1 素敵なおばあちゃんとお友達になった
「うわー…前任が男だって聞いてたけど、さすがにこれは、ナイでしょ。やっぱユウノに甘えればよかったかな」
ピット外れにぽつりと立つ小屋(というか倉庫というか物置というか、荒れ果てたログハウス)を眺めてポリポリと頭を掻く。唯一の友人であるユウノが「あんた雑なんだから掃除しないでしょ。一週間くらい着いてってあげるから」と目を吊り上げていたのを思い出す。「だーいじょぶだって。仕事あんでしょ?落ち着いたら遊びに来てよ」なんてケラケラ笑っていた一ヶ月前の自分を殴りたい。
お役所さんから預かった鍵で小屋に入れば、もう埃っぽくて仕方ない。窓という窓を全開にしてから外に出た。
「散歩してから考えよ」
掃除道具とかあるんだろうか。せめて桶はほしい。ベット、テーブル、チェア、小さなチェスト。本当に最低限の家具のみ置かれていたが、いやいや、あれ、前任暮らしてないでしょ。数年は人がいた気配ないよ。
ということは、だよ。お役所のおじさんが見せてくれた前任の報告書は偽装されてんじゃないの。まぁ、偽装もなにも『異常無し』の一文だったけど。手を抜き過ぎである。それも半年前からパタリと止んで、いよいよ逃げたなと思ったお役所さんが次に指命したのがわたしだった。まぁ、いいけど。
ヒューマノ(わたしとかユウノみたいな人間の種類)が住む町外れのログハウスか、ブィームノ(人間以外の種族)が住むピット外れのログハウスかの違いだし。
普通は前任からの引き継ぎがあって、って流れらしいけど、トンズラした前任に教えてもらう訳にもいかず、ぺらっぺらの紙を頼りにやるしない。まぁ、みっちり書かれた文章は三行で諦めた。いつか読む。くしゃりとポケットに突っ込んだ規約書は今度ユウノに読んでもらおう。
とりあえずピットに続くあぜ道をふらふら歩いていたら、藤色のワンピースを着たおばあちゃんが小川を覗き込んでおろおろしていた。
「おばあちゃん、どうしたの?何か落とした?」
「えぇ、御守りを…あら?」
「御守りかぁ。どんなやつ?何色?」
靴をぽーんと脱ぎ捨てて、シャツとズボンの裾を捲り上げる。じゃぶじゃぶ小川に入っていけば、後ろから「まぁ、濡れてしまいます。良いですから、あの、あなた、風邪を引いてしまいますわ」と止められた。ふんわりしたおばあちゃんだ。
「おばーちゃーん、なにいろー?というかどんなかたちー?」
「あの、えぇっと、ピルピーノにポルテッタが嵌め込まれていて…ですが、本当に大丈夫ですから。危ないのではやくこっちへ」
「へーきへーき!ピルピーノでポルテッタ、ってことは旦那さんからもらったんじゃないの?大事なやつでしょー!」
片っ端から石を持ち上げたり避けたりしつつ、銀色を探す。ポルテッタは水のように透明でほんのり青み掛かった宝石だからピルピーノの銀色を探した方が早い。たぶん。銀色だから石と見間違うかもだけど。
ピルピーノは金属の一種で、主に武具や治水に使われる。基本的に装飾品で使われることはない。お偉いさんにはそうじゃなくても、わたしみたいな庶民にはとても高価な物だから。そんなピルピーノに宝石、とくれば婚約時に贈る御守りしかない。
ヒューマノは指輪を贈ることが一般的だけど、ブィームノは姿形が微妙に違うからネックレスやブレスレットのようなものを御守りとして渡すらしい。自分がいないときに家内を守ってくれますようにと願いが込められているとか。指輪よりも御守りの方がロマンチックだなぁ、と幼少の頃のわたしは思ったものだ。今じゃオシャレのオの字もないけど。
「あ、あったー!これじゃない?きっれーなポルテッタ!」
一際大きな岩の影に引っ掛かっていたブレスレット。細いピルピーノのチェーンに一粒のポルテッタを囲むように花弁が舞っている。素敵なデザインだ。
また、水を掻き分けるようにしておばあちゃんの元に戻れば、ほっと安心したように息を吐いた。
「大丈夫ですか」
「うん!ほら、よかったね、傷もついてないみたいだよ」
「そうではありません。あなたが、ですよ。あらまぁ、もう、そんなに濡れて…ありがとうございます、心優しいあなた」
「あー、そっちかあ。大丈夫!ちょうど水浴びしたかったとこだし!見付かってよかった」
へらりと笑っておばあさんの手をとる。ふわふわした灰色の毛皮に覆われた手首に御守りを置いて、千切れたチェーンを指で摘まむ。ふわりと光が泳いで、指を離せばちゃんとくっついていた。
あらあら、と目をまんまるくするおばあちゃん。ウルフの血筋なんだろう、スラッとした鼻立ちに大きな耳、広い鍔のオシャレハットがよく似合っていた。
「あなた、やっぱりヒューマノの方ね。護人さんかしら」
「うん。そう。さっき来たんだ。こんな素敵なレディに会えたから運がよかった!」
「ふふ、お上手ね。ご迷惑じゃなければ我が家に寄っていってくださらないかしら」
「もちろん。レディの誘いは断らないから」
ふるり、頭を振って水を飛ばそうとするけど、おばあちゃんに掛かるなと思って止めた。それにまたふんわりと笑って綺麗なハンカチで顔を拭ってくれる。
もしかしなくとも、このおばあちゃん、イイトコのご婦人なのでは?
