魔女の恋人篇 5話 『結婚はまだ無理かな だから婚約で』
「とんだ逆プロポーズだな」
僕は精一杯のニヒルな笑みを浮かべたつもりだったが、口角が引きつっただけだった。
「他に回避する方法は無いのか?たとえば、さっき英蘭が否定した、僕が魔法使いになることとか」
「それは絶対にだめ。生まれつき魔法使いじゃない人が魔法器官を体に移植すると、体に凄く負担がかかるから」
次いで、英蘭は思い出したように、魔法器官についての説明を僕にしてくれた。
魔法器官とは、魔法使いが自らの魔力を貯蔵するための臓器のことらしい。通常、人間には備わっていない臓器で、仮に人間がその臓器を手に入れる、つまり魔力を手に入れようと思うなら、阿古田が英蘭の魔法器官を狙ったように、魔法使いから臓器を奪わねばならないのだ。魔力そのものについても、人間が魔法使いから奪ったり出来るらしい。
「体のどの部分にあるんだ?」と僕は英蘭に訊いた。
「肝臓の裏側」
案外生々しい部分に存在するんだな。ともあれ、僕は先ほど英蘭が言った「体に負担がかかる」という
部分を、もう少し詳しく彼女に問うことにした。
「負担って、どのくらいのものなんだよ。たとえば、さっきの阿古田さんとか、普通にピンピン
した様子だったぞ」
「そうね人間の場合、その身に魔法器官を移植してから十年、少なくとも十五年以内には命を落とすでしょう」
命を落とす。死の一文字が僕の眼前で揺れた。
「少なくとも、阿古田さんからは、体調不良の兆候さへ見えなかったぞ」
「一気に来るのよ……」
英蘭は小さく言った。
「今までの負担が、移植してから十年、十五年分の負担が、一気にその身に降りかかるのよ。負担による体調不良の兆候が見えたときにはもう遅い。それから一ヶ月くらい、激しい痛みに苦しみぬいた挙句、死ぬわ」
英蘭の顔に影がさした。まだ彼女とは出会って一日も経っていないが、それでも今僕が見ている彼女の
横顔からは、暗い思いがひしひしと伝わってきた。
「阿古田さんが魔法器官を使用し始めて、何年経つかまではわからないけど。でもあの人、「最近魔法器官の調子が悪い」って言ってたよね。だからおそらくはもう……」
「助からないのか?」
彼女はこくりと頷いた。
何をもって、英蘭は阿古田さんを転送したのだろうか。あのまま阿古田さんを祭りの会場に放置することだって、もしくは警察に突き出すことだって、彼女なら出来たはずだ。尋問するためか、あるいは無残に殺すためか、いやきっと違うだろう。
まだ助かるかもしれない。然るべき場所に転送して、然るべき場所で治療すれば、阿古田さんの命が救われるかもしれない、という一縷の希望を、彼女は見出していたのではないだろうか。
英蘭伊里栖はきっと、優しい少女なのだろう。
気が付けば、夜の帳はすっかり落ちていた。長居するのは迷惑だろう。感傷に浸っている暇はない、早く話しを進めないと。
「それじゃあ、魔法器官の移植は諦めるよ」
「ありがと、そう言ってくれて助かったよ」
先ほど、僕が紅茶を美味しいと言ったときもそうだが、彼女の言う「ありがと」という言葉。故意なのか、あるいは偶然なのかは知らないが、最後の「う」を発音しないその言い方は、僕の心を少しときめかせる。
僕は別に、感覚が人一倍に鋭敏な訳ではない。だけど、女子の僅かな動作、あるいは些細な一言に過敏には反応してしまう。きっと思春期が悪いのだろう。
「それじゃあ、養子にでも入ろうかな。英蘭お母さん」
「何それ、気持ち悪いし変だよ」
彼女は僕の冗談に、ふふっと微笑みながら返した。僕も微笑んだ。さっきまでの垂れ込むような哀しみとは一転、全てが調和の中で安らいでいた。彼女の「気持ち悪い」という言葉に僕が少し傷付いたのも、きっと思春期のせいだろう。
「わかったよ、英蘭の言った通りにする。でも僕はまだ十七歳だから、日本の現行法では結婚できないぞ」
「知ってる。だから、今は婚約関係ということで。それならギリギリ魔法規には抵触しないと思うの。どうかな?」
「了解した」
何故、僕が了解したのか。それは僕にもよくわかっていなかった。全ては法に触れないことを目的とされた関係であり、故に僕と英蘭の関係は道義的には偽者であるのだ。
僕は出会ったばかりの彼女に恋心を抱いていないし、おそらく彼女の方も僕に対した思いは抱いてないだろう。それなのに、何故。
何だかいけそうな気がすると、その答えしか僕は持ち合わせていなかった。強いてカッコつけた言葉で言えば、僕は英蘭に運命のようなものを感じたのだ。
「手を出して」
英蘭はそう言い、僕はそれに従った。英蘭は僕の手を握り返した。彼女の柔らかい手は、枝葉を操り男一人を倒すほどに強い手だが、とても小さかった。
英蘭は、空いている方の手を、結ばれた僕らの手にかざした。暖かな光に僕らの手は包まれた。紅茶の香りのおかげもあり、とても穏やかな気分になった。
「はい、今ので婚約の儀は終わり」
「随分とあっさりしてるんだな」
「あっさりじゃないよ、婚約の魔法は、強力な魔法なんだよ」
「どのくらい強力なんだ?」
「破ったら生殖機能が無くなる」
「随分とだな!?」
思っていたより強力だった。だが今の僕は、この魔法を破らないだろうという、根拠のない謎の自信に満ち溢れていた。
「だからね、来津くん」
「なんだ?」
「浮気しちゃだめだよ」
彼女ははにかんだ。その顔は、やはりとても可愛かった。