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短編2

冷遇なんてされてませんよ

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/07/06



 学生時代はあっという間に終わりを迎えた。

 そうしてある者は家を継ぎ、ある者は他家へ嫁いでいく。

 外交官として勤める者もいれば、国外へ留学に出た者もいた。

 輝かしい未来に進む者もいれば、その逆に既に灰色の未来へ進む者も……実に様々と言えようか。


 リリィ・アルエットはミモリス家からアルエット家へ嫁いだ侯爵夫人である。

 嫁いできたばかりの頃は色々と忙しく、それこそ毎日が目の回るような日々だったけれどようやく落ち着いてきたのだ。


 社交で学生時代の友人と出会う事もあったけれど、気の置けるような状況でもなかったしそれ以前に友人以外の縁を繋ぐ必要もあった。

 のんびりとかつての友人たちと話に花を咲かせるなんて暇、今まではなかったのだ。


 それもあってリリィはようやく社交界も一段落し落ち着きを取り戻してきた今、友人たちを集めて色々と話に花を咲かせたいな、と思い至ったのである。

 友人とのやりとりを手紙でやったって良かったけれど、しかしリリィが注目していた件に関してはきっと他の友人たちも気にしていると思ったからこそ、渦中の人物と言えるアリアローズを呼び出して話を聞いた方が手っ取り早いとも思ってしまったので。

 学生時代、アリアローズの友人だった者はきっと皆、彼女の現状が気になって仕方ないはずなのだ。


 アリアローズは当時、伯爵家の令嬢だった。

 彼女には婚約者がいて、お相手はクリストフ・バルトース。侯爵家の令息であった。

 いずれ侯爵家を継ぐクリストフを支える妻として、アリアローズは日々それに見合うだけの教育を受けてきた。

 伯爵家から見て上の家格でもある侯爵家の妻となるための教育は、中々に大変だっただろう。

 リリィは生まれも育ちも侯爵家で、嫁ぎ先も同じく侯爵家であったためそこまで学ぶ事に関して苦労をした覚えはないが、家格が異なる家に入るとなるとそれなりに苦労をするという話は色々と耳にしている。


 それだけならまだしも、アリアローズとクリストフ、二人の学生時代の仲は決して良いものとはお世辞にも言えなかった。周囲は婚約者とそれなりに歩み寄っている者も多かったため、余計にそう見えてしまったのかもしれないが……しかしどう考えてもやはりアリアローズは蔑ろにされているとか、冷遇されているとか。

 ともあれそういう風に見られてもおかしくない状態だったのだ。


 そんなだったので、結婚後、きっとあちらの家でもマトモな扱いを受けていないのではないか……とリリィは余計なお世話だと思いながらも、それでもどうしたって心配だったのだ。

 大切な友人の一人だ。そんな友人がみすみす不幸になるのを黙って見ているなんてできっこない。

 だが家同士の契約に友人だからという理由でリリィが踏み込んでいいはずもなく。


 もし、社交界にも出てこないようならあらゆる手段を使ってでも彼女と連絡をとって、彼女を救う気概ですらいた。


 市井に出回っている娯楽小説の中にはそういった内容のものもいくつか存在していたので。


 もし離れにでも押し込められてロクな食事も与えられていなかったら。

 妻の立場に別の――愛人が成り代わっていたとしたら。


 悪い想像はいくらだって出てしまって、いざとなった時、どのように助けるべきかを考えていたのである。


 ところがいざ社交界で見かけたアリアローズは、夫であるクリストフと大層仲睦まじい様子であった。


 えぇっ!? 学生時代のあの二人の関係はどういう事だったの!?


 と思わず目を見開いて名前だけ同じ別人説を大真面目に考えてしまったくらいだ。


 どこをどう見ても愛し愛されてますと言わんばかりの熱々状態。

 成程これがおしどり夫婦……と一先ず納得したものの、それにしたってである。


 じゃあ学生時代のあの状態はなんだったの?

