表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/56

その十五

 ミレーユは塔の扉の前でノックされるのを待っていた。

 ハンナが夕食を持ってくる時間はとうに過ぎて、もうすぐ日が暮れる。

 小さな丸パンと具のないスープの質素な食事でも、彼女にとって貴重な栄養源であり唯一の楽しみでもあった。


 何かあったのでしょうか。

 それとも食事はもうもらえないの?


 毎日夕方に訪れるハンナが暗くなっても来ない。

 いくら女王にとって自分が邪魔な存在でも、議会で幽閉と決まったのだから食事は出されると信じていた。

 だが一年間命を繋いだ食事が、ついに打ち切られたのかもしれないと不安になる。


「せっかく……せっかく恋愛運が神の領域まで上がったのに」


 続けて最低なほかの運勢を上げようと奮い立った矢先だった。

 希望を持った直後なので食事をもらえないのはショックが大きい。


 何も食べずには生きられません。

 ……もうだめかも。


 頼みの細い糸がついに切れたと思って床に座り込む。

 空腹で泣きそうだったが、しばらくしていつものように部屋の扉がノックされる。


「どうぞ! 早く入っていらして!」


 やっとハンナが来てくれた。

 嬉しくて少し大きめの声で返事をしたが、ハンナは扉を開けただけで入ってこない。

 扉を外側へ大きく開けて押さえている。

 開かれた扉からトレイを手に持った別の人物が入室した。


「お前、あの女なのか? 体型が違い過ぎる」


 黒く長い髪、きつい目つきだが整った顔、黒いドレス姿の女性で、驚くほどウエストが細い。

 この女性のせいでミレーユは想像を絶する苦痛を受けている。

 毎日空腹に泣き、身なりは汚れたまま髪も整えられずにどれほど憎しみを抱いたか。


 ベネディクト女王。

 一年前にミレーユをこの何もない物見の塔に閉じ込めて、わずかな食事で餓死させようとする女性だ。

 若き女王の顔を見るや、ミレーユの脳内には言葉では表せない思いがめぐった。


 彼女がすべての元凶!

 お父様を死なせ、お母様を修道院へ追いやった張本人です。


 床に座ったままで睨みつけたが、女王は楽しそうにミレーユを観察している。


「ふむ。いい表情だな」


 反抗的な態度を気に入ったのか愉快そうに口の端をあげた。

 しゃなりと屈むと床に座るミレーユへトレイの上に並ぶものを見せてくる。


 トレイの上にはなんといつもより多くの食べ物がのっていた。

 まずパンがいつもより大きい。

 そして大きなお皿にはソーセージと目玉焼きにサラダまである。

 スープの器も明らかにいつもより大きい。


 凄い!

 今日はごちそうです!


