別作者のGGO
うーん、イマイチ。その理由がキチガイキャラを主人公側に置くとあかんねになる。最初はそうでもなかった。でもジワジワといくらなんでも共感できないって部分が駄目になってくる。確かに共感を重視してみてないけど、何事もものには限度がある。これは多くの作品で重要なものになると思う。
よくイカレタキャラというのが出てくる。大体は敵だ。イカレテるから打倒する事に躊躇し無い。そんな人間が主人公側にいると言うのはどうなのか?となる。代表的とも言える良いキャラで、レオンのゲイリーオールドマンがそのキャラかと思う。実に良いキャラだ。リュックベッソンはコミック=漫画をベースに創ってるらしい。
そういう部分が良く出来てる。漫画にはこういうキャラ性が重視される。だがそれは主人公側で使うのは難しいとなる。キャラクターってもののややこしさがここで出る。キャラクターとは特異である事が多い。何故か?個性としてやりやすいというのがある。パッと見てすぐこうだって印象がキャラクターの武器だと思う。
それに対して異常キャラはとても便利だ。こういうキャラは主人公側に使うとやっかいだとなる。ただそんな単純ではない。一つのシンプルなセオリーに過ぎない。そもそもキャラクターとはそういう部分と切り離せない。だから主人公側だって常にそういったものにさらされる。
ラノベはこういったものと密接な関係がある。良い例が物語シリーズのアララギ君になるだろう。あの作品はエロゲの構造をモデルに作られている。それゆえに没個性主人公、ヒロイン個性の典型的な作りになってる。個性とあくの強さのバランスの限界に挑んでいる。そこが多分大ヒットした理由と西尾維新と言う作家がはまったポイントだと思う。
作家の力量として優秀であるか?劣等であるか?って考えるのはかなり難しい。西尾維新は結果論の部分がある。彼の考えるキャラの面白さはリスクが付きまとう。だから時折見向きもされない作品を多々作る。それでも西尾維新のそういう世界を気に入ってる人は好んで見るのだが、その点マニアックな作家だと思うが、その作家の作品が大ヒットした。
結果論的に時代が求めるポイントと作家の癖がマッチしただけとなる。それを能力と呼ぶのか?それは時代に合わせて作家自身の個性を使い分けられる狙いを持った作家がいるならそれは能力だが、勝手に結果論的に上手く行っただけなのは能力とは呼ばない。時代が求める能力だったというのは確かだが、ヒットメーカーだは全く的外れだと思う。それは能力を読み間違えている。
編集のあるべき仕事とはこういう仕事じゃないか?と私は思っている。西尾維新は時代が求める能力を持ってる。だがそれを狙ってやってるわけじゃない。狙ってる人は別に居れば良い。時代の要請する能力を選ぶ能力が必要になる。これが私編集者の理想の姿だと思っている。それは作家の創る能力とは全く違うと思ってる。もっと言うとより難易度の高い仕事で、作家崩れがやるような仕事じゃないと思ってる。
されアララギ君だがシリーズが長くなると没個性主人公から離れて個性を出し始める。西尾維新がシンプルなんて主人公を長期にわたって書けるはずが無いんだ。それも西尾維新の良さであり悪さだと思ってる。コントロールしてるわけじゃないから。私は悪い面もあったなと思ってみてる。ヒロインと一緒に個性のぶつかり合いで掛け合いをするのでコメディとしてはまあ見れるのだが、その手法がワンパターンになりがちなんだ。
それはヒロインは多数いるからバリエーションが豊かだが、相手をするアララギ君は一人しか無いから一人の個性になる。それをまた弄っていろんな面を出してしまうのも悪循環になってる。アララギ君はリアルな人格としての一貫性が弱くなっていく。それが無視できる内容だからごまかしきれてるが、正直難しい面もある。
ここで、またGGOに戻る。いろいろと共感が難しい。コメディや漫才として他人を見てる面白さと内に入って分かるとか共感して楽しむのじゃ面白さがずれるんだ。基本的には、非ラノベと違ってその部分が弱くても楽しめる。だがそれでも全く無視できるのか?と言うとそうじゃない。そこまで高度な他者を楽しむものとして創ってある作品はなろうでもラノベでも見た事が無い。