 やはりここに疑問が戻ってくるのだ。


 勿論他にもいた学生時代の友人たちも同じ反応だった。


 聞きたい。

 とても聞きたい。


 ビフォーアフターが劇的すぎて、クリストフの中身が別人になっているのではないかとさえ思ったのだ。

 もしくは顔の良く似た影武者か。

 いやそもそも王家の人間でも影武者なんてもの滅多に存在しないのに、侯爵家にしれっといて堪るかという話なのだが。


 バルトース侯爵家にはクリストフだけではなく、弟のフィリッツがいたし、年も一つしか違わないのでもしかしたらそちらか……? と穿った見方をしたけれど。

 けれども見た目は確実にクリストフである。そもそも双子のようにそっくりだとか、あの兄弟はそういうわけでもなかった。


 とってもとっても気になるけれど、今すべきはそれじゃない。

 そう心を戒めて、軽い挨拶だけした後は自らやるべき社交に力を入れはしたものの。


 謎は頭にも心にもしっかりとその存在を刻み込んでいた。


 手紙であれはどういう事なの? と聞きたい気持ちも勿論あった。だがそれは他の友人たちも同じ事。

 同じ返事を全ての友人に書く事を考えたら、アリアローズの負担は相当である。

 代筆を頼むにしたってそれはそれで一歩間違ったら醜聞とか噂としてある事だけではなくない事まで広まるのではないかしら……?


 そんな風に思うと、手紙で聞く事もできなかった。手間をかけさせたいわけではないのだ。



 だからこそ、ある程度落ち着いた今こそその疑問を解決するべき時!


 というわけで茶会を開く事となったのである。


 学生時代のアリアローズはどちらかと言えば控えめな見た目であった。

 学院の中はドレスだと家の経済事情も透けて見えるし、そもそも見栄の張り合いが発動してしまうと争いの火種にもなりかねない。故に学院では制服というものがあったからこそ地味も何もないだろうと思われるがそうではない。

 制服は皆同じデザインだが、髪のセットやそれに使われる飾りなどでやはり色々と見えてくるものはあるし、華美すぎなければちょっとした装飾品を身につけたりもしていたのだ。

 それはたとえば、恋人や婚約者から贈られた物であったりだとか。家族からお守りのように渡された物であったりだとか。


 磨けば光るであろうアリアローズは、しかし学生時代特にその美しさに磨きをかけたりするでもなく、むしろ制服以外の装飾品などもほとんど身につけておらず、良く言えば控えめ、悪く言ってしまえば地味という一言に尽きる。


 地味であった原因に、婚約者のクリストフの存在があった。

 リリィや他の友人たちがあまりに地味なアリアローズを見かねて、ちょっと飾ってみた事がある。

 学院では制服が常ではあるけれど、それでも催しの際にドレスを着て参加する行事もある。

 その時に、友人たちと折角の機会なのだから、とアリアローズを飾り立てたのだ。


 アリアローズはどこか申し訳なさそうだったけれど、それでもオシャレをする事を嫌っているわけではなかったので、ちょっと嬉しそうにはにかんで、そうしてその姿で婚約者であるクリストフの前に行ったのだ。


 だがクリストフの視線は冷ややかなもので、そういう格好はどうかと思う、と温度のない声で告げるだけだった。


 その言葉にアリアローズはそうですね、とだけ言って、その後でやはり控えめな――飾りのほとんどない状態にしてしまった。

 泣いてはいなかったけれど、それでもどこか寂しそうなアリアローズに。


 あんの男、どこに目をつけてらっしゃいますの!?

 とややガラ悪く叫びそうになったのはリリィだけではなかった。

 友人たち一同、その時にクリストフへの好感度はゼロを通り越してマイナスである。

 こんな素敵な私たちの友人に対して何様ですの!? という本音を直接ぶつけられれば良かったが、流石にそれも淑女としてははしたないとみられるだろうから……と、心の中でうっかり足の小指をそこかしこでぶつけて悶絶するがいいわ! と呪ってしまったのは仕方のない事だった。


 それ以外にもクリストフがアリアローズに対して冷ややかな態度をとっている光景を目にした事がある。


 授業でやった内容の、何かの話をしていた時だったか。


 クリストフは語っているアリアローズに対して、学をひけらかすな、というような事を言っていた。

 言われたアリアローズは冷や水をかけられたかのようにしゅんとして、そうでした……ごめんなさい、とそれ以降語らなくなった。


 アリアローズがちょっとでも目立ちそうになると大抵クリストフはそんなアリアローズに釘を刺すような事を言って彼女をより目立たないようにとしていたのだ。


 あんな男の事なんて無視して堂々としてもいいと思いますのよ!? と友人たちが言ってもアリアローズは少し寂しそうに微笑みながら、そっと首を横に振るだけだった。

 それがどれだけ歯痒かった事か!


