第1章 一人旅の終わり 第3節:悪夢
第三節 悪夢
クラウドと出会った街は暑くなる季節に多くの人が避暑地として訪れる街、《ハイドレイク》であった。街の奥には大きな湖があり、またその奥には森がある。開発は進んでおらず、森には野生動物が多く生息しているため一般人はあまり寄り付かなかった。現在アイリーンはその湖から森に少し入ったあたりで生活をしていた。
「ここですか…?」
アイリーンが立ち止まると、クラウドが少し困った顔をした。
「何か問題でもあるか?」
「問題というかなんというか…」
そう言って見上げたのは大きな木だった。どうやらアイリーンはこの木に登って寝泊りしている様だった。クラウドがどうしたものかと困っていると、アイリーンは身軽に木に登っていく。その身体能力は見事だったが、彼女は女性だ。クラウドは姿が見えなくなったアイリーンに声をかける。
「宿とかに泊まった方がいいのでは?」
「………。」
返事が返ってこない。クラウドはもう一度質問を繰り返し、返事を待ったがやはり返答はなかった。
「貴女は女性ですしこんな物騒な…。あ、お金が無いのでしたら私が…」
「そうじゃない」
クラウドの発言を遮り、ようやく返事が返ってきた。表情は見えないが、声からして明らかに不機嫌そうだ。クラウドは苦笑いを浮かべながら会話を続ける。
「では何故?」
「………。」
再び返事を待たなければならないかと思ったが案外返事はすぐに返ってきた。
「…迷惑をかけるからだ」
「迷惑?」
「私はいつ襲撃を受けるかわからない。襲撃を受ければ必ず…犠牲者が出る」
「………そうですか(何をやっているんだ私は…)」
そう、自分を責めた。彼女はきっと自分よりはるかに危険な想いをしてきている。そして、多くの…死を見てきたのだ。これ以上見たくないのは至極当然である。彼女が人を遠ざけるのもそれが理由だろう。それなのに自分は傷をえぐる様な真似をしてしまった。恥じるべき行為だ。
「宿に泊まりたいならお前だけ泊まれ。そもそも私はお前と共に行動する気はない」
クラウドはアイリーンが登っていった木の隣に生えていた木によじ登った。それを見てアイリーンは起き上がり
「聞いていたのか?お前と私は共に旅をしているのではない。ここは危険だ、お前は宿に泊まれ」
「私は大丈夫ですから、そんなに心配しないでください」
「心配ではない。迷惑なだけだ。」
「『危険だからお前は宿に行け』なんて、心配以外だったら何です?」
「…………」
何も言い返せないアイリーンにクラウドは
「木で寝た事なんてないので、寝てみたいと思っただけですよ」
そこまで言われては、もう何も言い返せない。アイリーンは「勝手にしろ」と小さく呟くと腕を頭の後ろに組み、寝る大勢にはいった。クラウドはクスっと笑うと自分も目を閉じた。
アイリーンはぼんやりと葉の合間から見える星を眺めていた。ふと横を見るとクラウドはもう寝息をたてていた。こうして隣に誰かがいるのは何年ぶりだろうか…。そう考えながら瞼を閉じると過去の悪夢が呼び起される。
** *
あれは私が何歳だった頃だろうか。今から五年程前の話だ。それでも、あの晩の事は鮮明に覚えている。忌々しい悪夢の様な晩を私は一生忘れない。いや、忘れられないだろう。
あれは嵐の晩だった。雨と風にさらされて窓がガタガタと音をたて、雷が激しく轟いていた。荒れ狂う中、雨や風に気配を紛れ込ませ奴らはやってきた。
「空が怒ってて怖いよ、お母さん」
「あら、まだ寝ていなかったの?」
お気に入りの人形を抱きながら、リビングへと顔を出した私を母は抱き上げた。母の暖かな笑顔を見るといつも心が落ち着く。
「アリィは怖がりだな」
そう言いながらソファに座っていた父もこちらへ来た。私は少しむくれながら
「怖がりなんかじゃないもん」
