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快晴の夜空

作者: 赤馬研

それは2014年の夏におこった私にとってはけっして小さくない出来事だった。


「えっ、マジで⁉︎」


「しかも同じ日じゃん!」


「やっぱり何か縁があるんだろうか・・・⁈」


そう思わざるを得ない出会いだった。


ただ、それがどういった縁になるのかその時点では知る良しもなかったが。


何せこれまでの女性(ひと)達とは何も起こってはいなかった。


ただ、何と無くそれまでは半信半疑だったが、今回の事でこれまでとは違う確信めいたものが私の胸の内に湧き上がった。


そう思うにいたった理由は幾つかあった。


最初の話は小学校まで遡る。


私が田舎を出てから既に30年が過ぎようとしていた。生まれは福島県の田舎町である、もう、東京での生活が田舎で暮らした時間の倍近くになる計算だ。福島出身の私だが、福島出身者にしては珍しく訛りがほとんど出ることがなく、大半の福島出身の人が直ぐにそうとバレるのに対して、気づかれないケースが殆どで有った。このことは誰にも言ったことがなかったが密かな私の自慢だった。


初めての人は、その福島で出会った人だった。

初めての人と言うと大人の関係を連想するところではあるが、何の事は無い小中学校時代の同級生だ。初恋の相手だった。しかも完全な片思いだった。名前は今でも覚えているが初恋の大きなきっかけとなったであろうその顔は今では全く思い出せない。勝手に美化しまくった記憶の中では、とっても透明感があり、成績も優秀でスレンダーな感じ、中学ではテニス部のキャプテンだった。当時流行ったアニメでエースを狙えというのがあったが、その主人公の'岡ひろみ'みたいな感じの子だったと記憶している。よくゆう芸能人で言うと…、


「出てこない」


その人とは小学校1年から同じクラスで、3年で別のクラスになり、その後中学を卒業するまで一度も同じクラスになることはなかった。


「どんな声だったかなー、40年前だしなー」


思い返すと、クラスが変わってからは声さえ聞いた記憶がなく、今あるイメージは、実物大の当人からは天文学的にかけ離れたものかもしれない。高校も別で、向こうは進学女子校、私は商業高校、ますます離れる一方だった。かろうじて汽車通学という点が同じで、時たま同じ汽車に乗り合わせた時の片道通行のドキドキ感は今でもはっきりと思い出すことができる。高校卒業後は互いに進学し、彼女は多分東京に出て、私は千葉にある学校に行った。彼女がその後どういった道を進まれたのかは今でも全くわからない。そもそも片思いであり、何かが有って別れたわけでもないので、正真正銘、初恋のピュアな思い出として私の心に今も残っている。何故だか思い出せないが、誕生日だけははっきりと覚えている。


その子は、中学当時、私の家の近所に住んでいた私の幼なじみと付き合っていた。何の因果か、その幼なじみからよくその子の話を聞いていた。当時は田舎の中学生だったこともありその内容はたわいもないものだったとは思うが、なんともやるせない時間だった。当時、その幼なじみにはその子への私の気持ちなど伝えるよしもなかった。


「毎日敗北感を感じていた」


何か、この時のやるせない気持ち、体験がその後の私の対女性への苦手意識に繋がって行ったのではと今では思ったりもする。


それ以来、人一倍そういったひとへの好意の感情を簡単には伝えることが出来なくなった。


会って見たい気もするが、美しい思い出のままにするのが幸せな選択なのだろう。


「果たして今は何をされてるのだろうか?」


高校卒業後は、近所の幼なじみとも疎遠になった。


敗北感から逃れたかったのかもしれない。


初恋の人はその後も好きだった。


と言うか、誰かを好きでいたかったのかもしれない。その人そのものがどういった人か全くわからなくなっていたし、好きだという根拠が自分でも見当たらなくなっていた。


ただ、今となっては田舎の澄んだ快晴の空とともに美しい想いでである。


次の話はそれからずいぶん後の話になる。


その間には多感であったであろう大学生活があり、人並みまでとは言わないが、コンパやら何やらでそれなりにエンジョイもしていたと思う。だが、これと言って強烈に覚えている女性(ひと)がいなかったのは、初恋のひとが私の中では大きな存在だったのかもしれない。


その次の話とは東京に出てきて就職して、更に転職した後の話だ。


私が初めての転職をして、新しい会社で東京のはずれにある、あるメーカーが運営する専門学校に研修に出されることになった。

その学校でその人に出会った。出会ったというと何か特別な感じがする言い方だが、単に同じクラスになったというだけである。その学校は高校を出た子や、大学を出た後に再度学びたいとか、それと、私のように会社の研修ということで送り込まれる人、そういった人達が通う学校であった。


