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魔女  作者: 神西亜樹
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 そのとき僕は、自分が今起きているのか寝ているのかを判断しかねていた。とても微妙なニュアンスの啓示のようなものが僕のまわりにまとわりついていて、それが夢の中特有の「実体の無い感覚」と酷似していたからだ。それは、もしかしたら昨日飲み過ぎた“ある特殊な飲料”のせいかもしれないし、本当に神からの訴えなのかもしれない。思い当たる節はそれなりにあったがどれも確信が持てなかったので、とりあえず僕はこの不安定な現状を打破すべく、便宜的に自分は起きているものと考え、何かが進展するのを辛抱強く待つことにした。すると幸運なことに呆けていた五感は次第に世界に馴染んでいき、自分が暗闇の中で仰向けになっていることや、近くで太鼓か何かが定期的に叩かれていること、そしてそれはよく聴くと打楽器というよりは柱時計がもたらすあの深い暗喩のような音に似ていることに気付くことが出来た。何がどうなっているのかまでは分からなかったが、とにかく今は夜なのだ。

 どうやら何時の間にか眠ってしまっていたらしいな。

 何か冷たい物を飲んで淀んだ頭の中をすっきりさせようと思い、相変わらず自分のもので無いような重い体を何とか起こし、最も近くにあったドアから部屋の外に出る。

 やはりまだはっきりと建物の構造を読み取ることが出来ない。それほど長くもないはずの廊下の先は、まるでセキュリティウォールに遮られているかのように暗澹とした闇に覆われており、その先が有るのか無いのか、無限なのか有限なのかについて僕は何一つ確信を持てなかった。インターネットを現実の現象として可視化したら案外こんな感じなのかもしれない。勿論現実の世界だって一歩先の未来に何が待っているかなんて分からないわけだけど。

(冷蔵庫に向かわねば)

 言葉に出来ないような感覚は拭えなかったが、僕は躊躇うことを諦めて道なりに進むことにした。

 暗い廊下はすぐ終わり、床は何の前触れも無く木造の螺旋階段に接続されていた。ボォンと響く柱時計の音(便宜的にそう呼ぶことにした)はどうやらちょうどこの真下辺りで鳴っているようだった。その頃になると、僕の中に多少残っていた不安や恐れのようなものは跡かたも無く消えていた。原始的な感情がゆっくりと排除されていって、今度彼女にランプを一つ用意してもらえないか訊いてみよう、とか、起きたら朝食をとらなければならないが何を食べよう、などといった断片的な思考を繰り返す。冷蔵庫に卵は残っていただろうか。甘いものも欲しい。そういえば今、僕は喉を潤すために冷蔵庫へ向かっているのでは無かったか。たしか冷蔵庫は台所と地下にあって、そのどちらも本棟の方にあるのだから、ここで僕がいくら階段を降っていっても辿り着けないのではないか。

 そこまで考えたところでようやく僕は気が付いたのだった。僕が今住んでいるこの別棟は、木と藁で出来た最低限のスペースしか無いこじんまりとした一階建てだったはずだ。本棟に行く際は壁に立て掛けられた梯子を上り、その先のつり橋を通って向こうの二階に行くことはあるが、それ以外に上下の移動を要するものは無い。当然階段も無い。


 ではここは一体どこなのか。


「ここは夢の中だよ」


 いつの間にか僕はある人物と向かい合っていた。綺麗に剥かれたリンゴの皮のように下へ下へと続いていた螺旋階段は失われ、途方も無く広いホールに僕らは二人で向き合って立っていた。僕以外のショーケースの中身だけがそっくり入れ替えられたみたいだ。僕の心臓だけがその事実を頻りに訴えている。


「夢の中?」


「そう」


 僕の質問に、彼(彼女?)は短く返した。


「夢の中にも神の住む世界はあるんだよ。そこには生物も住んでるし、建物も建ってるし、音楽も流れてる」


「クレープもあるかな」


「あるいはね」


「それはこの世界のルールの一つみたいなもの、ということで良いのかな?ほら、魔法とか、帽子飾りみたいなさ」


 足元の柱時計や、セキュリティの高い廊下と同じように、相対している相手の輪郭も非常にぼやけていた。ただ、僕が目を探すとそこには確かな目が現れ、髪の色を気にすると自然と髪の色を認識出来る。焦点を意識的に当てないと見えてこないというのも、この世界の認識ルールの一つなのかもしれない。

 とにかくこのままではとても不便なので、男女どちらであっても構わない仮称として、僕は向かい合っている相手に「三人目」と名前を付けた。こちら側の世界で三番目にあった人物だからだ。


「そうだね。私は他の世界のことはよく知らないけど、たしかにこの世界ではこれが大きなルールの一つということになると思う。夢の世界は基本的に上下に伸びているから、上に行くにしろ下に行くにしろ、あまり自分のいる階から離れてはいけないよ。失われていくものが多いからね。元の世界へ帰れなくなってしまう」


「それは危なかった」


「とにかく今日はもう時間も少ない。おかえりなさい。またいつか話そう。目を瞑ったら元の階へ戻してあげるよ」


「助かるよ。よくしてくれてありがとう。おやすみ」


「おやすみ」


 これが僕が体験した一度目の「夢歩き」の概要だ。

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