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第十夜 真城礼夢


これは夢……?

電話の音が聞こえてくる。


不吉な予感が胸を締め付け、心臓が早鐘を鳴らした。

時刻は明け方だった。陸上部のレギュラーを目指す私は、自主練のために早朝に起きる習慣があった。だから、その電話に最初に気付いたのも私だった。


普通はこんな朝方に電話が鳴るなど有り得ない。少なくても、私の家では深夜や早朝に電話を掛けてくる常識外れな知り合いはいなかった。それでも、こんな時間に電話を掛けてくるとは、よほどの事態と考えるべきだろう。


八年前にも似たようなことがあった。


私は嫌な予感が外れてくれることを願いながら受話器を取った。しかし、私の願いなど無視するように最悪な現実を知らされた。


そして、世界は揺れる。

現実の方が悪夢よりよほど残酷だった。


無数のノイズが目の前の映像を消していく。忘れている大事なことが消えていくような喪失感だった。いや、進むことを恐れて足踏みをするような臆病な感覚。全てが失われる寸前に手を伸ばすが、結局私は何も掴めずに目覚めてしまう。


夢はいつも唐突に終わる。











夢幻の中で混濁していた意識が覚醒していく。

何か大事なことを思い出していた気がするが、激しい頭痛のせいで思考がまともに動かなかった。夢の内容を思い出せないことなんて珍しいことではないが、それでも思い出そうとして頭痛がすることなんて一度もなかった。


私は何か大切なことを忘れている……。

だけど、どうしても忘れた何かを思い出すことは出来なかった。


今日何度も感じているノイズは、忘れてしまった何かを思い出そうとする時に起きていた。さすがに何度もノイズが起きれば、法則性は見えてくる。確証なんてないが、多分間違いない。


「……どうして思い出せないの……?」

「むぅ、目を覚ましたの、小夜子?」


まどろんだ意識に割り込んできた声によって、私は現実に引き戻された。


「えっ? あぁ、音緒……? あれっ? 私達って……」


意識がはっきりとしたことで、私はようやく今の状況を理解した。

不気味に歪んだ体育館での死闘の後、倒したと思っていた武曽が現れ、私と音緒は捕まってしまった。礼夢達は亀裂の下に落ちてしまって、生死さえわからなかった。


そして、そこから先の記憶はなかった。武曽に触れられた瞬間、私の意識はまるで薬を盛られたかのように簡単に断たれてしまった。


「こ、ここは……?」


目の前の光景を一言で表すなら、灰色の山脈だった。

絶えず脈動する灰色の渓谷。天空さえ覆い尽くす逆さの山脈。あまりに広大過ぎて山脈と称したが、巨大過ぎる洞窟の中なのかもしれない。だが、光源となる物が見当たらないはずなのに、何故か周囲は明るかった。


そして、私達は灰色の荒野に隆起した大岩に、身動きが出来ないように縛られていた。


「ここはメイアーハザードの中枢、脳の中なの……」

「の、脳の中……ッ!? こ、ここが……?」


信じられない事実を受け入れられず、私は茫然としてしまった。

先程まで私達がいた白夜の世界も実は、悪夢王メイアーハザードの瞳の中にあったと言うが、私はそれさえまだ信じられていないのだ。新たな事実を受け入れられる余裕はなかった。


「むぅ、私だって確証はないけど、多分そう……。小夜子の力を使いたいのなら、メイアーハザードの中枢である必要があるだろうし……」


「私の力……? そういえば、武曽もそんなことを言ってたような……?」


記憶を掘り返し、武曽の言葉を思い出す。

あれは武曽に捕まる直前、彼が私に告げた台詞だった。


――私の真の目的を達するためにお前の力が必要なのだよ、国崎小夜子。


何故、武曽の目的を達成するために私の力がいるのだろうか。そもそも私には何の力もないはずだ。それに、武曽の真の目的とは一体何なのだろうか。悪夢王メイアーハザードを復活させるだけでは足りないと言うのか。


「だけど、私の力って何? 覚醒者にもなってないんだから、私に特別な力なんてないでしょう? っていうか、そんな力があったら、とっくに使ってるし」


「……それは小夜子が気付いていないだけ」


「気付いていない? 実は私には眠れる特殊能力でもあるって言うの?」


「端的に言えば、そう」

「……ごめん、全然信じられない」


夢幻界に来てから幾度となく魔法のような力を見てきたが、それは自分には無縁のものだと思っていた。あんな力があればいいとも思ったが、結局私には手に入らなかった。


私は凡人なのだ。特別な力などない。

白夜の世界でもそうだったが、元の世界でもそうだった。


例えば、陸上部でも私は大した才能のない凡人だった。実乃里のように一年生ながら短距離走のエースになれるような才能は持っていない。いくら努力しても、乗り越えられない壁があった。


