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第八夜 愛ゆえに


体育館に入った瞬間、私達はここが異質な世界であることを痛感する。

私達が踏み込んだ場所の外観は確かに体育館の形をしていたが、その内部はもはや人知の及び付かない不気味な空間に変容していた。例えるなら、巨大な化け物の腹の中のようだった。


醜く蠢いている臓物染みた肉の壁。不気味な壁や床からは人間の一部らしきモノが無数に生えていた。化け物の体内を思わせる奇妙な空間に吐き気が込み上げてきた。壁や床の質感は完全に変化していたが、建造物としての造りは大きく変わっていないようだった。


体育館の壇上だった場所。

武曽はその場所で私達を悠然と待ち構えていた。


「ようやく来たか……」

「武曽……」


近衛君が忌々しげに武曽を睨みつけ、今にも飛び出しそうだった。いきり立っている彼を音緒が片手で制し、代わりに彼女が前に出た。


「まさか、貴方がナイトサーヴァントになっていたなんて気付かなかった」


「ふっ……、そうだな。悪夢は常に人知れず忍び寄るものだ。それで、お前はそこにいる覚醒者達と協力して私を倒そうと言うのか? お前を悪夢狩りとして育てたのは私だぞ? 弟子が師に敵うと思っているのか、音緒よ?」


音緒の表情が苦々しく歪んだ。

同じ夢幻の民と聞いていたが、まさか師弟関係だったとは思わなかった。よく考えていれば、音緒も武曽と同じように霞ヶ原高校の関係者だ。それなりに親交があって当然だと、何故気付かなかったのだろうか。


かつての師を討つと宣言した音緒は今、一体何を想っているのだろうか。

二人の間に流れる雰囲気は、誰も立ち入ることの出来ない不可侵のものだった。私達はいつ戦いが起きてもいいように臨戦態勢で二人の話を見守っていた。


「私の役目は、貴方を倒すことじゃない。この結界を破壊すること。確かに本気の貴方に勝てると思えるほど自惚れてはいないけど、結界の維持に力を注いでいる貴方相手なら何とかなる」


「ほぅ、随分と舐められたものだ。お前の相手など結界維持の片手間で充分だ」


「私の勝利条件はさして難しくない。どんな挑発を言っても無駄なの。夢幻界においては揺るがない意志こそが強さとなる。それを教えてくれたのは師匠なの」


「これから討つべき相手の教えを胸に戦うというのか?」

「何を言っても無駄。私は揺るがない」


音緒は更に一歩前に出て、左手を宙に掲げた。すると、どこまで澄んだ純白の刃を持った長刀が姿を現し、悪夢狩りの少女の手に納まった。


刀の専門的な知識はなかったが、音緒の持つ刀は明らかに長大だった。かといって、白夜の世界を切り裂いた、あの黒い刃のような異常な巨大さではなかった。まるで漫画やゲームの登場キャラが振るうような少し大きめの長刀だった。


反りも波紋もなく、鍔に凝った意匠がある訳でもない無骨な直刀だった。しかし、研ぎ澄まされた鋼の光沢と頑強さだけで美しさを表現している。ただ、武器として愚直な姿を顕現した刀だった。


「……『銘刀白夜』、私の忠告も聞かずに再現した幻想武具か……。だが、結果としてお前は『魔刃姫』の二つ名を得るまでに成長した。私がお前の心の強さを見誤っていたことを証明したモノだな?」


「師よ、貴方の教えが間違っていたとは思っていない。だけど、私にも譲れないものがある。私にとって、これ以上の幻想は存在しない」


「揺るがなく信じられる強さ。それが今の『魔刃姫』の地位を盤石としているお前の真の強さか……。お前は少々扱いづらかったが、教え甲斐のあるいい生徒だった。

 やはり、お前を殺すのは惜しい。私と共に悪夢の闇に堕ちるがいい、我が弟子よ。この闇は心地いいぞ」


武曽は指揮者のように両腕を掲げた。

それが開戦の合図だった。


彼の背後から巨大な闇の球体が湧き上がり、そこから漆黒の触手が私達目掛けて高速で迫ってきた。私が慌てて逃げようとするより早く、礼夢が私を抱えてその場を飛び退いた。他のみんなも簡単に触手の一撃を回避した。


