その三十四
ふたりが帰っても興奮は治まらなかった。
いつもなら、空腹で眠れなくなる前にすぐ横になるところ。
でも珍しく夜更かししていた。
ランスロットが運んでくれた椅子に腰掛けてテーブルを撫でる。
うふ。
テーブルと椅子だわ。
テーブルとその周りに置かれた三脚の椅子を見ながら自然と頬が緩む。
家具が置かれる。
それだけでもミレーユには心躍るできごと。
だけど、昨日はそれ以上のことが起こった。
「ランスロット様に抱きしめられてしまいました」
一時的にみんなが塔を離れたとき、寂しさが押し寄せて泣いてしまった。
その泣き顔を先に戻ったランスロットに見られてしまって、人間の姿で抱きしめてくれたのだ。
生まれてきて一番幸せでした。
ランスロットはこれまでのミレーユの苦労を知っている。
だから涙を流す哀れな女に驚いて、境遇に同情してくれたのだと思う。
だけどたとえ慰めだとしても、優しさは心からのものであると感じられた。
それは思いやりが体温を通して伝わってきたから。
彼に抱き寄せられたのを思い出して顔が火照る。
だ、駄目だわ。
相手は王子様なんだから。
恥ずかしくて起きていられず、床へ敷いた布の上で丸くなった。
いまのランスロットは白い飛竜だ。
でも呪いが解けて人に戻れば、いずれ隣国を統べる王になる。
奪爵されて平民落ちしたミレーユとは立場がまるで違うのだ。
うーん。侯爵令嬢だった昔ならぎりぎり身分が届いたかも。
あ、あれ?
わたくしったら何を。
考えれば考えるほど思考がおかしくなっていく。
これでは、とても眠れそうにない。
意識を違うことに向けようとすると、今度は赤い髪の彼の顔が浮かんだ。
「あと、スピア様に結婚を申し込まれたのよね。あ、結婚ではなく番でした」
飛竜の里の長であるスピアは、後継者を欲しくて番を探している。
飛竜はオスしか生まれないらしく、なんと人間の女性を番として娶るとか。
彼は本気と言っていました。
わたくしが塔にとらわれたままでも番になって欲しいと。
飛竜との結婚なんてこれまで想像したこともない。
でもスピアの表情は真剣そのものだった。
さわやかで笑顔の素敵な彼に生涯の伴侶になって欲しいと言われたら、なぜか種族の違いなんて小さなことのように思えてくる。
「気持ちの整理に時間がかかりそう」
次々と押し寄せる幸せが、ミレーユにはなんだかもったいなく感じていた。
それはつらく苦しい塔の生活がいまも続いているから。
いくら占い魔法で塔から出られた自分が視えたといっても、未来が確定している訳ではない。
運命は変わるものだし、嬉しいできごとなんてこれで最後かもしれない。
だから幸せが来るなら一辺にではなく、間隔を開けて小出しに来て欲しいと思った。
「ですけど、幸せが来るタイミングなんてわたくしの意志ではどうにもできないですし」
敷いた布へ横になったまま余韻に浸る。
その夜、彼女は塔に来て初めて空腹を感じずに、胸一杯のまま眠りにつけた。
◇
「お姉ちゃん、おはよう!」
翌朝になり、いつもより少し早くハンナとアンディがやって来た。
アンディが配置されたテーブルと椅子に注目する。
「わあ、うちのテーブルと椅子じゃないみたい」
「うふふ。とっても素敵でしょう」
「ミレーユ様、おはようございます。今日は私たちの朝食も持ってきました」
ハンナは朝食のトレイをテーブルに置くと、肩にかけた袋から木の皿を出してパンを並べる。
その光景を見ていたら、これから三人で食事するのだと実感が込み上げた。
「朝食の準備ができました」
「わーい! 三人で食べるのって楽しいね」
「みんなで朝食なんて夢のようです」
「実は今日、ミレーユ様にお食事をお持ちする以外の仕事が休みなんです」
「まあ、お休みなんですか。アンディが喜びますね。え、でもそれだと、わたくしの食事がなければ……完全にお休みだった?」
自分のせいで申し訳ない気持ちになる。
「気にしないでください。それより、最初のお客さんになりそうな人がいるんです」
ハンナが今日のミレーユの朝食を取りに王城へ行ったとき、同僚の侍女から相談を受けたそうだ。
「お、お客さんって占いのですか?」
「はい。彼女、凄く迷っていて。それが恋の相談らしいのです。ミレーユ様、恋占いの魔法ってありますか?」
「こ、恋の占い魔法ですか。もちろん知っています。でも占ったことはないですけど。あ、それと占い魔法で使うペンと紙がなくて」
小石でも占い魔法を使えなくはないが、恋占いを小石でするのは避けたい。
「彼女は早番で昼過ぎに勤務が終わります。仕事が終わるころに連れてきますね。ペンと紙も準備させましょう」
ハンナは昼まで一緒に過ごしてから王城へ出掛けて行った。
◇
しばらくしてハンナが戻ってくる。
「ミレーユ様、こちらが同僚のロッテです」
「初めまして、ロッテです」
恐る恐る塔に入った女性が緊張したようすで名乗った。
小柄で二十歳くらい。
ハンナと同じ侍女服で茶色髪をお団子に纏めている。
ミレーユは自分から占いの塔を言い出したけど、元は人見知りの引きこもり。
相手が初対面だと物凄く緊張する。
それでもこちらが挙動不審だと不安にさせてしまうので頑張るしかない。
「ミ、ミレーユ・ヴァイアントです。そ、そちらへどうぞ」
頑張って椅子を勧めるがロッテは座らない。
緊張しているのか、警戒しているのか。
間が持たなくて焦る。
「あの、できればハンナもアンディもここにいてください。お、お願いです」
彼女たちに席を外されては、緊張して占い魔法どころではなくなる。
「わかりました。でも私とアンディは立っています。ねえロッテ、ミレーユ様の占い魔法は凄いですよ。必中なのですから」
ハンナが声をかけると、ようやくロッテが椅子に腰掛けてペンと紙を出した。
「魔法で占ってくださいますか! もう私、困ってしまって」
侍女にしては丁寧な口調。
令嬢として育ったミレーユとしては親近感が湧く。
「ま、まずはあなたのことを教えてくださいますか?」
「実は……」
ロッテは硬い表情で少しずつ自分のことを語り出した。
「私、幼い頃に隣国から亡命してこの国へ来たんです」
「亡命ですか」
なんとなく釈然としない。
我が国が隣国を攻めたのは一年と少し前。
女王が侵略戦争を仕掛けて敗戦した。
それ以外だとここ十数年で近隣諸国に戦争はない。
だから彼女は戦争難民ではないはず。
一体何からの亡命なのか。




