第14話
窓から夕日が差し込んでくる。
きっと空は夕焼け空で綺麗なのだろう。
それなのに俺たちは皆自分の席に座ったままで、誰一人立ち上がろうとしない。
授業は夕方になっても終わらないままだ。
一体いつまで受けていればいいのだろう。
「――、――――」
最早、教壇に立つ教師の言葉すら上手く聞き取ることができない。
そういえばいつまで以前に、そもそもこの授業をいつから受けていたんだろう?
……思い出せない。
「…………」
……まぁ、いいか。
「――――! ――」
理解できない授業に嫌気が差して、頬杖をついていた頭を窓の方に向けてみる。
ガラス一枚の向こうに広がる、清々しいほどに澄み切った青空。
ただ一面青いだけの景色に、心が洗われていく。
こんな時間がずっと続いたらいいのに。
そんなことを思った瞬間――
――――
はてさて、激動のマラソン大会も終わり、ようやく少しはゆっくりできるなぁ、なんて思っていたのだが。
「ごほっ、ごほっ」
その矢先にモノの見事に風邪を引いてしまうという惨状だった。
熱もあるようで、何もせずとも頭がぐわんぐわんと揺れるような感じがする。
ちくしょうめ。
そう頭の中で毒づく。
学校を休めること自体はまぁ悪くはないのだが、どうにも全身がダルくまともに動けない。
どうせ休むのならマンガを読むなり、ゲームをするなりの、余暇を楽しみたいのに。今の俺はただベッドに横たわるだけの、人形にも等しい。
「くぅ……」
断続的に繰り返される、頭蓋骨の上から締め付けられる力は、それを割る程の強さではなく、まるで病そのものにおちょくられているようで不快だ。
そしてそれに追い打ちをかけるように、眠っている間に見た夢も最悪だった、ような気がする。
気がすると言うのは、起きた瞬間に細かい内容を忘れてしまったからだ。
起きていても地獄、寝ていても地獄。まさに打つ手なしと言ったところだ。
せめて次の夢はいいものであることを願って止まない。
例えば――。
「そうだな……」
神野がお見舞いに来てくれる……とか?
うぉ、何だか想像しただけで風邪が吹っ飛びそう。
きっとその時は今日の授業内容とか、クラスで何があったかとか、教えてくれるんだろうな。熱があるって言ったら、おでこをあててくれたりして……。
『天笠くん、大丈夫?』
ってすぐ目の前で心配そうに聞いてくれたりして……。
「…………」
ダメだこりゃ。
妄想が膨らめば膨らむほど、顔が熱くなっていくのを実感する。こんなことを考える時点で、まだまだお熱は冷めてないようだ。
そもそもシラフだったらこんな妄想に走りもしない。熱で頭が回っていないせいかもしれない。
あるいは、具合が悪くなると急に孤独感を強く抱くせいか。
普段は一人でいても全然大丈夫なくせに、こういうことになると途端にそれを寂しく感じてしまう。
自分以外の誰かがいて欲しいのだ。
それは誰でもいいわけでもなく、それこそ、好きな人とか……。
「孔人ー。お友達が来てくれたわよー」
「えっ!?」
ドアの向こうから聞こえてきた母さんの声に、思わず裏返った声を返してしまう。
「いや、まさか……」
でも、マラソン大会の後の保健室の件もあるし、もしかしたらもしかすると、来てくれたのは――。
「おーす。大丈夫かー? って、なんだよその顔……」
――九郎だった。
いや、わかっていたとも。本当だよ? そんな都合のいい展開があるわけないじゃないか。少しも期待なんかしてなかったとも。本当。本当だって。
「いや、なんでも……。ただ風邪でダルいだけ」
「明らかにオレの顔を見てゲンナリしてただろうが」
「気のせい、気のせい。別に女の子が来てくれるなんてイベントを期待なんかしてなかったさ……」
「悪かったな。むさい男で」
むっすーっと仏頂面を浮かべながら、手に持っていた紙袋を床に置き、そのままあぐらをかいた。
「それは?」
「むさい男からの贈り物だよ」
