わらないままだった。誰かに注目されるようなこともなく、神野の俺への接し方も昨日と同じだ。

 夢野の意図は依然としてわからないままだが。


「……あ」


 その時、思わず声が漏れた。

 神野が後ろへと視線を向けたのだ。見事にガン見していた俺と目があってしまう。

 焦って視線を逸らしたが意味がない。絶対に俺が見ていたことに神野は気づいただろう。

 ……本当に、まいった。

 どうしてこんなにも感情のコントロールが効かないのか。

 これほどまでに自分は女子に対して耐性がなかっただろうか。少なくとも中学の頃はもっとマシだった気がするのに。


「はぁ……」


 ため息をつくのと、四限の終わりを告げるチャイムが鳴るのはほとんど同時だった。

 と次の瞬間、肩に衝撃。


「ひゃっ!?」

「よし、飯食おうぜ」


 犯人は九郎。


 唐突。

 その肩への衝撃はあまりにも唐突。


「お、お前いつから起きてたんだよ!?」


 驚きと焦りのあまり普段よりも声が大きくなってしまう。


「今」

「今!?」

「そんな驚くかよ」


 呆れ顔で弁当の準備をし始める九郎。


「心臓に悪い」

「ところでさっきの授業、課題的なの言ってたような気がするんだが、教えてくれない?」

「俺も聞いてなかった」

「はぁっ!? 嘘だろ!?」

「マジだって」

「マジか……」


 絶望感満載の動きをしながら、そのまま机に突っ伏した。

 その様を見据えながら俺も自分の弁当を机の上に出して、母親への感謝を捧げてから食べ始めた。

 一口目を口に入れる直前に九郎に問いかける。


「おい、また寝るのか?」

「んなわけないだろ!」


 ガバッと跳ね起きて、険しい目とともに俺に語り始めた。


「いいか、孔人」

「ん」

「オレたちはオレたち以外に話せる相手がいない」

「ふむ」


 言い方が少し哲学的。いや、そんなことないか。ないな。


「故にどちらか一方が、そういう重大なことは聞いておかなければいけない」

「そうだな」

「しかしオレは授業中は基本的に寝ている」

「確かに」

「だから孔人が聞いてなきゃいけない」

「その理屈はおかしい」

「……ちっ」


 さらっと悪いのが俺であるかのように会話の流れを持っていこうとした九郎は、悔しそうに舌打ちした。


「あ、あの……」


 なんて会話の中、突如女子の声。


「か、神野?」

「あら、神野さん。孔人に何か用?」

「えーと……」


 神野は手を後ろに組んで、どうにも落ち着かない様子だ。


「どうしたんだ?」


 今朝から様子が変だが……。

 すると神野が意を決したように、それまで後ろに隠していた手を前に突き出す。

 差し出された手には、透明でところどころに可愛らしいキャラクターがプリントされている小さな袋。

 その中にはクッキーが入っていた。


「これ……、昨日のお礼」

「え、マジで? いいの?」

「うん。その、お菓子とか作るの得意だから」


 そう言えば神野は料理部に所属していたことを思い出す。

 よくこういうクッキーやマドレーヌのような、手作りのお菓子を沢上と一緒に食べているのを見かける。


「そっか。ありがとう」

「ううん、こっちこそ昨日ありがとね」


 神野は片手を軽く左右に振って、沢上の元へと戻っていく。


「……なに、一体何があったの」

「まぁ、ちょっといろいろ」

「何だよそれ、気になるじゃないか」

「いろいろあったんだ」

「ふぅーん」


 ニヤニヤ顔の九郎。

 どうしてだろう、無性に殴りたい。


「なんだよ」

「別にー? いろいろあるんでしょ」


 昨日のことを隠すつもりもなかったが、九郎の反応を見ていると話すのも癪な気がしてくる。


「お、そうだ。昨日といえば――」


 と、九郎が話題を転換する。

 興味が失せたというわけではなく、俺相手にこれ以上聞いても徒労に終わることがわかっているからだろう。


「昨日読んだ小説が衝撃的でよー」

「ほう」


 いつも通りの昼飯を再開する。九郎とのくだらない会話を聞き流しながら、弁当を食べる。


「オチで伏線を回収するのがなー」

「へぇ」


 九郎が弁当へと目を向けたのを見計らい、またさり気なく教室内を見渡す。神野がどこにいるかは探すまでもなかったが、まっすぐにそこへ視線を移すのが不自然な気がしたからだ。


「天笠と何かあったの?」

「え? あ……、昨日これを一緒に探してくれて」


 神野がわざわざカバンを持ち上げて、そこについているキーホルダーを沢上に見せる。


「あったんだ! よかったね」


 沢上は本当に嬉しそうな声を上げて、そのキーホルダーを手に載せる。


「遥、これすごく大事にしてたもんね」

「うん。だから、そのお礼ってことで、昨日クッキーを家で作って、それをあげてきたの」


 神野の言葉を聞いて、机の上に置いてある小さな袋に目をやる。

 神野の手作りのクッキー。神野が、俺のために作ってくれた……。

 そう思うととんでもなく希少なものに思えてくる。

 どんなものか食べたいという欲求と、もったいないという相反する欲求が脳内でせめぎ合う。


『せっかく作ってくれたんだから、食べなきゃ失礼だよ!』

『いやいや、わかっているさ。わかっているとも』

『なら食べれば良いじゃん』

『そうなんだけどさ……。でも、もったいないっていうかさ』


「……はぁ」


 いつまで経っても、雌雄を決することがなさそうだ。視線を前に戻すと、九郎の目が俺の顔のすぐ前にあった。


「うわっ!?」


 思わず飛び上がって後ずさる。九郎は俺を興味深そうに眺めるだけで、なにも言い出そうとはしない。


「な、なんだよ……」

「なんだろうねぇ」


 ニヤニヤと九郎は頬杖を付きながら、俺の様子を面白そうに眺める。昨日の夢野のこともあってか、どうにも自分の心の中を見透かされているような錯覚に陥る。


「神野」


 錯覚じゃなかった。

 

――――



 はてさて、どうしてこうなったのか。

 夕方の電車内には俺たちと同じ制服姿の学生が多く見られた。

 他の制服の学生や、仕事帰りのサラリーマンもいたが、俺たちの高校の生徒が大多数を占めている。


「九郎のやつ……。なんてことを」

「ん? なんか言った?」

「うるさい、バカ」

「ひでぇっ!?」


 と、そこで俺ら二人の脳天に降り注ぐ、二つのゲンコツ。


「いつっ」

「あたぁっ!?」

「二人とも、電車の中では静かに」


 その拳の主は、心底迷惑そうな目を俺たちに向けていた。


「うるさいのは九郎だけだろ」


 そう文句を言ってみるも、沢上エリはサラリと躱してさらなる追撃を喰らわせてくる。


「喧嘩両成敗って言葉、知らない?」

「ま、まぁまぁ……、みんな落ち着いて」


 苦笑いと共にこの場を諌めようとするのは、神野遥だ。

 俺、天笠孔人、鷺坂九郎、神野遥、沢上エリの四人が、同じ電車に乗り合わせているという、世にも奇妙な状況が出来上がっていた。


 はてさて、どうしてこうなったのか。

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