その四十九
「グルル。ウウウ。ガウ」
悪魔の猛犬ケルベロスがモリガンの横に並ぶ。
「手始めにこの忌々しい家具や装飾をめちゃくちゃにしろ」
奴がその黒い毛並みを撫でながらケルベロスに指示をだした。
「アオーン!」
ケルベロスがさっと駆け出す。
中央に置かれたテーブルを三つ首の口全部で咥えて斜めに持ち上げた。
乗っていたスリーティアーズが床へ滑り落ちて大きな金属音を立てる。
焼き菓子が床に散らばった。
次の瞬間、首が大きく振られてテーブルが猛スピードで宙を飛び塔の壁に激突。
大きな衝撃音とともにバラバラに壊れた。
「ああ、ハンナから借りたテーブルが……」
非道な行いに腹を立てる間もなく、並んだ椅子をケルベロスがかみ砕く。
みんなで仲良く食事して語らったテーブルと椅子。
無機質な塔の内部を最初に変えてくれた大事なテーブルと椅子が無残な姿になった。
「よしよしいいぞ。次はそのベッドと衝立だな」
「やめてください。そのベッドと衝立は、彼らが手作りしてくれたプレゼントなのです」
悪魔モリガンは訴えをうんうんと笑顔で聞いてケルベロスへ命令する。
「ベッドを壊すならブレスがよかろう。衝立ごと吹き飛ばしてやれ」
「ガルルル」
ケルベロスが息を吸うように大きく反り返った。
そして咆哮とともに三つの口から赤く光る光線を吐き出す。
熱量とエネルギーの固まりがミレーユの真横を通り抜け、衝立に当たって一瞬で砕け散った。
さらにその先のベッドへ直撃して真ん中に大穴を開け炎上させる。
「あ、あ、燃えて」
「いいぞ。もっと破壊しろ。全部バラバラにしてしまえ!」
激しくベッドが燃え上がる。
ハンナが開けている扉から風が吹き込んで、燃えるベッドから出た黒い煙が屋上へと昇っていく。
「なんて、なんて酷いことを。殿下が、スピア様が手作りしてくれましたのに。彼らの優しさが詰まっていましたのに」
壊れて燃える無残な姿を見ていて、プレゼントされて感激で泣いたことを思い出す。
大切な思い出が壊されて胸が張り裂けそうになり、息が苦しくなった。
ケルベロスが再度ブレスを吐き、今度はドレッサーが砕けて燃え上がる。
「や、やめて、やめてください。どうか、お願いです!」
「いい表情だ。ゾクゾクする」
モリガンが斜め上を向き、虚空を見つめて震えている。
「よし興がのってきた。わらわもやろう」
モリガンの憑依する女王の体が魔力で輝き、掲げた杖に光が収束していく。
「爆炎よ燃え盛れ、ヘルファイア!」
杖から放たれた火球が北側の室内花壇に直撃。
当たると同時に爆炎が発生して屋上へ届くほどの火柱が立つ。
「ど、毒ピンクが」
「ん、花壇に何かあったか? 牢獄にこんなものを作るお前が悪い。フン、こっちもだ」
今度は南側の室内池に火球が当たる。
爆炎とともに灼熱の火柱が立ち上って溜まっていた水が一瞬で蒸発。
祭壇に乗っていた物はすべて灰になって消えた。
「あ、ああ、ドレスが。わたくしのドレスが」
「ドレス? あのピンクの雑巾か? ゴミは、わらわが掃除してやったぞ」
そのあともケルベロスが跳ね回ってすべてを食い破る。
カーペットは燃え、タンスは壊れ、茶器は砕けた。
「う、うう。うう」
「そろそろ女々しく泣く姿にも飽きてきたな。殺すか」
もう抵抗する気も起きない。
めちゃくちゃに心を砕かれてしまった。
目をつむり床に座る。
初めてここに放り込まれたときのように。
「お姉ちゃん、あきらめちゃ駄目だよ」
アンディの声が聞こえた。
「お姉ちゃんの占い魔法ならなんとかなるから」
こんな凶暴な悪魔の犬と爆炎を操る相手に、祓占術で立ち向かうなんて無謀だった。
「ミレーユ様、上です! 上へ逃げて! ハンカチで口を覆って上へ!」
あの穏やかなハンナが扉を開けたままで叫ぶ。
「煙で気づいてもらえます! 昼間でも屋上へ来てくれます! だから上へ!」
屋上に来てくれる人、それを聞いてスピアが騎乗する白銀の飛竜を想い描いた。
ハンナの言うように、ランスロットがスピアを乗せて来てくれるかもしれない。
そう思ったが、昨日彼に誤解させてしまったことを思い出した。
貴族だったころの気持ちが邪魔をして婚約破棄されたと言えなかった。
あれでは元婚約者への未練があると勘違いさせてしまっただろう。
もう、ランスロットはこの塔へ来てくれないかもしれない。
「屋上に誰か来る? 馬鹿か。お前を助けにくる奴などいるものか」
モリガンに否定され、逆にランスロットのこれまでを思い起こす。
いいえ。
いつも殿下は助けに来てくれました。
ピンチでいつも駆けつけてくれて。
きっと彼なら来てくれる、いつものように屋上に。
彼を信じよう。
そう思うと気持ちが奮い立った。
ならば上へ、信じて上へ。
覚悟を決めて立ち上がり、石階段を上り始める。
「ほれ逃げろ逃げろ。さっさと逃げないと殺してしまうぞ」
まるで動物でも追い立てるように、モリガンとケルベロスが歩いて近づいてくる。
上へ昇るほど家具の燃える熱で体が熱い。
煙が凄いので吸い込まないようハンカチを口へ当てた。
本来、火事で上へ逃げてはいけない。
炎の熱は上へ昇り一緒に煙も上へいく。
上へ行けば熱と煙で死んでしまう。
一階にいるなら外へ逃げるべきだが、ミレーユには死の呪いががあるので外へは行けない。
だが途中からなぜか熱も煙もなくなる。
それでなんとか屋上へたどり着くことができた。
「はあ、はあはあ」
横へ転がり出て空気を吸う。
一息ついていると続けてモリガンとケルベロスも上がってきた。
「熱と煙が消えただろう? この女の体が限界だったから鎮火した。感謝しろよ」
モリガンが憑依している女王の体を気遣ったので助かったようだ。
奴は契約で女王の美貌を永遠に維持しなくてはならない。
逆にいえば、ヤケドはおろか怪我さえできないということになる。
ならばそれが、奴の弱点になりうるかもしれない。




