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第2章 天涯孤独の過去 第2節:最後の家族

第二節最後の家族


 重い沈黙の中、アイリーンとクラウドは海岸沿いを北に歩き続けていた。特に目的地があるわけではない。こうして彼女が旅をするのは犠牲者を出さないため、そして自分が死なないため。

 一度は死のうとした事だってあった。村を追放され、行くあてもなく歩き続けながら自分は何のために生まれてきたのか考えた。父を、母を殺され、村から追い出され、今では不幸を呼ぶ者という異名まで与えられて。生まれてきた意味、これまでも生きていく意味、そんなものは存在しないのではないかと思い始めていた頃だった。森を彷徨い、いつの間にか海へとたどり着いていた。村から出たことが無かったアイリーンは、月明かりに照らされた海に見入った。水面は光を反射して、月までの一本道の様だった。この道を進めば、もう誰のことも傷つけないでいい世界に行けるのだろうか。道を揺らめかせながら自分の足元に押し寄せては潔く引き返す波が、まるで自分を呼んでいるように見えた。その誘いにのって彼女は一歩、また一歩と海へと足を踏み入れていた。どんなに進んでも、月の道にはたどり着けない。波が彼女を攫おうとした時だった。誰かが彼女を抱き上げた。辛くなる程の暖かさが海水で冷え切っていた体に伝わってきた。生まれてきた意味も、生きる意味もない自分は、それでもまだ死なせてもらえないのか。見えない神を睨みつけながら、彼女の意識は遠のいていった。

 ずっと地面を睨みつけたまま歩いていたアイリーンがふと顔を上げるとその海岸に二人はたどり着いていた。日が沈み切り、空には月が輝いている。忌々しい程に、あの晩と同じ光景が目の前に広がっていた。

 村を出てからずっと無言だったアイリーンが口を開く。

「今日はここで休もう」

「そうですね、もう夜ですし。私、水を汲んできます」

 トランクから出した器を持ってクラウドは海へと走って行ってしまった。その背中を見送りながら、あの晩の事を思い出す。

 目の前で父が殺され、母が殺された。その後の事の記憶がはっきりとしない。“赤い瞳をもった子どもが血だまりの中一人生き残った。周りにはその子どもの両親と三人のクレイヴ族の死体が転がっていた”という噂をよく耳にした。赤い瞳を持った子どもというのは間違いなく彼女の事だろう。しかし、クレイヴ族を殺した記憶はまったくない。まだ幼かった彼女がクレイヴ族三人を相手に本当に勝ったのだろうか。今のこの力だって、生き延びるために得たものだ。あの頃の自分にその様な力があったとは考えられない。

「私は一体…何者なんだ?」

「何か言いました?」

 アイリーンの呟きに、いつの間にか海から戻ってきていたクラウドが反応する。なんでもない、とだけ言うとアイリーンは波に揺られる月の道を眺めた。考えても仕方の無い事だ。“赤い瞳”、“クレイブ族”、“不幸を呼ぶ者”、考えるにはあまりに情報が無さすぎた。そして、考えるにはあまりにも大きな問題な様な気がした。

「海がお好きなんですね」

 差し出された器を受け取りながら、

「別に好きではない。むしろ…嫌いかもしれないな。それより、これどうしたんだ?」

 器の中には色とりどりの野菜が入ったスープがよそわれていた。よく見ると肉まで入っている。

「エマさんにいただいたんです。お肉は腐ってしまいますから今日の内に食べた方がいいかと思って」

 エマという名前にアイリーンが表情を強張らせたのがわかった。あの様に別れてしまった事が心苦しいのだろう。恐らく彼女はもうあの村には戻らない。あそこには彼女の辛い過去が充満している。戻れば再びエマを危険にさらす事になる。口調には棘があるが、誰よりも周りの人を考える優しさが彼女にはある。その事をクラウドはたった数日一緒にいるだけだが、感じていた。そして、その優しさがさらに彼女を追いこんでいる事にも。

