一話
みんみんじーじーと、蝉の鳴き声が聞こえる。あまりのうるささに、目を覚ました時、自分の布団に、もう一つの影があることに気が付いた。
ベッドもとに置いてあったスマホで確認すると、時刻は午前四時。温かさを持っているそれが、俺の足にぬるぬると絡んでくる。
「……何やってんだ、冬乃」
白髪を揺らしながら、冬乃がわざとらしい寝返りを打つ。
冬乃は今日も朝から陸上部の練習がある。起こしてやるのは可哀そうだ。本当に眠っているのなら。
「……俺に寝たふりが通用すると思うか?」
パチリと冬乃の目が開いた。
「おはよう」
消え入りそうな声で、冬乃がつぶやいた。
普段から妹たちは俺のベッドに潜り込んでくることは多々あるが(それでつい最近寝不足で倒れたし)、それは夜中のうちに自然と自分の陣地への帰っていくのだが、今日の冬乃は、全く戻る気配がなかった。もうすぐ朝だというのに。それどころか、昨日の夜中に俺と布団で遊んだのは、夏花だけだった。
「お兄ちゃんと二人きりになれるのをずっと狙ってたから」
「さも当然のことのようにドヤ顔するんじゃない」
「えへへ」
「可愛いから許す」
可愛いは正義である。つまり冬乃は正義である。正義がなにか正しくない行いをするはずがないのだ。だって、正義なのだから。
冬乃を振りほどき、少し早いがリビングへと降りる。
キッチンを覗き込むと、当然のことながら雅はまだ来ていなかった。
後からついてきた冬乃に麦茶を出してやると、ゴキュゴキュと音を立てて飲み干した。可愛い。
我がベリーキュートなマイシスターの可愛い姿を堪能していると、不意にピンポーンと間抜けな音が鳴った。
宅配便が来るには早い。もしも雅なら、合鍵を持っているからそれで勝手に入ってくるはず。だから、心底嫌な予感がした。
おそるおそる、インターホンの画面を見る。そこには、明るい毛色の髪の毛が映るだけだった。しかし、これだけでも俺は誰か分かる。それくらいには、特徴的な茶色なのだ。この髪は、昔聞いた話では、クォーターらしい、郡山 光に他ならない。
嫌々ながら、玄関を開ける。
「あ、おはようございます」
「おはやすぎるんだよ出直せ」
まだ太陽も、ようやく顔を出すか出さないかという時間帯だ。
「私、ホームレスになっちゃいまして」
「は?」
だとしても、この時間帯に我が家に来る理由にはならんだろう。ダンボールにでもくるまっておけ。
「実は数日後から我が家のリフォームが始まるんです。なので、家族みんな、おじいちゃんの実家に帰ったんですけど、私はほら、部活があるじゃないですか。帰るに帰れなくて、ここにきてみました」
「少なくともここもお前の帰る場所ではない」
「私、ここに泊まるつもりで来たんですけど」
「分かってるから帰らせようとしてるんだが?」
くいくい、と袖を引っ張られる。そちらを向くと、冬乃が可愛い顔をして俺の方を見ていた。
「冬乃ちゃんは私がこの家に住むの、賛成ですよね?」
郡山が救いを求めるよう冬乃に手を伸ばす。それを、俺ははたき落した。
冬乃の方を見ると、なにやらどす黒いオーラを出している。「絶対無理」の気持ちの表れだろう。
「答えは出たな。氷堂先輩の家にでも泊まりに行け。あの人なら断ることはないだろう」
「せめて春野先輩にしてくださいよ!?」
「あの家はやめとけ。心がやられる」
これは純粋な心配から出た言葉だ。
「別に大丈夫だよ」
不意に、郡山の後ろからよく知った声が聞こえてきた。
「今、うちも両親いないから」
朝ごはんを作りにきたであろう雅が、そこに立っていた。
雅の両親は共働きだ。全員がギスギスした空気の中に居たくなくて、夜以外ほとんど誰もいない。そんな家なのだが、今の春野家の状況は、そういうことではなく完全に、24時間誰もいない。そういうことだろう。
「出張か何かか?」
「二人とも海外研修で、帰ってくるのは9月になってから」
いずれ、あの二人には一言言ってやりたいものだが、ともあれ郡山の目的は、これで果たされる。
文句ないな、と郡山を睨むと、
「先輩の家じゃないのは残念ですけど、すぐそこなんで今回はこれで我慢しますかね」
「そんなに簡単にリフォームするのかお前の家は」
どんなボロ屋だ。
「とりあえず、朝飯だけは食わせてやる。それ以降の我が家への立ち入りは禁止する」
「え〜厳しくないですか〜?」
「自分にも他人にも厳しくが俺のモットーでな」
ただし妹は除く。
「こんな可愛い子は、甘やかしてなんぼだと思うんですけど」
「性格が可愛くないので却下」
「ちっ」
「そういうところだぞ」
郡山と軽口を叩きあいながら、リビングへと通す。雅は慣れた手つきで冷蔵庫から食材を取り出し、朝食を作り始めていた。