ふん、と完全にへそを曲げてしまった九郎の口調は何とも素っ気ない。
普段から九郎の扱いは適当だが、流石の俺でも申し訳なくなってきた。
「悪かったって。ちょっと頭がぼーっとしてただけなんだ」
「そーかい。そりゃ人肌恋しくもなるわけだ」
「そんな話はしてないって。それより、贈り物って何なんだ?」
「!」
そう問いかけた瞬間、それまでの素っ気なさが嘘のようにがらりと表情が変わった。
「よくぞ聞いてくれました!」
パァッと明るくなった声音から、何かしらの企みの臭いがした。
「一体何を買ってきたんだよ……」
「いやいや、別に迷惑になるようなものじゃないぞ。むしろ有用なものだ」
「その言葉からして嫌な予感しかしないんだが」
何ならこいつと話してて良い予感がしたことがほとんどないくらいだ。
九郎の企みはいつだって突拍子もなくて、そして最高にガッカリさせてくる。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、紙袋の中からさらにラッピングされた長方形の物体を取り出し、ベッドの上の俺に向かって放り投げた。
回転しながら放物線を描いたそれは、綺麗に俺の手元にすっぽりと収まった。
「…………」
九郎の方を凝視するも、ニヤニヤと笑みを浮かべるばかりで口を開こうともしない。どうやら開けるしかないようだ。
「はぁ……」
一つため息をこぼし、丁寧に包装された紙を剥がしていく。
一体何が入っているのだろうか。
どうせしょうもないパーティグッズか、あるいは使いようもないヴィ◯ヴァンにでも売ってそうなブツか。
そういえば前に、俺が誕生日の時にも、かなり反応に困る代物を渡されたことを思い出した。
どう見てもアン◯ンマンを模したぬいぐるみ型の筆箱だったっけ。
微妙に色やデザインそのものが違っていて、いかにもどこかの国にありそうな無許可のパチモノ商品だ。
しかも頭の部分がチャックで開けられるようになっていて、そこから筆記用具を入れられるという、オリジナルの要素をイマイチ活かせているのかわからない一品。
裏地にはちゃんと茶色の生地を使っている辺り、オリジナルへのリスペクトを感じるものの、肝心のペンは数本しか入らないという実用性のなさが絶妙だった。
「今度は一体……」
手に持つとなかなかの重量があり、お菓子の類ではなさそうだ。ようやく中身が見えるくらいまで進む。
「またろくでもな――」
まず目に入ったのは肌色。
しかも透き通るように綺麗な、まるで素肌のような――。
「はっ?」
――というか、素肌だった。
「く、くくく……っ」
九郎のおかしくて仕方ないと言わんばかりの笑い声。
言ってしまえばなんてことのない。そこにあったのは、エロ本だった。
「って、なんてことあるぞ!!」
「いたぁあっ!? 貴様、本の角で殴るとか畜生か!?!?」
「畜生はそっちだよな!? どこの世界に風邪のお見舞いでエロ本持ってくる奴がいる!?」
「元気ないんだろ?」
「そっちの元気じゃない!」
――――
それから時が経つこと十数分後。
「いや、胸はデカい方がいいでしょ」
「いーやいやいや、貴様の方こそわかっていない。貧乳こそ至高だ」
一般論のつもりで出した言葉を九郎が強く否定する。
「ロリコンじゃないか?」
「甘い!」
九郎の目は獲物を狩る百獣の王のそれにも等しい。
なぜこんなことになったのか。
最初は九郎の行動自体に文句をつけていたが、何かの拍子に本の内容について俺がこう言ってしまったのが原因だった。
『つーか、セレクトも謎だし』
『は?』
『いや、ほとんど胸ないでしょこれ。こんなのエロくもなんとも――』
その瞬間、目の色がギラリと変わった。ギラリ、という音が聞こえたような気すらした。
『貴様はちっぱいの良さがわからないと!?』
で、今に至る。