 二人の家の婚約は政略的な意味がとても大きかった。


 この二家が結びつく事で両家にとって利になるのは勿論、ゆくゆくは王家、国にとっても有益となるとされていたのだ。

 つまりこの婚約をぶち壊す事になれば王家の不興を買う恐れが大いに存在していた。


 あの男はきっとそんな関係の上に胡坐をかいているに違いない。

 そんな風に思ってリリィたちは友人として助けになってあげたいが、しかし何もできない不甲斐なさをハンカチを噛みちぎる思いで過ごしてきたのである。

 アリアローズがまた「大丈夫よ。本当に大丈夫だから」と言うのが余計に自らの不甲斐なさと無力さに拍車をかけてくれた。


 どうしようもなくなったら、いっそうちに逃げてきたっていいのよ!? とリリィは思わずそう言ってしまった程だ。


 アリアローズの存在を押さえつけて、彼女を軽んじているかのようにしか思えなかったから。

 逃げてきたところで、アリアローズの立場や現状が良くなるかはさておき、本気で逃げ出したいのなら手を貸すくらいはするつもりでいた。

 それはリリィだけではない。他の友人たちも自分たちに出来る範囲で手助けをするつもり満々だったのだ。


 何かの折に婚約者からの贈り物なのだ、と言って見せてくれた物もあまりに控えめ――いや、もう言葉を取り繕うのはやめよう――地味すぎて本当にそれは婚約者への贈り物なのかと目を引ん剝く程で。

 婚約している段階ですらもう大切にされていないのがわかる。

 あからさまな暴言や暴力こそないが、彼女の存在をあまりにも蔑ろにしていた。


 それでも少しだけ見直してやってもいいわ、と高慢にもリリィが思えた事は、そんな二人の様子を見て自分ならいけるのではないか? と何かを思い上がった下位身分の令嬢たちがクリストフに群がった時だろうか。

 不仲説が流れに流れていた状態ではあったものの、言い寄ってきた令嬢たちの誰一人にもクリストフは絆されるような事はなかった。

 これで他の女に甘い顔をするようであれば、リリィはきっと身分がどうとかそんなものは関係なく、いかにしてあの男を陥れてやるかを四六時中考えていずれ実行に移していただろう。


 だがそうしなかったという点で、一応政略結婚であっても家同士の契約であるだとか、そういった部分まですっぽ抜けていたわけではないのだなと。

 クリストフに関してリリィが褒めてあげられそうなのは、本当にそれくらいだったのである。



 そんなだから、卒業していよいよアリアローズがあの憎きクリストフに嫁ぐとなった時は本当に心配すぎてハラハラしっぱなしであった。

 結婚式でも二人は妙にぎくしゃくしていて、見ているこっちが不安になった。


 あぁもしこのまま初夜を迎える際、君を愛する事はないとか娯楽小説にありがちな言葉が出たらどうしよう……なんて悪い想像が駆け巡る程だったのだ。


 結婚した直後に大丈夫かと手紙を送りたい衝動にも駆られたけれど。

 流石にそう簡単に尻尾を出すとも思いたくはなかったし、何よりあまりに手紙を頻繁に送っていたらこちらが勘繰っている事くらいはクリストフも気付くだろう。そんな事にも気付かない愚かな男であれば良かったのだが、それなりに賢い男だ。下手に警戒を抱かせたら、アリアローズの身動きがとりにくくなってしまうかもしれない。

 本当は逃げ出したくても、逃げられない状況に陥ってしまうかもしれない。


 そう思ったからこそ、何かの折に最近どう? というような当たり障りのない手紙を送るだけで精一杯だった。何せリリィにはその時他にやる事が山のように存在していたので。

 アリアローズが心配なのは勿論だけど、そのせいで自分の方を疎かにしてはならない。



 そんな風に思っていたのだけれど。


 しかしその後社交界に現れたアリアローズは学生時代が嘘のように華やかな装いと輝かんばかりの美貌を惜しげもなく晒し、更には夫のクリストフとそれはもう見ているこっちがご馳走様と言いたくなるくらいラブラブだったのである。


