魔女の恋人篇 3話 『可愛い女の子の家 そこは天国』
祭り先で出会った美少女の家にお呼ばれするなんて、世の男子が悶絶する出来事だが、今の僕は到底舞い上がった気持ちになれなかった。
「紅茶しかなかったけど、いいかな?」
「ああ、ありがと」
英蘭はキッチンの方から、湯気の立った紅茶を盆に乗せて運んでき、二つ並んだカップのうち一つを僕の前に置いた。
僕は出された紅茶に口をつけつつ、つい二十分前からのことを回想する。
「今からさ、うちに来ない?」
英蘭による唐突な提案に僕は応じた。承諾した理由として、やましい心が無かったと言えば嘘になるが、それよりも第一に、僕は英蘭の正体が気になっており、彼女に着いていけばその正体を知れると考えたのだ。
英蘭の家は、祭りの会場から十五分ほど歩いたところに建つマンションの中の、一室であった。英蘭は一人暮らしだった。
英蘭曰く、彼女の父母は共にイギリスで暮らしているらしく、彼女自身もつい二週間前まではイギリスで両親と暮らしており、その膝下を離れて日本で一人暮らしを始めたのは、二週間前のことだという。
二週間前、それは夏休みが始まってから三日目だ。
だからおそらく彼女は、夏休み明けからは本当に上ヶ野高校――これは、僕の通っている高校の名前だ。偏差値は65、いわゆる準進学校という位置付けの上野高校は、特段に部活動が盛んというわけでは無いが、何故か陸上部だけは滅法強い――に転学する、つまり僕の同級生になるのだろう。
「来津くんの同級生だよ」という英蘭の言葉は、あながち嘘ではなかったのだ。
「さあ、入って入って」
オートロック式のドアを開けた英蘭は、僕を家の中へ誘った。「おじゃまします」と言い、僕はおそるおそる玄関へと足を踏み入れた。
英蘭の家の内装に関して、僕はあまり多くを語ることはない。何故なら、そこがあまりにも簡素だったからだ。間取りだけ言おうか。玄関を越えるとすぐにリビングとキッチンがあり、その他の個室やトイレなどは、リビングからドア越しに繋がっている、という構造らしい。
「引っ越ししたてだから、部屋のインテリアとか壁紙とか、まだ決められてなくて。殺風景な家だけど、ゆっくりしていってね」
僕が何かを問うた訳ではないが、英蘭は少し申し訳なさそうにそう言った
インテリアを選ぶのに二週間もかかるか?とは思ったが、女子には男子の知り得ない、あれやこれやのこだわりがあるのだろうから、深く詮索するのは無粋だろう。
リビングの中央には丸テーブルと二、三の椅子が置かれており、英蘭は僕をそこに座らせた。
「着替えてくるから、少し待ってて」
英蘭はそう言って、リビングと他の部屋を隔てているいくつかのドアのうち、一つのドアのノブに手をかけた。
「ああそれと、この部屋に入ったら、来津くんも阿古田さんみたいにするからね」
英蘭の意訳を、僕は直訳した。つまり、今から自室で着替えてくるから、入ったらただじゃおかない、ということらしい。
やれやれ、阿古田さんみたいになるのは嫌だから、英蘭の着替えを妄想するくらいにとどめておこう。
僕は不埒なことを考えつつ、改めてリビングを見回した。
リビングの右隅には液晶テレビがあり、その斜め上の壁にはクーラーが設置されている。キッチンにはいくつかの調理具が置いてある。それ以外、本当に目立ったものはない。
だから僕はリビングの風景を楽しむことをせず、英蘭の着替えを漫然と待っていた。
十分ほどして、英蘭は自室から出てきた。彼女は薄い水色のシャツの上から若草色のカーディガンを羽織り、下にはショートパンツを履いていた。靴下は履いていなかった。着物姿とのギャップに僕は少しドキリとした。
「今、何か淹れるからね」
悟られないように胸を押さえていた僕に、英蘭は微笑みつつ言った。
回想終わり。気がつけば、英蘭は僕の前に座り、紅茶を飲んでいる僕の様子を眺めていた。
「美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
「ふふ、ありがと」
たしかに、その紅茶は美味しかった。香りは強いが後味はしつこくない。すうと舌と鼻に溶けるようで、僕の気持ちも少しだが落ち着いた。
「イギリス産のダージリンだから、香りが強くてダメな人も、たまーにいるの」
「そうなのか」
駄目だ、気の聞いた返答がさっぱり思い浮かばない。紅茶を飲んだからといって、完全に緊張が解けたわけではないのだ。
だが、そんな僕を尻目に、英蘭は勝手に話を進めていく。
「紅茶と言えばイギリス。では他に、イギリスと言えば何を思い浮かべる?」
「イギリスか……。主なところを言えば、ビートルズにチャップリン、それからシェイクスピアとか?」
「他には?」
「優れた童話とかかな。指輪物語に、ハリーポッター」
「うんうん、いいよねファンタジー。イギリスってね。魔法使いが有名だから、必然的にそういった本も多いんだよ」
どうやらこの質問は、英蘭による誘導だったらしい。が、僕は彼女の言わんとしていることを、「指輪物語」と僕が発言した時、すでに察していた。
「来津くん、私、今からとんでもないことを言うけど、驚かないでね」
だから僕はあらかじめ覚悟をした。決して驚かない。
「私ね、魔法使いなの。女性だから、魔女なの」
悪いが、さっきのは嘘だ。地球の自転が止まったのではないかというくらいに、僕は驚いた。