私にとってのその勝手な出会いは印象的なものだった。


研修に行くことが決まって、東京のはずれの、その学校に入学手続きに、

会社が終わってから行ったある夏の終わりの日の夕方、私の前にその人は現れた。最寄の駅から線路沿いの道を学校まで歩いていると、少し前をすらっと背の高いその女性が、私が向かっている方向と同じ方向に歩いていた。後でわかったことだか身長は私より少し小さいくらいだったので女子としては大きかったと思う。その人の持つ雰囲気に私の心がざわついた。

けして後をつけたわけではないが、歩いて行く方向が同じだったのでしばらく見とれながら後を歩いて行った。すると私が向かっていた学校にその人も入って行った。彼女も入学手続きに来たのだった。不覚にも学校に入ったところで見失ってしまった。結局その日は再び出会うことはできなかった。実際の入学日はそれから少し先だったこともあり、気になってはいたがもう会うこともないのかもしれないと私の頭の中の記憶が薄れつつ有った。


そんな印象的な出会いを忘れつつあった入学の日だった。


「ときめいた!」


本当に久々にときめいた。

ときめくとはこういうことなんだと強烈に思ったことを鮮明に覚えている。


あの子が同じクラスにいて、席は二列後ろだった。


そこから私にとって半年という短く、楽しくも、切ない学校生活が始まった。


今から思うと、完全な一目惚れだった。一言も話してないのに完全に心を奪われていた。どこに?と言われると説明できないが、感覚的に一瞬で虜になってしまったのだ。一瞬で魔法にかかり、その魔法が最後まで解けなかった。


思い返すと何時もこのパターンだ。妄想癖が強いのだろうか?


社会人と一般の学生が入り乱れるそのクラスは、色んな人がいてとても楽しいクラスだった。ましてや、ときめきの対象がすぐそばにいて、毎日ワイワイガヤガヤとやるのだから楽しくないはずがなかった。季節もちょうど良かった。入学が10月で卒業が3月末、その間にはクリスマスもあれば正月もあり、イベント事が沢山あったのである。


その学校は専門学校の位置づけだったので、五時前には授業が終わり、そのあとは会社に帰らなくてもよく、本当に学生そのものだった。もう働いているはずなのに。そんな状況なので、よくみんなで放課後⁈に遊びに出かけた。上手いことにその子も毎回ではないがよく来てくれていた。


そういう学校生活が流れて行く中で季節はクリスマスを迎えようとしていた。


「軽い奇跡が起きた。ディズニーランドに行くことになった」


どんなアプローチをしてオッケーをもらえたのか思い出せないが、クリスマスに二人でディズニーランドに行けることになった。思い返すと、高嶺の花としか思えなかったその子と、ともかくディズニーランドへクリスマスに行くことができたのだから私としては奇跡だった。


当日を迎えるまでには少しドタバタとしたが、その日はその季節相応の風が冷たい日だった。ただ快晴でもあった。


その子は田端在住で、実家は老舗のお茶屋だった。いわゆる社長令嬢ってやつだった。


その日は田端に昼頃迎えに行って昼食を食べてから浦安に向かう予定だった。


せっかくのクリスマスデートなので迎えに行く時に花を買って行こうと決めていた。日比谷花壇で買おうと決めていた。今思うとよくもまあそんなキザな事ができたなと思うが、当時は必死だった。


当日、迎えに行く前に電話をして到着時間を伝えた時、その子の妹が風邪を引いていると聞いた。その子には妹がいて何度か電話では話したことがあった。


ひらめいた!

妹にも買って行こう!


花はバラの花にした。妹のお見舞い用にはバラ一輪を買った。一輪のバラは助手席におき、お姉ちゃん用はトランクに隠しておいた。

田端の実家近くまで迎えに行き、会うなり、妹さんのお見舞いにと一輪のバラを渡した。


「成功だった」


すぐに家に戻り妹さんに渡してくれたら、妹が感激して車のところまでお礼に来てくれた。とにかく凄く喜んでくれていた。


それ以降、妹が応援者になってくれたのは言うまでもない。ただ、本命は最後まで振り向いてはくれなかったのだが。


「そうそう、お姉ちゃんにもあるんだよ‼︎」


と、トランクから20本位のバラの花束を取り出して渡した。このちょっとした、少しくさい位の演出も成功だった。お姉ちゃんも凄く喜んでくれた。ただ、当然ながら決定打にはならなかった。