しかし、闇の触手は曲がりくねりながら私達全員を追いかけた。しかも、闇の球体からは続々と触手が生まれ、瞬く間に体育館は闇色に覆われ始めた。


「しつこいんだよ!」

「私に触れるな!」


礼夢が放つ紅蓮の炎は容赦なく漆黒を焼き払い、レオノーラ先輩が生み出す大量の茨は触手を絡め取って動きを封じ込めた。


瞬く間にほとんどの触手を潰し、武曽へと続く道が出来る。その道を音緒と近衛君が一気に駆け抜ける。二人に近付く触手は腐食の霧がことごとく消滅させ、彼等を阻む物は何一つなかった。


「覚悟しろ、武曽ッ!! 来たれ、腐食の闇よッ!!」


闇の霧はまるで蛇が獲物を絞め殺すように武曽に迫る。

だが、その霧だけでは決定打にならないのは彼も武曽も先刻承知している。霧の唯一の合間、武曽の上方から音緒が飛び込んだ。


「消えろ、ナイトサーヴァント!! 夢幻の民として誇りを失った貴様が、私の師を気取るな!!」


烈火の怒りを纏わせた音緒の一撃が地上へと落ちる。

落雷のような一撃は武曽に届かなかったが、その凄まじい衝撃は大地を揺るがした。続けざまに地震のような衝撃は続く。剣戟とは思えない苛烈な衝撃は、醜く変容した体育館を更に歪めるほどだった。


魔刃姫の二つ名は伊達ではない。たった一振りの刀だけで武曽と渡り合い、腐食の霧さえ薙ぎ払い、建造物そのものにさえ衝撃を与えていた。圧倒的なまでの破壊力。これが、ただ一太刀によって世界を叩き斬る魔刃の使い手の戦い。


近衛君が腐食の霧でサポートをしているが、実質的には音緒と武曽の一対一の勝負になっていた。


武曽の両腕は紫水晶の刃となって、銘刀白夜の一撃を受け止めていた。破壊力の上では、音緒の一撃の方が重かった。一太刀受けるたびに紫水晶の刃は破片を散らして砕けるが、白銀の刃には一切歯零れなどなかった。しかし、刃となった武曽の両腕はどれだけ砕けようとも再生し、元の形状を維持していた。


前回の戦いと同じだ。あの時は黒い濃霧がどれだけ白い障壁を腐食させても、それを上回る再生速度で復活して、結果として膠着状態が続いた。加えて言うならば、実乃里の一撃で重傷を負ったはずの武曽自身も、信じられない再生をして起き上がっていた。


一見拮抗しているように見えるが、無限再生ができる武曽が絶対的に有利だった。このまま戦いをしていれば、勝負は火を見るより明らかだろう。


「どうした、音緒よ? これでは結界を破壊することさえ出来ないぞ?」

「くっ……。さすがに太刀筋は見切られている」


「お前の幻想は唯一絶対であるが故に威力の上では最強だろう。だが、それでは多種多様な夢の世界では渡っていけない。そう教えたはずだぞ? まぁ、お前はそれでも唯一絶対を頑なに信じ、魔刃姫の二つ名を得るほどに育ったのだがな」


「信じるだけでは至らなかった。師としての貴方の教えがあったから至った。だから、貴方を尊敬していた。それゆえに、今の無様な姿は許せない。何故、貴方はナイトサーヴァントに堕ちた? 悪夢に敗北したのなら、私や他の仲間達の知るところになるはず。なら、貴方は自らの意志でナイトサーヴァントになったとしか思えない。何故なの? 何故、ナイトサーヴァントに堕ちたの、師匠!」