 癪なので声こそ出さなかったが、つい頬がゆるむ。

 貴族だったころの食事を考えれば質素なおかず。

 ところがいまの塔での食事と比較すれば、この上ない贅沢なメニューであった。


 それを見た女王は、食事を渡さずに立ち上がって背筋を伸ばす。


「その顔はよくない。わらわは人間の希望に満ちた顔が好きではない。だいたいお前は身なりが汚すぎる。髪も洗いざらしだ。あまりに見すぼらしくて淑女とはいえん」

「な、何ですって⁉」


 空腹で体力の落ちた体から、自分でも驚くほど大きな声がでる。


「だ、だ、誰のせいでこんなことになっているんですか!」


 沸き上がる怒りに我を忘れ、いつもより饒舌に女王への不満が続く。


「か、家具や寝具どころか着替えもない、こんな塔に放り込んでおいて! み、水浴びすらさせず、質素な食事で一年も追い込んだのは、女王陛下ですよね!」


 悔しさを滲ませたミレーユの声に反応して、女王はさも愉快そうに口元を緩ませた。

 視線だけ上へ向け一度小刻みに振るえてから深い笑みを浮かべる。

 そして、いつもより格段に豪華な食事がのったトレイをおあずけとばかりに横へそらした。


「せっかく、わらわが自ら食事を持って来てやったのに。お前、少し無礼ではないか」

「で、でも陛下が先に酷いことをおっしゃったんです」


「無礼な態度をとられては、わらわの機嫌も悪くなる」

「でも、陛下が……」


「いつもより献立をよくしてやったのに」

「そ、それは感謝しています」


「がっかりして施す気が失せた。食事はなしにする」

「え、なし⁉ あ、あの、ま、待ってください」


 目の前にあるパンとスープ、ソーセージや目玉焼きの誘惑に逆らうことができない。

「わ、わたくしが悪かったです。許してください」


 食べたくて食べたくてプライドもなく謝罪した。

 しかしそれでも女王は食事をこちらに渡してくれない。


「淑女に施しをと思ったが、こんなに食い意地が張った女は淑女ではないな」

「そんな! お願いします。食事をください!」


 誘惑に耐えきれず、ついにミレーユは手を伸ばした。

 我慢できなかった。

 食べられないと思っていた食事が食べられると喜んだのに、意地悪されておあずけされているのだ。

 しかも普段では考えられない豪勢なおかず付き。

 この献立を命令したのは女王のはずなのになぜ渡さないのか。


 もしや、食べさせないために用意したのですか⁉


 座ったまま精一杯手を伸ばすが、女王はいっそう低い声で吐き捨てる。


「駄目だな」


 女王はトレイに載ったスープの椀を手に取ると、あろうことか床に零し始めた。


「あ、ああ、スープが」


 びちゃびちゃと音を立ててスープが床に広がる。

 砂やほこりと混ざって黒くなりどろどろと床を汚した。


「この黒く汚いところなどお前にそっくりだ。そう思うだろう?」


 女王は同意を求めたあと、トレイを持って歩き出す。


「ま、待って、残りは……」

「ここで捨てるとお前が後で拾い食いしそうだ。だから塔の外へ捨てる」


 彼女は塔の扉をハンナに開けたままにさせると、どう頑張っても届かない少し離れた地面にトレイを置いた。


「食べたければ出てきて食べてもいいぞ。あ、出られないか。呪いで死ぬからな。まあどのみち出ないで引きこもってもあと少しで死ぬ。栄養失調でな」


 あははと愉快そうに笑ってから「しばらく扉を開けて見せていろ」とハンナに告げて上機嫌で去っていった。

 扉の外には美味しそうなソーセージや目玉焼きが見えている。


「う、うう。た、食べたいです」


 あと少しで外に出そうになる脚を必死に押さえる。

 どうにか出ずに耐えると扉の前でうずくまってすすり泣いた。

 もう声を出す元気もない。

 すると女性の声が聞こえた。


「ひ、酷い。酷すぎるわ」


 顔を上げるとハンナが扉を押さえながら泣いていた。

 彼女は女王が見えなくなるまで涙を流してじっとしていたが、しばらくしてから石で扉が開いたままに固定しだした。

 そして、なんと離れた場所に置かれたトレイを持ってきて、手の届く土の上に置いたのだ。


「い、いいのですか? 怒られたりしません?」

「大丈夫です。塔の中に運んでいないですから」

「ありがとう、ハンナ!」


 急いで塔の中へトレイを引き入れた。

 ハンナが帰ろうとするので、食べる前にずっと考えていたことを提案してみる。


「あ、あの、ハンナ」

「はい、ミレーユ様」


「し、仕事中にアンがまた攫われたらと思うと、心配ですよね。えとその、もしよろしければ昼間はここでアンを預かりますよ」

「え! よろしいのですか⁉」


「ひ、人攫いが出た家は危ないのですよね。わ、わたくし、ずっと心配で」

「ああミレーユ様、なんてお優しい……」


 彼女はまた立ったままで泣き出してしまった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