車は246を青山方面に向かっていた。彼女のお勧めの美味しい少し洒落た食堂が青山にあるということで、そこでランチすることになっていた。店の名前は'だるま'と言って青山の骨董通りを一本中に入ったところにあった。メニューは本当に普通の食堂って感じで、ご飯もの、麺類と一通り揃っていた。 確か、お勧めの焼きそばと、あとチャーハンなんかを頼んだと思う。確かにどれも美味しかった。僕たちの後にはかなりのお客さんが並んで待っていた事が人気店であることを物語っていた。


ランチを終えていよいよディズニーランドに向かった。


そう、その時二人で乗っていた車はBMWだった。もちろん自分の車ではなかった。そのBMWは学生時代の友達から急遽借りたものだった。当時私はホンダの車を持っており本来であればその車で行くはずであった。


実は、ディズニー話は当初想定などしているはずもなく、その日は会社の人達とスキーに行くことになっていた。そして、私も車を出すこととなっていたが、奇跡のディズニーランドになってしまったので私は当然ドタキャンさせてもらった。ところが、寮長から車だけは提供しろとの命令が下り、ドタキャンしたて前、従わざるを得なかった。


「中学生じゃあるまいし電車でディズニー?」


「かっこわるー。」


当時私は会社の寮に住んでおり、それは板橋区にあった。


思いついた、豊田に借りよう!トヨタだかBMWに乗っていた。


豊田は、板橋区から荒川を挟んだ埼玉側に住んでいた。


豊田とは学生時代にさんざん時間を共にした仲だったこともあり即オッケーが出た。


これが先に書いたドタバタの中身である。


ひょんなことからBMWに乗れることになり、車好きな私にとってはそのことだけでも楽しいクリスマスではあった。


勇んで車を借りに行った。聞いてはいたが年代物である。

「ちゃんと走るよ‼︎」

とのコメントをもらい、いざ!


「あれ、ハンドルが」


「左⁈ 」


人生始めての左ハンドルだった。


埼玉から日比谷の日比谷花壇を経由して田端まで取り敢えずたどり着いた。最初は慣れずに右ハンドルの感覚で運転していまい、何度かセンターラインを超えて走ってた。

私もドキドキだったが、対向車の方々がもっとドキドキだったようだ。

取り敢えず無事に田端には着いた。


「お待たす せ!」


噛んでしまった。

BMWということで少し'すかして'見たかったが、まんまとこけた。


まあ、そんな事前のドタバタは伝えないまま、食事の後に車は青山から銀座を抜け、築地を超えて湾岸道路を浦安へと向かっていた。


「ドキドキしていた」


左ハンドルにじゃない、彼女にだ。


浦安のその場所はカップルだらけであった。そりゃそうだろうと思いながら、ドキドキは続いていた。


メインの通りには大きなツリーが飾ってあった。


きれいだった。


「彼女がきれいだった」


もちろん言えなかった。


幾つかアトラクションを楽しみ、食事を終えた頃には辺りはいい感じで暮れてきていた。

いよいよカップルの時間のはじまりだ。


「さて、どうする」


心の中でつぶやいた。


しばらく2人の関係に進展がないまま時間が過ぎて行った。

微妙な距離を保ったままどんどん時間だけが過ぎて行った。


思わぬ援軍が現れた。


彼女が寒いと言って手をつないで腕を組んできてくれた。


援軍とは冷たい北風だった。


昼間から吹いていた北風が一層強く冷たくなって2人を包んだ。


あったかかった、手をつなぐってこんなにあったかいんだ。


嬉しかった、ただただ純粋にうれしかった。


其の後の2人は北風の後押しの中、カップルが一通り通る道をなぞってディズニーな夜を純粋に楽しんだ。


彼女に振られた後に振り返ると、この日がピークだったことが分かった。


「無理してたでしょ」


後から、北風に包まれていたディズニーの夜のことを言われた。


確かにあの日はとても寒くて震えていた。


寒いから帰ろう。なんてことを言わずに我慢してたって、無理してたって思われて、それが遠く距離を感じていたらしかった。

もっと一気に近づけば良かったのか?


確かに寒かった、でもそれ以上にあったかかったんだけどなー?


