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魔女はあまり夜に灯りをつけない。夜目が利くからだ。僕は本棚にぶつけた膝を庇うようにして歩き、外の空気を吸うために寝間着のまま表へ出た。若葉は既にしっかりとした息遣いで各々の自我を主張し始めていたが、それでも夜となると冬の名残はまだ世界のそこかしこに感じられ、日常のささやかな諸要素から突然顔を出すことがあった(たとえば寝息の静かすぎる森や、足元のひんやりとした空気の流れからだ)。
僕はこの世界の冬には出会ったことは無かったが、そういった彼らの尻尾に触れる度に苛烈な寒さを予感し一人震えるのであった。
彼女の家は童話に出てくるような、煉瓦や木や藁を要所要所で組み合わせて作られた古めかしいものだった。現代建築に慣れ過ぎてしまった僕の目には、その無骨な曲線や不条理な凹凸はまるで菓子細工のように見えた。地震や強い雨風や寒さ、他にも沢山の弱みを神に握られていたが、その代わり無償の愛のような、代替の利かない温かみのようなものを感じられる家だった。彼女はこの家の出来に満足していないようで、話題に持ち出すと少し照れくさそうにはにかむ。
僕は今この家の脇にある離れに住まわせてもらっている。そこは元々彼女の所有する様々な器具や道具類をしまっておく倉庫だった場所で、今その器具は半分は本棟の地下に移され、もう半分は僕と共に生活している。家の前には植物を育てるためのスペースと古代の土の匂いがしそうな井戸、それと小さな池があり(井戸や池は彼女がこの土地を見つけた時には既にあったそうだ)、その周りを鬱屈とした表情の針葉樹達に囲まれている。
僕はこの家を離れたことは無かったが、家の二階から眺める限りでは森には果てが無いように感じられた。漂ってくる空気は日中でも涼やかで、時折立ち込める霧は濃縮され過ぎた果てに可視化された不安定な魔力の塊のようにも見えた。それ程深く、強い森なのである。彼女も森に対しては思うところがあるようで、含みのある言い方をして僕に森への侵入をそれとなく禁止していたが、そのことについては特に苦に感じることは無かった。僕はこの家と、周囲の森までの半径百メートル程の行動範囲のことがとても気に入っていたからだ。
森の淵まで歩いて行く。
そこで五分程木々の隙間の暗闇を眺めていた僕は――ふと背中を伝う寒気で我に帰った。
夜の森には不思議な魅力があったが、既に満たされていた僕の心はそれ以上足を踏み出すことを止め、夢の世界に戻るべく踵を返した。