思い返してみれば、私は本当に特別な力に恵まれない凡人だった。

今まで幾度となく、お前は凡人だ、と残酷な現実を突き付けられてきた。

だから、眠れる才能があるなんて言われても信じられなかった。そんな夢みたいなことを想像することさえ諦めていた。


「でも、事実。小夜子は八年前に能力に目覚めている」

「八年前……?」


私の祖母が亡くなり、礼夢と出会い、霞ヶ原の街に引っ越してきた年。

平凡な人生を送ってきた私にとって、一番大きな出来事が起きた年こそが八年前だった。しかしながら、特別な能力に目覚めるようなイベントは一切起こっていなかった。


というか、そんな突拍子もないことがあったら絶対に忘れるはずがない。


「全然記憶にないけど?」

「だから、小夜子は気付いていないだけ」


「……んん~、全然納得できないけど、とりあえずわかった。私の中には、私も気付いていない能力がある、と?」


話が進まないので、一応そう言っておく。


「そう。そして、その能力を監視する任務を負っていたのが武曽だった。武曽はこの八年間、陰ながら小夜子のことを見守っていた」


「ちょッ!? 初耳なんだけど、その話ッ!?」


「うん、今言ったから。ちなみに、私も高校入学と同時にその任務に就いたの。師匠である武曽のサポートとして。出来れば、この話を貴方にはしたくなかった」


「どうしてよ?」


「貴方の力は、使い方次第では現実世界さえ滅ぼすことが出来る。だから、気付かないなら一生気付かないままの方がよかった」


「……はァ?」


現実世界さえ滅ぼす力……?

あまりにスケールの大きな話になって、私は開いた口が塞がらなかった。


驚き茫然としている私とは対照的に、音緒の表情はいつにないくらい真剣だった。決して冗談を言っているような様子には見えなかった。正直先程以上に信じられない気持ちでいっぱいだったが、真顔の音緒に圧倒されて反論を口にすることは出来なかった。


「『幻想聖母(マザー)』……、その言葉を覚えている?」

「……夢幻界の説明の時に聞いた覚えがあったような……?」


確か、夢幻界の幻想を現実化できる存在……?

……夢を現実化? この夢の世界にあるモノを現実の世界に……?


って、ちょっと待って! それって不味いでしょ? だって、ナイトウォーカーみたいな化け物が現実に出てきたら、どうなるの……? いや、ナイトウォーカーより危険な奴が他にもいる……。


……もし、悪夢達の王メイアーハザードが現実に現れたら……?


「ま、まさか……!?」


「国崎小夜子、貴方は現存を確認されている数少ない幻想聖母の一人……。武曽の目的は、小夜子の力を使って悪夢王メイアーハザードを現実化させること。だからこそ、貴方を封印されたメイアーハザードの体内に引き込んだ。

 ……私はメイアーハザード復活を阻止するために武曽討伐を……、もしくは復活後、現実化を阻止のために貴方を殺すことを命じられた。……まぁ、もうそのどちらも叶わないけど……」


「そ、そんな……」


私は空を仰ぎ見て、絶望の息を漏らした。

眼球一つに学校が納まるほど巨大な化け物が世界に現れたら、間違いなく世界の終わりだ。しかも、その恐ろしい目論見を企てている武曽を止められる者は誰もいない。


悪夢王を復活させてしまった時点で私達はもう敗北していた。いや、そこで音緒が私を殺していれば、最悪の事態までは防げた。少なくても現実世界まで被害が及ぶことはなかったはずだ。


しかし、私と音緒は完全に身動きを封じられ、他の仲間達からの救援も見込めない。もはや私達は完全にチェックメイトを掛けられた状態だった。何をしたところで次の一手で私達はゲームオーバーになってしまう。