無理したかった。

それが彼女を想っているバロメーターだと思ってもいた。


「簡単じゃなかった」


そんなクリスマスが終わり、正月がやってきた。

年賀状を出した。

コメントに、

「去秋に神風が吹いた。さて、今年は何処に吹くのだろう。」

と書いた。

後から聞いたが本人は最初は意味が分からずお母さんに聞いたらしい。

さすが年の功、お母さんは直ぐに理解し解説してくれたようだった。

その謎掛け自体は気に入ったようだったが流れは変わらなかった。


ディズニーの後も何人かでスキーに行ったり、映画に行ったりしたが、その頃は既に終わりに向かっていた。


映画の後だったと思うが新宿で食事をすることになった。


「夕焼けから夜景に変わっていくその間が1番きれいなんだよ」


彼女のその話から見に行こうとなった。


「きれいだった」


確かに夕焼けからのそれはきれいだった。


「きれいだった」


夕焼けに照らされた彼女がきれいだった。


快晴だった空はそのまま夜に向かっていた。


「快晴の夜空?」


夜空でも快晴と言うのかな?


「もうそんな気ないよ」


その後のある日、終わってしまった。


風が吹いたのか吹かなかったのか分からなかったが、終わったのは確かだった。


嫌われたわけではなかったと思う。


彼女にとってはとても良い人だが、どうでも良い人でしかなかったのだと思う。


嫌いじゃないけど好きにはなってもらえなかったのである。


こたえた。


私のベースの部分が彼女の基準、対象、・・・、

適当な言葉が見つからないが、とにかく、私そのものが彼女の対象になり得なかったのである。


普通に、小さく、当たり障りなくまとまっている自分にがっかりした。


もっと大きく、不器用で、自分勝手で、出会った人の半分位からは嫌われる様な男になりたいと思った。


その後暫くは、人間として変わらなければ、広く、大きくならなければと強く思っていた。


その頃読んだ本を覚えている。


「青年は荒野を目指す」五木寛之著


だった。本の題名だけで選んだ本だった。当時の気持ちがこの本を選ばせたのだと思う。


貪り読んだ。


随分と後に本屋で見つけて懐かしく読み返したが、あれ、こんなに軽い感じだったかなー、という印象だった。


青年がロシアから、中東、ヨーロッパへと旅をして行く話だったが、確かに旅をしてるが、先々でセックスばかりしている青年の話でもあった。青年ということで、それはそれで健全ではあるのだが。


「見たい、本当にあるのだろうか」


本では飽き足らず実際に見たくなった。実際に見て、感じれば何かが変わるのではと思った。



ヒースロー空港に降り立った。本当に来てしまった。

大学時代の同じ下宿にいた先輩を無理やり誘って来た。


何も始まらなかった恋が破れたのが3月の卒業少し前、イギリスの地に立ったのが日本で言うゴールデンウイークだった。初めて日本を出た。成田からで飛んで香港で乗り継いでやっと着いた。

旅費は車を売り払って捻出した。車は必要なくなっていた。


この旅は何かを感じる、見つける旅だと決めていた。何を探しているのか、感じたかったのかは曖昧だった。ただ、何かが変わると、見つかると信じていた。


「where is the bus stop?」


ヒースロー空港で生まれて初めて英語を話した。


「#%>;{*^%'"><+」


多分一生懸命教えてくれたのだと思う。


「OK, Thank you. Bye!」


何て言っていたか全く分からなかったが取り敢えずこうこたえてしまった。


看板を探そう。


結局、電車でビクトリア駅まで向かうことになった。電車もきれいで車窓ものどかな風景が広がっていた。


ビクトリア駅に着いたら景色は一変していた。大都会だった。早速今日の宿探しを始めた。

航空チケットだけ買って日本を飛び出したので、宿は全て現地で探す必要があった。これを楽しみにしていた。軽い冒険だった。現代の荒野に飛び出たつもりになっていた。

宿はビクトリア駅周辺にあるB&Bと呼ばれる安宿を探した。ベッドと朝食と言う意味でベッド、アンド、ブレックファーストの略らしい。幾つか部屋を見せてもらい、比較的綺麗な所で決定。中には、窓なし、完全な地下室を紹介してくるホテルもあった。しっかり見極めないと向こうはどうだとばかりに押してくる。

部屋に荷物を起き、食事に行くことにした。鍵をかけて、階段をおりて行く途中踊り場から何気無く自分たちの部屋を見上げた。


「ぞっとした」


隣の部屋から黒人が僅かにドアを開けこっちを見ていた。


後から思えば、向こうも隣に入った奴がどんなやつか不安で確認をしていたのだと思ったが、とにかく不気味だった。あの目は忘れられない。


かなり酔っていた。


旅の疲れ、本当に来たと言う高揚感、後はさっきのあの目を忘れたかったのかもしれない。フィッシュアンドチップスとぬるいビールでロンドンの夜を楽しんだ。


次の日は、ダイアナさんが後に亡くなった時に花で埋め尽くされたバッキンガム宮殿とか、大道芸人の聖地ピカデリーサーカスや、ロンドンブリッジやら、ビッグベンやら一通り見て回った。


