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ここで少し、俺の話をしておこうと思う。
二年前まで、和歌山で蜜柑農家をしていた。妻と、三人の子供がいた。
岡本純平という、名前だった。
どうやら俺は、死んだらしい。
あるとき、テレビに、いかにもインテリですと言わんばかりの、学者風のコメンテーターが出て来て、もっともらしい顔でこう言った。
「ご存知の通り、本当に天国や地獄なんてものがある訳ではありません。死ぬということは、要するに、事故や寿命によって体の一部ないし全部が故障し、生命活動が続けられなくなったという意味です。ノートパソコンと同じですよ。落としても壊れるが、5~6年使っても壊れる。もちろん、意識を司る脳の機能も故障しますから、死んだら意識が無くなります。外から見ていれば、つまり、そういうことなんですが、本人は何も考えられなくなり、自分がそこにいることさえ認識できなくなる…」
あの世の存在については、半信半疑だった俺だが、あんな風に頭の良さそうな奴が、もっともらしい顔で説明するもので、やっぱり迷信なんだなぁと納得したことがあった。
だが、死んでみれば、どうだ。そんな、科学的な見地こそが、まさに迷信そのものだった。天国や地獄が本当にあるのかは、行ってみないと分からないが、俺は死んだあとも、こうして物を考えることができているし、見ることも、聞くこともできる。自分が幽霊かというと、そこのところは自信がない。まだ、誰にもこの姿が見えた試しがないし、声すら、聞こえないからだ。
二年前のあの日。そう、正月休みの最後の日、一月の三日だった。
蜜柑農家は、年末年始が出荷で忙しく、忘年会なんてやっている暇がない。新年会だって、二月に入ってからやるところがほとんどだ。正月の三が日は、言わば、辛い仕事の中休みで、その日は電車で和歌山市内まで出かけて行って、古い友人と酒を飲んだのだった。
娘の佳澄が、最初の子供を産んで実家に帰って来ているときだった。初孫の俊彰は、お爺ちゃん似だと家族みんなが囃したてたが、どう見ても佳澄の旦那によく似ていた。それに、俺はまだ43歳。お爺ちゃんと呼ばれるには早すぎると思っていた。
もちろん、可愛くなかった訳じゃない。我が子とはまた、違う。孫の可愛さというものは、持ってみなければ分からないだろう。目の中に入れても痛くないとか、食べてしまいたいとか、そんな極端な表現がしっくり来る。そんな感じだ。
あれから二年余り経っているから、もう二歳半になる。大きくなっていることだろう。
いつもの様に家を出た。「宮下と約束があるから、飲んで来る」と。
妻は怒った。「そんなん、聞いてないよ!正月くらい、家にいたら、どうなん?!」
アレとは、連れ添って二十年以上になるが、今でも俺のことが好きなのだ。一緒にいたいのだ。妻は、佳織という。
分かってはいるが、男にとって付き合いは大切だ。誇りでもある。
「ああ、うっかり忘れてた。ほんじゃあ、時間やから行ってくるわ」
ふくれっ面の佳織を残して、家を出た。
飲み会は、盛り上がった。俺は頻繁に飲みに出かけるから、酒を飲むのも、バカ騒ぎするのも日常だが、この日は、かなり楽しんだ方だった。
古い友人たちと、一頻り話をして、帰りは終電になった。街灯も少ない田舎の駅だ。こんな時間になれば、タクシーの一台も止まっていない。
迎えを頼むこともできた。佳織はうたた寝しているだろうが、呼べば来るだろうし、長男の春人も昨年、車の免許を取得していた。
しかし、この日は特別気分が良かったから、酔い覚ましに歩いて帰ろうとフラフラ橋を渡るうち、よろめいて欄干を乗り越え、十メートル下の川に転落してしまった。
深夜の田舎だ。落ちるところを見ていた者など、いるはずもない。
水に落ちたので、奇跡的にかすり傷で済んだ。衣服が纏わりつく重い手足を動かして、真っ暗闇の中、どうにか岸までたどり着いたのは良かったが、時期が悪かった。
水は冷たく、おまけに俺はしこたま酒を飲んでいたので、そこでもう、指一本動かせなくなってしまった。




