第11話
それから俺たちは走り続けた。
朝も、昼も、夕方も。
授業はひたすら眠った。
俺は九郎と同類になってしまった。それだけは嫌だったが、次第に慣れていってしまった。
授業を疎かにしてしまっていることへの背徳感はあったものの、ただ一つ、俺の頭にこべり付いた言葉が、俺を突き動かしていた。
『ほら、駅伝とか。何だか一生懸命走ってるのって、カッコよくないかな』
もしもマラソン大会で優勝したら、普段特にいいところなしの俺を、神野は見直してくれるかもしれない。
もしかしたら惚れられたり……。
…………。
気持ち悪い妄想はここまでにしておこう。
だが、きっかけは何であれ、俺と九郎はこの日のために、ただひたすら走り続けてきた。
……そしてその是非は、今日、明らかになる。
この一ヶ月もの間、肉体をいじめていじめて、いじめ抜いた成果を魅せる時が、ついに来た。
「……なぁ、九郎」
「なんだ?」
「一位は俺がもらうからな」
「ふん」
腕組みしながら九郎が鼻を鳴らす。
「今日こそは勝ってみせるさ。ダントツでお前をぶっちぎって、トロフィーはオレのものになるんだ。泣くんじゃねぇぞ?」
「ほざけ。九郎が俺に勝てたことが今までにあったか?」
「孔人、お前は知らないだろう。オレの隠された奥義を……!」
「…………」
「…………」
沈黙が俺と九郎の間に訪れた。俺が黙ったままでいると、九郎の少し困ったような顔が見え隠れする。
「……なぁ、九郎」
「ん?」
「流石に、奥義とかはないと思うぞ……? せめて、もっとこう……」
「うるせー! オレだって言った直後に、『これはない』って思ったよチクショウ!」
「はぁ……」
ため息を一つ吐く。こんなので、はたして本当に一位が取れるのだろうか……。
「……あ、天笠くん」
身体をグッと上に伸ばしていた神野が俺に気づき、小さく手を振ってきた。
「よ。女子は後からだっけ?」
「そうだよ。確かに一緒に走ると多すぎるもんね」
ということは、俺が一位でゴールする姿を、神野に見てもらえる可能性は高いということだ。そう思った瞬間、身体の奥底が熱く燃え上がるのを感じた。
胸の中で熱く滾るマグマ。自らの肉体を燃え尽くすほどの情熱が湧き立つ。
おお、何だか本当に勝てそうな気がしてきた。
「よっしゃあ!」
思いっきり九郎の背中を叩く。細い九郎の身体はそれだけで吹っ飛んでしまいそうだ。
「いたっ!? なんだよって、目が、燃えている……!」
「行くぞ、九郎……! 俺たちでワンツーフィニッシュだ!!」
「お、おう……?」
そんな風に九郎と闘志を燃やしていると、不意に視線を感じた。
向かずともそれが誰なのかはわかっている。
「…………」
風戸だった。
俺が振り向いて目が合うも、風戸の目は俺から逸らされず、ただまっすぐに睨みつけてきていた。
勝算は、わからない。
風戸という男が走る姿を見ることは、これまでに一度たりともなかったから、その速さが如何ほどのものかを知ることはなかった。
むしろ実際に見て差を思い知ってしまうことで、戦意喪失してしまうよりは、何も見ていないほうがマシだろう。
俺と風戸の目がぶつかり合う。
冷え切って肌を切り裂きそうな程に鋭い風が、強く俺たちの間に吹き込む。
「ワンツーフィニッシュだって?」
「……!」
「何を考えているのか、今更になって。お前はもう数年も走っていないのに、ずっと走ってきた俺に勝てるわけがないだろう?」
「そうやって油断していると、もしもがあるかもしれないだろ」
「もしもがあろうがなかろうが、天笠、お前に負けることは絶対にない。あの時の雪辱……、今日こそ果たす」
一方的に宣言した風戸が背を向けて、スタート地点に向かっていく。
「……確かに、そうかもな」
だが、今の俺には理由がある。
「どうしたの? 天笠くん」
「いや、何でも」
神野の前でカッコ悪いところは見せられない。
そうして俺たちは、スタートラインに並び立った。
錚々たる顔ぶれ、とは言わないが、卓球部以外の運動部の顔は殺気立っている。人が一人死んでもおかしくない。いや、おかしいな、それは。
学年全体の半数が揃っているにもかかわらず、辺りは静かだった。
みな闘志を静かに燃やし、始まりの瞬間を今か今かと待っているのだ。
体育の教師が号砲を頭上に構える。
「よーい……」
パンッ!
乾いた音が、背筋にビリッと電流を流す。
レースが始まったのだ。
――――
一斉に一年男子が足を踏み出し、走り始める。
有象無象の大群の中からいち早く抜け出たのは、やはり風戸だ。
他の人間よりもずば抜けて速いのは、まずその一歩一歩で進む距離が段違いだからだろう。
そしてその上で手と足の回転も早く、一秒ごとに大群との差を広げていく。
「はっ、はっ、くっ……!」
俺も同じように大量の背中による壁に割り込んで、風戸の後ろについた。
現状二位の位置に付き、目の前の風戸を追う形になる。
風戸の走るペースは俺の予想よりもずっと早く、それについていくだけで精一杯だ。だが、これについていかなければ元も子もない。
「…………」
すぐ近くにいるにも関わらず、風戸から息を切らしているような声が聞こえない。
まだ始まって間もないから当然の話ではあるのだが、この速さで走っているのに少しも呼吸が乱れていないのは、流石関東大会に出場しただけある。
「……っ!」
一瞬、チラリとだけ後方を振り返り俺と目が合うと、ギョッとしたように目が見開いた。
まさかすぐ後ろを走る人間が俺だとは思っていなかったのだろう。
「ふふっ」
無理矢理に口角を上げて、笑みを風戸に見せると、その見開かれた目はさらに大きくなった。
そして逃げるように前をまた向く。そのフォームは僅かに崩れが生じている。
「……はっ、…………はっ」
そしてその影響か、風戸の声も風に流されて聞こえてくる。
見事に俺の術中にハマっているな、風戸のやつ。
俺が立てた作戦は至って単純。
先頭を独走する風戸のすぐ後ろを、俺が走る。
そうすることによって、俺が受ける向かい風による抵抗を、全て風戸に受けてもらうという作戦だ。
真っ当な長距離走でもよく使われる策だし、ルールに違反はしていない。
それに、これには今回にだけ通じる利点もある。
「はぁっ、はぁっ」
それは、風戸の後ろにいるのが俺だということだ。
九郎たちの話を聞くに、中学時代、風戸は俺に勝てなかったということらしい。
そんな相手と久しぶりに勝負で、ずっと後ろにつかれているというのは、かなりのプレッシャーとなるだろう。
この二つの要因で風戸のスタミナを『より早く』消費させ、バテさせる。そうすれば、俺の勝ちも多少は見えてくるはずだと踏んだのだ。
もちろん勝つためには、それまで俺が風戸について行くことが不可欠だから、純粋に自分の体力も上げなければならなかったのだが。
「はっ…………、はっ…………」
今のところ、俺の目論見は順調だろう。
さっきの俺の笑みの意味を求めて、脳内がカオスなことになっているに違いない。
今回のマラソンは10キロのコースだが、1キロを過ぎた時点で、俺の順位は二位を維持していた。