最後にロンドンタクシーに乗って一通りロンドンを体験した。


2日後


ロンドンからいよいよパリに向かった。ガトウィック空港を飛び立ちシャルルドゴール空港に降り立った。いよいよフランスにまで来てしまった。つい数か月前までは海外など全く興味がなく、ディズニーがどうしたこうしたと言っていた。

ましてやヨーロッパ、フランスに来るなんて想像もしていなかった。

そういう意味ではフラれたのも悪くはなかった。


切符が買えなかった。空港の駅の窓口のおばさんがフランス語しか話せなかった。と言うか話さなかった。後から聞いたのだがフランス人はプライドが高いので、英語が話せても敢えて話さないと言うことらしかった。


後ろから英語らしき言葉が聞こえた。何処まで行くのかと聞いて来たらしかった。


「ノルデガルド」(北駅)


と答えると、その人がフランス語で話してくれて切符を買ってくれた。

エールフランスの今で言うCAさんだった。綺麗な人だった。


ありったけの笑顔で


「メルシーボクー」


なんか楽しくなってきた。


ノルデガルドに着いた。

切符はここまでのものだった。


本当はパリ市内までの乗り継ぎ切符をかわねばならなかったらしい。


地下鉄への乗り換え改札で足止めをくった。


さて、どうしたものか?


「飛んだ」


暫く様子を見ているとジモティーは改札を飛び越えていた。


パリの地下鉄は入る時のみチケットが必要で出る時は不要だった。


若者がみんな飛び越えていた。決して若くはなかったが、飛ぶしかなかった。


「荒野を進んでる気がした」


シテ島に着いた。

パリがどんな所か予習も全くせずに来ていた。感じるままに感じようと思って来た。


凱旋門、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、写真では見たことがあったが本当にあった。本当にそう思った。そこには想像をはるかにこえる歴史があった。とてつもなく重い、深く長い歴史があった。

この旅の意味が何か大きく変わってしまった。

失恋して荒野を目指す?

ちっぽけ過ぎた。

そこにあった歴史はそんなものをあっという間に受け入れて、突きつけて来た。


「お前はどう生きるんだ」


答えは簡単に見つかるはずもなかった。


さて、何処に泊まりますか?先輩と片っ端から安ホテルをあたった。

ヨーロッパで男2人でホテルを探していることはそういうことだったらしい。ポーターがみんなニヤついてこっちを見てた。やたらとダブルの部屋を紹介して来た。

どっちでもいいから早くベッドで休みたかった。

なかな決まらずにルーブル美術館の近くの駅で先輩と地球の歩き方を見てあれこれ考えていた。


夕日が傾き出していた。

「どうしました?」

日本語?日本語だった。

パリで勝負をかけているデザイナーの卵だった。

聞くと、こんな場所でもたついている日本人は、スリの格好のターゲットになるとのことで声をかけてくれたらしい。


こいつ怪しい。最初はそう思っていた。一緒に宿を探してくれるとのことでパリの街を早足で歩き何件かのホテルをあたってくれた。途中、やっぱりこいつ怪しい。ずっと思っていた。


「ボンジョルノ、ムッシュ・・・」


何軒ものホテルをあたってくれて、行く先々で彼が交渉してくれた。


「本当に助かった」


安くてきれいなホテルが見つかった。最後まで疑っていたが本当は良い人だった。


サンジェルマンデプレと言う場所にホテルはあった。


「アン ビエール シルブプレイ」


ホテルの近くのファーストフードに駆け込んだ。

カラカラな喉に染みた。フランスのビールはよく冷えていた。


泊まったホテルの難点は階段しかなかった所だ。部屋は七階だった。


ただ、窓からは屋根ずたいにエッフェル塔が遠くに見えた。明け方トイレに起きた時に見たエッフェル塔はとても趣きがあった。


翌日、先輩はかなり遠くの有名な建築物を見に行くと言うことで朝早く1人で出て行った。建築家である先輩の今回の旅の目的は、建築家としての深みを身につけるため様々な建物を見るとのことであった。


私の目的はよく分からなくなっていた。

楽しさだけは日に日にましていった。

と言うことで、その日は1人でパリの探検に出た。先ずは腹ごしらえと言うことで、ホテルの近所にあったカフェに入った。メニューをもらったがフランス語が全く読めなかった。