結局最後には、この狂気キャラってのが死にたがりの部分があり、多くのGGOに呆れた人は思うだろう。じゃ勝手に死ねよと。これを助けようとするレンへの共感が薄れるんだ。リゼロ、僕街、まどマギ、シュタゲが典型的な作品だが、死の運命にある人達を死の運命からループによってやり直して救い出す、これは鉄板の面白さなんだ。
それはループによる面白さが大きいが、その前に死の運命を救い出すってこの1要素が多くの人に刺激を与えるからだ。それをループでさらに増幅させるのがキーになる。その根底には救いたいって主人公と同じ共感が無いと成立し無い。
ピトフーイというキャラは死にたがりではない。ただそこを理解しようとするのが共感なんだ。それを阻害するものを多分にもってる。
見なけりゃ良かったは思わないが、別に見なくても良かったなってのが最後まで見て思った。その原因は間違いなくここにある。
さてほかには無いのか?なら元々ファンタジー世界がベースのゲームが基本だったけど、SF現代物の銃撃戦はどうなのか?これ難しいな。それならSAOのGGOがその問題を抱えている。ただSAOのGGO編は、この作品ほど不人気では無い。ただやや低調な編だったのは確か。その原因は別にある。1クールはギリギリだが、小説じゃなくてアニメでミステリー的展開を長くやるのは不味いんだ。
謎が明かされるまで楽しく無いから。映画ってのはその点ミステリーをやる最大の長さだと思う。ストーリーの面白さにとって時間とそれを受ける人間ってのはかなり重要な問題になる。ただGGOは、その間ガンファイト、剣による銃への戦いなど面白い部分もあるが、当時の最高点であるアインクラッド編に追いつくには、この致命的構造は欠陥だったと思う。小説なら面白いのかもしれない。
だがキャラクターアニメ小説であるSAOはその程度の欠陥で大きな失望になる事は無い。キリトが居ればそのあたりなんとかなる。そしてアスナが居ればもっとなんとかなる。だからヒロインの魅力がアスナに及ばない点がキーになってしまう部分がある。SAOはその点出オチ的な致命的な欠陥を抱えている。逆にアスナを主人公にしたマザロザは、今度はキリトが割を食う。
キャラクターいかんで変わるため本当の問題が分からない。だがキャラクターが別のこの作品だとそれが顕著に出た可能性はある。この世界観が駄目と言って無い。受け手はMMORPGという世界観より、多分ファンタジーRPGが持つ世界観に直結してみる人の方が多いと思う。特に小説よりアニメは顕著だと思う。
ゲームと言う面白さを創っていたので私は多くの人より評価がその部分は高い。そこが問題になったとは思わない。マニアックなゲーム性が薄っぺらくて楽しめないって人がそこそこ居たが、1クールでその面白さを出しても意味が無い。これから続いていく作品でこれで良いのか?はかなり疑問ではある。
その点俺YOEEEの典型で傑作だと言えるワールドトリガーと良く似た世界観なのに全く違うって点で、駄目といえば駄目なのだが、長期展開が最初から考えられてるワールドトリガーとこれじゃ比較できないし、この作者がそういった面白さ多分作れない。別枠の面白さとしてその部分は楽しめたと思う。
俺TUEEが何故駄目なのか?はワールドトリガーを見ればすぐ分かる。だがそれは本当に比較できるのか?と言うと単にラーメンとハンバーガーは2つ存在したら駄目でどっちかだけで良いと言うわけのわからない理論に近い。全く別の面白さなので、その点は不味かったと思わない。もし長期で見るならすぐ飽きてしまう問題はあったと思う。
批判も多いが、声優日笠さんはとんでもない技量だと思う。そこだけはすごい。ネタバレするが、神埼エルザの歌が凄かった。誰かの真似なら声優なのである程度出来る。それもすごい事だが。0から一人の日笠と言うシンガーと違うシンガーを作り上げるって意味でかなり上手く言ってると思う。神埼エルザ自体バーチャルシンガーになれるほどだと思う。
これは声優なら誰でも出来ることじゃない。坂本真綾が、キャラ声で歌うのを拒否してるが、喉がおかしくなるからだそうだ。クレシンの話題でこれは知ってるかと思う。アニメ的キャラ声ではないが、自分の地声とは別のキャラになりきって歌っている。多分この水準は、ちょっと他の声優じゃ出来ない水準だと思う。
何故彼女が多くの作品で起用されるか良く分かる。とんでもない技量の持ち主だと思う。その点だけは刺激って意味で驚きがあった。