「貧乳=ロリというスーパーマーケットのセールのように安く、小学校の計算ドリルのような単純な発想をしてしまう時点でダメなのだよ、孔人くんよ」
あ、マズい。
脳内で警鐘が鳴らされるも、時すでに手遅れであった。
「あのしなやかな肉体、輪郭を曲線が描く美」
「なんか語り始めた……」
「簡単に折れてしまいそうなくらいほっそりとした腕や、往年の芸術家の作品の筆先を想起させるような、胸や背筋のライン」
「お、おう?」
「それらはすべからく、細い体型が可能にしている。全体から受けるスラッとした印象によって初めて、その美は完成するんだ」
本気だった。九郎の目には普段秘めているようなふざけの色が全く潜んでおらず、純粋に真っ直ぐな情熱があった。
内容が内容でなければ、映画の名場面にもなり得るような佇まいだ。
「でもそれってエロではないんじゃないか?」
「え?」
「九郎の言う貧乳の良さは、美なんだろ? それがエロと結び付くとは思えないんだが」
何を言っているのだろう、俺は。
なぜ同じ土俵に立とうとしたのか。
「ほう、言うじゃあないか」
しまった。さらに変なスイッチを押してしまったらしい。
「確かに造形美のみと言えばそうだろう。だが、エロ本にはそれに加えて様々なファクターが組み合わさったものであり、例えばシチュエーションなんか――」
ギアをさらに上げたようにまくし立て始める九郎の言葉は、耳から頭を通らずにもう一方からそのまま流れ出ていく。
ああ、なんだかまたボーッとしてきた。そう言えば俺、風邪引いてたんだよな……。
それなのにこんなくだらない議論とも呼べない何かを繰り広げて、一体何をしているのやら。
「――つまり芸術性と卑猥というものは紙一重で存在しているものであり……、って聞いてるか?」
「ごめん。途中から面倒くさくて聞いてない」
「めんどって……!」
「最初にデカい方がいいって言ったけど、どっちの方が好みかってだけで、そこまでこだわってないし」
「なっ!? それじゃ、一人で盛り上がってたオレがバカみたいじゃないか!?」
そうだ、お前はバカだ。とは流石に焚きつけてしまった手前、言えなかった。
ていうか独り相撲している自覚はあったんだな。
「すまんな、俺みたいな奴が相手で」
「謝られると余計に胸に来るからやめてくれ……」
左手で胸を掴み、大袈裟に苦しそうに呻く。
「はは……ゴホッゴホッ」
表情も態度もコロコロ変わるのが可笑しくて笑いそうになった瞬間、喉の奥から咳がドッと溢れた。
「あ、風邪だったっけか」
「そうだよ」
「まぁそれだけ喋れりゃ、明日には来れそうだな」
「むしろ今ので悪化した気がするよ」
「それだけ悪態つけるなら大丈夫だろ」
そう言って九郎はよいしょと声に出して立ち上がった。
「それ、おっさん臭いらしいぞ」
「え、マジ?」
「ああ。神野がそう言ってた」
現役女子高生の言葉だから、信憑性は確かだ。
「神野さんね……。そういや仲良いよなお前ら」
「まぁ、隣の席だし話すくらいは」
「本当にそれだけかぁ?」
「なんだよ」
「いんやぁ、なんでもぉ?」
明らかにおちょくるような表情を浮かべながら、ニヤニヤと俺の顔を見つめてくる。
「いやぁ、いいですなぁ。青春ってやつは」
「そんなんじゃないって」
少なくとも、まだ。
「オレじゃなくて神野さんが来てくれた方がよかったんだろうなぁ。こんなエロ本持ってくるムサい男の万倍マシだろうなぁ」
「九郎!」
「ハッハッハッ! 冗談だ、孔人くんよ。ではまた会おう!」
わざとらしい高笑いを上げながら九郎が出て行った。
「はぁ……」
自然にため息が漏れる。
それと同時に気が抜けたせいか、まぶたがぼんやりと重くなる。
「まずい……寝そう……」
さっきの悪夢のイメージが頭の中をよぎる。
具体的内容は何一つ思い出せないのに、残っていた感覚と余韻が全身にさらにのしかかってくる。
それに押し潰されるように、俺の身体はベッドに吸い込まれていった。