鞄と靴を手に持って、ゆっくりと歩き出す。若干足の裏が痛いけど仕方ない。靴までびっしょびしょには出来ない。
「おばあちゃん、連れは?いないの?」
「少し前まで孫と一緒でしたの。ですが急な仕事で…」
「おばあちゃんのお孫さんなら綺麗なんだろうなぁ」
「ふふ、下二人は双子でね。上とは年が離れているのだけど、男の子と女の子なの。とても可愛いからあなたにも会ってほしいわ」
「ぜひ!わー、楽しみ…って、こんな濡れてるけど大丈夫かな?」
「えぇ、湯も準備しますから、しっかり温まってくださいね」
お風呂だー!やった!
ありがとう、おばあちゃん!と笑えば、金色の瞳が柔らかく頷いてくれる。きっとおばあちゃんの旦那さんはこんな所に惚れたのかなぁ。
ピットに入れば純粋なヒューマノが珍しいのか、ちびっこにはまじまじ見られ(手を振っておいた)、大人の人は怪訝そうだったり困惑してたり(笑顔で会釈しといた)、反応は予想通りあんまり良くない。まぁ、前任がほったらかしてたの確定したし、そんなもんでしょ。
「ごめんなさいね、あなたが悪い訳ではないのに」
「いーよ、いーよ。これから頑張るし…まぁ、なにやるのかよくわかってないけど」
「まぁ!あなた、おおらかなのね。ふふ、すぐにみんなもあなたが優しいヒューマノだって気付きますわ」
大奥様、と呼び掛けたのは小麦色のウルフで、眼鏡を掛けていかにも家令!って感じの執事服をぴっしり着ていた。わたしを見て、一礼するとすぐに側を通り掛かった焦げ茶色の若いウルフに指示を出している。
「お帰りなさいませ。湯の準備をすぐに整えますので、御客人を一度二の間にお通ししても?」
「えぇ、この方、新しい護人さんで…そういえば御名前を伺っていなかったわ」
「センビと申します、大奥様?」
「いいのよ、センビ様。あなたは私のお友達ですから、言葉遣いはそのままで。私、ラル・ウルフ・スノーレン、この家のサム・ウルフ・スノーレンの奥を勤めておりますの。
ビー、センビ様はね、私の御守りを川から探し出してくださったの。丁寧におもてなししたくって」
「おや、それはそれは…センビ様、私からも御礼をさせてください。すぐに湯で身体を温めましょう。大奥様、一時間後に中庭でティーセットを準備致しますね」
「えぇ、お願いするわ。その間に私はサムのところへ行ってきます。センビ様、また後でね。しっかり温まってきてくださいね?」
「えーっと…うん、とりあえずビーさんに着いていけばいいね!」
わたしがぽっかーんとしてる間にビーさんは全て把握したらしい。すごいな、ラルさんの家、イイトコどころかピット1の良家じゃん。
ダークグリーンのメイドさんと共に3階?4階?建ての屋敷へと消えてったラルさんを眺めていたら「センビ様はこちらへ」とビーさんに声を掛けられた。
「改めて、大奥様を助けて頂いてありがとうございます。あの御守りは大旦那様がデザインしたものなので、見つからなかったらお二方とも悲しまれますので」
「いやいや、むしろ申し訳ないです。ラルさんにものすごくフランクに話しちゃった…」
「おや、御友人ならば当然では?」
面白そうに犬歯を覗かせるビーさんに不快な色はない。ラルさんちの使用人ってやばいな。徳が高いブィームノの集まりなの?他の使用人もなのか、ビーさん特有なのかはわかんないけど、とりあえずビーさんすごい。
「それは有り難いお言葉ですね」
「声に出てた…ビーさんとも友達になりたい。ビーさんみたいな徳の高い人間になりたい」
「おや、こんな老体でよければ喜んで」
ぱちん、とウインクしてみせたビーさんめっちゃかっこよかった。イケオジ。