「そうか?じゃあパパとママがいなくても大丈夫か?一人で寝れるのか?」
そう、意地悪そうな顔で言う。母も二人のやり取りを微笑ましそうに見ている。
「…大丈夫だもん!」
負けず嫌いだった私はそう言うと母の腕から降りて、リビングを出る。
「…おやすみなさい」
「おやすみ」「おやすみなさい」
振り向いてそう言うと父も母も笑顔で答えてくれた。私は怖いという気持ちもあったが一人で寝れると言ってしまったので渋々ベッドに戻り、雷が聞こえない様に布団にもぐり込んだ。
あの時、「一人で寝れない、一人じゃ大丈夫じゃない」と意地を張らずに素直にそう言っていれば未来は変わっていたのだろうかと、今でも考えてしまう。考えたって仕方がない事だとはわかっていた。わかっているが、考えずにはいられないのだ。
一際大きな音がした気がした。私は耳を塞いでうずくまった。真っ暗な視界、しんと静まりかえる辺り。耳を塞いでいるからにしては、やけに静かだった。不思議に思った私はそっと手を耳から離した。布団からはい出るとゆっくりと起き上がった。やはり、しんと静まり返っている。激しかった雨もいつのまにかやんでいる。
「おかあさん…?」
母を呼ぶ。私の声は闇に溶けて母まで届かなかったのか、母から返事はなかった。いつもなら呼ぶとすぐに駆けつけてくれるのに、駆けつけるどころか気配がない。この異様な空気に耐えられなくなった私は部屋を飛び出した。廊下に出ると突きあたりにあるリビングの扉が視界に入った。扉は開け放たれていて、そこから嗅いだ事のない匂いがした。似た匂いといえば古びた硬貨だろうか…?いや、それよりももっと濃い、いやな匂いだ。灯りが消えて両親の気配がないリビング、そこから漂ってくる異臭。私は生唾を呑み込むと勇気を振り絞ってリビングへと足を踏み入れた。
私の視界に飛び込んできたのは───────
** *
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ───────────…!」
アイリーンは自分の叫び声で目を覚ました。大きく目を見開き、荒い息のまま辺りを見回した。見えるのは木々たち、そして下から驚いた顔でこちらを見上げるクラウドの姿。まだ放心状態のアイリーンに
「怖い夢でも見ましたか?さぁ、これでも飲んで落ち着いてください」
クラウドは甘い香りが白い湯気と共にあがる紅茶を差し出した。アイリーンはゆっくりと木から降りてくるとカップを受け取る。甘い香りを胸いっぱいに吸い込むとゆっくりとその場に腰を降ろした。紅茶に映る自分はこちらを虚ろな目で見つめてくる。紅茶を一口飲むと、じんわりと紅茶は体に染みわたった。ようやく、自分が生きている事を実感する。いつもあの夢から目覚めると生きた心地がしないのだ。理由は自分が一番よくわかっている。自分のせいで両親は…。
「大丈夫ですか?」
クラウドが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「あぁ、大丈夫だ」
「そうには見えませんが」
そのまま黙ってしまったアイリーンに、クラウドは肩をすくめた。しばらくの沈黙が続いた後、アイリーンは自分の手にあるカップをまじまじと見つめた。
「どうしました?」
クラウドが自分のカップに紅茶のおかわりを注ぐ手を止めた。視線をカップに注いだままクラウドに尋ねる。
「これはどうしたんだ?」
「これ?…あぁ、カップの事ですか。貴方が眠っている間に屋敷から少々失敬したんですよ」
さも当然の事の様に言う彼の顔をアイリーンはぽかんとした顔で見ていた。そんな彼女の様子を気にすることもなくクラウドは自分が座っていた革製のトランクをぽんぽんと叩いた。
「これに入れてお屋敷から持ち出したのです。着替えとか、無いと困るものは大方これに詰め込んできました」