 一体どういう事なのか。

 気になりすぎてご飯が喉を通らなくて好きなお菓子が出てもおかわりなんてできなかったし、気になりすぎて悶々として夜はすっかり頭を使って疲れ果ててぐっすりだった。

 余分にお菓子を食べなくなった事と、夜更かしもしないで眠ったせいで体重が落ちたし肌の調子も良くなったが、精神面は良いとは決して言えやしない。


 ちなみにリリィ以外の友人たちも似たような調子である。


 表向きは艶々潤っているものの、内面はガッサガサだった。



 で、あるからして。


 茶会と称して招集をかけた時点で、皆興味津々だった。

 あの学生時代のアレはなんだったの!? と声を揃えて問いかけた。


 それに対してアリアローズはというと少しばかり困ったように眉を下げてはいるものの、友人たちが自分を気にかけてくれているという事実にどこか照れくさそうに笑った。


「学生時代にも言ったけど、本当に大丈夫なのよ。

 確かに他から見るとクリストフ様の態度はよろしくなかったかもしれないけれど、私もクリストフ様も婚約が決まった時からずっと互いを想い合っていたもの」

「そう言われたって信じられないわよ。アレを見て想い合ってるって言われてもこの場にいる全員が信じてなかったくらいだもの。あれを信じていいのなら、世間は詐欺師が蔓延りまくりですわ」

 リリィの即座の返しに他の友人たちも「うんうん」とばかりに力強く頷いている。


 きちんとわかるように説明して。


 声に出さずとも皆の瞳は確かにそう訴えていた。



「どこから話せばいいのかしら……とりあえず、本当に私たちずっと昔から互いに愛し合っていたのよ。

 昔は愛というよりは恋だった時もあったかもしれないけれど。

 ただそうね……あまり大きな声で話を広めてほしくないのだけれど、このまま誤解され続けるのも困るから話すわ。話すから、落ち着いてちょうだいな。

 皆飢えた捕食者みたいな目をしているわよ、使用人が何事かと気にしちゃうじゃない」


 降参、とばかりに軽く両手をあげているアリアローズに言われて、リリィたちは前のめりになりつつあった姿勢を「あら失礼」とばかりに正した。


「そうね、娯楽小説にありがちな話だったの。

 ほら、姉妹で扱いの差が違う話とか、あるでしょう?

 クリスと弟の年が一つしか違わないのは知っているわよね?」


「えぇ勿論。最悪あの男との婚約をあちらに変更する事も考えたりしなかったのかしら、とか思いましたもの」


 年子であるので、学院でもリリィたちは一応フィリッツの姿も見ている。

 どこか冷たい雰囲気のクリストフと違って弟のフィリッツは人当たりが良く、穏やかな少年だったと言える。

 あちらの方がアリアローズの事を大切にしてくれるのではなくて? なんて思った事も一度や二度ではない。

 流石に面と向かって言えるわけがなかったからそっと言葉は飲み込んでいたが。だが今回初めてそう口に出した。


「あの家、そういう感じだったの。

 とはいっても、姉妹ではなく兄弟だから、後継者とそのスペア、みたいな認識で周囲は見ていたし、それなら多少扱いが違ったってそういうものって皆思うでしょう?」


「それもそうね、あっちを後継者にしないのかしら、って思った事も否定しないわ」


 他家の事であるからこそ、口出しはしないがそう思ったのは確かだ。

 勿論口に出したのは今が初めてで、公式の場などでは決して言わなかった。


「クリスはね、おじい様に似ているんですって。両親に似ていないわけではないけれど、弟の方は両親のいいところを集めました、みたいな顔立ちだから実際あちらのご両親は弟を溺愛していたそうよ」

「溺愛、って言われても、ねぇ……」


「今はほら、女子であっても長子であれば家を継ぐ事ができるとか、いくつか法も変わってきたでしょう?

