十一話
「お邪魔しまーす……」
古めかしいこの学校には似つかわしくない、大きな白い扉を開けると、中には一人が鎮座して、慌ただしく書類の整理をしていた。
クラスにいないと知れると、雅は真っ先に部室に向かうだろう。そしてそのあとは、手当たり次第に校内をめぐると思う。俺がここに来ることは、想定外なのではないだろうか。
「生徒会室は、頻繁に遊びに来るような場所じゃないぞ」
鋭い言葉をスルーして、書記と書かれている札が掲げられた責任腰掛ける。氷堂先輩は、手を止めて俺の方を見る。その瞳が、獲物を狩るライオンのように鋭かったので、体がピクリと跳ねた。
「機嫌悪そうですね」
悪いのは機嫌だけではなく、顔色もだ。色を失っている。
「おかげさまでね」
「ああ……」
機嫌の悪さの原因が俺だということは、例の一件が関係しているのだろう。
先日、先輩はついにその思いを雅に伝えた。長いこと見守ってきた俺(と郡山)としては、感無量といった感じだったのだが、タイミング悪く俺のスマホがなってしまった。それも、最悪の相手から……。
「返事、してもらえたんですか?」
聞きはしたものの、おそらく原因は俺にかかってきた電話のせいで話が遮られて、それで返事が聴けなかったということだろうから、答えは分かっているようなものだが。
「そもそも、あれ以来一度も会話をしていないね」
先輩はため息を漏らした。全てをあきらめるかのような、そんなため息だ。
「郡山くん曰く、フラれたと同義らしいね」
わざわざJK翻訳を使わなくても、それくらいは分かりそうなものだが……。
ここにきたのは、雅から逃げるためだけではなく、もう一つ目的がある。
「先輩、告白する時って、どんな気持ちでした?」
青葉に言われた言葉の意味を、俺なりに真剣に考えたのだ。
雅の気持ちなんて、考えても考えても、分からなかった。解らなかった。俺には、どしようもなく、理解なんてできなかったのだ。誰かを好きになって、その気持ちを相手に伝えたいなんて、もう俺には、届かないものだから。
それでも、解らなくても、少しだけ手を伸ばしてみようと思ったのだ。考えてみれば、というか考えるまでもなく、俺は雅のことを対して知っているわけではない。別の人格を持っていて、別の価値観を持っていて、別の人間として俺たちは過ごしているのだから、当たり前のことだ。ましてや、その奥底にある感情を推し量ろうだなんて、おこがましいだろう。
俺にとって、雅は大切な存在だ。だから、少しでも雅のことを、知りたいと思った。そして、俺の身近にいるらそういう人物は、一人しかいなかった。それが、氷堂先輩だったのだ。
俺の唐突な質問に、顔の色一つ変えず(初めから嫌な顔だったのが張り付いたままなだけである)、
「急にどうしたんだい?」
と答えてくれた。
「もしかして、目の下の隈はそれが原因なのかな?」
「恋に悩むほどJKしてないんですよ、俺は」
そもそもJKでなくDKだし。
「こういう質問は、僕にこそするべきじゃないと思うけどね」
「俺の狭い交友関係では先輩以外に聞くわけにはいかないんですよ」
雅に聞くことはもちろんできないし、郡山からまともな解が得られるとは思えない。青葉もまたしかり。こういう質問には答えてくれないやつなのだ。
「まあ、なんていうかな。恥ずかしかったけど、ようやく肩の荷が降りたって感じかな」
俺の行動に疑問を抱きながらも、氷堂先輩はちゃんと答えてくれた。
「告白する前はあれだけ怖かったのに、いざしたとなったら、不思議と恐怖は無くて……ちゃんと言えた自分を、思いっきり褒めてやりたい気分だったな」
天井を見上げるその瞳は、子供をあやすような暖かさがあった。その熱の矛先は、どうやら過去の自分らしい。過去と言っても、あれからまだ一週間も経っていないのだが。
「なによりも、自分の気持ちを伝えられたことが、嬉しかったな」
微笑んで、先輩はそう付け加えた。
「気持ちを伝えられただけで、そんなに嬉しいものなんですか?」
疑問を投げかけると、先輩は少し考えて、口を開く。
「何でなんだろうね。はっきりとはわからないけど」
先輩は、短く息を吐いた。
「でも、嬉しかった。ようやく、僕も青春に手を伸ばせた気がして……ね」
俺はまともに活動していないが、先輩はそうではない。俺たちが所属しているクラブの名前は、「青春研究部」なのだ。青春を謳歌するために作られた部活。その部活に、現存する唯一望んで入った部員である先輩は、きっとずっと、それを追い求めていたのだろう。
以前の先輩は、極度の人見知りだったそうだ。背筋も丸く、勉強はそこそこだが、運動などは全くできない。誰かに話しかけられるとキョドるような、典型的な隠キャラ。そんな先輩が、たどり着いた場所が、ここだったらしい。人見知りの克服や、スポーツの練習、勉強だって今までよりも頑張って、ついには生徒会副会長にまで選ばれた。俺の覚えている限り、全校生徒の前でのスピーチは、とにかく酷いものだった。何度も練習したのにと選挙後は悔しがっていたが、結果としては当選した。みんな、ちゃんと見ていたのだ。先輩のことを。よく校舎の掃除をし、誰よりも生徒会の活動をしてきた先輩を。普段から積み上げた周りからの信頼が、この人にはあったのだ。だからこそ、選ばれた。副会長という役職に。いくらスピーチが苦手でも、氷堂玲の、今までの行いを、ちゃんと評価してくれた。
だがしかし、この人にはそれしかなかった。みんな、ちゃんと評価はしてくれた。だけれども評価しかしてくれなかったのだ。誰も、氷堂玲に、近づかなかった。決してモテたかった徒かそんな理由ではないだろう。だが、未だに友達と呼べる間柄の人は俺くらいしかいないらしい。
以前、氷堂先輩は言っていた。告白しない、できない理由は、自分に「勇気がないからだと」言っていた。もし自分に勇気があればここまで告白を長引かせることもなかっただろうし、友達も、もっといたのではないか、とも。誰かに話しかけるだけの、コミュニケーションをとるだけの勇気が欲しいと、ずっと言っていた。だからこそ、やっと口にできた言葉が、何よりもうれしかったのだろう。
「秋都くんたちが入ってくる前の先輩たちが言ってたんだよ。青春ってのは、手を伸ばせばすぐに届くところにあるのに、手の伸ばし方すら知らないやつらが、いっぱいいるんだって」
一年生の時にも聞いた話だが、今だからこそ、考えさせられる言葉だった。
俺は、別に青春がしたいわけではない。ただ、妹たちと幸せに暮らせれば、それだけでいいのだ。部活が終わればすぐに帰るのは、勿論そのためなのだが、基本的に雅は俺についてくる。朝は一緒に学校に向かうし、帰宅もいつも一緒だ。挙句の果ては、帰宅後も俺の家にいることがほとんどだ。俺がそれを強制しているわけではないが、雅の自由時間というのは授業の合間の休み時間くらいしかない。雅のことだから、クラス内にはそこそこ友達もいるのだろうが、その友達と遊ぶ時間な度、俺の知る限りない。まったくもって皆無である。
もし、雅が先輩の告白で、手の伸ばし方を知ったのなら──思いを伝えるということを知ったなら──
「先輩、ありがとうございました!!」
クッションを本気で蹴って、扉に向かう。
青葉の言葉通りだ。雅にちゃんと向き合わなきゃならない。それはきっと、俺に課せられた、青春の任務なのだから。




