Prologue
Prologue
世界の終焉が始まった。
灰色の世界に亀裂が入り、全てが無に帰そうとしていた。
砕け散る世界の欠片はまるで粉雪のように舞い落ちていく。世界の崩壊は冬の到来に似ていた。一つ違う点を挙げるなら、散り逝く粒子は降り積もることなく、静かに消え去ってしまう点だろう。
もはや崩壊を止める術はない。
だが、それを選んだのは私自身の意志だった。
もう目を逸らしたい現実からは逃げない。自らの足で立ち上がり、どんな過酷な運命であっても立ち向かうと決めた。たとえ、自らの世界を壊すことになろうとも、受け入れなければいけない現実があるのだから。
そして、私にそれを教えてくれたのは、彼だった。
彼は私を拒絶するように背を向け、粉雪のように舞い散る世界の欠片を見上げていた。燃え盛るような真紅の髪は風に揺られ、この世界の命を象徴する灯火のようだった。
終焉が始まった世界を見据えた彼は何を想っているのだろうか。きっと私には彼の気持ちを理解することが出来ないだろう。私と彼では存在そのものが違うのだから。
「……いつまで寝惚けた面で突っ立っているんだ? さっさと失せろ」
彼は相変わらず口が悪い。
だが、その乱暴な言葉の裏にある優しさは確かに感じられた。
彼が言うように、いつまでも私はこの場所にはいられない。いるべきではない。崩壊した世界からは一刻も早く立ち去るべきだ。
だが、私が終わり逝く世界から踏み出せないのには理由があった。
「どうして……、一緒に行けないの……?」
「……寝惚けんな。俺はそういう存在だ」
それは知っている。
そんなことは痛いほどに思い知らされた。
だけど、私が言いたいことはそんなことではない。
私と彼は生きていく世界が違う。世界の理によって私達は共に生きる道を絶たれた。
いや、それを絶ったのは私自身の意志だ。この別離は私自身の意志によって起きたものだ。だけど、私にそう決意させたのは、やはり彼だった。
「……お前のいるべき場所はここじゃない」
「わかってるよ!! だけど……、だけど……、それでも一緒にいたいって願っちゃいけないの!? 私はただ貴方と一緒にいたいんだよ!!」
思わず零れたのは、偽らざる私の本音だった。
偽らざる本音であったが、内容はあまりに恥ずかしかった。私は咄嗟に口を押さえたが、一度零れ出た言葉が戻ることはなかった。あまりの気恥ずかしさで私は頬どころか耳まで真っ赤になった。
彼は鬱陶しそうに溜め息を吐き、不機嫌そうな顔をこちらに向けた。
もう説明するまでもないと思うが、彼は非常に口が悪い。どんな嫌味を言われるかわかったものではない。私は真っ赤に火照った頬を隠し、さっと彼の視線から逃げた。
しかし、彼の言葉は私の予想を見事に裏切った。
「……俺だってそうだ」
「えっ……?」
あまりに意外な言葉だったので、私は自分の耳を疑ってしまった。
顔を上げると、彼の穢れなき真紅の瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。不機嫌そうで、いつも眉間にしわが寄った彼の表情。でも、その瞳には私だけに向けた優しさ秘められていた。
「俺はお前を守るために生まれた」
「…………」
初めてそのセリフを聞いた時、私は胸を高鳴らせた。
だけど、全てを知った今ではもう同じ気持ちにはなれなかった。
胸が締め付けられる。彼の存在意義を決めてしまったのは、私のエゴだ。拭いされない罪悪感が押し潰されそうだった。
「だから、今までずっとお前の側にいられないことをもどかしいと思っていた。だけど、お前がこの世界に来て……、短い間だけど、一緒にいられたことを心地いいと思ってしまった。だけど、俺達は本来、一緒にいてはいけない……」
こんな時だけ素直にならないでほしい。
最期のお別れなのだと嫌でも思い知らされる。
本当はずっと一緒にいたいのに、どうして世界は私達を別つのだろうか。
「わかってるよ……。だけど、理屈じゃないんだよ……。一緒にいたいって気持ちは、理屈なんかじゃないんだよ!! ワガママだってわかってるけど、ずっと一緒にいたいんだよ!! どうして、どうして私達は……」
私の叫びが世界に響いた瞬間、まるで私の想いを断ち切るような悲鳴を上げた。
断末魔の雄叫びを上げる大地は、私と彼との間を真っ二つに裂いた。
悲しかった。世界は私達を認めないようで。
悔しかった。世界が私達を拒絶するようで。
私には私の進むべき道がある。その道を行かなければいけない理屈もわかる。だけど、たった一人の少年と一緒にいたいと思う願いを犠牲にしないといけないのか。
「お前の気持ちは痛いほどにわかるさ。だが、世界はそんな願いを平気で踏み躙る。……いいからさっさと目を覚ませ。いつまでも寝惚けてんな」
私を突き放すようにそう言い捨てると、彼は踵を返して私に背を向けた。
そして、崩壊の中心へと歩き出してしまった。無明の闇へ消え去ろうとしていた。
あの崩落の闇に行ってしまえば、もう私達は永遠に会えないだろう。
「行かないで、――――ッ!!」
必死に彼の名を叫んだ。
喉の限界など忘れて、声が枯れることを恐れずに。
私の声は届いているはずなのに、彼は決して振り返ることはなかった。
ただ、小さく手を上げて、私に別れを告げた。
別れの言葉なんて聞きたくない。
私が聞きたいのは……、
「……じゃあな、小夜子……。永遠にお別れだ……」
光が爆ぜた。
目を焼き潰すような凄まじい白光に弾き飛ばされ、私の存在は世界から拒絶された。世界から遠ざかるほどに私の存在は分解され、光の粒子となって元いるべき世界のモノへ書き換えられていった。
永遠の別離。
もう私があの世界に触れることは絶対に叶わない。もはや私の存在はあの世界の一部ではなくなってしまったのだから。
あの世界の一部であった彼とは、もう絶対に会えるはずがなかった。
私は光の粒子になりながら必死に叫んだ。もはや叫ぶ喉がないとしても、声を伝える大気がなくても、私はありったけの想いを叫んだ。
―――――――――ッッ!!
そして、私の意識はそこで途絶えた。
To be continued