 でもなんの問題もない長男を後継から降ろして弟を、となると周囲だって色々と勘繰る。クリスに大きな瑕疵があれば違ったかもしれないけれど、それらしい瑕疵はなかった」

「貴方を学生時代あれだけ冷遇していて!?」

「されてないわよ冷遇なんて。あれも仕方のない事だったもの」


 周囲から見れば確かにそうとしか言いようがなかったのかもしれないけど……としょんもりしたように呟いて、アリアローズは一度紅茶を口に含んだ。


「クリスは後継者だからと厳しく育てられてきた。そんな兄を見て弟は兄のした失敗を自分がやらないように要領良く育ってきた。

 後継者の座を面と向かって欲したりはしなかったけれど、でもそれ以外の欲しい物は強請れば大抵与えられていたそうよ。

 それは例えば……後継者以外のクリスの物であっても」


「それって……」


「彼が大事にしている物ほど弟は奪おうとしていたみたい。

 だからね、もし私が周囲から見て大切にされている、と思えたのならきっと私は彼に狙われていた。

 後継者教育がたとえ遅れても、私が優秀であれば支えてどうとでもなる、と思われるのも困るから、なるべく私は優秀であると悟られないようにした。

 ほら、学生時代の試験って下位身分の人たちに譲るじゃない。将来的な意味も兼ねて」

「え、えぇそうね。職に就くのに成績は一つの指針でもあるから既に将来が決まっている高位身分の者たちが試験で上位に入らないように……というか、基本的に除外されてたわね」

 成績上位に入らないように、と言っても試験であからさまに手を抜くわけにもいかない。

 故に学生時代、試験の後に成績を貼り出されていたけれどあれは一部の生徒は除外された状態での公表だった。


 リリィだって勿論憶えている。

 その意味を理解できていなかった下位身分の身の程知らずが自信満々、裏で高位身分の令嬢や令息をこき下ろしていたのも耳に挟んだ。

 結果としてそんな事も理解できていなかった者の将来はあまり明るいとは言えそうにない結末に落ち着いてしまったが。


 アリアローズの婚約は決まっていたし、であれば将来の事を考えて仕官を目指すような事にもならないなら、成績は公表されないのは言うまでもなく。

 一応公表されていなくとも教師から自身の成績については知らされるから、特に困る事もなかった。


 アリアローズが優秀であっても、クリストフが学をひけらかすなと周囲に見られるように言っていた時点で、彼女の成績がとても優秀であると周囲は見なかっただろう。精々中の上とか、平均よりはちょっとマシ……くらいだろうか。リリィだってアリアローズの成績を直接知りはしないけれど、それでもそこそこ上の方だとは思っていた。それだって普段の会話からそれとなく察していた程度だ。


 であれば、アリアローズの事を詳しく知らない者から見れば、クリストフの態度も含めてあまり良い成績ではないのかもしれない。ちょっと得意分野があったから調子に乗っただけ、と思われていたのかも。


 これで学生時代、何らかの功績をアリアローズが出していて、更にそれをクリストフが強奪するような事になっていたら話はまた違ったかもしれないが、クリストフは別にアリアローズに課題を任せたりだとか、そんな真似はしていなかった。娯楽小説だと、有能な婚約者にまるなげして……なんて駄目なのもいたけれどクリストフは少なくともそういう男ではなかった。


「クリスにとって私の事が大切なんだと思われたら、きっと奪われる。そう思っていたから、結婚するまでは、家を継ぐまでは私に対して一切興味のない振りをしてもらっていたの。

 勿論私も話を聞いて納得した上で過ごしていたわ」


「だったら言ってくれれば良かったのに」


「そうね、でも、こういうのってどこから漏れるかわからないじゃない?