もう私達は終わりだ……。

世界も終わりだ……。











「そ、その話は本当なのかい?」


背中越しから聞いた衝撃の真実に、真は思わず息を呑んだ。

国崎小夜子に秘められた『幻想聖母(マザー)』の力。そして、その力を利用して悪夢王メイアーハザードの現実化させるという恐ろしい武曽の企み。


礼夢の口から語られた話はあまりに衝撃で、真もレオノーラもすぐには受け入れられなかった。信じられないと言うより、信じたくない。嘘であってほしい事実だった。


「俺が小夜子のことで嘘を吐く訳がねぇだろ」

「まぁ、そうだけど……」


礼夢がどれだけ小夜子を大事にしているかは、敢えて確認するまでもなかった。彼が小夜子にとって不利益な情報を何の意味もなく開示するはずがなかった。


「お喋りもいいけど、攻撃が疎かになっているわよ!」

「えっ? うわっ!?」


突如大きく進路を変えた茨船が激しく揺れた。そして次の瞬間、先程まで船がいた場所に一斉に白血球が雪崩込み、巨大な津波となって更に船体を揺らした。


赤い津波と白血球の群れを避けながら、茨船は軽やかに大河を滑っていく。

現在もまだ白血球との戦いは終わっていなかった。多少話す余裕もできたが、それでも気を抜くと今のような事態に陥る。


「私が背中を預けているんだから、しっかりしなさい」


レオノーラは薔薇の鞭で真の尻を叩き、厳しい目付きで彼を睨み付けた。


「……ご、ごめんなさい」

「まぁ、国崎小夜子のことはわかったわ。だけど、それは当初の質問から大分ずれた話になっていないかしら? 私が聞いたのは、貴方の正体よ? この期に及んで隠すなんてつもりはないんでしょう?」


元々彼等が話していた内容は、小夜子の秘された力のことではなかった。

真城礼夢が一体何者なのか、という内容だった。そして、その当人から教えられた事実こそが、幻想聖母という小夜子の力だった。


全く関係の話ではないか、と思うのも無理はないかもしれない。

しかし、これまで知らされた幾つかの情報を合わせて考えれば、ある一つの推論に至る。真もレオノーラもその推論に至っていたが、それを本人の口から聞かなければ確証を得ることは出来なかった。


「……まぁ、お前等も気付いていると思うが……」


そこで礼夢は一度言葉を区切った。敵の大群が迫っていたからだ。

彼は大きく息を吸い込み、意識を集中させる。自らの裡に眠る最大限の力を引き出し、極大の業火を生み出した。礼夢はこれまでで最大出力の炎で白血球の大群を焼き払った。それは敵のみならず、悪夢王の血管ごと燃やしていた。


赤き大河は、なお一層赤に染まる。紅蓮の炎に包まれた血流の中、真城礼夢は静かに真実を語り出した。




「……俺は、国崎小夜子が生み出した幻想だ」




……幻想。

夢の中でしか存在しえない者。

誰もが思い描くような、何があっても絶対に守ってくれるナイトの幻想。もし、国崎小夜子がただの少女であるならば、真城礼夢は生まれなかった。


一人の少女の願いから生まれた存在、それが真城礼夢の正体だった。

八年前当時の小夜子はとても祖母に懐いていて、祖母もまた目に入れても痛くないほどに小夜子を可愛がっていた。小夜子にとって何があっても絶対に守ってくれる存在、それが祖母だった。


だからこそ、祖母の死は小夜子に大きな悲しみと衝撃を与えた。

小夜子は無意識のうちに失った祖母の代わりを望んだ。何があっても絶対に守ってくれる優しい人の存在を。そうして生まれたのが礼夢だった。

しかし、小夜子本人が無意識で生み出した存在であるがため、彼女は自分の能力に気付くことはなかった。自分が礼夢を生み出したことさえ気付かなかった。


礼夢は基本的に小夜子の望まないことはしない。小夜子が自らの能力に気付かないのならそのままにしておくべきだと考えた。


幻想聖母の力は、一歩間違えれば現実世界を滅ぼしかねない強大な力。

それを知ることは決して小夜子にとっていいことではない。だからこそ、自分が生まれたことさえ隠して、静かに見守ることを誓ったのだ。

そして、礼夢が夢幻の民と出会ったのは、小夜子との別れからすぐだった。


小夜子は無自覚として幻想聖母として覚醒し、真城礼夢という幻想を現実に生み出してしまった。こんな緊急事態を夢幻の民が放置しておくはずがなかった。


礼夢が初めて出会った夢幻の民は、真城白亜だった。


真城という姓は彼女から頂いた物だった。その事実からも察せられると思うが、真城白亜は後に礼夢の後見人になった人物だった。しかし、礼夢が白亜と一緒に時間はとても短いものだった。


真城白亜は『純白の戦女神』の異名を持つ悪夢狩りだった。しかし、礼夢を引き取った数週間後、小夜子の能力を狙った悪夢との戦いに敗れ、その精神はナイトメア領域のいずこに閉じ込められていた。


