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その四十六

 悪魔モリガンは執務室で書類を見ていた。


「わらわが書類仕事とは。いくらこの女の未練を断ち切るために強い軍が必要とはいえ、まいったな」


 戦争前は統治者がすべき決裁案件を全部文官にやらせていた。

 すると部下が次々にストレスで退職。

 それで一時期、女王は側近にありえない大きさの責任を負わすと噂になった。

 そんな噂で軍の士気が下がるのはまずい。


「噂と言えば」


 最近、侍女たちが何かに夢中のようでよく立ち話をしている。

 それで一度尋ねたが、彼女たちは恋愛のことだと口ごもった。


 この体の持ち主、ベネディクトは隣国の忌まわしき王子に求婚してフラれている。

 それでみなが気遣って、恋愛の話題が耳に入らないようにするのだが。


「何が恋愛だ。勝手にやってくれ」


 黒髪を人差し指に巻き付けては解く。

 髪をいじりながら書類を見ていると、文官が急な謁見の申し入れを告げた。


 謁見の希望者は王族のヘムンズ。

 この体の持ち主ベネディクトの弟で、幽閉した占い女の元婚約者らしい。

 報告する文官は悪くない。

 が、つい睨んでしまう。


「面倒な」


 いつもなら当日の謁見など、相手が王子でも絶対に受けない。

 軍の統率に関係ない人間への気遣いなどしたくない。

 たとえ先の予定として調整されたとしても断りたいところ。


「いや待て。やはり会う」


 しかし謁見理由を聞くや会わずにはいられなかった。

 にわかに信じがたい話だが確認する必要がある。


 杖を持ち黒いドレスをひるがえして謁見の間に入ると、件の男が突っ立っていた。


 玉座にどさりと腰を下ろす。

 威圧するために姿勢を崩して大仰に脚を組み、じろりと場を見下ろした。

 周りに部下がいるのだ。

 いくら肉親とはいえ、形だけでも礼をしろと無言の圧力をかける。

 しかし意図を汲み取れないヘムンズは、彼女の黒いヒールに視線を移して小刻みに震えだした。


 フフフ、怯えておるわ。


 恐怖で震えていると気をよくしたが、どうも奴の表情が違う。


「姉様の脚は本当に綺麗だ」


 鼻の下が伸びて息が荒い。

 脚だけを異様に注視している。


「くっ」


 姉の肢体を見て興奮していると気づき、今度はモリガンが身震いした。


「貴様! 報告があるのだろう。早く言え!」

「あ、ああ。実は領内で隣国の王子を発見したんだ」


「なに? 領内だと? 何を馬鹿なことを」


 謁見理由で隣国の王子を発見したとは聞いていた。

 一年前に深手を負わせた王子が生きていたのは予想通り。

 この体の主である女王の未練が経ち切れていないのは、奴が生きているからだと感じていた。

 だが発見場所は領内だという。

 そんな情報はいままで入っていない。


「お前の見間違いではないか」

「いや、確かだ。金色の髪が銀髪に変わってたが間違いない」


 モリガンの呪いは髪の色素を薄くする。

 金色の髪が銀髪に変わっていたならミレーユと同じ変化。

 モリガンの呪いということになる。


 一年前、あの撤退戦に紛れて奴には確かに重傷を負わせた。

 しかも異種族変化の呪いまでかけて。

 一体どうやって生き延びたのか。


 思案するモリガンに対して、男はかしずく姿勢をさらに低くして脚を見てくる。

 しかし彼女にとって、いまはこの男の視線などどうでもよかった。


「どんな姿だった?」

「え? どんな姿?」


「姿かたちに異変はなかったかと聞いている」

「死にかけと聞いてたけど全然だ。ピンピンしてたよ」


 隣国の王子発見の報告で謁見の間がざわつく。


 侵略戦争を仕かけて敗戦し、隣国への賠償額はかなりのもの。

 そのほとんどが、前線で行方不明になった隣国の王子に起因する。

 もし王子が無事なら少しは賠償額が減らせるかもしれない。

 うまくいけば国の財政難がマシになる。

 居合わせた文官や護衛の兵たちが隣国の王子の無事を喜び合った。


「今度こそ殺してやる!」


 モリガンの怒声が響いた。

 歓声はすぐさま収まって謁見の間が静まり返る。

 呪いは確かにかかった。

 ランスロットが空中で白い飛竜に変わるのを目撃している。

 奴は飛竜の姿で脇腹から血を流し、よたよたと飛んで逃げ去った。


 くそ。