「……愛ゆえに、さ……」

「えっ?」


武曽の予想外の返答に、音緒の猛攻が一瞬だけ止まった。

素人の私から見ても隙と思える瞬間だった。その一瞬を武曽が逃すはずもなかった。

紫水晶の刃が音緒の心臓目掛けて突き出される。音緒は瞬時に防御に回るが、細身の刀では武曽の一撃を完全に凌ぎきれなかった。


華奢な音緒の身体が弾き飛ばされて宙を舞った。

武曽が追撃を掛けようとするが、黒霧が彼の目の前に立ちはだかる。


「ふむ……。存外に厄介なものだな……」

「武曽! お前は僕が……」


「――鬱陶しいッ!!」


紫水晶の刃がまるで巨大な翼のように広がり、その紫翼を振るうことで生まれた烈風が近衛君の霧を吹き飛ばした。


以前は武曽を足止めできた近衛君の霧がいとも容易く破られてしまった。そのショックで近衛君の表情が凍った。


「くっ……」

「たった一つの幻想しか支配できない分際で私を止められると思ったのか? 貴様のような小物では私に触れることも出来んよ。愛した女も守れず、その仇さえ討てずに惨めに死に失せろ」


「む、武曽ォォォッ!!」


実乃里を使った挑発に、近衛君の怒りが一気に最高点に達した。

たとえ、武曽を倒さなくても実乃里を助けられるとわかっていても、実乃里を目の前で殺された怒りが消えるはずがない。実乃里の親友だった私でも武曽を許せないのだから、彼女を誰よりも愛していた近衛君が武曽を許せるはずがなかった。


漆黒の霧は、近衛君の怒りを象徴するように激しく渦巻いた。

いや、漆黒色ではなかった。黒から徐々に黄金へと変容していた。

それは、実乃里が振るっていた金色の槍と同じ色だった。黄金の霧は近衛君を中心として竜巻となり、やがて一振りの槍へと化した。


稲妻を支配する金色の槍。

……実乃里の黄金槍エクレール。


あの金色の槍は、実乃里の幻想だった。稲妻は雷と同義であるが、その名が示すように稲と深い関連がある。雷雨は稲の生育を促進させ、恐れられると同時に敬われる命の象徴だった。


死の象徴たる漆黒の霧ではなく、命の象徴たる稲妻の槍が近衛君の手に納まった。


「お前を倒して、実乃里を取り戻す!」


黄金槍はきっと近衛君の意志が生み出した新たな幻想だ。

覚醒者の力とは本人が何よりも強く望んだ願い。

誰よりも実乃里を愛していた彼が望んだ力。


「ま、まさか……、たかが覚醒者の分際で……?」

「覚悟しろ、武曽ッ!!」


激しい迅雷を纏わせ、エクレールを構えた近衛君が一歩を踏み出す。

その瞬間、近衛君は金色の稲妻となって武曽を貫いた。瞬きを行う時さえも超えて、雷光の速度を以って武曽の半身を容赦なく抉り取っていた。


それは誰も予期していなかった会心の一撃。

左胸から肩までを穿った一撃によって、武曽の左腕はぼとりと落ち、その後遅れて武曽自身の身体も倒れた。


「や、やった……?」


思わず私の口からは歓喜の声が零れた。

目の前で人が死ぬ瞬間を見るのは確かに楽しいことではなかったが、あの憎き武曽を倒せたと思うと歓喜も一層強くなった。


あれは確実に心臓を貫いていた。まさか心臓を貫かれて生きているはずが……。


「いや、まだだッ!!」

「えっ?」


水を差すような礼夢の言葉に私はハッとする。


「ここは夢想と幻影によって形作られた世界だ! 本人が強く信じれば、たとえ心臓を貫かれても平気なんだよ! そして、そうした強靭な精神力を持った者達が夢幻の民だ! 奴等をこの夢幻界で殺したいなら、塵も残さず消す必要がある!」


礼夢に言われて改めて武曽を見ると、すでに貫かれた左胸付近の再生が始まっていた。その光景は正直グロテスクで吐き気を催すものだった。


しかし、瞬時に再生している訳ではなかった。

これまでの刃や障壁に比べれば、圧倒的に遅い再生だった。いかに武曽であっても自分自身の身体を再生するのには多少時間と手間が掛かると言うことだろう。


「あがァ……、この私の予想を超えるとは……ッ!!」


これは好機だった。

虫けら以下と侮っていた者から致命の一撃を受けたという事実が、武曽に大きな精神的ダメージを与えたようだ。再生速度の遅さもさることながら、慢心を突かれたことが彼の動きを鈍くしていた。