そして、白亜亡き後の礼夢は夢幻界に戻った。夢幻界に戻る理由は二つあった。


一つ目の理由は、後見人であった真城白亜を救出するため。

礼夢は白亜に多大な恩を感じていた。もし、最初に出会ったのが彼女でなければ、礼夢はその場で消されていた可能性が高かった。現実化した幻想ほど危険な存在はない。どんな存在理由であれ、現実にいない方がいい。


実際、白亜の婚約者であった武曽はそう激しく主張していた。


今現在の武曽しか知らない者は意外に思うだろうが、八年前当時の武曽は実に優秀な悪夢狩りだった。多少プライド高くて融通は利かない部分はあったが、悪夢狩りとして尊敬を集めるだけの実績と貫禄はあった。


武曽は礼夢を抹消するべきだと主張していた。そして、白亜以外のほぼ全員が同じ主張をした。しかし、白亜は礼夢を消すべきではないと頑なに主張した。彼女の反対もあって、礼夢は現実で生きることを許された。ただし、それは結果としてとても短い期間だけとなってしまったが。


そして、夢幻界に戻ることになった二つ目の理由は、小夜子が礼夢の存在を忘れ始めたからだ。


礼夢はあくまで小夜子が現実化させた幻想だった。その小夜子が礼夢を忘れてしまえば、礼夢は現実世界に存在できなくなる。幻想が永続的に現実に存在するためには、幾つかの条件が存在する。その条件を失えば、幻想は夢の海に戻らなければいけない。


未練がなかった訳ではない。

だが、忘れていた方がいいこともある。


現実世界には武曽を始めとして優秀なボディーガードが存在することを知ったため、礼夢も現実への未練を振り払うことが出来た。


たとえ、自分がいなくても小夜子が幸せならばそれでいい。

礼夢は二度と小夜子に会えないことを知りつつ、彼女に一言の別れさえ告げずに夢の海へと還った。小夜子が完全に自分のことを忘れようと、ただ小夜子の平穏が守られ続けられることを願って、礼夢は八年もの間をただ耐え続けた。




「……その話を聞いて、礼夢の一途さと健気さにちょっと泣けた」


全ての話を聞き終えた真は鬱陶しく迫ってくる白血球を電撃で焼き払いながら、そう言った。


「黙れ、オカマモヤシが!」


「……でも、私は納得できないわ。いくら国崎が大事だからって貴方はそれでいいの? 国崎のためだからって、貴方が犠牲になる理由なんてないじゃない」


「らしくもないこと言うな。俺は所詮幻想だ。あいつと一緒にいられるのは、こんな時だけだ……。まぁ、こんな時でさえ守ってやれなかったんだがな……」


小夜子を守るためだけに生まれた礼夢にとって、その存在意義さえ果たせない自分が許せなかった。


礼夢にとっては小夜子を守ることが全てだった。

それ以外に存在している理由はない。小夜子を守るためならば、たとえ自分の身が滅びても構わなかった。ただ、純粋なまでに守護者であることが真城礼夢の生き方だった。


「一途だね、赤チビは」

「お前には負ける、オカマモヤシ」


「……全く、貴方達みたいな人達がもっといてくれれば……」


「何だ、悪い男に引っ掛かったトラウマでもあるのか?」

「……黙りなさい、殺すわよ……」


傲岸な礼夢さえ黙らせる迫力で睨み付けるレオノーラ。

過去に何かあったのかと気にはなったが、それ以上の詮索は出来なかった。殺されることはなくても、船から突き落とすくらいはされそうだった。


「んっ……? あれは……?」


船首側に立っていた真が、前方を指さして声を上げた。

その声に釣られて、礼夢とレオノーラも視線を前方に向けた。


「ようやく辿り着いたわね」

「……あれが、心臓か」


遥か前方に鳴動する巨大な大陸が見えた。

蠢く深紅の大陸。あれこそが悪夢王メイアーハザードの心臓だった。


血管の大河を流されていた礼夢達にとって、あの心臓を破壊することだけで唯一の希望だった。悪夢王メイアーハザードさえ倒すことが出来れば、助かる可能性は出てくる。メイアーハザードさえいなければ、夢幻の民からの救出を期待できる。敵が武曽一人だけになれば、あとは夢幻の民達の協力があれば絶対に勝てる。


メイアーハザードの心臓を破壊する。


この絶望的な状況で、全てを引っ繰り返すことが出来る起死回生の一手。礼夢達に残された最後のチャンスだった。






To be continued


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