三話
結局、少女は家族と少年に看取られながら安らかに息を引き取った。最期の瞬間に少年が「絶対に忘れないよ、君のこと」と言って少女は穏やかに死を受け入れた。物語自体はどこにでもありそうな感動話だが、どうも少年の心の移り変わりが読み取れない。こちらとしてはただ情緒不安定の少年がその場の気分で話してるようにしか思えなかった。だが、それ以外は全て満足できる内容だったしいい作品だった。そして改めて、この作者に会いたいと強く思った。
「あ、それ知ってる! わたし読んだことあるよ!」
読後感に心地良く浸かっていると急に横から張りのある声が通ってびっくりしてしまい持っていた本を落としてしまった。教室は静かだったし誰もいないと思っていたら藤宮がいた。落ちた本を彼女は申し訳なさそうに拾い上げて俺に渡す。
「いつからいたんだ」
本に集中するあまり、周りに裂く注意も無かった。それほど本に没頭していた。
「いやぁ、今日も忘れものしちゃって……。ごめんねびっくりさせちゃって」
藤宮は机から携帯を取り出してポケットにしまう。忘れるなら肌身離さず持っておけよと思うが、言うほどのことでもない気がして言わないでおいた。
それよりもこの子がこの本を読んだことがあるほうが驚きだ。そもそも本を読むようなタイプではないと思っていた。ましてやお世辞にも有名とは言えない作家の本だ。よほどの本好きでもない限りこの作家にたどり着くはずがない。彼女になぜ知ってるのか訊ねた。
「あ、えーっと……友達! 本が好きな友達にオススメされて! 試しに読んだの!」
「友達? その友達と今連絡取れるか?」
「ど、どうだろう。向こうも忙しいみたいで最近はラインも返してないから……」
言うところによると、中学の頃の同級生で部活とバイトを両立してるらしく、最近は会うこともないらしい。それほど忙しいのにこの本を知っているその友達に「明石 フミヤ」について聞きたいことがあったが連絡も取れないんじゃしかたない。惜しいけれどそれは諦めるしかなさそうだ。
「それよりもどうだった? 葉暮くんの感想が聞きたいな!」
どうすべきか、ここは面白かったとか感動したとか言って流せばいいんだろうか。藤宮がワクワクした顔でこちらを見てくる、妙に居心地が悪い。
「文章に比喩表現が多い。もう少し減らしてもいいんじゃないだろうか。それと少年の心が移り変わるのが早すぎてついていけなかった、読んでいて情緒不安定じゃないかと思った。」
初めて本の感想を他人に話してみたがうまく伝わっただろうか。やっぱり慣れないことはするものじゃないな。それでも藤宮は何度も頷きつつ「なるほど」とか呟きながら耳を傾けてくれた。まあ俺の場合感想というより批評に近いが。おばあさんの意見も混ぜたのはそのほうが説得力がある気がしたから。俺は読んでいて比喩が多いとは思わなかったが本業の人が言うんだからきっとそうなんだろう。
「まあ、読んでいて飽きなかったし話自体は面白かった。たとえば少年が初めてデートに誘おうとした時のドキドキ感はうまく書けてるなと思ったし、お互いの手が触れ合う瞬間とかも青春小説としては必須だろうからそこは慎重に言葉を選んで書いたんだなってのがよくわかる」
これは俺が個人的に好印象だった場面の話なのだがこっちのほうが感想としてしっくりくるな。今さらだがなんで最初にこれが浮かばなかったんだろう。
「わたしは最後、少女が死んじゃったのが悲しいかな。まだ若いしなにより残された側も辛いだろうから読んでるわたしも辛い気持ちになっちゃった」
その気持ちは分からなくもない。だが作者は結ばれない運命を書いた。これを通して今の時間を大事にすることや当たり前を当たり前だと思わないことを伝えたかったのだろうか。ならばこの終わり方こそ、一番綺麗であってそれ以外ではダメなんだ。限りある時間を精一杯必死に生きようとしているからこそ心打たれるものがそこにあるんだ。少女は死ななければならない、少年は死を見届けなければならない。でないならこの話は完結しない。
――十六時を知らせるチャイムが響く
いつの間にそんな時間が経ってたのか。ここから歩いて20分ほど……図書館はまだ開いているだろうか。
教室を出る前に「それじゃ」と彼女に一言伝えた後、俺は駆け足で図書館へと向かった。悲哀に満ちた表情がいつもの藤宮を消していたが喋るだけで感情移入するほどに心が豊かなんだろうなとこの時は思った。
藤宮 茜。誰にでも優しく接することができる女の子。飛び抜けたスタイルや美貌を持っているわけじゃないが悪いわけでもない。普通、という言葉をそのまま体現したような外見だ。唯一目立つとしたら茶色がかったショートボブの髪ぐらいだ。それさえも本当は目立たないように地味に仕上がっている。そのかわりと言ってはなんだが内面は驚くほど博愛主義で、なにか強い理念が彼女をそうさせているのだろうかと思うことがある。そういえば、マザーテレサの生まれ変わりだなんて神崎が言ってたっけな。
良くも悪くも他人に優しいからこそ彼女を目の敵にしている人も表立ってはいないが一定数いる。俺は……正直、どうとも思ってない。俯瞰的に答えるなら「八方美人」がお似合いだろう。
図書館から帰る電車の中で俺は読みかけの本に栞を挟んで考える。他人がどういう生活でどんな風に日々を過ごしているのか気になるんだ。こんなこと言えば変わり者だなんて言われるだろうが、自分という存在は生まれてから十数年もすれば分かりきる。たかだがそれほどしか生きていない人間が語るなと言われたとしてもこの先の人生で生まれる齟齬なんてあってないようなものだろう、俺には分かる。自分は生まれてから十年もすれば出来上がる。だから自分じゃない他人のことを知ろうとする。生まれた場所も育った環境も違う同種族に興味を示す。それは恥じることも隠すこともない普遍的なこと。その対象が俺は「藤宮 茜」という存在だったということ。ここまで言ったけど今のはあくまで俺の考え方の一つであって、世間一般的には「ストーカー」なり「変質者」なり罵声を浴びるだろうな。まあ言うならお先にどうぞって感じだが。
――もう最寄駅か。考えると時間はあっという間に去るな。
図書館になら「明石 フミヤ」について分かることもあると思ったが無駄足だった。その気になれば簡単に情報は集まると楽観視していたがそう易々と手に入らないと思い知った。少しは認知されてる人間でさえこうなのだから写真1枚や外見だけで探し当てる探偵の腕前と恐ろしさがしみる。一度探偵事務所に行ってみようと思ったが理由云々以前に金銭的に無理があって断念した。