この絶好の機会を逃す訳にはいかない。礼夢達はすでに行動を起こしていた。


「小夜子に手を出そうとした報いを受けろ、クソ野郎が!!」

「クズはクズらしく無様に散りなさいッ!!」


薔薇の蔦が一斉に武曽を絡め取り、彼の身体を強引に捻じ曲げる。凝縮された紅蓮の銃弾が茨の合間から見える武曽の身体を撃ち抜き、肉も骨も一瞬で蒸発させる。


人間の形をしたモノに対する呵責なき飽和攻撃。

これだけの攻撃を受けても、武曽が未だ人間の形を取っているのだから驚きだった。


そして、このコンマ一秒にも満たない時間の中で最後に攻撃を繰り出したのは音緒だった。それは飽和攻撃さえ超える殲滅攻撃だった。


音緒は銘刀白夜を手放し、左腕を天に掲げていた。


自然災害を凝縮したような凄まじいエネルギーが収束していく。

荒れ狂う大嵐のようなエネルギーの奔流は、漆黒の龍となって暴れ回る。その暴虐的なエネルギーの渦は醜く歪んだ体育館を千切り食らい、やがて世界さえ切り裂く巨大な黒刃となって音緒の左手に納まった。


音緒の奥義ともいえる最強の力、何よりも強く描いた幻想武器。


「……励起せよ、我流天叢雲剣(クサナギ)ッ!!」


漆黒の巨大剣クサナギは、一瞬にして武曽を斬り裂いた。

斬り裂いたという表現は正しくない。武曽の肉体を構成する全ての物質を跡形もなく殲滅させた。漆黒の刃が通った先には、塵一つ残らなかった。


ただの一刀だけで全てを殲滅した。

世界を斬り裂く刃をたった一人の人間に対して使ったのだから、ある意味当然の結果かもしれない。あまりに呆気なく、完膚なきまでに武曽は消滅した。


クサナギを振るった音緒はその場に崩れ落ちそうになりながらも、何とか両足に力を入れて立ち続けた。


そして、静かに涙を零した。

音緒の涙を見た瞬間、私達は勝ったのだと悟った。


「す、凄い……」

「……これなら、さすがに奴も死んだか?」


礼夢は私をその場に下ろし、先程まで武曽が立っていた場所まで向かった。


クサナギが斬り裂いた痕跡は大自然の中にある巨大なクレバスのようだった。その亀裂は奈落の底まで続いているように思えた。

礼夢、近衛君、レオノーラ先輩の三人はその亀裂から下を覗いていた。何が見えるのだろうか。私の位置から見ても巨大な亀裂なので、底まで見られるとは思えなかった。


私は巨大なクレバスには近付かず、声を殺して泣き咽ぶ音緒の元まで歩み寄った。


武曽は私達にとって憎むべき敵だったが、音緒にとっては大事な師だった。悪夢に取り込まれて寝返った裏切り者であったが、それでも音緒の大事な人だったのだろう。


彼女の涙を見れば、どれだけ武曽のことを想っていたか窺い知れた。


「音緒、大丈夫……?」

「……むぅ、問題ない……」


音緒は涙を拭い、いつもの調子で答えた。でも、やっぱり涙声だった。


「勝ててよかった……。私の手で師匠を討てて……」

「これで全部終わったんだよね? みんな、元の世界に戻れるんだよね?」


「むぅ……。もうちょっとすれば結界も消えて、他の仲間達も来るの。そうすれば、あとは眠りから覚めるだけ……」


それは喜ばしいことのはずなのに、何故か音緒の口調は沈んでいるようだった。

だから、何となくまだ嬉しくないことが起きているのだと悟った。


「……でも、貴方は簡単に目覚められない」

「ど、どうしてよ!? だって、武曽も倒して全部終わったんでしょう? だったら……」


「全ての眠りは必ずしも安らかとは限らない。貴方の場合……」


その言葉の途中、誰かが叫んだ。

上を見上げろ、と聞こえた。


切羽詰まった声に引っ張られるように私と音緒は反射的に上を見上げた。体育館の天井は三分の一が跡形もなく消し飛んでおり、その合間から白い空が見えた。


斬り裂かれた天井の向こう。

白く塗り潰された不自然な空。

そして、そこに浮かぶ漆黒の月。




「……満月だ」






To be continued


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