 貴方たちの事を信じているけど、でも何かの拍子に貴方たち以外の第三者に話を聞かれたら。巡り巡ってあの人に知られて、略奪なんて冗談じゃないもの」


 秘密を知る者は少ない方がいい。

 そう言われてしまえば、リリィもアリアローズの事を責められない。元々責めるつもりなんてこれっぽっちもないのだが。


「贈り物もね、あれだって仕込みよ。お互いにそういう風に振舞っていたから周囲からそう見られていたなら努力した甲斐があったわ。

 勿論今はちゃんとした……という言い方も駄目ね。とにかく色々と贈られて、今じゃジュエリーボックスだって新しく買い足したし、ドレスもちょっと増えすぎてシーズンの間に着れるかどうかわからなくなってきたわ。他にも色々と……まぁ、今はもう周囲に取り繕う必要もどこにもないから、お互いに……ね?」


「まぁ」

「まぁあ」

「まぁまぁまあ」


 かつてこれ程までに幸せそうなアリアローズを見た事があっただろうか。

 そう思えるくらい彼女が幸せそうに笑うものだから、リリィたちも思わず口を押さえて気持ちのままにきゃーっと言いそうになる声をどうにか抑える。


 娯楽小説で姉の物を羨ましがってなんでも持っていこうとする強欲な妹の話も勿論リリィたちは読んだ事がある。実際にあんなことがまかり通る事なんて、余程家の中が滅茶苦茶なところじゃないと無理よねぇ、なんて常識的な突っ込みをしつつも、所詮は作り話と割り切って楽しんだりもしていたが、まさかアリアローズの婚約者の家がまさしくそういう感じだったなんて。

 一歩間違っていたら婚約者であるアリアローズを下さい、なんてあのフィリッツが言っていたのかと思うとなんとも言えない気持ちになる。


 クリストフがアリアローズに対してあのような態度だったのは、一重に彼女を奪われないようにするためで、互いに互いを守るためだった。

 そう聞かされてしまった今、フィリッツならアリアローズの事を大切にしてくれそうなのに……なんて思っていた考えなんてとっくに彼方に放り投げる勢いですらある。

 娯楽小説の中で奪った妹は、奪った物を最後まで大事にしていた……なんてケースほとんどなかったので。

 もしそんな風にフィリッツもそうだとしたら、アリアローズが不幸に陥っていたかもしれない。


 そう思うと、リリィは私もまだまだね、もっと人を見る目を養わなくては……なんて内心で自身を戒める。



「そういえば、それじゃあその、前侯爵夫妻たちはどうなさったの?」


 もう余計な手出しはされないだろうとなったから、以前見かけた時のような付き合い始めの熱々な恋人のような状況になっていたわけなのはわかる。

 であれば、クリストフの両親と弟はどうしたのか、という疑問は当然浮かぶわけで。


 クリストフが後を継いで侯爵となったなら、両親は引退してどこかの田舎に引っ込むにしても、溺愛していた弟の事も放置、とはいかないだろう。



「スペアになるでもなかったので婿入りしたのよ。北方の辺境伯のところの……」

「あちらの!? あの、大層な美姫がいると評判の!?」


 西方の辺境伯のところかと思ったが、まさかの北方。王都に姿を見せた事はないが、北方辺境伯のところにはとても美しい姫君がいると社交界でも噂になっていたのだ。

 噂が噂を呼んで恐らくはものすごく盛りに盛られているのだろうなぁ……とリリィはぼんやりと思ったものだが、一部の殿方などは是非一度お目にかかりたいとかどうとか熱に浮かされたように噂していたのを憶えている。


 北方の辺境伯領のその先は獰猛な獣が多く生息しているとの事で、そちらの防衛を担っているという程度にしかリリィは詳しく知らないが、王都住まいの貴族からするとそちらで生活するのは中々に厳しそうだ。

 大丈夫なのかしら……?


 そんな考えが顔に出てしまっていたのだろう。

 アリアローズは大丈夫だと思うわ、と軽く言ってのけた。


「その噂の姫君だけど、あくまでも北方辺境伯の言う美人だもの。同じ国だけど、王都周辺とあちらとでは美の基準が異なるのよ。

 クリスから聞いたけど、その方、一人でジャイアントボアを倒せる実力の持ち主だそうよ」

「なっ……!?」

「えっ、あのジャイアントボア? 大の大人が十人最低でもいないと倒すのが難しいという、あの!?」

「お城の兵士でも手を焼くと噂の!?」


「強く逞しいのがあちらでは良いとされているようで。

 聞けばリンゴを片手で握りつぶす事ができるのだとか」

「それはすごい」

「両手でも無理なのに」

「片手で? えっ、ちょっと見てみたいわ」


「ただ、そちらの姫君曰く、強い男は父で見慣れてるからせめて見目の良い方を……と望んでいたようで。

 でもそういう相手って中々いないのよ。噂の美人なお姫様を見たい、って気持ちで気軽に北方辺境伯の所に行って帰れなくなったら困るじゃない。そうでなくとも王都と比べてあちらは寒さも厳しいみたいだし。

