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男と女が連れ添って二十数年も経つと、相手の考えていることがまるで自分の思考のように分かるようになる。俺たちは農家で、日常生活から仕事までずっと一緒に行動していたから、なおさらだった。
床に崩れ落ちたまま、声一つ上げずに座り込む妻の、心が軋んでいる音を、俺は聞いた。
今にも壊れてしまいそうな音だった。
警察は、酔って橋から転落し、そのまま凍死したのだろうと推測した。大当たりだ。本人が言うんだから間違いない。日本の警察は優秀だ。
翌日、通夜が行われた。自慢じゃないが、俺は交友関係が広かったので、たくさんの弔問客がやって来た。親戚にご近所さん、百姓仲間や消防団の連中、行きつけの居酒屋のマスターとママ、古い友人たち…。
「急やったな。持病でもあったんか?」
「なんでも、酔って橋から落ちたらしいで」
「アホな奴やな」
「でも、純ちゃんらしいよ」
「そうやな。純ちゃんやったら、そうやって死ぬやろうな」
いつも、にこにこ笑ってすり寄ってくる、俺になついていた後輩が、やっつけ仕事みたいに香典だけ置いていく一方、一緒に酒を飲めば、襟首を掴み合うような喧嘩仲間が、ろくに喋られないくらい取り乱して泣いていた。
幽霊になっても人の心の中までは分からないが、死ぬことで、人の本心が垣間見えるような気がした。
長女の佳澄は、向こうのお義母さんに息子を預けて、葬儀に出た。優等生で、しっかり者の、自慢の娘だ。
跡取り息子の春人は十九歳で、去年の春高校を卒業し、最近俺の仕事を手伝い始めたところだった。まだまだ未熟で、畑を任せられっこない。こいつが上手くやっていけるのか、心配だった。
次男の孝道は高校二年生。こう言っちゃ何だが、俺に似て素行が悪く、手を焼いていた。ケンカをしたり、煙草を吸ったり、仲間たちと夜中にうろついて、警察に補導されたり…。
俺は自分で言うのもナンだが、怖い親父というやつで、こいつを殴ってやったことも、この一年だけで十回じゃきかない。
だが、兄弟の中で、一番泣いていたのが、こいつだった。
殴られなくなったんだ。喜べよ。
翌日の葬式が終わると、俺の死体は焼き場に運ばれ、灰にされた。
清々した。いつまでも、青白い顔で横たわっていてもらっちゃ、気分が悪い。それに、どうせやるなら、徹底的に燃やしてやってくれた方が、本人も遺族も諦めがつくというものだ。
佳織は、ずっと泣いていた。通夜と葬式が終わっても、よく、こんなに涙が出るもんだと思うくらい、ずっと泣いていた。
それから一週間くらいは、ろくに飯も食わずに泣きっぱなしで、一ヶ月を過ぎた頃、どちらかと言えばふっくらしていた妻は痩せ細り、ちょうど、ファッションショーに出るモデルくらいの体型になった。
…例えが悪いな。とにかく痩せ過ぎた。
「ダイエットに成功したやんか。俺に感謝せぇよ」。台所に立つ妻に向かって、俺はおどけて言ってやった。
そんな深刻になることない。旦那が死んだだけじゃないか。笑ってくれ。故人もそれを望んでいる。
佳織は答えず、しばらくして、やっぱり涙をこぼした。
「…ごめん」
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。どうして、俺は死んでしまったんだ。不注意で大切な命を放り出して、家族を悲しませ、色んな人に、たくさんの人に、こんなに迷惑をかけて…。