雰囲気でサンドウィッチと書いてありそうなやつと、これもかろうじて読めたビエールを頼んだ。まだ朝8時台だったがビエールで乾杯ってな感じで。

サンドウィッチは当たっていた。とっても硬いフランスパンにハムらしきものが挟んであった。ビエールが出てきた。日本でも滅多にお目にかからないような超大ジョッキが出てきた。


かなり良い気分で街に出た。超大ジョッキは流石に効いた。

まだ9時前だった。

少しふらつきながらノートルダム大聖堂を見に行った。セーヌ川沿いを散歩しながら大聖堂が近づいてきた。流石に何かが凄いと思った。うんちくは山のようにあるのだろうが、わたしでもわかる凄さがそこにはあった。ステンドグラスとはこう使うのかと分かった。綺麗とかそんな表現で終わらせるのがおこがましいくらい心を揺さぶられた。

みんな虜になるはずだと思った。


そのあとはまた、セーヌ川のほとりを歩いてオルセー美術館まで戻った。オルセー美術館の建物は元々は駅だったとのことでなるほどそんな創りになってると素人の私でも分かった。まだ超大ジョッキの影響が抜けないので二階のテラスに出て少し休んでいた。

テラスからはセーヌ川がましたに見えて、その向こう岸にはシャンゼリゼ通りの賑わいが少し見えていた。凱旋門も見えていた。


オルセー美術館、ルーブル美術館についてはとても書き尽くせぬ・・・。表現ができない。


一生に一度訪れられることをお勧めする。


ビエールも抜けてきたのでエッフェル塔に向かった。

「ふるっ」

登って見たが、個人的な意見としてはこの塔は遠くから見ているのに限る。


朝から気になっていた。やたらと黒人が多い。フランスでこんなに黒人を見るとは思わなかった。観光人向けの変な風船とか売ってるのはほとんど黒人だった。

「ウン ソワレ トワレット?」

通じた!

一人の黒人に聞いて見た。トイレどこ?

以外だった、とっても丁寧に教えてくれた。

「誇り?」

なんとなく感じたのだが、その黒人は自分に誇りを持っていて、人が自分をどう見ているかなんてことより、自分がどう生きて行くかだけを考えていて、だから今できることを精一杯楽しんでいるように思えた。

人種の問題はそんなに簡単ではないのかもしれないが・・・。


「小さい」


改めて自分の小ささを実感していた。

世界で生き抜くには器が小さすぎる。飛躍しすぎの感もあるが、様々な人種と接しているうちにそんな事を思っていた。


歩き疲れたのでセーヌ川のほとりで暫くたそがれつつ今回の旅を考えてた。

何かが整理できたわけではないが、初めて触れた異文化に大きく心揺さぶられたことはこの先何かにつながるのではと期待した。


夕方石山さんと「デュマゴ」で待ち合わせた。

石山さんが私の先輩で建築家の人だ。


サンジェルマンにあるそのカフェは超有名なカフェで、二人の中国人と言うことらしかった。その昔、ピカソやヘミングウェイとかいった、小説家や芸術家達の待ち合わせのカフェだったらしい。今では客の大半が観光客らしいが。

思ったよりは空いていた。確かに店の中の柱の上の方に中国人らしき人の像が二つあった。

ギャルソンにビエールを頼んで石山さんの到着を待った。今度は小さいやつを頼むことができた。

暫くすると石山さんが現れた。

「参ったよー、閉まってた」

目的の建物が休館日で見られなかったようだ。

かなり遠くまで行ってたようで、とても残念がっていた。

「しょうがない、飲むか!」

この人もかなりの酒好きで、これまたよく飲む人だ。

実はもう一人待ち合わせている。先日宿探しを助けてくれた川奈さんだ。カジュアルフレンチの店を教えてくれるとのことであった。

気がつくとデュマゴは観光客で満席になっていた。

それにしてもここのギャルソンはキビキビしてみなイケメンだ。聞くとギャルソンになるのもかなり難しく、ましてやデュマゴのギャルソンはいわゆるエリートらしかった。

「シルブプレイ」

雰囲気にやられてビエールがすすんでいく。


「ここじゃワインと言ったら赤なのよ」


川奈さんに連れてってもらったカジュアルフレンチの店のおばちゃんがそういってるらしく川奈さんがワインリストを見せてくれた。ワインなんか選んだ事も無いし、そもそも字が読めないので川奈さんにセレクトをお願いした。シャルルドゴール空港に降り立って以降完全なお登りさん状態が続いているので何を飲んでも、食べても うまい となっていた。