 それに、いくら婿に出すって言っても大抵の家は危険かもしれないところに送り出したくない、って気持ちもあったみたいでいい縁談なんて中々なかったみたいで。


 そこをクリスが唆したみたい。北方辺境伯のところの姫君に憧れるかのように振舞って、私の事を貶しつつもできればあちらに行きたかった……みたいに言えばあら簡単。まんまと兄の憧れる女性を我が物にしてやろうという弟はあちらとの縁談に乗り気で、というかむしろ顔を合わせる以前にさっさと婚約を結んで学院卒業後すぐさまそちらに出向いていったわ」

「えっ、それは軽率すぎないかしら」

「そうよね、王都に出回ってる姫君の姿絵って多くの人の想像含んでるから、実際は全然違う人なんだけど……でもあちらとの縁談もほら、家にとっては利がないわけじゃないし、最終的に王家もあちらの家の縁談の相談に乗ってたのが終わりを迎えたって事でね」


「じゃあ帰ってもこれなくなるのね」

「そうなれば王家に睨まれるかもしれないもの。そうでなくとも辺境伯との仲に亀裂を入れるような事をしたらやらかした本人の処分は免れないわ」


「ご両親はどうなったの?」

「クリスが言葉巧みに辺境伯領で暮らしてはどうかと勧めて一緒に旅立ったわ。

 家の権利は完全にクリスに移ったから後から話が違うと戻ってきたところで、今度は領地の片隅に追いやるだけって言ってた」

「鬱憤が溜まってたんでしょうねぇ」

「えぇ、とてもいい笑顔だったわ」



 謎は全て解けた。


 成程、学生時代のあれら全てが周囲にそう見せるためだけの演技だというのなら、確かに婚約者がアレなら自分の方が……なんて思いあがった令嬢たちに靡かなかったのも頷ける。

 下手にそちらに靡いた振りをしたとしても、弟が今度はその令嬢に手を出すかもしれない事を考えれば。それ以前に本当にアリアローズ一筋であるからこそ、あしらうのは当然だ。

 適当な相手に弟を押し付けたとしても他家に余計な被害を振りまいて後が大変な事になるくらいなら、それは決して得策とも言えないし。


 確かに学生時代にそれとなく知らされていたら、アリアローズが冷遇されているように見えていても、でもあれ演技だものね……と見ているこちらも然程心配しなかったと思う。

 だが、そうした周囲の友人たちの反応から、目ざとい物はあれが仕込みである、と考える者も出たかもしれない。

 一番気付かれてはいけない相手にそれが知られれば努力は無駄に終わる。


 本当に何も知らないからこそリリィたちはアリアローズを心配し続けていて、そして周囲もそれを見ているからこそアリアローズが蔑ろにされていると信じて疑う事がなかったのだ。


「騙すような形になってごめんなさいね」

「いいのよ、思えば学生時代に大丈夫って言ってたものね。あれそういう意味だったの、って納得したところよ」


 こうして今ネタ晴らしされたのだから、良しという事にしておく。


「ねぇ、今幸せ?」


 そう聞いたのは別に念を押すためなどではない。答えなんてわかりきっている。

 それでも。

 直接聞けたなら今までの事なんて全部どうでも良くなると思うし、騙されていたように感じた気持ちだって綺麗さっぱり水に流せると思っている。別に恨んだりしてはいないが、ともあれ一区切りつくのは確かだ。


 そんなリリィの考えを理解したのだろう。


 アリアローズは学生時代ですら浮かべなかった満面の笑みでもって言う。


「勿論、とても幸せよ」

 次回短編予告


 学校の七不思議。トイレの花子さんや夜中に一段増える階段。そんなよくある話の中に、ゆうこさんというものが存在していた。


 次回 ゆうこさんのはなし

 ジャンルはおばけちゃんが出てくるのでホラーだけど別に怖くないです。

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