「お前なぁ…」
呆れながら何か言おうとした彼女の目の前にクラウドは器を差し出した。器には美味しそうな香りと湯気をたてたシチューが入っていた。
「これは…?」
「シチューです」
「それは見ればわかる。…これはお前が作ったのか?」
「えぇ、そうです。伊達に執事やってませんでしたから」
「執事というのは料理までするのか…?それにお前、昨日夕食に飴を出したって…」
「ははは、別に料理ができなかったから飴をお出ししたわけではありませんよ」
そう笑う彼を見るアイリーンの目はさらに怪しい者を見る目になっていった。眉間に皺を寄せていた彼女の眉間にさらに深い皺ができていのを見ていたクラウドはクスクスと可笑しそうに笑いながら、彼女にシチューを勧めた。アイリーンは恐る恐るシチューを口に運ぶ。口に入れた途端、アイリーンは目を見開いた。
「美味しい……!」
「それはよかった」
自分が作ったシチューを頬張る彼女の姿に満足げにクラウドは微笑んだ。しばらく無言でシチューを頬張ったアイリーンはその場に寝転んだ。
「食べてすぐ寝るのはよくないですよ」
「固い事言うな。久しぶりにまともな食事をしたんだ」
「何の言い訳にもなってませんけど」
「別に言い訳する気はないしな」
クラウドは呆れて溜息を吐いた。気を取り直して会話に戻る。
「久々って…普段は何食べてるんですか?」
「普段か?普段は……食べたり食べなかったりだな。食べる時はだいたいパンとか果物だ」
「そうですか…」
ちらっと痩せ細った彼女の腕や足を見た。確かに、しっかり食べている様には見えない程に彼女は痩せていた。それでも、昨夜の様に彼女は圧倒的な強さをもっている。あれは一体どこからくるのだろうか…?
「なんだ、どうした?」
「あぁ、いや…なんでもないですよ」
アイリーンの声で我に戻った。視線をそらしてそう答える彼の姿にアイリーンは首をかしげる。
恐らく、彼女には両親がいないのであろう。そうでなければ我が子をこんな危険な環境に一人で放っておくわけがない。彼女は捨てられた?それとも、両親はすでに亡くなっている?病気?事故?…いや、そんなんじゃない。もしかしたら彼女は両親の死を目の前で…。
彼女に関してはまだまだ謎だらけであった。昨日出会ったばかりなのだ、それは仕方がない。だが、どうして自分がこんなにも彼女の事を気にかけているのかは自分でもわかっていなかった。ただ気になった。心配だった。彼女がこの先一人で戦っていくのかと思うと構わずにはいられなかった。その理由を自分に問いかけても、どうやらまだ自分はその答えを持っていないらしい。これから見つけなくてはいけないのだ。
そんな事を考えているうちにアイリーンは湖で自分が使ったカップと器を洗い終えていた。腰に吊るした武器の確認など、出発する準備をしていたアイリーンにクラウドは片付けを行いながら声をかける。
「もう出発するのですか?」
「あぁ、クレイヴ族は昼間活動できないからな。明るいうちにできるだけ進んでおきたい」
「どこか目的地があるのですか?」
「私がどこに行こうがお前には関係ないだろ」
まだ頑固にそう言うアイリーンにクラウドは
「別に教えてくれたっていいじゃないですか」
と、苦笑した。アイリーンも諦めたように答える。
「ロンヴェイグ村だ」
「ロンヴェイグ…聞いた事ありませんね」
首を傾げるクラウドに少し説明を加える。
「ここから南東にある小さな村だ」
「何をしに?」
その問いには何も反応しなかった。彼女にとってその村には忘れたい過去がたくさんつまっていた。それをまだ出会って間もない、正直得体のしれない者に安々と話せる程彼女の過去は穏やかではなかった。黙って歩きだしてしまった彼女の背をまた、クラウドはトランクを片手に追いかけた。