 無言の夕食がしばらく続いた。二人とも食べ終わり、器を置いた時だった。ずっと押し黙っていたアイリーンが口を開く。独り言とも思える程の小さな声だった。

「私がアミナスだと、出会ったあの時言ったよな…」

「はい」

「アミナスという名は、あの村でつけられた名だ」

 予想はしていた。あの村人の部外者に対する異常なまでの拒絶は狂気に満ちていた。

「今日一日で、私の身に何があったのか…わかっただろう?」

 その問いに一体どう返していいのかわからず、クラウドは言葉に詰まった。別に答えを求めていたわけではなかったのか、アイリーンは続きを語り始めた。

「今から5年程前の話だ。ひどく荒れた天気の晩に私の両親は殺された」

「……………。」

「雷がひどくてな、私はなかなか寝付けずにいた。だが、両親に一人で眠れると言ってしまったから今更眠れないとは言えず、一人でベッドに潜りこんでいた。近くに雷が落ちたのか、一際大きな音がしたんだ。そして、急に辺りが静かになった。違和感を感じた私は両親のもとへ行こうとリビングに向かった。そして私は目の前に広がる血と、その中に横たわる両親を見てしまった。その後の記憶は…曖昧なんだ」

 淡々と話しているが、その内容は口調に似つかわしくないものだった。アイリーンやエマの話から大体は予想していたが、いざ本人の口から語られるとそれはクラウドに重くのしかかった。アイリーンは気にせず変わらぬ口調で続ける。

「多くの村人が来て口ぐちに何か言っていた。私は村の集会所に連れられて、ぼんやりと大人達が論争している様を見ていた。私の頭の中には血だまりの中で横たわっていた両親の姿が焼き付いていたからな…それ以外何も考えられなかった…。エマ伯母さんが何かを必死に皆に訴えていたが…気付くと私は村の門の外に立っていた。そこでやっと自分が追放されたと気づいたんだ」

「…そこで村に戻ろうとはしなかったのですか?」

「しなかった。戻ったところで両親が生き返るわけじゃないし、アミナスと呼ぶ村人の目を見たら…戻る気もしなかった。最後の最後まで味方でいてくれたエマ伯母さんにも迷惑がかかるしな」

 村人に拒絶されて、アイリーンは故郷を失ったのだ。彼女に比べたら故郷がわからない自分の方がまだましなのかもしれないとクラウドは思った。月光に照らされるアイリーンの横顔はひどく冷たく、まるで何の感情もない氷の像の様だった。

「村を追放された私は途方にくれながら歩き続けた。二日ほど森を彷徨っていると、ここにたどり着いたんだ」

「ここ…ですか?」

「あぁ、まさにここだ」

 そう言いながら目の前の海を指差した。波が月の光を反射してキラキラと輝いていた。

「あの時の私にはあの光がまるで月への道に見えた」

「道…ですか?」

 たしかに、海には一本の道の様に光が反射していた。波がその道をゆらゆらと揺らしている。時々大きな波がその道を大きく歪ませた。

「生きる気力を完全に失っていた私はあの光の道を進もうと海に入っていったんだ。このまま生きていても何も意味はないと思っていた…。それだったらいっその事、両親のもとへ私も行けばと…」

 無理もない。両親が殺され、さらに生まれ育った村まで追放されて生きる気力を失わない者はまずいないだろう。

「それでも…貴方は今こうして生きている」

「そう…波が私を連れて行こうとした瞬間、私を抱きかかえた人がいた…。その人こそが、私の最後の家族だ」

 そう言った彼女の顔からはさっきの氷の様な冷え切った感情は全くなかった。命の恩人でもあり家族でもある、と話す彼女の表情からその人物は彼女にとって、とても大切な人なのだと感じられた。今までに見たことが無い程の穏やかで優しい顔だった。

「早くに夫を亡くしていた彼女は私を本当の子どもの様に想ってくれていた」

 一緒に過ごした時間はきっと暖かいものだったのだろう。しかし、それ故に疑問が湧く。

「では…何故今こうして放浪の旅をしているのですか?」

 アイリーンは一瞬表情を曇らせ、とても寂しそうな笑顔を無理してつくった。

「死んでほしくないからだ。私の周りの人間は何故か死んでいく。何者かに殺されていくんだ…」

「どういう事ですか…?」

「私が少しでも長く関わると、その人間は殺されるんだ…。」

「一体誰に?」

「誰というわけではない。事故であったり病であったり…。死に方は色々だ。だが、確かに私と関わった者は命を落とす」

 そう言うとゆっくり立ち上がった。服に着いた砂を軽く払い、波打ち際まで歩いていく。とぼとぼと歩く彼女の背中にかける言葉が見つからず、クラウドは俯いた。

 彼女の痛みは彼女にしかわからない。同情の言葉なんて、何も救わないし救えない。


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