その六
見えた牙が恐ろしくて腰が抜けた。
も、もうだめ。
足がすくんで塔の中へ逃げ込むこともできずにへたり込む。
銀髪の男性に助けると言われましたのに。
また彼に会いたい。
まだ死にたくないです。
恐怖で目をつむった。
少しの間、目を閉じていたが何も起こらない。
恐る恐る飛竜を見ると、いつの間にか目の前には赤髪の男性がいた。
短髪で軽装の鎧を身に着け、飛竜と同じ玉がついた首飾りをしている。
快活な感じのさわやかな男性。
体つきがたくましく、とても長い槍を軽そうに持っている。
柄のかなり上の方で槍の先端が光った。
「こんばんは! あ、そろそろおはようか!」
ミレーユはもともと人見知りの引きこもりで会話は大の苦手。
昨日会った銀髪の男性とも、動揺してまともに話せなかった。
でも話をしないと目の前の赤髪の男性が何者か分からない。
この人は珍しい白銀の飛竜に乗って来ました。
きっと普通の騎士ではなく位の高い竜騎士に違いありません。
「わ、わたくしは……ついに処刑でしょうか」
「処刑? 冗談じゃない。無意味な殺しなんてしない」
「あの、処刑じゃないなら……なんでしょうか?」
「こいつに言われて迎えに来たんだ。一応確認だけど、ここで何してんの?」
「あ、えと、この塔に幽閉されています」
「ふーん。ここが嫌なら俺が出してやる。ほら彼に乗って一緒に行こう」
「あなたは一体……」
「俺はスピアっていうんだ。君は?」
「ミ、ミレーユです。ミレーユ・ヴァイアント、です」
「ミレーユか。ほら、一緒に行こう」
「でも」
「彼に乗れば人に見られずこっそり脱出できるから」
スピアはそう言って親指でクイと飛竜を指し示した。
飛竜に乗って塔を離れれば、かけられた呪いが発動してミレーユは死んでしまう。
この男性の誘いを受け入れられなくて、立ったまま動けずにいた。
「早く行こう。明るくなったら飛竜は目立つから」
焦れた彼が近づく。
どうしましょう。
スピアと一緒に行けば呪いが発動してしまう。
……でも、もう楽になってもいいかも。
ふと死を受け入れる諦めの気持ちになった。
それで差し出された彼の手を握ろうとしたけど、自分のドレスが汚いのに気づく。
「あ、あ、やっぱり嫌です。どうか近くに来ないでください」
ミレーユは自分が酷い身なりなのを思い出して必死に拒絶した。
座ったまま後ずさりして汚れた袖で顔を隠す。
こんな汚い恰好で男性の手なんて取れません。
髪も手入れができていないのに、男性と寄り添って飛竜になんて乗りたくない。
絶対に嫌な思いをさせてしまいますから。
自分のありさまが悲しくてつらくて、そのままうずくまって泣いてしまった。
一年ぶりにちゃんと人と会話ができて嬉しかった。
でもそれ以上に、汚れたドレスの自分が悲しかった。
男性に汚いと思われるのが嫌だった。
昨日の銀髪の男性に続き、この赤髪の男性もミレーユを塔から連れ出そうとしてくれる。
素敵な男性ふたりが助けようとしてくれることに感激しつつも、その手を取れない状況が悔しくて視界が涙でにじんだ。
彼は拒絶するミレーユの姿を不思議そうに見ていたけど、急に焦ったように口を開く。
「早くしよう! 夜が明けそうだ」
「で、で、でも。い、嫌なんです」
「ただでさえ白い飛竜で目立つんだ。明るくなれば見つかって騒ぎになる」
迫る夜明けに焦った様子で急かされるが、女性としての気持ちがどうしても邪魔する。
「あーもう時間切れだ」
「え?」
「ほら、空が白み始めた。今日はもう帰るよ」
「え、お帰りになるのですか?」
スピアがさっと騎乗すると、ばさりばさりと飛竜が大きく羽ばたき始める。
「ミレーユ。あなたを必ず助ける」
赤髪の男性とは違う声が聞こえてすぐ、白銀の飛竜は南の空へ飛び立った。
滑空しながらスピードを上げて、飛竜の姿があっという間に小さくなる。
遠くで数度羽ばたいて星空へ上昇していった。
安堵して飛竜が飛び去るのを見送る。
どうしても汚れた身なりで接するのが嫌だった。
もう貴族だった自分は忘れたはずなのに、男性に蔑まれるのが耐えられなかった。
だから、親切にしてくれた赤髪の彼を拒絶してしまった。
「せっかく優しくしてくださったのに」
情けなくて悲しくて落ち込む。
でもそれは彼との出会いが嬉しかったことの裏返し。
「また人とお話ができました」
昨日に引き続き、誰かと会えたことに感激した。
再会を期待した銀髪の男性には会えなかったけど、赤髪の男性と会話ができて涙が出るほど嬉しかった。
もともとミレーユは会話が苦手。
貴族として暮らしていたころも、来客があると廊下でバッタリ会わないように自室へ引きこもった。
お手洗いも我慢して翌日まで部屋からでなかったほどだ。
そんな人見知りな彼女を過酷な一年間が変えた。
誰とも会話できなかったせいで、逆にコミュニケーションを嬉しく感じられるのだ。
それも相手はとても素敵な男性たちで。
「あ! ま、まさか、これってもしや⁉」
ミレーユはふと思い立って急いで塔の中へ戻る。
塔の壁にあるらせん状の石階段を早足で下りだした。
夜明け前で暗いし手すりがないので踏み外すかもしれない。
落ちたら一階の床へ叩きつけられて死んでしまうだろう。
でも気が急くのを抑えられない。
「もしや運勢が上昇している⁉ 事態が好転しているのかしら!」
希望を抱いて石階段を駆け下りる。
立て続けにふたりの男性が塔を訪れるという変化が起こったのだ。
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