十五話
約一時間にも及ぶ説教の末、ようやく俺は職員室から解放された。
この一時間で頭を下げた回数は数えきれないし、少しでも背筋が曲がると怒られたので、気を抜くことも意識をそらすことも出来ず、永遠に近い一時間だった。何時からこの学校はこんなに厳しくなったのだ。別に一日くらいいいじゃないか。普段は全く問題行動など起こしていないのだから。それどころか、定期テストの点数を見れば、優等生まである。いや、だからこそなのかもしれない。学校は、俺に期待してくれているから叱ってくれたのかもしれない。一時の感情で将来を棒に振るなよ、と忠告してくれたのかもしれない。なるほど、これは愛の鞭なのか。二度とごめんなのだが。
そんなことを思いながらも、担任や学年主任の気のすむまで絞られてきた俺を褒めてほしい。さすがにちょっと疲れたから、早く帰ろう。そして夏花や冬乃に癒されよう。抱きしめてくんかくんかしよう。久しぶりに同じ布団でなるのもありかもしれない。
荷物は教室の戸締りの時に部室に運んだそうなので、さらに傾いた太陽に照らされながら、廊下を歩く。換気のためなのか開いている窓から、電車の走る音が微かに聞こえてくる。グラウンドでは、野球部が大声を出しながら土を整えていた。誰もが誰も、幸せそうな笑顔で満ち溢れているように見える。きっと、青春をしている自分に酔っているのだろう。何ともまあ、美しいことだ。
校舎の奥に進んでいくと、ようやく部室へとたどり着いた。扉を横にスライドさせると、中から洩れてきた光に、目がくらんだ。
「……おかえり」
部室にいたのは、雅だけだった。
「ほかの二人は?」
少なくとも、一時間前の時点では郡山もいたはずだ。
「氷堂先輩は生徒会の仕事。光は帰った」
淡々と雅は答える。目線は合わせてくれず、ずっと左の方を向いている。その方向にあるのは、壁だけだというのに。
机の上に鍵が置いてあるのを見ると、戸締りも頼まれているのだろう。
時計を見ると、いつも帰る時間よりも、すでに30分ほどが過ぎていた。
「よし、帰るか」
部室に居てもすることがないし、俺は鞄をもち上げる。自分のと、雅のと、両方。
それに、雅は黙ってついてきた。いつもより数センチ、距離が離れている気がする。顔も、俺とは反対に位置する窓の方を向いていて、どうやら意地でも俺に顔を見られたくないらしい。
さすがに俺と雅は幼馴染なのだ。こういうときの、雅の心情くらいなら、簡単に推し量れる。
「そんなに俺に泣き顔を見られるのが嫌か?」
これは、雅が泣きはらしているときの行動だ。目元は赤くなり、瞳はうるんだままで、それはそれは残念な顔になっているときのもの。最後にこんな雅を見たのは、確か小学4年生くらいの時だったか。あの時はまだ、幼さも残っていたので、年相応といった感じだが、すっかり成長してしまった今では、さらにひどい顔になっているのではないかという、俺の予想だ。
「……泣き顔なんて、誰にも見られたくないし」
声は鼻声で、少し震えていた。
ここで俺には、二つの選択肢がある。
一つは、雅の顔を無理やりこちらに向けて、怒られるか。
もう一つは、この気まずい空気のまま、帰宅するか。
状況的に考えて、明日からの雅との仲を考えて、俺が取るべき行動はどちらだろう。
「え、ちょ、秋都!?」
雅の方に寄っていき、壁に追い詰めると、雅はそんな声を漏らした。
「なるほど、こりゃ酷い」
当然、雅はおれの方に顔を向けることになるので、ようやく俺は雅の顔を拝むことができた。
目どころか、頬のあたりまで涙の後が残っており、予想通り、綺麗な黒いひとみの周りは赤く血走っていて、普段の面影が見当たらないほどだ。
「だから見せたくないって言ったのに」
雅はふてくされているが、一度見られてもうどうでもよくなったのか、俺をにらみつけるだけだった。
「お前、こんな顔で授業出たの?」
とてもじゃないけれど、人に見せられる顔じゃない。
「ちゃんと部室まで我慢したし……」
口をとがらせて、抗議してきた。こうしてみると、いつも通りの雅という感じがする。
「後輩に慰めてもらうとか、恥ずかしくないか?」
「誰のせいだと思ってるの!?」
適当に言ってみたのだが、どうやら図星だったようだ。
「俺を振り向かせることができなかったお前のせい」
「……」
口論に持ち込んでも、すぐに黙りこんでしまってあまり張り合いが無いので、今日はそっとしておいてやろう。少なからず(というかほぼ100%)、雅がこうなった原因は俺なわけだし。責任を感じているかと言われれば感じていないが、というかその責任は雅が負うべきだとすら思うが、ずけずけと無遠慮にそこに踏み込んでいくほど、俺はバカじゃないのだ。
電車に乗って、家の前につく。
俺と雅との分かれ道、すなわち俺の前についた時、
「いつか、後悔させてやる」
不意に雅が漏らした。ラブコメなんかでフラれたヒロインがよく口にするセリフだが、これを言ってしまうやつが、現実にいるとは知らなかった。
「は、やってみろよ」
売られた喧嘩は買うのが俺なので、反射的にそう返した。
「妹という存在に、幼馴染ごときが勝てるとは思えんがな!!」
はっはっはっと高笑いをする。雅は、それを見て、頬を膨らませて、叫ぶ。
「そのうち私の方が可愛いって言わせてやるからね!!覚悟しといてよ!!」
二人して、住宅街のど真ん中で叫んだ。車はめったに来ないので安心だが、近所からの目が、少し痛い。
「じゃ、また明日」
そして、最後には笑って雅と別れた。どうやら、明日も朝ごはんを作りに来てくれるらしい。
「ただいまー」
家の中に入ると、夏花がどたどたと足音を立てて、二階から降りてきた。
「兄ちゃん、ふ、冬乃が!!」
慌てふためく妹を前に、俺は持っていた鞄を、思わず地面に落とした。