ワインに合うということでお勧めの牛肉の煮込みを頼んだ。これがまた美味しかった。今回の旅で一番の食事となった。


川奈さんとあったのはその夜が最後となった。デザイナーの卵といってたがその後成功されたのだろうか。


「へぇー、そうなんだ」

油絵が持ち帰り出来るとは思っていなかった。

今日はモンマルトルの丘に来ている。石山さんとは今日も別行動だった。

シャンゼリゼ通りからは少し離れた場所で、丘だけにかなり高台に有った。遠くにエッフェル塔やら、凱旋門が霞んで見えていた。

ここは画家の卵が集まっていて、似顔絵描きや、自分の描いた絵を売っている未来のピカソ達が集まっていた。

見るだけと思っていたら持って帰れるから買っていけとのこと。油絵は流石にスーツケースに入れたら台無しになっちゃうじゃんと思いきや、ちゃんとカバーが有って、絵の表面が潰れないように出来るとのこと。


それならさっきから気になってる絵が有った。


何の花かはわからなかったがふじ色の花がきれいに書かれたハガキよりふたまわりくらい大きいサイズの絵だ。芸術家の中ではどうなのかわからなかったが、私からするととても上手で素敵な絵だった。


とにかく違う花の絵を2つ買った。二つ買ったのはお察しの通り彼女にお土産として一つあげようと思ったからだ。

「もう終わってるのに」

再び始まらないことは分かっていた。 ただ、何かしら繫がっていたかった。


パリ最終日、久しぶりに石山さんと行動した。大半がルーブル美術館巡りとなった。とにかく広い。じっくり見てると時間と体力がなくなってしまう。


教科書なんかで見たことがある絵は一通り見て回った。

いつかまたこれるかもと思いながら心地よい疲労感とともにルーブル美術館を後にした。

出たとこのガラスで出来たピラミッドのそばの噴水広場でみんな足を池に入れて冷やしてた。早速真似して見たらこれが気持ち良くて少し足の疲れが和んだ。


其の後はディナーということでシャンゼリゼ通りまで戻ってレストランを探した。ドレスコードもなく適当に旨そうな店を見つけて入った。凱旋門からそう遠くない場所で店の雰囲気も悪く無かった。ホテルまでは少し遠いが歩いて帰れると分かっていたので久々にかなり飲んだ。ワインが安かった。

千鳥足で歩いたシャンゼリゼ通りの夜景はきれいだった。凱旋門がライトアップされ、振り返ると遠くにコンコルド広場の塔が見えた。宿はモンパルナス地区のサンジェルマンデブレだ。シャンゼリゼ通りからはセーヌ川を渡ってオルセー美術館を超えて行く感じだ。ゆっくりと町並みを楽しみながら帰った。ただゆっくりと。


今回の旅は思いつきから始まったものだったが、何も決めずに来たことがその旅の冒険度をあげてくれた。何も決めず、何も持たないことが良かったのかもしれない。


翌日シャルルドゴール空港を飛び立ち帰国の途についた。


こうして始めての海外旅行が幕を閉じた。


帰国後、田端のドトールかなんかでお茶しながら例の絵を渡した。絵は想像を超えて喜んでくれた。ただ、それだけだった。


あの絵は今も何処かに飾ってあるのだろうか?