 魔力切れにならなければ、あのまま仕留められたものを。


 ふと謁見の間の異様な雰囲気に気づく。

 部下たちが困惑してひそひそ囁き合っていた。


 どいつもこいつも顔を見合わせて怪訝な顔でこちらを伺っている。

 無事な隣国の王子に対して「殺してやる」はまずかったか。


 賠償金で傾きかけた国の財政が救えるかもしれない。

 厳しい国庫の状況を考えれば、ランスロットの無事は歓迎すべき場面なのだろう。

 だが国の財政よりも感情を優先してしまった。

 これでは部下たちの求心力が下がり、また戦争で負けてしまう。


 憑依したこの女の精神を完全に閉じ込めるには、想い人である隣国の王子を殺す必要がある。

 だが、実現したいなら声に出さない方がよさそうだ。


「そうか、無事か。まったくそれは喜ばしい。早速手厚く保護せねばな。でだ、ランスロット王子はどこにいたのか?」


 部下の手前この場は取り繕い、あとでこっそり始末すればいい。


「それがな、ミレーユが幽閉されている物見の塔にいたんだよ」

「なに」


 場所が物見の塔だと聞いて彼女は目つきを変えた。

 ランスロットがなぜ封印の塔にいるのだ。

 詳しく話を聞かせろと命じると、ヘムンズは不満をぶちまける。


「帰還の供をしてやると申し出てやったのに、俺のことを追い出しやがった」

「王子は塔に残ったのか?」


「きっとミレーユの奴が誘惑して、帰るに帰れない状況なんだろ」

「誘惑だと? お前は何を言っているのだ。あの占い女はあんな汚いのだぞ」


「いや、別に汚くはないな。香水や化粧も控えめで俺好みだし」

「香水? 化粧? そんなもの、あの塔にはないだろうが」


「え? ない? いやでも……まあいいか」

「それにベッドも何もない石壁だけの空間だ。あんな牢獄のような場所で誘惑されて足止めされる男などいるものか」

「え? えーと、まあ、王城の品に比べれば何もないも同然か」


 何とも歯切れが悪い。


「だいたいあの女。ガイコツのようにがりがりで死ぬ寸前だったろうが」

「が、がりがり? そこまでじゃないが。でもまあ痩せてはいたかな。ちょうど姉様と同じくらいにスリムだった」


「なんだと⁉」

「あ、いや、もちろん姉様の脚線の方が美しいよ!」


 こいつはそう言って舐めるように組んだ脚を見てくる。


「……」


 気色悪すぎて思わず組んでいた脚を直して揃えて座る。


「ああ残念。でも斜めに脚を揃えて座った姿もいいな」

「やめろ! もうお前はわらわの脚を見るな!」


 世辞ではないと分かるから余計に気持ち悪い。


 この体の持ち主だった女王ベネディクトなら、本心からの賛辞に機嫌をよくするかもしれない。

 でも正体は悪魔モリガンだ。

 いくら彼女が男性を魅了する悪魔だといっても、変態嗜好の相手に執着されるのは勘弁願いたい。


 だがそれよりも理解ができないことがある。

 もう少しで死ぬはずだった占いの女が生きていることだ。

 すぐに餓死する。

 その見立てが甘かったか、それともこの男が嘘を言っているのか。


「仕方ない。見に行くぞ」


 杖を手に玉座を立ち上がると、目の前の文官と壁際の護衛騎士がついて来ようとする。


 まずい。

 もしこの男の報告が嘘なら、死にかけた占い女の有様を部下に見られる。


 空腹と不潔の仕打ちを酷いと思われては忠誠心に影響する。

 彼らは連れて行けない。


「おい、お前」

「ヘムンズだよ。いいかげん名前で呼んでくれ」


「ヘムンズよ、ついてこい!」

「え、どこへ?」

「ミレーユがいる塔だ」


 奴はきょとんしてから、少し困った顔をする。


「あのさ、俺は昨日、ランスロットから塔を追い出されてるからさ」


 一緒に行けば最高権力者に言いつけたのがモロバレ。

 その構図は避けたいのだろう。


「わらわの言うことを聞けば褒美をやるぞ」


 ほかの奴らが命令に従うのは忠誠によるもの。

 でも、この気持ち悪い男は忠義ではなく若き女王の体に魅了されている。

 特に脚に。


 ならば褒美を与えて眷属の犬にしてやろう。


「褒美! 本当⁉ じゃあ金や物じゃなく姉様にお願いがあるんだけど」


 ヘムンズが腰から下ばかり見てくるので、やっぱり連れて行くのをやめようかと本気で思った。



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