その三十八
明けて晩餐会当日。
ロッテは半信半疑だった。
「ハンナさんが強く勧めるからあの塔に行ってはみましたけど」
約束通り厨房の洗い場をハンナに代わってもらい、ロッテが晩餐会の給仕に加わる。
来賓は総勢三十名。
給仕の侍女も十人という手厚さ。
この晩餐会が重要だと分かる。
会場準備でテーブルを整えながら、また昨日のことを考えた。
ミレーユが描いた魔法陣は恐らく本物。
輝きとともに紋様が青白い光を放って、魔法の力が働いていると分かった。
それでも占いの結果には戸惑いというか釈然としないものがある。
十年前に隣国から逃げてきて、いまは平民の侍女をしている。
このまま身近な人と一緒になって、平凡に生きて死ぬのだと諦めていた。
いまさら『運命』のような恋愛など起こりようもない。
「あ、いけない」
絨毯の上を銀製のナイフとフォークが小さく跳ねた。
昨日、占いで言われた『運命』という言葉が頭から離れず、頑張って並べた食器に当たって落としてしまった。
「ちょっと! 時間がないのに足を引っ張らないで」
「す、すみません」
先輩侍女に注意された。
給仕が持ち場の先輩侍女からしたら、今日だけ持ち場を変更した慣れない後輩など厄介でしかないだろう。
「そろそろ来賓がいらっしゃるわ。もうミスはしないでね」
「はい、気をつけます」
来賓は隣国の大使や外交官僚である。
移り住んだこの国は一年前の侵略戦争で母国に敗戦した。
あれこれ賠償などをしてきたが、今日はその支払いにようやくめどがついての晩餐会である。
名目は晩餐会だが、実態は戦勝国の事務方たちへの接待だ。
「ほら、ぼさっとしない。お食事の終わったお皿を下げてきて。テーブルが空いてないと次がお出しできないでしょ」
先輩侍女に言われてテーブルへ行くと、中年の大使夫人に声をかけられた。
「ちょっと! ちょっとあなた! 隣の大使にワインを注ぎなさい」
「え、私ですか⁉ ワインは男性給仕がいますので少しお待ちください」
「いえ、私はあなたに言ってるの。早く注ぎなさい」
ワインは男性給仕が注ぐもの。
その認識はどちらの国でも変わらないはず。
でもこちらは敗戦国。
戦勝国の大使夫人に注げと言われたら断れない。
お父様のグラスにワインが注がれるのを、もっとよく見ておけばよかった。
ロッテの家は王家の対立勢力を担いだ貴族だった。
しかし旧体制が維持されるや、政局争いに負けた新体制派の貴族はすべて取り潰し。
ロッテの家も貴族位を奪爵され、周囲から迫害されて命が脅かされるほどだった。
当時十才だった彼女だけが国外へ逃がされて、迫害のないこの国へと亡命した。
「ま! グラスにボトルを当てるなんて! この国の侍女はワインもろくに注げないのかしら?」
上手くできず、大使夫人が高い声をあげた。
みなの視線が集中する。
離れた場所で先輩侍女がひたいに手を当て、目をつぶっているのが見えた。
「仕方ありませんね。私が丁寧に指導して差し上げましょう」
指導って何かしらと思っていたら、パンと音が鳴った。
遅れてワインボトルを持つ手に痛みが走る。
驚いて一歩下がると、彼女は閉じた扇子を手の平に数回当てながら目を吊り上げた。
「離れないで。これから私がワインの注ぎ方を教えるのですから」
恐る恐る前へ出ると、またボトルを持つロッテの手を扇子で叩いた。
「え、え」
「持つ場所が違います。片手で瓶底を持ち、もう片手で下から支えるように」
「こ、こうでしょうか」
言われた通りにしたが、またも扇子で手首を強く叩かれる。
「ラベルを上に向けて注ぐの。あなた、そんなことも知らないの?」
明らかな異常事態。
貴族の来賓が給仕に指導を始めた。
基本を知らずに注意されるのは仕方ない。
が、自分の配下を躾けるようにたびたび扇子で手を叩くのだ。
それも音が鳴るほど強く。
叩かれた場所が赤くなって痛む。