その子とはその後会うことは無かった。


「同じだった。」


後から気がついたことだが初恋の彼女と誕生日が近く星座が同じだった。



次の話は、4年前くらい前の話である。


その子は、親会社から出向で来ていた人である。


「あれ、また同じ子が現れた」


残業してたら上司に呼ばれ飲み屋に行ったらその子が一緒に飲んでいて始めて話をした。


その日はもう一人の同僚と3人でカラオケに行き随分と遅くまで歌い明かしてしまった。其の時に話した中で誕生日の話になり驚いたことにまた同じ子が現れた。


女性に必ず誕生日を聞くわけでもなく、聞こうと思ってもいないのだが、何故か、偶然知り得た女性が同じ星座だった。

これまでの2人は完全に好きだったが、この子は全く意識してない時に出会った?ので、そこから気になるようにはなった。


それからは、私も妻子持ちでもあるし、よくゆう妹のような感覚で(年は娘でもおかしくない位下なのだが)、カラオケやらゴルフやら一緒に行ったりしていた。

2年前に出向解除になり向こうの会社に帰ってからは会う機会も殆ど無くなってしまったこたもあり、偶然だったんだ、まあ、何かの縁はあるのかなと思うようになっていた。


「3度はあるよなと」


出向元に出社する朝に


「頑張って行ってきます」


と、メールをもらった。


空は快晴だった。


2014年 夏


「えっ、マジで⁉︎」


「しかも同じ日じゃん!」


また同じ星座で、しかも田端の彼女と同じ誕生日だった。


「正直驚いた」


その人は会社に派遣で来ている人で、後山さんと言う人だった。

随分と前に食事に行く機会が出来そうだったのだが、タイミングが合わなかったのか実現しないままとなっていた。


その後、ある飲み会に誘って貰った時に彼女も参加していて始めて話をした。


その飲み会は、皆、初飲み会なのに深夜まで続いた。


その飲み会は、よくある感じのもので、後から思うと男女ともそこそこの年では有ったので落ち着いた感じでとても心地良い時間だった。


「気になっていた」


飲み会の後からずっと気になっていた。


ここ何年も感じていなかったが


「心がざわついていた」


容姿、たたずまい、雰囲気あたりがとても気になっていたいて、もっと話をしたいと強烈に思いだしていた。


「やばい、気になる」


改めて飲み会を企画して機会を作った。幸いにして参加してくれて、楽しい時間を過ごせた。


ただ、その先がどこに向かうのか自分でも思いあぐねていた。


「何がゴールがあるのだろうか?」


今の状況でのゴールとはなんだろうか? そんなことを思いつつも気になり度合いは増す一方だった。


「暴走してしまった」


思いがかなって2人で飲みに行く機会をもらった。久々にドキドキしていた。酒もかなり飲んでおり、とにかく楽しくなって、勢いが付いてしまった。


酔った勢いだったのは間違いないが、想いが全部出た結果でもあった。


手をつないで、腕を組んで、本当久々にドキドキしていた。


その先はやり過ぎだった。

キスしてしまった。


「うれしかった」


私にとってはうれしかった。勝手な事だとは思うが、うれしかった。


ただ、やり過ぎだったのだと思う。


そう、どうにもできないのである。


出会った順番が違っていたら間違いなく本気でアタックしていたと思う。

高校生みたいで変だけど、そんな事を思ったりもしていた。


相変わらず妄想癖が抜けていないが。順番が違っていたらと思わずにはいられなかった。


「9月7日」


メールアドレスを教えてもらった時にもしかと思っていたが、その後、再度飲み会に来てくれて、その帰りに聞いて驚いた。


今回は正直驚いた。偶然であり、だからということでもあるが、まさか同じ誕生日の人とまた出会うとは思ってもみなかった。

ただの知り合いということではない。特別な人と思った人が同じ日だった。


誰にも言ったことがないし、今までは半信半疑でしかなかった。


「やっぱり特別な人だ」


その日以来その思いが頭を離れなくなった。


どうすることもできないが、思いを伝えたい衝動にかられ、何時も考えていた。


「何かを伝えたい」


何を今更と思いながらも、何か伝えたいと思っていた。


「大事に思ってます」


勝手だけどあなたを大事に思ってますと言うことを伝えたい。


それ以下でも、以上でもなく。


勝手な思いである。そんな勝手な思いを伝えること自体どうかしてるのかもしれない。


願わくば、そう思っている人間がいることを本人が知ったことで、少しでも心が和み、少し暖かな気持ちになってくれればと思うのみである。


そんな事を言われたらどう思うのだろうか?

何かが伝わったりするのだろうか?

やはり相手によるのかもしれない。


「やっぱり勝手な想いだよなー」


果たしてこんな想いは正常なのだろうか。


なかなか答えが見つからないでいた。


今年の夏くらいから帰宅後にダイエットということでランニングを始めていた。時間にすると1時間程度で、体が動く範囲でゆっくり走っていた。

この時間は体を鍛えるにも良い時間だが、何かを想う時間としてもとても貴重な時間だった。


よく考えていた。自分でもよくもまあ、あれこれ想いが巡るものだと思うが、とにかくいろいろと考えた。


「見つからなかった」


答えが見つからなくても良いと思い出していた。


最も私以外はとっくに答えが出ているのだとも思ったが。


今回のことがあって小さい時から何か心に引っかかっていたことが自分の中でスッキリとした感じがする。全て何か中途半端な感じで区切りが付いていなかったことが、はっきりと思い出に変わった。


後山さんのこともいつか大事な思い出に変わるのだろうか?


そんな事をあれこれ考えながら走っていた。


そんな時何時も空には


「快晴の夜空」


が広がっていた。


・・・。



2019年秋


あれから5年がたった。

東京では来年いよいよオリンピックが始まる。


東京もあれから随分と様変わりした。

私自身もあれからいろいろなことがあった。

正直想像してなかったことも幾つか起きていた。



「ねえ、ここも随分と変わったわね!」


振り返ると、君の何時もの笑顔があった。


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