助けを求めようと視線をさまよわせたが、夫である大使は彼女の好きにさせて知らぬ顔。
頼みの先輩侍女たちはみな顔を逸らした。
もしかして、こうなるとみんな知っていたの⁉
戦勝国の大使夫人から善意という形での指導。
抵抗は許されず、ただされるがまま。
誰も助けてくれない。
さらし者にされ、惨めな思いに涙が頬を伝う。
こんな仕打ちを受けるなんて。
占いなど当てにせず、洗い物をすればよかった。
必死に堪えていると、ふいに誰かの気配を感じた。
「大使夫人、彼女は私の知り合いです。どうかそれくらいで」
気づいたら男性がそばに来ていた。
「あなた、私に意見するの?」
夫人が不満を言いつつ、じろりと隣の大使を睨んだ。
すると、ずっと黙っていた大使が口を挟む。
「おい、私の妻の邪魔をするな」
「帰国した際には、おふたりを特別な高級レストランにご案内しますので」
不満そうにする大使夫妻に、男性が物腰穏やかに対応した。
「特別な高級レストランですって?」
「大使ご夫妻は特別ですので」
「ほう、特別なもてなしか。ふん、まあいいだろう。その話、忘れるなよ」
なんとか解放された。
助けてくれた外交官僚の男性がハンカチを渡してくれる。
「これで涙を。このままではみなも心配になる。さあ少し廊下へ」
泣き顔をしっかり見られてしまった。
恥ずかしくて顔を上げられない。
そのまま手を引かれ、会場からロビーへ連れ出された。
「嫌な思いをさせたね」
あれ?
どこかで聞いたような。
優しくて包みこむような声。
急に懐かしさが押し寄せて、でもそんなはずはと戸惑う。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「え?」
反射的に顔を上げる。
「シャルロッテ、会いたかった」
「な、なんでその名を」
捨てた名前。
この国で貴族だったときの名を知る人はいないはず。
見つめてくる彼の顔には確かに見覚えがあった。
「お、お義兄様!」
つい、幼いころと同じようにお義兄様と呼んでしまった。
懐かしさで手が震える。
ずっと、ずっと憧れだった年上の青年。
父が仕事で他家へ行く際によく連れていかれたが、待っている間によく遊んでもらった人。
「お義兄様か。懐かしい呼ばれ方だ。だけどシャルロッテと私はまったく別の血筋。もうお互い大人の男女だよ」
まさか、また会えるなんて。
「お義兄様、ごめんなさい。私、諦めていたんです。亡命して侍女になって十年経って。もう絶対会えないって」
「苦労したな。すぐ助けに来られなくてすまなかった」
お義兄様がそっと手を握ってくれる。
それが嬉しくて嬉しくて。
胸がいっぱいになってしまい、それで欲が出てしまった。
もしかしてという淡い期待が首をもたげる。
気になった問いを我慢できず、つい口から出てしまう。
「い、いま、ご結婚はされていますか?」
勢いで尋ねてすぐに後悔した。
彼とは年が八つも離れていて、とっくにお相手がいるはずだから。
「私はずっとあなたを探していた。独り身だよ」
その返事に涙がまた溢れた。
信じられないこと。
命からがら逃げてたどりついた場所で、身分を捨て十年間ひっそり生きてきた。
もう絶対に会えないと心の奥底に閉じ込めていた想い。
初めて好きになった人にまた会えたのだ。
そして彼は待っていてくれた。
「シャルロッテ、もうどこにも行かせやしない」
「お義兄様!」
この出会い、彼との再会こそが占い魔法により示された結果に違いない。
そうシャルロッテは確信した。
彼が『運命』の相手なのだと。
ありがとうございます!
ミレーユ様!
言い表しようがない衝動が湧いてきて胸が一杯になる。
ミレーユ様、できる限りのお礼をさせていただきますから!
侍女の自分に何ができるかと思いを巡らせた。
シャルロッテよかったね!
ご評価☆☆☆☆☆いただけますと幸せです。




